騎士養成学校の初日は帝国建国の歴史についての講義で終わり。本格的な騎士候補としての鍛錬はなかった。それを物足りなく思う新騎士候補生も多いが、さすがにそれは気持ちが逸り過ぎ。一日目はこんなものだ。今日は授業の日ではなく、新騎士候補生を迎える儀式の日であり、明日からの準備としてのオリエンテーションの日。儀式と事務手続きを行う時間しかない。
「クラス分け? それはどうやって決められるのだ?」
まずはクラス分け。授業は全体授業とクラス別授業がある。一年目のクラス別授業は、ただ人数を分散させる目的。講師の数や施設の大きさの都合で。一学年全員で授業が受けられない課目があるのだ。
「ローレル様、言葉遣い」
「あっ、そうだった。どうやって決められるのですか?」
リルに指摘されて言葉遣いを改めるローレル。騎士養成学校の学生に身分差はない。貴族も平民も平等、というより、貴族の学生が実家の爵位に関係なく一学生として扱われる。騎士養成学校内では貴族だからといって特別扱いされることはないのだ。
これは騎士養成学校を設立した十一代皇帝サウラク二世が決めたこと。軍は軍組織での階級が全て。出身も年齢も、今の時代は性別も、関係ないという考えから来ている。帝国騎士団組織における階級が上である講師や教官、職員である事務員にも、まだ入団希望者に過ぎない学生は敬意を払わなくてはならないのだ。
「くじ引きです」
「はい?」
「誰の思惑も入る余地がない公正な決め方です」
「……確かに」
つまりは運任せ。これからの三年間の学生生活を仲良く出来る仲間と過ごせるか、そうはならないかが決まる大事な決定だ、というのはローレルの誤解。クラスの再編はある。最初のクラス分け以外は学生の実力を考慮して決められることになる予定だ。
「では、この箱から一枚引いてください」
「分かりました」
一度、祈るような姿勢で天を、室内なので空は見えないが、仰いでローレルは箱の中に手を入れる。指で挟んで取り出した一枚の紙。それをそっと開く。
「……他の人がどのクラスか分からなければ、良し悪しも分からないと思いますけど?」
「うるさい! 分かっている!」
分かってはいなかった。だが祈る気持ちに変わりはない。嫌な奴と一緒にならないように。願っているのはこれなのだ。
「あれ? 私はどうなるのですか?」
「彼の従士ですね? くじを引くことなく彼と同じクラスになりますから、心配なく」
「分かりました」
仕える相手と別のクラスになっては一緒に入学する意味が薄れる。従士として登録されている学生は、自動的に仕える相手と同じクラスになるのだ。
「結局、どのクラスなのですか?」
「ベータ」
「ベータ?」
おかしなクラス名。リルはこう思った。
「多分、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、クラスがいくつあるか知らないが、そのベータだ」
「博識ですね?」
リルは知らない知識。クラスは番号、一、二、三などの数字だと思っていたのだ。
「馬鹿にするな。常識だ」
「平民出身であれば常識ではありません。軍と軍と関係がある貴族家の方々でしか通用しない知識です」
ローレルの説明を事務員が否定した。平民はそのような順番の付け方はしない。帝国騎士団独特のもので、軍関係者か貴族しか知らない知識だ。
「そうか……自分たちにしか通用しない常識というのもあるものですか」
平民は知らない知識、というのはローレルも知らなかったことだった。
「一、二、三で事足りますから」
「そんなものか?」
そんなものだ。帝国騎士団にはいくつもの部隊がある。最小単位は伍で、正式名称にすると帝国騎士団第一軍第二大隊第三中隊第一小隊第二伍隊などになる。ただ実際の行動単位は伍単位とは異なることがほとんどなので、作戦時の略称として一二三中隊ベータが使われたりする。第一軍第二大隊第三中隊配下の複数小隊がまとまって行動している部隊のことだ。あくまでも一つの例だが。
「ベータの教室は廊下を出て右。奥から二番目になります。そこで次は講義についての説明を受けてください」
「分かりました」
言われた通り、教室に向かう為に廊下に出る二人。その間も順番に名前が呼ばれ、クラス分けのくじ引きは続いている。
「……とりあえず、どうですか?」
教室には先客がいた。先にくじ引きを終えていた新騎士候補生たちだ。くじ引きはまだ行われているので後から来る人はいる。それが分かっているのでリルは「とりあえず」と言って、尋ねた。
「知らない顔ばかりだな」
「それは良いことなのですか? それとも悪いこと?」
リルも当然、全員知らない。ローレルにとって良いクラスメートなのか分からない。それでも絶対にいて欲しくない人はおらず、いて欲しいだろう人がいないことも分かる。アネモイ四家の三人だ。
「今のところは願いが通じたな」
「トゥインクル様がいませんけど?」
嫌な奴、グラキエスがいないことは良いことだ。だがトゥインクルがいないことは願いが通じたとは言えないのではないかとリルは思った。
「どうしてそうなる? トゥインクルはもっとも同じクラスになりたくない相手だ」
「またまた」
「あのな……じゃあ、お前が納得する理由を教えてやる。トゥインクルは僕よりも強い」
トゥインクルへの好意を否定しても、リルは受け入れない。同じ「またまた」が返ってくるだけと考えたローレルは、本当の理由を教えることにした。
「……あっ、ああ。そういうことですか」
実際にリルは納得した。授業には剣術や格闘術の授業がある。それ以外の授業でも好きな女の子に負けるのが嫌なのだと。ローレルはトゥインクルのことが好き。これはもうリルの中で間違いのない事実になっているのだ。
「ただまだくじ引きは続いているからな」
「あっ」
「えっ? う、嘘だろ?」
リルが驚いた理由は彼の視線の先にあった。グラキエスが教室の入口に立っていたのだ。グラキエスも同じベータクラス。それはローレルにとって、トゥインクルと同じクラスになるのと同じかそれ以上に最悪な結果のひとつだ。
「……ローレルはベータか、私は隣、アルファだ」
「紛らわしいことするな!?」
「何を怒っている? さきほどのことなら私はもう気にしていない。お前も忘れろ」
ローレルにとって幸いなことに、グラキエスはアルファクラス。隣の教室に行く途中にローレルがベータクラスにいるのを見て、立ち止まっただけだった。
「ああ、君には部下が失礼なことをした。すまない」
「あっ、いえ。気にしていません」
さらにグラキエスはリルに謝罪を告げた。謝られたリルのほうは、顔には出していないが、驚きだ。
「ローレルを相手にすると私もすぐに冷静でいられなくなる。彼は私を苛立たせることにかけては天才なのだ。だからローレルにも謝罪させると良い」
「一応、主ですので」
「一応……そう言える関係か。なるほどイザール侯爵家から一人だけ一緒に入学してきたのには理由があるのだな。腕のほうも気になる。今度は堂々と授業で戦おう」
グラキエスもトゥインクルとディルビオと同じ、ローレルの幼馴染の一人。彼のことは分かっている。家臣を毛嫌いしていることも。
「機会がありましたら、是非お手合わせ願います」
「ああ。では、また」
軽く片手をあげて挨拶をして、グラキエスは姿を消した。廊下を先に進んで隣の教室に向かったのだ。
「……なんか……あれですね?」
「あれとは何だ?」
「良い人じゃないですか。悪いのはローレル様ってことですね?」
グラキエスは従士の身であるリルにも謝罪を告げた。それもリルの側にも非があったというのに。第一印象とはまったく正反対の好印象。どうしてローレルが毛嫌いするのかリルには分からない。
「悪人とは言っていない。堅物過ぎて一緒にいると息苦しいだけだ。勝手に真面目にやっている分には僕も何も言わない。だが、グラキエスは僕にもああしろ、こうしろとうるさい」
「つまり、悪いのはローレル様と」
恐らく、アネモイ四家の一員であることに誇りを持っているグラキエスは、帝国貴族の頂点に立つ貴族家の一員に相応しい人物であらねばらないという想いが強く、それとは真逆の言動を繰り返すローレルに黙っていられない。講義の時の言葉も思い返し、リルはそういうことだと理解した。つまり、悪いのはローレルのほうだと。
「どうしてそうなる!?」
「いや、どう考えても。まあ、他人に自分が求める生き方を強制するのはどうかと思いますので、その点についてはローレル様の不満も理解出来ます」
ただ否定しても反発するだけ。リルもローレルとの接し方を学んでいる。嘘はついていない。他人に生き方を強制される辛さは、リルも理解しているつもりだ。
「そうなのだ。グラキエスにはそういうところがある」
「ローレル様がやるべきことは、怠け者というレッテルを剥がすこと。真面目に授業を受けることです」
「それは……分かっている」
全てを投げ出していた。それが間違いであることは分かっていた。それでも治らなかった。だが今は違う。望まない人生であれば、自分が求める人生に変えてしまえば良い。それは不可能ではないと思えるようになった。騎士養成学校はその為に入学したのだ。自分の意志で。今のローレルは本気でこう思えている。
◆◆◆
騎士養成学校からの帰り道。リルを待ち伏せしていた者がいた。待ち伏せされていたと分かっているのはリルだけ。ローレルのほうは、運悪く質の悪い奴らがいるところを通ってしまったと思っている。偶然だと。
「……何の用でしょう? 話を聞いてきます」
「はあ? そんなの必要ない。今すぐ逃げるぞ」
柄の悪い男たちと話をしようとするリルを止めるローレル。リルの心配はそれほどしていない。強いことは分かっている。自分が巻き込まれたくないのだ。
「大丈夫です。ローレル様は少し離れたところで待っていてください。何か起きたら遠慮なく逃げるように。私も一人のほうが逃げやすいですから」
ただリルはこのまま去る気はない。相手は自分に用があって待っていたことは分かっている。そうであることをローレルに気付かせることなく、話したいのだ。
「……分かった」
渋々という感じで了承したローレル。この距離であれば安全なのは分かっている。何か起きた場合は、とにかくレイヴンに乗れば、それで逃げ出せるはずだ。
ローレルとレイヴン、ルミナスの二頭を残して、歩き出すリル。それに合わせて相手のほうからも一人、前に進み出てきた。
「……よう、久しぶりだな?」
近づくとすぐに相手のほうから話しかけてきた。
「こんなところで何をしている? いや、聞くのはこれじゃないか。あんな騎士団にどうしている?」
待ち伏せしていた相手はイアールンヴィズ騎士団のハティだ。
「イアールンヴィズ騎士団にいて、何が悪い?」
「紛い物だ」
今のイアールンヴィズ騎士団は本当のイアールンヴィズ騎士団ではない。それをリルは知っている。本物は滅びたまま。復活はしていないのだ。
「お前が入団すれば本物になる。そうだろ? フェン」
フェンがリルの本当の名。ハティとは幼馴染で、ほぼ同時期に見習い従士としてイアールンヴィズ騎士団で働き始めた。
「……俺が入団しても紛い物は紛い物だ。よくイアールンヴィズ騎士団を名乗ったな?」
「俺が作った騎士団じゃねえ。勝手に名乗っていた騎士団に後から入団した」
「そうだとしても」
「イアールンヴィズ騎士団の名に釣られて集まってくる奴がいる。お前もそうだ。意外だったけどな」
ハティが偽物であるイアールンヴィズ騎士団にいるのは、名前に釣られて近づいてくる人がいると思ったから。ハティ自身もそうで、団員となって待っていれば、バラバラになった仲間に会えるのではないかと思ったからだ。
「俺は違う。騎士団の存在は帝都に来て、始めて知った」
「はあ? じゃあ、どうして帝都になんか来た?」
帝都は彼らにとって危険な場所。実際にどれくらいのリスクがあるのか当人たちも分かっていないが、近づかないで済むならそうすべき場所なのだ。
「やることがあるから。終わったら離れる」
「……何をしている?」
「お前には関係ない」
「フェン!?」
関係なくはない。物心ついた時から、ずっと一緒にいた。イアールンヴィズ騎士団が壊滅したあとも一緒にいられるはずだった。共にイアールンヴィズ騎士団を再結成するはずだった。フェンを団長として。
「大きな声を出すな。疑われる」
「……どうして貴族様になんか仕えている?」
ハティも貴族に対する悪感情がある。イアールンヴィズ騎士団を滅ぼしたのは、家族を殺したのは貴族。この想いがあるからだ。
「知っていたのか……イザール侯爵家に仕えているのはたまたまだ。成り行きだけど、あと三年働くことになった」
「三年も? ああ、騎士養成学校を卒業するまでってことか」
三年という期限の理由をハティはすぐに理解した。リルは、フェンは騎士養成学校に入学した。学校が三年制であることも調べている。
「そこまで知っているのか。そうだ」
「悪いことは言わねえ。今すぐに辞めて、団に入れ」
「だから俺には他にやることがある」
そうでなくても今のイアールンヴィズ騎士団に入団する気にはなれない。勝手に団名を名乗る奴らと平気で一緒にいられるハティの気持ちが、リルには理解出来ない。
「……今のイアールンヴィズ騎士団にも調べは入ったそうだ。だが、あっさりと事件とは関係ないと判断された。何故だか分かるか?」
「実際に関係ない」
それはリルには明らかなこと。ハティにとってもそうであるはずで、理由を聞かれることの意味が分からない。
「ああ、だがそんなことは調べにきた奴らには分からねえ。納得する理由があったからだ。今のイアールンヴィズ騎士団は偽物だと証言した人物がいた」
「証言……団の関係者か?」
「いや、被害者の証言だ。そうでなければ信用されねえだろ?」
「……彼女か」
証言者が女性であることもリルには聞かなくても分かる。ローレルに聞いたからではない。事件を起こしたのは、メルガ伯爵の屋敷を襲撃し、たった一人を残して、皆殺しにしたのはリルたちなのだ。そのたった一人の生き残りの女の子とリルは顔を会わせている。
「彼女は今、メルガ伯爵、いや、メルガ準伯爵だったか。とにかく貴族だ。貴族に仕えていれば、ばったり会うこともあるかもしれねえ。イアールンヴィズ騎士団にいるよりも、遥かに危険だ」
「……罪はいつか償わなければならない」
リルには罪の意識がある。メルガ伯爵の屋敷を襲ったことに対してではない。罪のない女の子を巻き込んでしまったことへの後悔の想いだ。
「家族を殺した奴らに復讐しただけだ!」
「だから声が大きい。彼女に償うだけだ。やることをすべて終わらせてから」
「……お前、何をやっている?」
リルが何に拘っているのか。なによりも優先する「やるべきこと」とは何なのか。ハティは疑問に思った。家族を殺した相手への復讐。イアールンヴィズ騎士団の再興。リルが背負っているのは、ハティが知る限り、この二つだけのはずなのだ。
「……まさか、フェン? お前……」
背負っていたうちの一つ、騎士団の再興からフェンは逃げ出した。要のフェンを失い、仲間はバラバラになった。そうなると残るはひとつ。復讐はどうなのかとハティは考えた。
「これ以上は待たせられない。しばらく俺には近づくな。怪しまれて困るのはお前も同じはずだ」
「おい、待て!」
引き留めようとするハティの声を無視して、リルはその場を離れて行く。一度も振り返ることもなく。
「……あの野郎。おい、話は聞いていたな」
「……はい。驚きの事実を知りました。いや、アニキたちがあの」
物陰から出て来たのはシムーン。イアールンヴィズ騎士団の、ハティをアニキと呼ぶほど慕っている仲間だ。
「それは二度と口にするな。約束通りにあいつが何者かを教えたのだから頼みを聞け」
「それ何か違いません?」
約束を守ってもらった代わりに頼みを聞く。それは不公平だとシムーンは思う。しかもろくでもない頼み事に違いないのだ。
「この数年、三年くらいか。不審死、事故、とにかく良く分からねえ死に方をした貴族を全部洗い出せ」
「無理、そんなの絶対に無理」
「調べる前から諦めるな。なんとかなる」
案の定、無茶振りの類だった。だが結局、シムーンは引き受けることになる。ここで断っても、この先、毎日、引き受けるまで言われ続けるだけ。それが分かっているのだ。
止まっていた時が動きだした。この感覚を得たハティに、何もしないでいることなど出来ないのだ。