リルはイザール侯に呼び出された。面と向かって会うのはこれが二度目。プリムローズを助けて、ここを訪れて以来、一度も会っていなかったのだ。別に珍しいことではない。末端の使用人が当主であるイザール侯に会うことなど、滅多にあることではない。母屋で働く使用人であれば、まだすれ違うくらいはあるだろうが、リルの仕事は馬飼。母屋に行く用事などない。イザール侯が自ら馬小屋を訪れることもない。
では何故、その滅多にない機会が、それもイザール候によって作られたのか。それは実際に会って、話を聞くまで分からなかった。
「……えっと……どういう答えをお求めなのでしょうか?」
イザール侯の問いに対するリルの答えはこれ。まったく答えていないも同じだ。
「何を悩んでいる? 問われたことに答えれば良いだけだ」
「そうなのですけど……お嬢様を襲った犯人に心当たりはあるかと聞かれましても……」
「犯人を知っているとは思っていない。何か犯人に繋がる手掛かりのようなものがないかと思って、尋ねているのだ」
プリムローズを襲った犯人の捜査は、当然、行われている。当初は割とすぐに素性は割れると思われていた。多くの死体が見つかっているのだ。身に着けていた物などから調べれば、素性に辿り着ける。逃げた仲間も割れるはずだった。だが、それは甘い考えだった。
「手がかり……」
「では質問を変える。犯人を殺したのはお前だな?」
「俺、いえ、私ですか? まさか。私は隙を見て、お嬢様を連れて逃げただけです。殺された従者の方たちが頑張ったのではないですか?」
まったく焦る様子を見せずに、惚けて見せるリル。誘拐未遂事件の話だと分かった時点で、想定していた質問だ。動揺することはない。
「罪を問うつもりはない。お前は娘を助ける為に悪人を殺しただけだ。褒められるべき行動だ」
「身に覚えのないことで褒められるわけにはいきません」
「……分からんな。私は娘を救ってくれたことを本当に感謝している。どうして事実を隠そうとする?」
リルの反応がイザール侯には理解出来ない。自分の功を誇るどころか隠す。そうする理由が分からない。
「……本当の娘なのですか?」
「何を言っている? プリムは……もしかして母親のことを言っているのか?」
リルの馬鹿げた質問に、イザール侯は心当たりがあった。勘違いだが。
「亡くなられたお母上ですか?」
「聞いていたのか。だが、腹違いの子であっても私の娘であることに変わりはない」
「……そうですか。そうであれば、少しだけ話します。というかまずは質問して良いですか?」
どうやらプリムローズの母は、兄たちの母とは違うらしい。思いがけず驚きの事実を知ったリルだが、それを顔にだすことなく話を続ける。
「何だ?」
「プリムローズ様には命を狙われるような何かがあるのですか?」
「……誘拐未遂だと聞いていたが?」
リルの問いだとプリムローズは誘拐されそうになったのではなく、殺されるところだったということになる。聞いていた話と違う。
「状況としてはそうです。一緒にいた人たちは全員殺され、プリムローズ様だけが生かされていた。どこかに連れて行かれそうになっていた。ですが、その場では殺さないというだけのことです」
「……どうしてそう思った」
「襲撃した男たちは顔を晒していました。無事に返すつもりはないということです」
プリムローズが思ったことを、リルも考えていた。男たちは堂々と顔を晒していた。プリムローズに顔を見られても構わないと思っていたということは、家に帰すつもりはなかったということだ。
「……犯人を庇うつもりはないが、誘拐事件で無事に返されることなど少ないのではないか?」
誘拐未遂と殺人未遂。どちらが刑が重いかはイザール侯も知らない。ただ人を殺すよりは生かしておく方が罪は軽いだろうと考えているだけだ。従者を殺した襲撃犯は、その時点で殺人の罪を犯しているが。
「詳しくは知りません。ですが、誘拐はお金を稼ぐという点では、実に効率が悪い方法であることは知っています」
「効率が悪い?」
「誘拐した相手に顔を見られるリスクだけでなく、身代金の受け渡しもリスクです。身代金を要求する為に接触しなければならないリスクもあります。さらにそんなリスクの高い犯罪を、帝都のすぐ近くで行う? 本当に誘拐しようとしていたのでしたら、奴らはただの馬鹿です」
「……良く知っているな?」
誘拐事件が犯罪として効率が悪い。こんなことをそれらしく話すリルは何者なのか。初めて会った時と同じ疑問が、イザール侯の頭に浮かんだ。
「長く旅をしていると、色々な話を耳にします。悪人だろうと思われる人と出会うこともあります」
「そうか……問いは、娘を殺す動機に心当たりがないかだったな。答えは、ない、だ」
ここでリルを追求しても意味はない。本題はリルの素性を知ることではなく、プリムローズを襲った犯人を突き止めることだ。イザール侯は疑念を横に置いて、話を進めた。
「そうですか……それであれば俺、じゃない。私もこれ以上、話すことはありません」
「……どういう答えを求めていた?」
リルの問いと同じ言葉をイザール侯は口にした。リルには想定があった。自分の答えはその想定を否定するもの。だが、リルが何を考えていたかは気になる。どうしてそういう想定になったのかが。
「……関所にいる憲兵に影響力を持つほどの何者かが、プリムローズ様を邪魔に思っているという事実、です」
リルはこれを口にした。自分の想定が間違いでなかった場合、またプリムローズは襲われるかもしれない。それを防ぐには、イザール侯に動いてもらうしかないと考えたのだ。
「それは……貴様……自分が何を言っているか分かっているのだろうな?」
「もちろん、言っていることは分かっています。これが真実とは決まっていないことも知っています」
「そう思う理由を教えてもらおう」
「襲撃場所。関所の街に近過ぎます。また襲撃犯たちは関所の街で待ち伏せしていた可能性も考えました。襲撃場所は見通しの良い場所でした。怪しい奴らが集まっていれば、別の人が気付きます」
木の上からは、かなり遠くまで見通せた。近づく者がいれば、集まっている者たちがいれば、すぐに分かる場所だ。怪しい者たちがいれば、関所に伝わる。仮に襲撃犯たちが街道近くにいてそれを伝えた人がいたとしても、では何故、憲兵は現場に向かわなかったのかということになる。
「……娘を狙っていたということか」
ここまで聞けば、イザール侯にも分かることがある。関所の街で待ち伏せしていたとすれば、何日もいられるはずがない。怪しい者がずっと滞在していれば宿屋は不審に思い、憲兵に伝える。だが、そうはならず、娘は襲われた。リルが疑う憲兵が実際には潔白であったとしても、疑問は残る。
関所の街にいられるのはせいぜい一泊だとして、どうしてあの日、あの時間に誘拐のターゲットとなる貴族の娘があの場所を通過すると分かっていたのか、という疑問だ。
「これ以上のお話はするべきではないと思うのですが……あっ、これは言ったら駄目なやつか」
リルが一番疑っていたのはイザール候。プリムローズの情報を持っていて、憲兵を動かす権力か財力か分からないが、とにかく力がある。そのイザール侯が犯人である可能性を否定すると怪しいのは誰になるのか。これを考えるべきでは、気付いているとイザール候に思われるべきではない。
こう思ったのだが口にすべき言葉を間違った。これではイザール侯爵家の誰かだと考えているのがバレバレだ。
「……そうだな。ひとつ頼みがある」
「候は私に命令出来るお立場ですが?」
「そうだな。では命ずる。プリムを守れ」
「そっちですか……」
イザール候の口から出てくるのは「この件については一切、他言無用」だと思っていた。命令を守るという形で、リルは少しでも身の危険を回避しようと考えていた。だがこの命令では、逆に危険に飛び込むことになるかもしれない。
「プリムは早くに母を亡くし、この家に引き取ってからも妾の子と蔑まれ、辛いを思いをしてきた。幸いローレルには気を許し、心は落ちついてきたが……」
兄のローレルには妹を守る力がない。権力は勿論、武も才能があるとは言えない、というか、才能はない。代わりに側にいて守る者が必要なのだ。もし自分が思っているような事態であれば。
「……ご命令ですが、出来る限りのことをしますとしか言えません」
イザール侯爵家の令嬢を守る為に、同じイザール侯爵家の人間、もしくは同じくらい力のある貴族家と戦うことになるかもしれない。「必ず守ります」とは言えない。そもそもリルはずっとこの家に仕えるつもりはない。
「分かっている。その出来る限りのことをしてくれ」
「……承知しました。やはり、お心当たりがあったのですね?」
「いや、ない。ただ、万に一つという可能性を思いついただけだ。そしてそれを確かめる術もない。これは嘘ではない」
プリムローズを殺す動機。イザール候の頭にあるのはあり得ない可能性だ。だが、万に一つであっても、大切な娘に危険が及ぶ可能性があるのであれば、それを回避する手を打たなければならない。今はリルに命じる以外の手がないということだ。
「……分かりました」
何かがおかしい。こんなはずではなかった。こんな思いがリルの心に広がっている。成り行きに任せていたら、さらに深みに嵌っていくのではないかという恐怖と共に。何が恐怖なのか分かっていないが。
◆◆◆
プリムローズを守る、という命令を受けたとはいえ、特別何かすることはない。リルは変わらず馬飼であり、母屋に入ることはない。プリムローズの側にいられるわけではないのだ。
ということで、通常通りの仕事を続けているリル。ローレルとプリムローズが時々、馬場に来て、乗馬を楽しむというのも通常通りの仕事。その間はプリムローズは側にいるので、「守れ」という命令に従っていることになる。それだけのことだ、ったのだが。
「えっと……もう一度言ってもらえますか?」
突然、馬場ではなく、リルが与えられている部屋にやってきたプリムローズ。それにも驚いたが、第一声は自分の耳を疑うものだった。
「私に剣を教えて欲しいの」
「聞き間違いじゃないか……それは自分の意志ですか?」
もしかするとイザール候に言われて来たのかもしれない。その可能性をリルは考えた。そうだとしても教える相手は他にいるだろうにと思う。
「そう。私は強くなりたい」
「きついことを言いますが、中途半端に学んでも強くなれないと思います。確か、生兵法は大怪我のもと、だったかな? 半端な知識や技量に頼ると酷い目に遭うという言葉もあります」
「でも……強くなりたいの」
自分の為に多くの人が亡くなった。もう二度と同じ思いをしたくない。これがプリムローズが強くなりたい理由だ。教わる相手がリルなのは、騎士に頼んでも相手にしてもらえないことが分かっているから。イザール候の娘であっても、正妻の子ではない彼女の立場は低いのだ。
「……剣を学ばなくてもプリムローズ様には戦う力があるではないですか?」
「…………」
リルの言葉に、元から大きな瞳をさらに見開いて驚いているプリムローズ。
「あれ? ありますよね?」
「……人を傷つける力はいらないの。私は人を守る力が欲しい」
「ああ……そういうことですか。でもな……」
プリムローズの気持ちは分かる。沢山の人を傷つけてきたリル。必要だから、そうしなけれならないから行ってきたことだが、それを悔やむ気持ちがないわけではない。人を傷つけない生き方が許されるのであれば、そうしたいという思いはあるのだ。
ただ「いらない」という言い方は良くないとリルは思う。それもまた誰かを傷つけるものだ。
「……どうしても駄目?」
「いや、駄目というわけではなくて……中途半端は良くないというだけで……」
上目遣いで「駄目?」なんて言われたら、肯定は返せない。可愛い女の子はズルいと思いながらも、リルはこんな返し方をしてしまう。
「私、頑張る」
「ああ……分かりました」
返って来た言葉は予想通りのもの。結局、教えることになるのだ。
「……あれは何?」
「へっ? あれって……ああ、あれ」
急に話を変えてきたプリムローズ。剣を教えてもらえることが決まったので、部屋に入った時から気になっていたことに話題を移したのだ。兄のローレル以外の男の子の部屋に入るのは、これが初めて。他にも色々と気になることはある。
「綺麗な本。見ても良い?」
中でも一番気になっていたのはテーブルの上に置かれている本。美しい文様が描かれた本だ。問いの答えを聞く前に手に取って、中を読もうとするプリムローズ。そうしてしまうほど心惹かれる本だった。
「それ……父の形見」
「えっ? あっ、ごめんなさい」
だがすぐに自分の行動を反省することになった。
「謝る必要はありません。触られたからといって減るものではないです。それに本は読むものです」
「ありがとう。でも……これ開けない」
とっくに読もうとしていた。だが本が開けないのだ。
「仕掛けがあって俺しか開けないようになっています。変わった本ですよね? だから親父は贈り物としてくれたのだと思います」
「仕掛け……」
「貸してください。開けますから」
こう言ってプリムローズから本を受け取ったリル。特別何かをしたようには見えなかったのだが、本はあっさりと開いた。開いたのだが、今度は。
「……読めない」
書いてある文字が読めなかった。プリムローズが文字を読めないのではない。彼女が知る文字とは明らかに違う文字で書かれているのだ。
「異国の文字だそうです」
「リルは読めるの?」
「俺は幼い頃から読んでいますから。これは中身も変わっていて、なんというか日記? 俺は日記というものは良く分からないけど、日記風に書かれているおとぎ話です」
日記を書く習慣などない。安価とは言えない紙を消費する日記なんてものは庶民には縁遠い。貴族以上の身分の高い、さらに裕福な人たちの習慣なのだ。
「日記風のおとぎ話……変っているね? どんな話なの?」
「日常の出来事だけでなく戦いの記録もあります。それが面白くて。あと物語には魔獣だけでなく、獣人とか鬼人とか存在しない種族も出てきます」
魔獣は存在する。ほとんどは人が足を踏み入れない山奥や、森の奥深くなどに生息しているのだが、稀に里に出てきて人を襲うこともある。人間にとって脅威となる存在で、魔獣討伐は騎士団にとって割と多い依頼だったりする。
「獣人は分かる。私も物語で読んだ。キジンは?」
「鬼の人、鬼は分かります? 人間とは比べものにならないほどの怪力であったり、動きが速かったりする種族です。魔法が当たり前に使われている世界が描かれていて、そういう種族の力も魔法の一種です」
「魔法……当たり前に使われている世界か……」
魔法を使っても特別視されない世界。この世界はそうではない。魔法の類は存在するが、使える人は稀有。良くも悪くも特別視される存在だ。
「実際に、この文字を使う国がそうだったら驚きですけどね?」
「そうだね? どういう人が書いたのかな? 物語を書く人がいる国だから、帝国と同じくらい大きいのかな?」
おとぎ話は娯楽。それが創作される国は娯楽を楽しむ余裕がある国。民の生活水準が一定程度以上ある国だ。プリムローズはそう教えられている。今の帝国は過去の遺産を受け継いでいるだけで、豊かな国とは言えないことは教えられるずに。
「分かりません。ああ、書いた人だろう名前は記されていました。レイ・ツキヤ、レイはまだしも、ツキヤって変った姓ですよね? 当たり前ですけど、異国の名なのでしょう」
「レイ・ツキヤ……そうだね」
自分の知らない国が、世界がある。その事実にプリムローズは憧れの感情を抱いた。