月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #49 退却戦

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 アシュラム国境から少しゼクソン側に街道を戻った場所。 アシュラム国境から少しゼクソン側に街道を戻った場所。 そこには迫り来るアシュラム軍を懸命に防いでいるウェヌス国軍の姿があった。どの兵士も満身創痍と言って良い状態だ。 崩壊寸前の部隊を支えているのは。

「散開しろ! 騎馬部隊が来るぞ!」

 部隊を指揮するグレンだった。街道を、隊列を組んで突撃してくる騎馬隊。それを避けるように、兵士たちは山肌に張り付いた。 そしてグレンは、凄惨な笑みを浮かべて街道の真ん中に立っている。

「うちよりはマシだが……まだ隙がある!」

 突撃してきた騎馬を恐れること無く、その隊列の隙間に突っ込んでいくグレン。 抜かれた剣が縦横無尽に振るわれ、馬の足が切り払われていく。次々と倒れていく騎馬。騎乗していた騎士が地面に叩きつけられる。 その騎士にトドメをさすのは兵たちだ。全ての騎馬を打ち倒した所で、グレンは大声で叫んだ。

「もう良い! 後退だ! 全力で駆けろ!」

「「「はっ!!」」」

 後方に下がっていく兵たち。街道には騎士の死体と、暴れる馬たちが残されていた。

「あの腐れ勇者。絶対に殺してやる」

 死体を飛び越えながら、グレンは憎々しげに呟いた。

 

 

◆◆◆

 ――時は三日前に遡る。 ゼクソン軍の案内で山中を進んでいたウェヌス軍先軍。警戒していた待ち伏せはなく、目的地であるアシュラムの砦までは僅かな距離を残すところで山を抜け、平地に出た。 そこから西方にある砦までを一気に進む。 砦までの進軍を急ぐことはしなかった。 ハーリー千人将は、ゼクソンは裏切る、その前提で進めているのだ。すでにアシュラムが自軍の接近を知っているならば、急行する必要などない。 山中での行軍の疲れを取るくらいの気持ちでゆっくりと進んでいく。予定ではこの先、更に厳しい行軍が待っている予定なのだ。 それでも一刻程度で砦を臨む場所にたどり着く。情報通り、それ程大きなものではない。 隊列を戦陣に変えて、そのまま砦に近づいていった。砦側でもウェヌス軍の接近に気が付いたようで、砦の見張り台の上に居る兵の動きが慌ただしくなる。 それを見てウェヌス軍側にも緊張が広がっていく。

「ゼクソンは?」

「左翼につきました」

「指示したのか?」

「いえ、勝手に」

「予想通りか」

 退路を塞ぐつもりであれば、南側である左翼に位置を取るのは当然。予想通りに動くことを喜ぶべきか、悲しむべきか、ハーリー千人将の気持ちは複雑だ。 城塞との距離は徐々に近づいている。 一旦全軍を停止した後に、ハーリー千人将は国軍歩兵の二大隊に攻撃を命じた、 砦に向けて攻め寄せる二大隊二千。だがアシュラムの動きは想像以上に速かった。砦の北側の門から姿を現したアシュラム軍は、ウェヌス軍に向かってくる事なく、そのまま北に進んでいった。

「グレン……」

 グレンはハーリー千人将の指示で、従卒たちと共に側に控えていた。

「無駄な犠牲と時間は不要。こういうことではないでしょうか?」

「……なるほど。とっとと砦を明け渡して、策を動かしたいわけだ」

「そう思います」

「砦に入らないとゼクソンは裏切らないか?」

「裏切られることが分かっていて砦に入るつもりですか?」

「まさか。素通りすればどうすると思う?」

「驚くでしょう。ただ策がバレたとみて、すぐに動くかは分かりません。アシュラム本軍はすぐに現れるでしょうから、それを待って戦いの中で裏切り。それが裏切る側からすれば効果的かと思いますが」

「そうだな。では、その前提で考えよう。先に進んだ国軍に伝令――」

 ハーリー千人将がそう命じた瞬間、大きな叫び声が前方から聞こえてきた。

『罠だ! 砦には罠がある! 入っては駄目だ!』

「……馬鹿勇者」

 呆気に取られている騎士たちを尻目にグレンが小さく呟いた。いつの間にか軍勢の前に出ていた健太郎の声に反応したのはウェヌス軍ではないアシュラム軍の方だった。砦を出た兵たちが、方向を変えて南西に移動しはじめる。それと同時に砦から火の手が上がった。犠牲覚悟で残っていた者がいたのだろう。その火は一気に広がっていき、黒い煙が空に吹き上げていく。遠くからでもはっきりと見えるであろう煙が。

「合図が上がりました。すぐにアシュラム本隊が姿を現すと思います」

「分かっている。全速で西方の砦に……」

「早い。もう現れましたか。しかも……」

 砦の北方にある林の中から黒い点がいくつも湧き出しているのが見える。それは徐々に集まっていき、一つの黒い大きな塊に変わっていった。 「……あ、あれは本物なのか?」

「それは騎馬として戦えるのかという意味ですか?」

 遠くから見てもそれは歩兵ではなく、騎馬であると分かる。内心では思わぬ誤算に焦りを覚えているグレンだったが、表向きは冷静に返事をした。

「そうだ?」

「戦えない騎馬隊を戦争に投入するでしょうか? まあ、ただ移動を速める為にという理由はなくはありませんが」

「まだ遠いが五千はいるのではないか?」

「まあ、それくらいでしょうか。こちらの五倍です。どうしますか? 早めの結論を御願いします」

「…………」

 グレンに迅速の決断を求められたハーリー千人将であったが、それは出来なかった。五千騎を振りきって西方の砦まで辿り着ける自信はハーリー千人将にはない。 思考に沈んだハーリー千人将。そこに又、無神経な声が響く。

『僕に続け! 後方に下がるんだ!』

「……まずはあれを黙らせてもらえませんか?」

『ゼクソンの裏切りだ! 急げ! すぐに後軍に合流するんだ! 僕に続け!』

「……殺してもらえませんか?」

 これを言うグレンの体からは実際に殺気が漏れた。健太郎の今度の言葉にはウェヌス軍が反応した。前を進む勇者親衛隊に国軍兵士が続いたのだ。 同盟軍の裏切りという言葉、それがなくても戦いを前に兵士は恐怖に怯えていたのだ。 勇者が逃げろと言ってくれれば、喜んでそれに従うだろう。健太郎はわずかな言葉でウェヌス軍の士気を挫き、軍を崩壊させてみせた。

「……ゼクソンが動く! ご指示を!」

 健太等に釣られて前進していた国軍兵士のほとんどが、先に進んで行ったのを見て、ゼクソンが動いた。それとの間に割りこむように部隊を並べてきたのだ。

「陣を組直せ! 突撃隊形を取れ!」

「違う! 一気にゼクソンを突き崩せ!」

 ハーリー千人将と違う命令をグレンは叫ぶ。

「何!?」

「たかだか千。それも陣が整う前だ! 数で押し切れる!」

「しかし!」

「あれはとっさの足止めだ! アシュラム本軍に合流されれば、こちらが不利!」

「分かった! 騎士団第一大隊! 突撃用意! 目標、ゼクソン歩兵!」

「目標、ゼクソン歩兵! 突撃!!」

 騎士団の騎馬部隊が、一斉に前を塞ぎに入ったゼクソンの大隊に突撃していく。

「国軍の再編成を! 大隊長! 前に行った兵を止めろ! 部隊をまとめろ!」

 その間に、グレンはまた別の指示を叫んでいる。

「はっ! 一○三大隊整列」

「そんな暇あるか! 各中隊長、兵をまとめろ! 五十名以上纏まった部隊は前に! 五中隊が揃ったら全速前進! ゼクソン歩兵の陣形を打ち破れ! 急げ! アシュラム本隊が来る前に態勢を整え直す!」

「「「はっ!!」」」

「大隊長は揃った五中隊を率いろ! とにかく、速やかにゼクソン歩兵を撃破! 砦にいたアシュラム軍にも気を付けろ! 必ず足止めに動くはずだ!」

「「「はっ!!」」」

 グレンの指示に従って、国軍が一斉に慌ただしく動き始めた。

「お前な……」

 その様子を見て、呆れたようにハーリー千人将が呟く。 

「あっ、つい。えっと、これからは?」

「西方の砦に向かう予定だったはずだ」

「この状況で、ですか? 五倍の騎馬隊を振り切れるのであればどうぞ」

「振り切ることは出来る」

 戦うことを放棄して、ただひたすらに馬を駆けさせれば確かに振り切れるかもしれない。だが、それに付いて行けない者たちもいる。

「……国軍を置いてきぼりにすれば、ですね?」

「そうだ」

「千騎で中軍と合流する意味が見い出せません。数はアシュラムの方が多い。騎馬も五倍が二倍半に変わる程度ですが?」

「国軍で敵の数は減らせないか?」

「……今、自分にやれと言われているように聞こえました」

「そう言っている」

「つまり死ねと?」

「このままではそれをしなくても同じではないか?」

「……確かに」

 騎馬のアシュラム軍を歩兵である国軍は振りきれない。しかも、勇者が半分は引き連れて逃げたので、残った兵士は三千いるかいないかだ。

「出来ないか?」

「それを要求するのであれば、せめて三一○大隊を連れてきて欲しかったですね」

「三一○大隊なら出来たのか?」

「いえ、ただの愚痴です。騎馬を止める方法は色々と話し合いましたが、それに必要な武具もなく、調練もしていません」

「そうか……騎士団は先行する」

「行動の自由を頂けますか?」

「それは?」

「西方の砦までは付いていけません。ある程度の敵を引きつけて街道を南下します」

「……それは仕方ないな。では、後軍の駐屯地で会おう」

「ご武運を」

「そちらもな」

 ゼクソンの部隊を粉砕して西方に進む騎士団第一大隊。そして、グレンは残った国軍歩兵およそ三千と共に、街道を南下することになった。

◆◆◆

 アシュラムの追撃を押しとどめて、南下を続けているウェヌス国軍。街道が狭まった場所で、一時の休憩を取っていた。

「残存兵力は?」

「およそ二千です」

 答えたのはジャスティンだ。ジャスティンたち六人は比較的元気な方だ。厳しい鍛錬を続けてきたこともあるし、戦闘に参加させていないという理由もある。

「大隊長は?」

「全滅です」

「そうか……完全な狙い撃ちだな」

「やはり、そういうことなのですか?」

「最初の衝突からずっとアシュラムの騎馬部隊は、大隊長を討つことに拘っている。かなり無理をしても、後方に突撃してきたからな」

「目標は兵の殲滅ではなく、指揮官の殲滅ですか」

「さあ? 指揮官を全て討ってから兵というつもりかもしれない。統率の取れていない軍は弱い。まして負け戦での退却戦だからな」

「負けですよね?」

 グレンたちの軍勢は三分の一を討たれている。完全な負け戦、全軍崩壊しないで、秩序を保っているのが不思議なくらいだ。

「どう考えても負けだな。救いはまだ終わっていないという点だ。中軍が無事に引くことが出来て、後軍と合流出来れば、最終的に勝つことは出来る」

「……ハーリー千人将たちは無事に辿りつけたでしょうか?」

「さあな。他人の心配をしている余裕はない。そろそろ来る頃だ」

 アシュラムの目標が指揮官、つまり騎士の殲滅であるならば、無事であるとは思えない。だが、それをグレンは口にしない。わざわざ士気を落とす必要はないのだ。

「……来ました」

 かすかな地響きとともに街道の先から騎馬の姿が見え始めた。それは次々と数を増し、街道一杯に広がっていく。

「前に出すぎるな! 最前線はここだ!」

「「「はっ!」」」

「耐えろ! ぎりぎりまで我慢しろ!」

 街道一杯に陣を張る国軍大隊。既に何大隊などという区別はない。元気な者が前に出ているだけだ。

「盾を構えろ!」

「「「「おうっ!!」」」

「……まだだ。まだ動くな」

 見る見る大きくなってくる騎馬の姿。その恐怖に耐えて、兵たちはグレンの指示に従い、じっと動かないでいた。何度も何度も、追撃を跳ね返したグレンの指揮への信頼感だけが兵を支えているのだ。

「……今だ! 槍を立てろ!」

 グレンは槍と言ったが、そんな立派な物ではない。周りの山から切り倒した木や、切り落とした大きな枝を前に突き立てただけ。 それでも、その効果は絶大だった。勢いを殺せずにそれに突っ込んでくる騎馬。首や胸を木に突き立てられて、前を駆けていた馬が騎士を放り出しながら、地面に転がっていく。

「前進! 騎士を突き落とせ!」

 号令を掛けながらも、真っ先に飛び出していくグレン。両手に剣を持って、まるで舞うように敵の騎士を切り裂いていく。国軍兵士もそれに続く。決して無理はしない。三人一組で、目の前の騎士を一人ずつ屠っていった。 傷ついた馬、騎手を失った馬が暴れまわる。それでもうアシュラムの騎馬は行動の自由を奪われて騎乗で、襲いかかる兵を振り払うだけで精一杯になってしまう。 グレンとしては、もっと数を減らしたいところだったが、すぐに後方から退却の号令が響き、アシュラムの騎馬部隊は引き上げていった。 被害は少ないが確実に兵は傷を負い、体力を奪われていく。それでも、撃退を続けていくしかないのだ。

「怪我をしていない馬を確保! 騎士の槍も奪え! 急げ! 直ぐに移動するぞ!」

 グレンの号令がすぐさま兵に向けて発せられる。 アシュラムの騎士にトドメをさしながら、兵士たちは、命令を遂行していった。 奪った馬に傷ついた兵士を乗せて、行軍の準備を整える。すでにかなりの馬を手に入れたとはいえ、それで行軍速度が速まることはない。何人もの兵を乗せた馬は駆けることなど出来ない。徒歩で動ける兵もまた駆け足で進む体力など残っていないのだ。

「次は?」

「また迎撃に向いていそうな場所があれば、そこで」

「それまでは大丈夫でしょうか?」

「それを心配しても仕方がない。一つ所に留まっていることは出来ないのだから、運を天に任せて行軍を進めるだけだ」

「……そうですか」

「そうは言ってもな。さすがに辛いかな」

「はい……」

 行軍しているだけで、兵は消耗していく。いつか限界が訪れることは誰もが分かっていた。

「……限界に達する前に一度勝負に出るか」

「それは?」

「動ける者を集めろ。従卒たちにも参加してもらう」

「はい!」

 

◆◆◆

 しばらく行軍を続けたところで、グレンは休憩の指示を出す。 もっとも休ませたのは戦闘に参加させる兵士だけ。従卒たちは、グレンの指示に従い、あちこちに散っていった。 陣形を組んだ行軍兵士の前。アシュラムから見た進行方向の前に、木の枝を組み上げて、簡易的な騎馬止めを作り上げる。 その後ろに奪った槍を持った兵に隊列を組ませて、敵が現れるのを待ち続けた。

「……来ました」

 地面に耳を当てて、音を探っていた兵がグレンに敵の来襲を告げてきた。

「反省がないな。まあ、こちらとしてはありがたいけど」

 緊張を感じさせないグレンの台詞に、兵たちの気持ちがわずかにほぐれる。グレンとしても、かなり意識して行っていることだ。 兵が伝えてきた通り、街道の先から騎馬が現れた。今回は勢い込んで、駆けてくる様子はない。 きちんと隊列を組んで、ゆっくりと進んできていた。

「……降りれば良いのに。あそこまで拘ると、もう害にしかならないな」

 実際にそうなのだ。グレンが一番恐れているのは、アシュラムが騎馬での追撃を止めて、歩兵で、しかも山中から仕掛けてくること。騎馬で進める街道に拘っている点にアシュラムの誤りがあった。

「まあ、でも今回だけは、これまでと同じでお願いしよう。そうじゃないと困るからな」

 グレンの独り言に兵の中から忍び笑いが漏れだす。絶望的な状況の中での、グレンのこの態度は兵たちの救いだ。

「さて、掛かってくれよ」

 目の前に組まれた木々の隙間を通り抜けて、前に出るグレン。それを見て、アシュラム軍の前衛の騎馬に動揺が走る。これまで幾百人の味方がグレンに倒されてきた。次は自分かもしれない、こう考えて怯えるのも無理はない。

「いい加減に諦めたらどうだ!?」

 進んできたアシュラム軍に向けてグレンは大声で叫んだ。それに反応したのか、騎馬が一騎、前に出てきた。

「それはこちらの台詞だ! 降伏しろ! 悪いようにはしない!」

「信用出来ない! 味方を多く殺したこちらを許すとは思えない!」

「……強者を称える器量くらいはある!」

「今、間があったな! やはり信用ならない! どちらにしろ、こちらには降伏の意思はない! 何度来ても撥ね退けてみせる!」

「……愚かな。では、死んで後悔しろ!」

「はっ! アシュラムの騎馬隊など恐れるに足りん!」

「馬を降りろ! 二十列五縦深! 五分隊! 急げ!」

 ここにきてアシュラムも戦法を変えてきた。

「……卑怯だぞ! 騎馬部隊なら最後まで騎馬で戦え!」

「うるさい! そんな約束事があるか!?」

 街道の先で次々と馬を降り、隊列を整えていくアシュラム軍。その様子を見て、グレンは慌てて後ろに下がった。

「陣形を変える! 対歩兵陣形! 急げ!」

 グレンの号令で、兵たちが一斉に動き出す。前にいた兵が後ろに下がり、後ろの兵と入れ替わっていく。

「進撃! 駆け足全力! 一気に踏み潰せ!」

 それが終わる前に、アシュラム軍は街道を一気に前進してきた。組み上げられた木々を払いのけようとアシュラム軍が動いた時。

「いやあ、俺って運が良いな! もしかして天に愛されてる!?」

 グレンの惚けた声が響き渡った。

「今だ! 放てっ!」

 グレンの号令で、ウェヌス軍の後方から一斉に松明が投げ入れられる。地面に転がった松明は、街道の両脇に引き詰められていた枯れ葉や枯れ草を燃え上がらせ、やがてそれは枯れ枝に燃え移っていく。 それだけではない。アシュラム軍の後方の街道の両側からも、一斉に松明が、枯れ枝が、そして石が投げ込まれる。あっという間にアシュラム軍の前後左右を燃え盛る炎が囲んでいった。

「卑怯な! 越えろ! この程度の火など飛び越えろ!」

「させるか! 手を休めるな! どんどん放り込め!」

「もみ消せ! 火を消せ!」

 大声で叫ぶアシュラム軍の部隊長の声は、燃え上がる火に怯えて暴れだした馬のいななきにかき消されていく。

「どんどん、投げ入れろ! 火を消させるな!」

「突き破れ! 火はもう良い! 正面を突き破れ!」

「それはさせない。さて、初公開。どこまでの威力があるかは、使ってみてのお楽しみ」

 空に真っ直ぐに突き立てられたグレンの剣。 その先に、宙に浮かぶ魔導術式が浮かび上がった。複雑な文様が描かれたその中心から、炎の渦が迸る。その炎の渦は燃え盛る木々を巻き込み、その勢いを増して、アシュラム軍に襲いかかっていった。 それに驚愕したのはアシュラム軍だけではない。ウェヌス軍の兵士たちも、呆然とそれを眺めることになった。

◆◆◆

 馬の背に乗せられてグレンは進んでいた。アシュラム軍からの追撃は止んでいる。今はただ目的地である後軍の駐屯地に向って休むこと無く進んでいた。

「教官、気が付きましたか?」

 馬の手綱を握っているジャスティンが後ろを振り返ってグレンに声を掛ける。

「ああ……振り切ったのか?」

「はい。駐屯地まではもうすぐだと思います。お体の方は大丈夫ですか?」

「大丈夫といえば大丈夫。だが歩けと言われれば否だ」

「……全く、無茶苦茶ですね」

「何が?」

「まさか、魔導まで使えるなんて」

「まあ……でもあれは初めてだ。試したことがあるのはもっと小規模なのだから」

「それで魔力切れを起こしてこの有り様ですか。やっぱり無茶苦茶です」

 使ったことのない魔道術式を実戦でいきなり使ったのだ。滅茶苦茶と言われても仕方がない。

「もう二度と使わない。だから、誰にも言うなよ」

「はい? どうしてですか? 剣は無茶苦茶に強い。おまけに魔導まで使える。自分は教官が本物の勇者だと言われても納得ですけど」

 ジャスティンの言葉に周りを歩く従卒や兵たちが大きく頷いている。彼らも同じ思いなのだ。 今回の退却戦でグレンは出し惜しみすることなく力を発揮している。倒した敵の数は百単位。最後の火計を絡めた魔導によるものまで入れれば千は軽く超えている。

「俺は穏やかな生活がしたいの。もう戦争は懲り懲り」

「それは……そんなこと許されるのですか?」

「だから、誰にも言うなと言っている」

「全く……見えてきました! 駐屯地です!」

 街道の先の平地には多くの天幕が並んでいた。見覚えのあるこの場所はまさしく、先軍が北上を開始した地点だ。 それに気が付いた国軍の兵たちから歓声があがる。生き延びた。その思いがあげさせた歓声だったが、それに水を差す言葉が、すぐにあちこちから聞こえてきた。

「あれは我が国の軍なのか?」

 駐屯地のあちこちに翻る軍旗。それは兵たちが見慣れたそれではなかった。

「……隊列を組め!」

 馬から落ちるようにして地面に降り立ったグレンの号令が響く。 戦える者はもう数百を残すのみ。そのウェヌス国軍に向って、数千のゼクソン軍が向ってきていた。