騎士養成学校。正式名称は帝立帝国騎士養成学校だ。歴史は長くて百年近くになる。それでも帝国建国からは二百年以上経ってからの創立。それは帝国騎士団の要員不足が問題化したのが、その頃だったからだ。騎士養成学校は定員不足、成り手不足を補う為に広く門戸を開く目的で創立された。それまで貴族家と世襲騎士の家に限定されていた帝国騎士採用を、平民からでも選べるようにしたのだ。設立時、三年間で平民が従士のレベルにまで到達するはずがない、という否定的な意見もあったが、それは三期生の時には。もう消えた。素質ある者は三年でも成長する。逆に素質のない者は、入学前から鍛えても三年で追い抜かれる。養成学校の存続がかかっていたので教える側も必死だったという理由もあって、それが証明されたのだ。
それから九十年以上の時を経て、今は入学志願者こそかつてと変わらないか、それ以上だが、本来の目的は果たせなくなっている。騎士養成学校を出ても帝国騎士団に入団する学生が少ないのだ。
帝国騎士は名誉ではあっても実利が乏しい。帝国の財政難の影響は当然、帝国騎士団にも影響を与えている。分かりやすく言うと、帝国騎士になるよりも私設騎士団の騎士として働くほうが儲かるのだ。
騎士としての基本を身につける為に騎士養成学校で学び、卒業後は待遇の良い私設騎士団に入る。これが近頃の進路の主流だ。帝国騎士団としては、頭の痛い状況だ。
「団長。来季は優秀な人材が揃いそうです」
すでに入学希望者のリストは出来上がっている。その情報は帝国騎士団にも回されているのだ。
「アモネイ四侯爵家の人間のことか?」
「ご存じでしたか」
「各家から連絡があった。入学試験を通せということだ」
騎士養成学校に入学するには入学試験を通らなければならない。元々、平民に騎士への道を開く為の学校なので、難しい試験ではない。願書提出したあとで渡される資料を頭に叩き込めば、点数は取れる。
だが志願者が定員を超えていれば、合格基準の点数はあがり、不合格となることもある。その可能性を消す為の圧力だ。
「そんなことしなくても四家の人間なら大丈夫でしょう?」
「騎士養成学校に入学するということは守護神獣の力を得られていないか、得る可能性が限りなく無に近いということだ。四家の人間であっても、優秀とは限らない」
「団長はそう思うでしょうね? でも我々は凡民でも強くなれると信じて、毎日鍛えているのです」
帝国騎士団長は守護神獣の力を持つ、優秀な人物だ。だが、そんな帝国騎士は他にはいない。これから先も現れる可能性は極めて低い。その力があれば、もっと待遇の良い騎士団に行く、もしくは自ら騎士団を作るはずだ。
「すまない。そういうつもりで言ったのではない。努力を知らない人間も中にはいるはずだという意味だ」
「良いところのお坊ちゃまですからね? それはありますか」
「それに……いや、どうやら私の認識に誤りがあったようだ。記憶違いでなければ、この名はムフリド侯爵家の長男ではなかったかな?」
渡されたリストにある名はムフリド侯爵家の長男の名。守護神の加護を得る可能性がもっとも高い人間だ。本来、騎士養成学校に入学する必要のないはずの名を帝国騎士団長は見つけた。
「団長のお考えの通りです。ムフリド侯爵家は長男を入学させようとしています。武に優れた才能を持っているので、それをもっと伸ばしたいという志望動機を聞いておりますが……」
「表向きの理由か」
「落としますか? 優秀な学生を引き抜かれたのでは、帝国騎士団の為になりません」
ムフリド侯爵家の目的は優秀な学生を自家の騎士団にスカウトすることだと考えている。騎士養成学校の規則では禁止行為とされているが、ムフリド侯爵家に限らず、過去にもあったことだ。
「実際に禁止行為を行う前に養成学校から締め出すことは出来ない。それを行えば、こちらの非を追求されることになる」
「そうですが……これを口にすると団長はお怒りになるかもしれませんが、焼石に水、ですか」
ムフリド侯爵家の勧誘を邪魔しても、それで学生たちが帝国騎士団を選ぶわけではない。他にも、ムフリド侯爵家の騎士団よりも、条件の良い騎士団はいくらでもあるのだ。
「ここ数年、騎士団間の争いだけでなく、貴族の不審死もいくつか報告されている。これまで以上の何かが起ころうとしている。こう考える者は少なくないだろう」
帝国統治の乱れは更に加速しようとしている。そのような状況で自家が生き残る為には強力な軍事力が必要と考える貴族家は少なくないはず。騎士養成学校に入学する学生の中には、立身出世を果たす絶好の機会だと考えている者もいるだろう。
「そのような時だからこそ、帝国騎士団の充実が必要だと思うのですが……」
帝国統治をかつての状態に戻す為には、帝国騎士団という力の充実が必要なのは明らか。だが帝国は、現皇帝はそれに対して無策。私設騎士団が力を増すばかりだ。
だが、この苛立ちは言葉には出来ない。政治批判は重罪なのだ。
「……これでイザール侯爵家の人間が入団すれば、四家が揃うな」
帝国騎士団長も話題を避けた。批判ではなくても政治向きのことは口にしない。そう決めているのだ。
「ああ、イザール侯爵家であれば、さきほど入学願書を届けてきました」
「そうなのか?」
入学申込みとしては、かなり遅いタイミング。武にまったく自信のないローレルが入学を渋っていたせいなのだが、そんな事情までは分からない。
「はい。四家出身の中で、もっとも帝国騎士団に入団する可能性が高い人物です」
「どういう……ああ、三男か。いや、私の立場で納得してはならないな」
イザール侯爵家の三男は落ちこぼれ。この噂は帝国騎士団長の耳にも届いている。帝都ではアネモイ四家に関する情報の伝達は速い。雲の上の存在である四侯爵家の悪い噂は、庶民にとって大好物。酒場などで盛り上がり、それをその場に居合わせた騎士団関係者も聞く。そうやって帝国騎士団長の耳にまで届くのだ。帝国騎士団長の場合は、稀に呼ばれる宮廷の宴の場でも聞かされることになるが、
「三年間で化けると良いですけど……」
「凡民でも強くなれが、信念ではなかったのか?」
「そうですけど……隠れた逸材とかいませんかね?」
才能の有無など関係ない。ただ強くなる為に日々の努力を怠らないこと。それが大切だと分かっている。だが、世の中の不穏な様子は、彼も感じている。
犯罪の発生件数は異常。毎日、どこかで何かが起きている。それに対して、帝国騎士団は為す術がない。すべてに対応できるだけの人員はおらず、予算もない。軽い口調で話しているが、現状を憂う気持ちは強いのだ。
「そういう者たちが現れることこそ、乱世の兆しではないか?」
「乱世の兆し……それはもう……いえ、そうかもしれません」
乱戦の兆しであれば、とっくに現れている。帝国統治を乱している元凶が。だがこれを口にすることは、ただの政治批判以上に許されないことだ。口にしたことが知られれば、その先に待っているのは死。そういう存在なのだ。
◆◆◆
帝国臣民の暮らしは厳しい。そうであっても帝国の中心である帝都は賑わっている。地方から仕事を求めてやってくる人たち。その流れはここ数年、さらに大きくなっている。人が増えれば消費も増える。消費が多いところには物が集まる。その物を運ぶ商人たちの往来も、もともと物流の中心地であることもあって、減ってはいないのだ。
それでも帝国の財政は破綻寸前だ。浪費が減る、どころか増えるばかりであるからなのだが、それについてはまた別の話。雑踏の中を馬を引いて歩いているローレルとリルには関係のないことだ。今は、だが。
「求めていた帝都見物はどうだ?」
リルが帝都にやってきたのは、一度、帝都の様子を見ておきたかったから。これをローレルは聞いている。
「いや、こういう見物では……」
ただ、リルが求めていたのはこういうものではない。そもそも今日は騎士養成学校に入学願書を提出する為に、帝都に来たのであって、今もただ領地に帰ろうとしているだけだ。
「観光地であれば、この先、嫌というほど見に行く機会はある。春からは毎日、通うのだからな」
「まだ入学すると決まったわけではありませんけど?」
「それを言うか? 僕だって頑張れば、養成学校の試験くらいなんとかなる」
あくまでも願書を提出しただけ。入学が認められたわけではない。入学するには試験に合格しなければならないのだ。
「いや、入学試験のことではなく、私自身の都合のことです。三年も帝都にいる予定はなかったので」
ただリルが言っているのは入学試験に合格するしないは関係ない。まだローレルの従者、従士として騎士養成学校に入学することを受け入れたつもりはないのだ。
「……そう言うな。長い人生の中のたった三年だ。それくらい僕の為に使え」
「それを口に出来るローレル様は凄いと思います」
他人の人生を自分の為に使えと躊躇いなく口にするローレル。リルには絶対に出来ないことで、そこまでになると、呆れるよりも感心してしまう。
「褒められた気がしない。僕の為では駄目なら、プリムの為だ。プリムはお前がいなくなると寂しく思う。いつかはいなくなるにしても、それはもう少しプリムが大人になってからにしてくれ」
「……プリムローズ様ですか」
ただ「プリムの為」と言われれば、「いつかは去ることになる」と答えることが出来た。だがローレルはそれを予想してか、大人になるまでの猶予を求めてきた。そうなると、リルは否定する言葉が思いつかない。いつかは去る。だがそれが今ではないことは、リルも分かっているのだ。
「プリムはお前を頼りにしている。だから……破廉恥な真似はするなよ?」
「……はい?」
何故その言葉が、この流れで出てくるのか。リルには理解できなかった。
「いくらプリムが世界一可愛いくても、邪な気持ちは抱くなと言っている」
「抱きませんから! まったく、ローレル様こそ、そんな溺愛してて大丈夫ですか? お二人は兄妹ですからね?」
「そんな当たり前のことを言うな。プリムは僕の大切な妹だ。僕に手を伸ばしてくれた唯一の家族だ」
「…………」
誰からも顧みられることのなかったローレルを、唯一、求めてきてくれたのがプリムローズだった。父であるイザール侯もローレルを蔑ろにしていたわけではないのだが、領政だけでなく、帝国の上級官僚としての仕事も持つイザール侯は忙しく、幼いローレルと過ごす時間が少なかった。ローレルの周りには、彼を無用な存在と見る者たちばかりだった。
ずっと孤独を感じていたローレルにとって、同じく孤独であったプリムローズは、唯一共感を得られる相手。自分が守ってあげなくてはならないと思える存在だったのだ。
「……なんだか今日はいつもよりも混んでいるな」
自分の内心をリルに知られたような気がして、照れ隠しに話題を変えるローレル。
「そうなのですか?」
「そうだ。今日は……ああ、あれが原因か」
帝都の通りはいつもよりも混雑している。これは事実で、それには理由があった。
「……あれは?」
「騎士団だ。任務を終えて帰った来たのだろうな。どんな任務か知らないが、無事に終えたことを、ああやって周囲に示しているのだ。名を売る為だ」
帝都だけの特別な習慣だ。帝都に拠点を持つ騎士団は、小規模な騎士団ばかりだが、多い。競合相手が多いので任務の成功をアピールすることで、次の仕事を得ようとしているのだ。いつ、どこの騎士団が始めたことかは不明だが、元は帝国騎士団の凱旋パレードを真似たものだ。
「……あの戦旗」
「あの旗は……確か、災厄の神の落し子たちか」
騎士団はそれぞれ自軍を示す旗を持っている。旗の図柄を見れば、なんという騎士団か分かる。通りを進んでいる騎士団の旗は、剣を組み合わせて三本の木を表したもの。珍しい複雑な図柄だ。
「災厄の神の落し子、たち?」
「ああ、訳ありな奴らだ。どういう訳かというと…………忘れた」
「はい?」
「詳しい話は忘れた。揉め事から、なんとかという貴族の屋敷を襲撃したことからそう呼ばれることになったはずだ。まだ若い騎士ばかりで、素行もかなり悪いという噂だな」
詳しい事情は忘れた。それでもこれくらいの内容は記憶に残っている騎士団。それなりに有名な、悪名かもしれないが、騎士団なのだ。
「……そうですか」
「急いで帰ろう。平気で貴族の屋敷を襲うような奴らだ。難癖つけられた面倒だからな」
「…………」
ローレルの言葉が聞こえているのかいないのか。リルはまだ騎士団に視線を向けたままだ。
「じろじろ見るなと言っている。絡まれたら面倒だろ? もう行くぞ」
ローレルにとっては不良少年の集まりのようなもの。実際にそういう者たちに絡まれた経験があるわけではないのだが、早くこの場を離れたいと思っている。
「……はい。分かりました」
重ねての催促にリルは騎士団から視線を外し、先に進み始める。ローレルが心配した騎士団に絡まれることなく。絡まれることはなかったのだが。
「おい、あの男の後を付けろ」
「はっ? 誰?」
「あの馬を引いている黒髪と金髪の二人だ。後をつけて、どこの誰か調べろ」
目は付けらた。
「……何者?」
「それを調べろと言っている。付けていることを気付かれるなよ? どこにいるのか分かるだけでも良いから、下手な聞き込みもいらない」
「ふうん。因縁の相手ってやつか。仕方ないな。アニキの頼みであれば断れない。行ってくる」
隊列を離れ、リルとローレルの後を追う男。
(……まさか、一番釣られるはずのない奴が釣れるとは……こうなったら、逃がすわけにはいかねえな)
残った一人、リルたちの後をつけるように命じた男はその場に残ったまま、思いを巡らせている。出会えるはずのなかった相手に出会えた。もっとも会いたかった相手に。この先、どうするべきかの答えは、まだない。