イアールンヴィズ騎士団の拠点は帝都の第五層。農地と帝国騎士団施設がある地域にある。帝国騎士団施設があるからそこに拠点を設けた、のではない。帝都の中心に近くなれば近くなるほど土地も建物も高くなる。手ごろな価格で手に入れられる第五層で探し、良い場所が見つかったので、その場所を拠点としているだけだ。
今の拠点は年老いて引退間近だった農民から、譲る側の農民にとってはそれなりの値段で、イアールンヴィズ騎士団にとっては安く手に入れた建物と農地。結果、良い買い物だったという評価になっている。農地は一部を除いて、農地のままにしている。そこで収穫する作物も、イアールンヴィズ騎士団の暮らしを助けているのだ。
「かなり分かりましたよ。あの二人はイザール侯爵領で暮らしています。ていうか、金髪のほうはイザール侯爵家の人間。三男のローレルって奴です」
「もう一人は?」
「使用人です。仕え始めてまだ半年も経っていないようです。元々は馬の世話係だったのですけど、今は三男の従者をやっています。馬の世話も続けているから、兼務?」
リルとローレルの後を付けた男は、その後も調査を続けていた。その結果を命じた相手に報告しているところだ。
「そこまで分かったのか? 無理して調べて、相手に気付かれていねえだろうな?」
想像していたよりも詳しい情報を手に入れてきた。それを褒めるよりも、不安に思う。詳しく調べようと思えば、それだけ二人に近い人間に接触することになる。二人にその事実が知られる可能性が高くなる。
「大丈夫です。侯爵領内にある酒場での噂話を聞き集めただけですから」
「はっ? どうして二人のことが酒場での噂話になる?」
いくら一人は侯爵家の人間とはいえ、仕えている人間のことまで噂になるはずがない。そこまで注目されるはずがないのだ。
「最近、注目を集めているみたいです。アニキは知っているのでしょうけど、黒髪の男、まあまあ良い男みたいで」
「そうか? 俺の方が良い男だろ? というか何度も言わせるな、シムーン。俺をアニキと呼ぶな。俺たちは騎士団。任侠一家じゃねえ」
「騎士団だってアニキと呼んでも……はいはい、分かりました。ハティ先輩」
言い返そうとしたシムーンだが、ハティに睨まれていることに気が付いて言う通りにした。ハティの基準をシムーンはまだ理解出来ていない。こんなことで、と思うような些細な出来事に本気で怒ったりするのだ。
「先輩って、ほぼ同時期だろうが」
ハティとシムーンの入団時期はほぼ同じ。団全体では遅いほうなのだ。
「まあまあ、これくらいは良いじゃないですか。話の続きです。そのハティ先輩には少し劣る良い男のほうが、どうやら侯爵家の令嬢と良い仲のようで、領内では注目の的みたいです」
「……あのさ……そういう話って、普通は隠されるものじゃねえか?」
自家の令嬢と使用人の恋愛。あってはならないことが領内で堂々と話されている。それをハティは疑問に思った。
「確かに……隠しきれないほど、二人の仲が熱々ってことじゃないですか?」
「お前な……その令嬢ってのは何歳だ?」
二人の関係はシムーンが言うようなものではない。それをハティは分かっている。
「えっと、兄がこんど騎士養成学校だから十五。その二つ下なので十三」
「十三の令嬢と十五の使用人が熱々?」
そんなはずはない。おままごとの延長と受け取られるほうが、まだ理解出来る。
「いや、そこは貴族ですから……なわけないか。それに男のほうは平民だ。いや、関係ないか……それでも……ないですね?」
貴族であれば、今の時代は滅多にあることではなくなったが、十五で結婚なんてこともある。だが、十三だ。その年齢で大人の男女のように噂されるのは、おかしいとシムーンも思った。
「なんだかおかしな家だな。まあ、それは今はどうでも良い。他の情報はないのか? その使用人はどういう経緯で仕えることになった?」
もっと詳しい情報をシムーンが入手出来ていたら事情は分かった。噂はプリムローズを貶める為に、わざと、それも脚色されて流されたものだ。ハティにはどうでも良い話だろうが。
「それも令嬢が……自分の男を連れて来た、なんてはずないですね? 調べ直します」
「そうしろ。結局、イザール侯爵家の人間だってことだけか。まあ、それでも上出来ってことにしておく」
居所を突き止めることは出来たのだ。それで目的は達している。文句を言うのは違うとハティは考えた。
「俺を見くびらないでください。一番重要な情報の報告はまだです」
「……聞こう」
もっとも重要な情報の報告はこれから。それを知って、ハティの顔が引き締まる。一番重要とあえて言うくらいなのだから、余程のことを調べたのだと思っているのだ。
「二人は、この春から騎士養成学校に入学します。休日以外は毎日、領地と帝都を往復することになりますから、襲おうと思えば、いつでも襲えます」
「騎士養成学校? あの馬鹿、いまさら騎士学校で学んでどうするつもりだ?」
「……あの馬鹿というのは黒髪の男?」
ハティの反応はシムーンの思っていたものとは違っていた。ハティと黒髪の男との間には因縁がある。敵だと思っていたのだが、ハティの「あの馬鹿」という言葉からは敵意が感じられなかったのだ。
「そうだ」
「……学ぶのは金髪のほう。黒髪のほうはそのお供です。学ぶ必要がないほど強いのであれば、ですが。そういうことですか?」
「ああ、あの馬鹿は強い。まあ、一級品の帝国騎士と比べてどうかと言われると、俺も分からない。帝国騎士がどれほど強いのか知らないからな」
それはつまり、黒髪のほう、リルがどれほど強いかは知っているということ。それがシムーンには分かった。
「ちなみにハティ先輩とだとどっちが?」
「聞くな」
「ええ!? 相手のほうが強いと認めるんだ! それほどの相手なんだ!」
ハティは強い。腕に自信のあるシムーンが憧れるほど強い。そのハティが、まず他の人間を強いと評価することなどないハティが、自分より強いと認める相手。それはシムーンにとって驚きの事実だ。
「うるさい! あいつはインチキなんだよ!」
「インチキ? なんですかそれ?」
強さを認めたかと思えば、インチキだと言い出す。このハティの反応は分からない。これまでシムーンが見たことがない反応だった。
「一言にすると天才。さらに努力も怠らない。凡人の倍、努力する天才に勝てる方法を知っていたら教えてくれ」
「それは……インチキですね。その更に倍、努力するでは駄目なのですか?」
「ああ、一日が俺だけ今の倍、時間があれば、そうする」
どれだけ努力しようと思っても時間には限りがある。相手に一日のほとんどの時間を鍛錬に費やされてしまうと倍の努力など出来ない。
「先輩、そんなに鍛錬してます?」
「例えだ。実際に毎日、一日中、鍛錬していたら逆に体が壊れる。休養は必要だ。最適な鍛錬を最適な時間行う。それをやられたら差は縮まらない」
「確かに……そろそろ黒髪の男が何者か教えてもらっていいですか?」
ハティは相手を自分よりも上の存在だと認めている。それでいて「あの馬鹿」と親しみを感じさせる呼び方をしている。シムーンが思っていたような関係ではないことは明らかだ。
「……秘密だ。お前は口が軽いから言わない」
「ええええ? それ酷くないですか?」
「知らないほうが良いこともある。そうでなければ、俺が教えなくても知ることになる」
「……先輩はどっちだと思っているのですか?」
教えなくても知ることになる。この言葉の意味をどう考えれば良いのか。ここまでのハティの話から考えると、シムーンにも思うところがある。
「……あとのほう。いずれ、あいつが何者かは多くが知ることになる……そのはずだ」
「そうですか……では、その時を待ちます」
自分だけではなく、多くが知ることになるとハティは言った。そういう存在がいるのかとシムーンは思った。いて欲しいと想いながらも、少し悔しい気持ちも心に浮かんだ。
自分こそがそういう存在でありたい。乱世で名をあげたい。彼はそう思って、騎士の道を選んだ。イアールンヴィズ騎士団に入団したのだ。
◆◆◆
プリムローズはいつも食事を一人でとっている。ローレルが一緒に食べてくれることもあるが、その機会は滅多にあることではない。ローレルの母、イザール候の正妻であるマリーゴールドがいない時だけだ。
イザール家では食事は基本、家族全員で。これがルールで、そこにプリムローズが呼ばれないのは、家族として認めないというマリーゴールドの意志表示なのだ。
嫌がらせではあるが、プリムローズにとっても悪いことではない。自分に対して悪意を持つ人たちと食事をしても嫌な思いをするだけ。さらに自分を庇おうとするローレルが叱責されることで、申し訳ないという気持ちにもなってしまうからだ。
その食事の場にプリムローズは呼ばれた。拒否したかったが、それも許されなかった。
いるはずのないプリムローズがこの場にいることで、気まずい雰囲気の食卓。イザール候不在の食事の場にプリムローズが呼ばれた意味を皆、分かっている。普段、彼女に嫌がらせをしている次兄のラークでさえ、緊張した面持ちだ。
「……そういえば、領内で酷い噂が流れていますわね?」
多くの予想通り、話を始めたのはマリーゴールド。話題は領内の噂。それが何のことか分かっているのは、この場では話を切り出したマリーゴールド本人だけだ。
「……何のことですか? 私は知りません」
マリーゴールドの問い掛けに応えたのはアイビス。弟妹たちに反応するつもりがないのは明らか。彼が応えるしかないのだ。
「彼女が馬小屋で毎晩、馬飼と逢瀬を重ねているという噂です」
「……彼女というのは誰のことでしょう?」
誰を指しているかは分かっている。アイビスだけでなく、この場にいる全員が。それでもあえてアイビスは誰かを尋ねた。
「決まっているでしょう? そんな真似をするのは妾の子しかいません」
「母上、それは確かに酷い噂です。すぐに領民たちを黙らせるように指示いたします」
「酷いのはそんな噂を立てられる彼女のほうでしょう? 妾の娘とはいえ、ふしだらが過ぎます」
領民たちを黙らせる必要はない。噂を流させているのはマリーゴールドなのだ。プリムローズを貶める為。そしてこの場は彼女を糾弾する為の場だ。
「根も葉もない噂を話すほうが酷い。黙らせるのは当然だ」
「……ローレル。貴方には関係ないことです」
これはいつもの展開。マリーゴールドやラークがプリムローズに嫌がらせを行えば、ローレルはそれに反発する。母親の機嫌を損ねようが気にすることはない。生まれた時から嫌われているのだ。
「関係はある。僕はそれが嘘であることを知っている。ああ、僕が領民たちに説明しよう。ついでに誰がそんな噂を流しているのかも突き止めてみせます」
調べなくても犯人は分かっている。分かっていて、ローレルはこれを口にした。マリーゴールドに対する嫌味だ。
「貴方が知らないだけです。その女が馬飼とふしだらな真似をしているのは事実。証人もいます。そうでしょう? プリムローズ」
証人はいる。作られた証人が。ローレルが頑張って噂を嘘だと伝えても、上塗りされるだけなのだ。
「……事実じゃない。でも、事実だとしても何が悪いのですか?」
「……なんですって?」
プリムローズが反論してきた。マリーゴールドにとっては想定外の展開だ。いつもは黙り込むプリムローズ。沈黙は非を認めたこと。こういうシナリオだったのだ。
「何が悪いのですか? 私はイザール侯爵家の人間ではありません。平民の私が平民の男の子と仲良くして、何が悪いのですか?」
「プ、プリム!? お前、それは違う!」
庇う側のローレルにとっても想定外の反論。自分をイザール侯爵家の人間ではないと認めることは、ローレルの考えでは、あってはならないのだ。
「貴女……自分が何を言っているのか分かっているのかしら?」
「分かっています。貴女がいつも私に言っていることです」
「……だったら出ていきなさい! 今すぐに!」
プリムローズが自ら望んだこと、というわけにはいかない。マリーゴールドはイザール候の正妻ではあるが、当主ではない。当主であるイザール候が認めたことを覆す権限などない。たんに怒りに任せて、口にしただけだ。
それに対してプリムローズは、無言のまま、席を立って食堂を出ていく。その後を、ローレルも追った。
「……これでせいせいしますわね」
「母上……父上はお認めになりません。お怒りになるかもしれませんよ?」
マリーゴールドがイザール候の意に反した行動が出来るのは、跡継ぎを生んだ母だから。他の女性との間に後を継げる男子がいないから。だがやり過ぎれば、イザール候は非情な決断を下すかもしれない。アイビスはそれを心配しているのだ。
「……貴方の成人式が待ち遠しいわ」
マリーゴールドも自分の立場を知っている。そうであるから妾の存在が、プリムローズの存在が許せないのだ。プリムローズが男子であれば、自分の地位は揺らぐことになった。そう考えているのだ。
「あと数年です」
「ええ、楽しみにしているわ」
アイビスが後継者として守護神に認められてしまえば、他の女性の存在は関係ない。守護神の決定には当主であるイザール候も背けない。アイビスは後継者で、マリーゴールドは次期当主の母。立場は盤石だ。
その時までの我慢。我慢など何もしていないのに、マリーゴールドはこう思った。