入学式を終えた新入騎士候補生たちは、そのまま講義室に移動。授業を受けることになった。授業といっても、その中身は剣術でも戦術講義でもなく、帝国建国の歴史。さらにいえば、初代皇帝アルカス一世の偉大さが語られるもの。入学式の延長、は言い過ぎだが、儀式のようなものだ。
「アルカス一世帝を皇帝ならしめたのは、守護神の加護だけではない。アルカス一世帝には功臣たちにはない特別な力があった」
ただ強くなる為に騎士養成学校に入学してきた騎士候補生にとっては退屈な内容だ。だからこそ、こういう授業が行われる。帝国に対する忠誠心を育てることも騎士養成学校の目的なのだ。近年はほとんど目的は果たされていないとしても。
「パラレル・シンキング・アビリティと呼ばれている。アルカス一世帝が最強の騎士にとどまらず、偉大なる指揮官として歴史に名を残すことになった能力だ」
このような話を聞かされても多くの騎士候補生たちは真剣に聞いている振りをしているだけ。帝国を建国した初代が偉大なことは分かっている。だが彼らが求めているのは特別な能力のない自分が強くなれる方法なのだ。
「もちろん、アルカス一世帝一人の力では帝国建国は難しかっただろう。支える功臣がいてこその偉業だ。その功臣たちの代表がアネモイの神々の加護を得た騎士たち。現在はアネモイ四家と呼ばれている方々の祖だ」
アルカス一世帝についての話が一通り、終わったところで内容はアネモイ四家に移る。初代皇帝アルカス一世の話をすれば、アネモイ四家についても語らざるを得ないということだけではない。騎士養成学校が求めているのは皇帝になる人物ではない。現皇帝家を、帝国を支える功臣なのだ。アネモイ四家の祖となった騎士たちのような人物なのだ。
「アネモイ四家はそれぞれセギヌス侯爵家は恵みの神エウロス、ネッカル侯爵家は豊穣の神ゼピュロス、イザール侯爵家は収穫の神ノトス、ムフリド侯爵家は北風の神ボレアースのご加護を受けている」
ただ四家の力の源も結局は守護神の加護であり守護神獣の魔法だ。多くの騎士候補生にとって興味のない話題になってしまう。そしてその中の一人には。
「いてっ」
「授業中に居眠りは良くないと思います」
ローレルもいる。真剣に聞いている振りをすることもしないで、居眠りをしていた。
「授業って、自分の家のことを話しているだけだ。今更、聞いてどうする?」
「他家の話もあります」
「同じ。今更だ」
「そうでしょうか? では聞きますけど、どうして北風の神の加護を受けているムフリド侯爵家の領地が帝都の南にあるのですか?」
居眠りを正当化する言い訳。ローレルの話をリルはそう受け取った。鍛錬については真面目に取り組むローレルだが、机に座っての勉強は苦手としていることを分かっているのだ。
「南から来る敵を阻むには、どの方向から風が吹くのが良い?」
「……ああ、なるほど。ちゃんと理由があるのですね?」
正面の北からの風が正解。だから北風の神の加護を得ているムフリド侯爵家の領地は帝都の南にあるのだ。
「当家も同じだ。収穫の神ノトスは南風の神とも呼ばれている。だから帝都の北の守りを任されているのだ」
セギヌス侯爵家の恵みの神エウロスは東風の神、ネッカル侯爵家の豊穣の神ゼピュロスは西風の神とも呼ばれる。領地はそれぞれ帝都の西と東。同じ理屈で領地が与えられている。
「本当に知っているのですね?」
「当たり前だ。小さい時から何度も何度も、しつこいほど教えられてきた」
「それは、まあ、イザール侯爵家に生まれたわけですから」
うんざりという思いを表情に出して語るローレル。その感情をなだめようとリルは試みたつもりなのだが。
「違う。守護神の加護がどれだけ大事かを言い聞かせ、その加護を得た当主に絶対の忠誠を誓わせる為だ。くだらないだろ? 守護神の後ろ盾がないと忠誠を得られない当主って、何だ?」
さらにローレルの感情を刺激することになってしまった。生まれ落ちた瞬間に守護神の加護を得る資格がないと断定されたローレル。守護神には悪感情しかないのだ。
「ちょっと声が大きいかと。授業の邪魔になりますので、静かにしましょう」
ローレルの気持ちはリルにも理解出来る。だがこの場で守護神を否定する発言は良くない。皇帝家を否定することにも繋がってしまうのだ。
「とっくに邪魔になっている」
リルの気付きは少し遅かった。授業の邪魔をされた講師、ではなく、ムフリド侯爵家のグラキエスが目の前に立っていた。
正面からグラキエスの顔を見るのは初めてのリルもすぐに誰か分かった。金髪に青い瞳はローレルと同じ。だが、体格の良さはローレル以外の新騎士候補生と比べても、言葉通り、頭一つ抜けているのだ。
「グラキエスか。何か用か?」
グラキエスに怒りの感情を向けられてもローレルに悪びれた様子はない。注意される相手が悪かった。これがネッカル侯爵家のトゥインクルであれば確実に、セギヌス侯爵家のディルビオであって、素直に謝罪を口にしただろうが、グラキエス相手だとこういう態度になってしまう。
「何か用ではない。講義の邪魔だ。それと守護神のご加護を否定する発言は取り消してもらおう」
「ああ、守護神の後ろ盾で当主となるお前には許せないだろうな」
グラキエスは長子。自家の守護神の加護を得られる身だ。守護神を認めたくないローレルにとっては目障りな、妬ましいが正しい表現だが、存在なのだ。
「私は加護を受けるに相応しい努力を続けている。貴様とは違う」
「その努力は他所でやってくれ。邪魔をしているのはお前のほうだ。帝国騎士になる気もないのに騎士養成学校に入った。そのせいで本気で帝国騎士になりたかった人が入学出来なくなった」
こういう口喧嘩ではローレルは頭が回る。まったく自慢できることではなく、事態を悪化させるだけだが。
「それは貴様だって同じだ」
「違う。僕は本気で帝国騎士になるつもりだ。お前と違って、いつまでも家にはいられない身だからな。イザール侯爵家に仕えるつもりもない」
「それは無理だな。貴様が帝国騎士になれるはずがない。そんな力はない。愚かなプライドは捨てて、貴様の兄に跪け。どうか僕を養ってくださいと土下座して頼めば、許してもらえるかもしれないぞ?」
グラキエスの口からもローレル以上の辛辣の言葉が吐き出された。売り言葉に買い言葉といったところなのだが。
「あの、ひとつお伺いしてよろしいですか?」
「……誰だ、貴様は?」
「ローレル様に仕えている従士です。まだ従士になって間もないので分からないことが多くて、教えてもらいたいのですけど」
リルが割り込んできた。
「何だ?」
「グラキエス様が侮辱された場合、グラキエス様の従士の方々はどのような行動を選ぶのでしょうか?」
「何だと……?」
「あれ、聞こえませんでした? では、もう一度言いましょう――」
リルの言葉を遮ったのはグラキエスの従士。リルの髪の毛を掴んで、机に頭を叩きつけた。結果としては叩きつけようとした、で終わった。その前にリルは相手の手を払い、逃れている。
「ああ、こういう行動ですか。教えていただき、ありがとうございます」
薄ら笑いを浮かべたまま、背中に手を回すリル。ベルトの背中側に差し込んでいた短刀にその手が届く、その前に。
「そこまでにしたらどうかな? さすがにこれ以上、他の人たちに迷惑をかけ続けるのは、アネモイ四家の一員として放置できない」
別の人間が割り込んできた。セギヌス侯爵家のディルビオだ。
「申し訳ございません。すぐに終わらせます」
「……君も学生の一人だ。騎士養成学校の学生として、真面目に講義を聞く義務があるのではないかな?」
はなから怒りを露わにしていたグラキエスとは異なり、ディルビオは落ち着いた表情。新騎士候補生の中には一人しかいない銀色の髪が印象的であり、白い肌は、美しいというより、冷淡な印象を与える。
「義務……従士としての義務は?」
騎士養成学校の学生である前に、リルはローレルの従士。その立場を優先すべきだと考えている。
「ローレルは君に何かを命じたのかな?」
「……ないです」
「では、今の君に従士として果たさなければならない義務はない。学生として振舞うべきだ」
これは、この場を収める為の理屈。実際には命令がなくても家臣として果たすべき義務はある。それはディルビオも分かっている。
「そういうの時間の無駄。ローレル、命じなさい」
「えっ? あっ、トゥインクル」
さらにネッカル侯爵家のトゥインクルも加わってきた。リルと同じ黒髪に瞳の色は金色。ややつり上がった目がきつい印象を与えるが、確かに美人だ。
そう思ったリルの口元が緩む。トゥインクルはローレルの初恋相手、今も好きな女性かもしれないと彼は考えているのだ。
「貴方の従士に大人しく講義を聞くように命じなさいと私は言っているの」
「……リル」
トゥインクルはこの事態を収める、少なくともローレルに対してはもっとも有効な切り札。これが場に出て来ることになった。
「承知しました。私は」
ローレルが何もするなというのであれば、リルはそれに従う。従士を従わせることも出来ない形ばかりの主などと、ローレルのことを思わせるわけにはいかないのだ。
「いつまで、そこで突っ立っているつもりなのかしら? 図体の大きい男が三人も前に並んでいたら、後ろの人たちの邪魔よ」
グラキエスに対してもトゥインクルの態度は変わらない。
「私は講義の邪魔をするローレルを咎めていたのだ。静かになればそれで良い」
負け惜しみ、というわけではないが、そうも聞こえてしまう言葉を残して、グラキエスは座っていた席に戻る。従士たちも、当然、それに倣った。
「ローレル、貴方、物騒なの飼っているのね? 大丈夫?」
リルが何をしようとしていたのかをトゥインクルは知っている。彼女の前に割り込んだディルビオもだ。
「それがリルのことを言っているのであれば、問題ない。僕の害になるような真似はリルは絶対にしない」
「……ふうん。じゃあ、良いわ」
ちらりとリルに視線を向けて、トゥインクルも自分の席に戻って行った。
「……綺麗な人ですね」
これは周囲に聞こえないように小声で、リルはローレルに話しかけた。
「そうか? それよりもリル。お前、喧嘩っぱやいのだな?」
ローレルも小さな声で返す。リルが具体的に何をしようとしたのか、ローレルは分かっていない。それでもグラキエスに喧嘩を売ったのは間違いない。彼の反応はローレルには意外なことだった。
「すみません。元々、貴族は嫌いなので」
これは真実。本来、何らかの目的がない限り、貴族家に仕えるリルではない。現状は特別なことなのだ。
「……僕も貴族だ」
「ローレル様は貴族であることを忘れさせてくれるので平気みたいです」
「それ、どういう意味だ?」
「言葉通り……失礼しました。静かに講義を聞きます」
飛んできた本を片手で受けて、謝罪を口にするリル。「静かに講義を聞きます」と言っておきながら席を立ったのは、本を返す為。投げてきたトゥインクルに。
「……貴方、何者?」
近づいてきたリルに、トゥインクルは素性を尋ねる。これはほぼ彼女の予想通りの展開。リル一人を呼ぶ為に本を投げて黙らせるという方法を選んだのだ。
「ローレル様に仕える従者です」
「ふうん……まあ、良いわ」
素直に白状するとはトゥインクルも思っていない。どういう反応を示すか確かめただけだ。リルが席に戻ったところで、また講師の説明が始まる。それを邪魔する存在は、これ以降、いなかった。
「……ディルビオ。貴方、彼のことを知っているの?」
講義が終わった後、トゥインクルは講義室を出ようとするディルビオを呼び止めた。ローレルとリルが先に講義室を出たのを確かめてから。
「彼というのは、あの従士? どうしたの? 従士を気にするなんて。好みの顔だった?」
「ふざけないで。彼がグラキエスの従士に何をしようとしていたのか分かっていないの?」
「いや、分かっている。あれはどこまでやろうとしていたのかな? まさか、殺すつもりではなかったよね?」
「さあ、私にも分からないわ。でも、あんなのをローレルに付けるなんて、イザール家は何を考えているのかしら?」
ただでさえ問題を起こしがちなローレルに、それ以上に危ない従士を付ける。トゥインクルには理解出来ない考えだ。
「君も分かっているよね? 他にいないから」
「それは……そうだけど」
ローレルがイザール侯爵家でどういう立場に置かれているかは二人も知っている。それにどちらかといえば、同情的な感情を抱いている。
二人も当主になれる可能性が低い立場。トゥインクルの場合は、ローレルとは異なる性別という理由だが、可能性は無だ。女性だから仕方がないと諦めることが出来ない才能を持っていても。
守護獣という特別な力を抜きにすれば、彼女の強さは兄弟の中で抜きんでているのだ。
「イザール侯爵家に仕えるようになったのは最近だ。半年も経っていない。ローレルの妾腹の妹が盗賊に襲われたところを助けたという話があるけど、詳しいことは分からない」
「……そう」
「ちなみにその妹と恋仲という噂もある。残念だったね?」
他家の情報をディルビオはある程度掴んでいる。セギヌス侯爵家とはそういう家だ。だからトゥインクルはディルビオに声を掛けたのだ。
「全然。恋愛には興味がないの」
「それは残念」
「分かったわ。ありがとう」
分かったことは少ない。だがそれは仕方がないことで、問題にもならない。これから三年間、騎士養成学校で学ぶのだ。追々、分かることもある。それにトゥインクルがリルを気にしているのは、グラキエスの従士、もしかするとグラキエス本人にも迷いなく戦いを挑もうとした点。ただの無知からの行動か、そうではないのか。
騎士養成学校で学んでいれば分かることだ。この場所は強さを競う場所なのだから。