月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

災厄の神の落し子 第4話 成り行きと運命は紙一重

異世界ファンタジー 災厄の神の落し子

 リルの寝床は馬屋のすぐ隣にある小さな建物。亡くなった御者が使っていた部屋だ。前任者は変わり者で、人といるよりも馬といるほうを好んだ。人と接するのが嫌いだった、という表現のほうが正しい。レイヴンを扱える稀有な人物ということで、特別に本人の望む通り、他の使用人がいる建物とは別のこの場所が用意されたのだ。用意しなくても馬屋で寝泊まりするだけだったが。
 リルにとってはありがたいことだ。気兼ねなく過ごすことが出来る。雇われたことについては、素直に感謝出来ないでいるとしても。

「……お前のせいだ」

 その不満を、イザール侯にも娘のプリムローズにも言えないので、レイヴンに向けてみる。実際にレイヴンのせいなのだ。タイミング良く暴れるから、なし崩し的に、後任が見つかるまでという条件付きで、イザール侯爵家に仕えることになった。

「わざとか? さてはわざと……いや、待て……まさか、お前……木の上に俺がいることに気づいていたのか?」

 よく考えてみれば寝ていた木から落ちたのもレイヴンのせい。彼が勢いよく木に体当たりをかまし、その衝撃でリルは落ちることになった。誘拐未遂事件に巻き込まれることになったのだ。

「……そんなわけないか。それに、まあ、見て見ぬふりをしようとした俺が悪い」

 木の上で寝ていたのは本当だが、ずっと寝続けていたわけではない。すぐ下で、一方的なものとはいえ、争いが行われていれば、さすがに起きる。
 ただ襲われているのが貴族だと見て、放っておこうと思っていたのだ。最初は襲われているのが、女の子だとは分からなかったのだ。

「後悔しなくて済んだのだから良かったのか……これについては礼を言っておく」

 貴族など滅びてしまえと思っている。だが、罪のない幼い女の子は別だ。貴族であっても女の子は傷つけたくないという想いがリルにはある。もう二度と同じ後悔はしたくないという想いが。
 リルの御礼を聞いて、レイヴンがブルルルと鼻を鳴らしたような声を発する。

「……言葉だけじゃ、満足しないってこと? 帰ってきてから沢山食べただろ?」

 当たり前に馬のレイヴンと会話を続けるリル。別に馬の言葉が分かるわけではない。自分が感じているものが正しいとも思っていない。ずっと一人でいると独り言が多くなる。それに何であろうと反応してくれる相手がいると、楽しいのだ。

「彼女とは違う賢さだな。それでどうして、大人しく人を乗せてあげないのか……どうしてだ?」

 レイヴンと一緒に馬車を引いていた牝馬はとても賢い。だが、人の言うことを聞かない暴れ馬だと思われているレイヴンも、その牝馬と同じくらい、頭が良いとリルは思っている。頑なに人を拒む理由が分からない。

「……自由になりたい……いや、違うな。ひとつ所に留まっていてもお前の心はきっと自由だ。旅をしていても心を縛られたままの俺のほうがずっと…………止めた」

 愚痴を言ってもどうにもならない。それで気持ちが楽になるわけではない。そもそも「縛られている」という考えが間違い。そういう風にしか考えられない自分が悪いのだと、リルは思っている。

(イザール侯爵家か……あまり大きな家はありがたくないのだけど、こうなったら仕方がない)

 声に出すことは止め、心の中で思考を続ける。人に聞かれたくない思考。近くに人の気配はないが、油断はしない。彼にはまだ為さなければならないことがある。まだ死ぬわけにはいかないのだ。

(でも、馬飼じゃあ、得られる情報はたかがしれているか……上手くいったら儲けものくらいで良いな)

 彼が求めているのは貴族家に入り込まなければ入手出来ない情報。だが馬の世話をしているだけでは、求めている情報など得られるはずがない。金を稼ぐことを優先し、無理はしないことに決めた。今の状況は、まったく想定していなかった展開。無理して悪い方向に進むリスクを冒すよりは、成り行きに任せようと。
 この時の彼は分かっていなかった。成り行きは、時と場合によっては、運命と呼ばれることもあることを。

 

 

◆◆◆

 イザール侯爵家が保有している馬は、およそ五十頭。帝都の北に領地を持ち、帝都防衛の役目を担うイザール侯爵家は自家で騎士団を抱えている。二十騎、二百二十人の騎士団。騎士が二十名で、一人の騎士に十人の従士が付き従うことで総勢二百二十名、というのが定員だ。
 二百二十名で帝都に攻め込んでくる敵を打ち払えるのか、という議論はない。帝都が攻め込まれたことなど、三百年近い歴史で一度もない。出番のない騎士団を抱えているのは本来、無駄なのだ。それでもイザール侯爵家、他の同じような領地を与えられている貴族家が騎士団を抱えているのは、役目を放棄しているわけではないというアピール。領地を奪われない為に必要な出費なのだ。
 それにイザール侯爵家が帝都の守りを任されているのには別の理由がある。騎士団の数など関係のない力が。なんて事情をリルが知るのは、まだ先のこと。今は目の前の仕事を覚えることが最優先だ。

「えっ? レイヴンとルミナスの二頭だけで良いのですか?」

 馬の数は五十。だがリルが担当するのは、これは当然だが、レイヴン、それとルミナスの二頭だけだった。ルミナスはレイヴンと共に馬車を引いていた牝馬だ。

「ああ、そうだ。二頭だけで良い」

「なんか、それじゃあ、俺、楽過ぎませんか?」

 馬の世話は楽しい。世話をする頭数が増えてもリルは苦に思わない。二頭だけというのは他の人に申し訳ないと思った。

「楽じゃない。ていうか、お前、聞いていないのか?」

「何をですか?」

 どうやらこれには裏がある。薄々は勘づいていたことだ。いくらレイヴンの世話を出来る人が他にいないとしても、素性定かではない自分を雇うのはおかしいとリルは思っていたのだ。

「レイヴンは、正確にはレイヴンの親馬は、畏れ多くも皇帝陛下から下賜された馬。寿命以外で死なすことは許されない」

「……万が一、怪我で死ぬことになったら?」

「それはお前。皇帝陛下を死なせたことと同じだろ?」

「いやいや……ええ……そういうことか……」

 たった二頭。だがそのうちの一頭は絶対に死なせてはならない馬。骨折のような怪我も駄目だ。走れなくなった馬は衰弱死してしまうことがある。それをリルは知っている。

「こっちが怪我させたくなくても勝手に怪我してしまうようなじゃじゃ馬だろ? いや、ほんと、お前がいてくれて助かった。俺たち皆、お前に感謝しているから」

 言うことを聞かない暴れ馬。たまたまその場に居合わせたことで、勝手に怪我した責任を取らされるリスクがある。そんな馬の世話など誰もしたくない。リルに押し付けることが出来て、皆、ホッとしているのだ。

「はあ、頑張ります」

 うまい話には、うまい話とリルは思っていないが、裏がある。その通りだった。そうだとしても今更、やっぱり止めますとは言えない。要は怪我をさせなければ良い。万一、怪我をさせてしまった場合は逃げれば良い。リルはこう割り切った。

「……そういえば、どうゆう風に世話をするのか分かっているのか? ずっと馬車を引かせていたといっても、本来は軍馬だ……いや、良いか。操れない馬に乗って戦場に出ようなんて物好きがいるはずない」

 農家の馬と軍馬では世話の仕方が少し違う。軍馬の場合は戦場に出る為の訓練が必要だ。リルは軍馬の世話などしたことがないだろうと先輩使用人は思ったが、少なくともレイヴンは戦場に出ることなどないはず。気にすることはないと思い直した。

「少しだけですが、騎士団で馬飼の仕事をしたことがあります」

「そうなのか? これは、なんとも便利な奴が現れたものだ。まあ、でも訓練はほどほどにな。怪我をさせないことが一番だ」

 先輩たちにとってリルは実に便利な存在。レイヴンの世話を任せられるだけでなく、細かく面倒を見る必要もない。レイヴンの世話を手伝っている間に万一がある可能性も激減する。

「はい。分かりました」

「じゃあ、頼んだぞ。ああ、馬場は馬小屋を出て左だ。他の馬は反対に行くから間違えないように」

「もしかして専用?」

「なんといっても皇帝陛下に下賜された馬だからな、というのは建前。すぐに他の馬と喧嘩するからだ。というわけだから、頼むな」

 リルには馬飼の経験がある程度ある。これを知った先輩使用人は安心して、この場を離れて行く。彼には彼の仕事がある。ずっとリルの面倒を見ている余裕はないのだ。

 一人になった、といっても馬小屋には他にも働いている人はいるが、リルは早速、仕事を始める。まずは馬小屋の掃除。レイヴンとルミナスのいる場所の掃除を始める。

「……レイヴンは分かるけど、ルミナスまで誰も乗らないのか?」

 扱いづらいレイヴンに誰も乗ろうとしないのは分かる。まして、絶対に死なせてはならないとなれば、望んで乗る人などいるはずがない。だがルミナスはそうではないはずだ。賢く大人しい馬で、さらにレイヴンをある程度、押さえ込む力もある。軍馬として活用しない理由が分からない。

「……ああ、レイヴンの世話をするので精一杯、痛っ」

 思い付いたこと全てを言葉にする前に、リルの頭を小突いて邪魔する者がいた。

「……レイヴン」

 レイヴンだ。自分の悪口を言われていると思ってリルを小突いた、というところだ。

「その頭の良さを他のことで使えないかな? 少し素直な振りをしていれば、馬車を引くだけの仕事じゃなくなるだろうに……」

 馬車を引く仕事は、レイヴンにとっては、ストレスだろうとリルは思う。もっと思う存分、駆け回りたい。自分の能力を最大限に発揮したい。これがレイヴンの望みだ。その望みは軍馬として働くほうが実現出来るはずだともリルは思う。
 乗りこなせない奴が悪い、と言葉を話せたらレイヴンは言うだろうが。

「体調は……」

 掃除が終わった後は体調の確認、といっても二頭を良く知らないリルには普段との変化は分からない。掃除をした時に便の状態などは確認しているので、あとは顔つきや素振り、体温などを感覚で確かめるだけだ。

「良し。じゃあ、行くか」

 あとは馬場に行ってから。動きを見て、判断することにした。二頭を引いて馬小屋の出口に向かう。教えられた通り、出て左に進むと馬場はすぐに見つかった。

「ここを二頭だけで……贅沢」

 かなり広い馬場、といっても「二頭だけで使うにしては」ということ。元は第二馬場として他の馬も使っていた。定数の五十頭の半数が放たれる馬場と考えれば、驚くほど広大というわけではない。
 まずは広い馬場を、ここまでと同じように引いて歩く。ウォーミングアップのようなものであり、二頭の体調を見る目的もあってのことだ。
 動きにおかしなところはない。全力で駆けても問題ないだろうと判断出来たところで、二頭を放す。自由に駆けさせるつもりだったのだが。

「……人が乗らないほうが思う存分、走れるだろ?」

 レイヴンはリルから離れようとしなかった。それを乗れという意思だと、リルは受け取った。

「……分かった。乗れば良いんだろ? 乗るけど、最初は加減しろよ」

 馬車に繋がれていない、何不自由なく動ける状態のレイヴンに乗る。これはリルにも勇気がいることだった。それでも言われた?通りにレイヴンに乗るリル。
 待ってましたとばかりに、レイヴンは激しく動きだした。ロデオなんてものはこの世界にはないが、それと同じように乗っている者を振り落とそうという動き。それをなんとかリルが耐えると、今度は前に駆け出していく。障害競技なんてものもないが、それと同じように駆ける勢いはそのままに跳んだり跳ねたり。

「……なんか……楽しそうだな? まあ、俺も楽しくなってきたけど」

 ここまでの暴れ馬に乗るのはリルも初めて。それでもなんとか振り落とされないでいられる。そうなるとレイヴンの動きが面白くなってきた。次はどういう動きを見せるのか。普通の馬とは異なる驚くべき動きを見せるレイヴン。凄い馬だと思うようになった。

「これ、俺のほうが良い鍛錬になるな」

 馬の世話は好きだが、馬術に優れているかというと、そうでもない。馬術の訓練よりもやるべきことが山ほどあったのだ。
 レイヴンが少し落ち着いた動きで駆け始めたこともあって、体に当たる風を感じながら乗馬を楽しみ始めたリル。

「……あれ?」

 だがその時間は長く続かない。馬場の外に人影が見えた。男と女の子。女の子がプリムローズであることは、すぐに分かった。
 仕える家のお嬢様が現れたのだ。無視するわけにはいかない。ここに来たということは自分かレイヴンが目的であることも分かる。

「……どうかされました?」

 二人に近づき、馬を降りて声をかける。

「その馬に乗る」

「えっ……?」

 答えを返したのは問いかけた相手、プリムローズではなく、もう一人の男。リルと同じくらいの年齢の金髪に青い瞳、少し小太りな少年だった。

「その馬に乗るから、お前どけ」

「えっと……失礼ですが、貴方は?」

 偉そうに命令する少年。実際に偉いのだろうとリルは考えた。

「お前、僕を知らないのか?」

 誰かを問われて、ますます不機嫌そうな顔つきになる少年。不機嫌になられてもリルは困る。リルがこの家で知っているのはプリムローズと父のイザール侯。あとは何人かの使用人くらいなのだ。

「あっ、リルさん。この人はローレル兄上、私の兄なの」

「ローレル様……プリムローズ様の兄上ですか……」

 妹とは違って可愛らしさの欠片もない兄、という感想は口にはしない。そんなことを口に出したら、さらに怒らせてしまうのは間違いない。

「さっさとどけ」

「分かりました。ただ……ローレル様はレイヴンにいつも乗られているのですか?」

 乗り手はいないはず。騎士の中にはという意味だったのかと思ったが、一応、確認してみることにした。見た感じが、レイヴンを乗りこなせるほど運動神経が良いように思えないのだ。

「……いや、初めてだ」

「えっと……この馬がどのような馬かは知っているのですよね?」

「うるさいな! 僕が乗るといったら乗るのだ!」

 大声で怒鳴るローレル。レイヴンを乗りこなせないことは、それで明らかだ。

「プリムローズ様、良いのですか?」

「ローレル兄上。頑張れ」

 リルの問いに答えることなく、祈るような姿勢でローレルを応援するプリムローズ。リルには何がなんだか分からない。
 これが三人が揃って会った初めての時。この先、何年も続く関係の始まりだ。

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