初代皇帝アルカス一世によって建国されたアークトゥラス帝国の治世は三百年に届こうとしている。未だに帝国の支配は盤石、とは決して言えない。真逆の状態だ。
帝国貴族の何人かが力を増すようになり、領地を巡る争いが増えて行った。帝国に力があるうちはまだそれを抑えることが出来ていたのだが、徐々に頻度が増し、規模が大きくなり、争いを止める為に帝国騎士団を何度も派遣していくうちに財政が厳しくなり、やがて帝国は貴族同士の争いを止める力を失った。
そうなると時代は乱世。力ある貴族家が勢力を広げ、やがて帝国を凌ぐ力を得て、新たな国を築く、ことにはなっていない。貴族家も、いつまで経っても終わらない泥沼の争いの中、疲弊してしまったのだ。
代わりに台頭してきたのが騎士団。貴族に仕える立場だった騎士団が、その軍事力を自らの欲求を満たすことに使うようになった。主であった貴族よりも力を得てしまったのだ。下剋上、これこそ時代が乱世である証だ。
多くの騎士団は忠誠ではなく、契約でその軍事力を提供するようになった。全ての騎士団がそうというわけではないが、金次第で味方にも敵にもなる。騎士団というより傭兵団だ。
帝国も貴族家もその流れを止めることが出来なかった。立身出世、成り上がりを夢見て、騎士団で働き始める者、新たに騎士団を立ち上げる者が増えて行く。
今はそんな時代だ。イアールンヴィズ騎士団もそのひとつ。その中でも成り上がった騎士団で、一部の者たちの間では憧れの存在でもある。
そのイアールンヴィズ騎士団の本拠地、団名の由来でもある通称「鉄の森」を囲む軍勢は、およそ五千。高位貴族家同士の戦いであれば分かるが、騎士団間の争いに動員される数としては異常に多い。
野盗と変わらないようなゴロツキ集団から、ここ数年、驚くほどの実績をあげ、急速に勢力を伸ばしてきたイアールンヴィズ騎士団を相手に戦うとなれば、万全を期する意味で、これくらいの数を揃えるのは当然かもしれない。だが、そもそも何のために戦うのか。誰かからの依頼があったのだとしても、これだけの数を動員して、採算が合うのか。騎士団をひとつ潰して、何を得られるというのか。第三者から見れば、いくつか疑問が生まれる戦いだ。
目前に戦いを控えている当事者たちは、そんなことを考えている場合ではないが。
「麓の村が焼かれた!」
「なんだって!? ちきしょう! 見張り台の奴らは何をしていたのだ!?」
完全に奇襲を受けた状態。軍勢の接近に気が付いた時には、もうイアールンヴィズ騎士団の砦は囲まれようとしていた。手前にある見張り台からは、何の報告も届かなかったのだ。
「団長と副団長はまだ戻らないのか?」
しかもイアールンヴィズ騎士団は今、団長のガットンと副団長のケーレンが不在。上位者二人がいない状態で戦いに臨むことになる。二人だけではない。彼らに同行した団員たち、騎士と従士合わせて百名ほども不在。およそ伍分の一がいない状況で、五千の敵と戦うことになる。
「……嵌められたのかもな?」
「嵌められた? えっ……まさか、メルガ伯爵の招待は罠ってこと?」
ガットンとケーレンは帝国貴族であるメルガ伯爵の領地を訪問している。名門と言われるメルガ伯爵からの招待だ。これをきっかけに上客になってもらえれば、団をさらに大きく出来る。暮らしが豊かになる。断ることなど、まったく考えなかった。
「断定は出来ないが、タイミングが悪すぎるだろ?」
「だとしら……もしかしたら、二人はもう……」
本当に罠であったのなら、無事でいるはずがない。捕らえられているか、すでに殺されている可能性もある。
「それを今考えてもどうしようもない。二人はいない。考えても、それで戦わなければならないことに変わりはない」
「そうだな。戦うしかない」
逃げるという選択は、暗黙の了解で、誰も口にしない。ここは本拠地、団員の家族も暮らしている場所だ。逃げるのは家族だけ。自分たちは逃げる大切な人たちの後を敵に追わせない為に、ここで戦うのだ。
「いやぁ、いよいよ俺の出番か? 悪いな。こうなったのは俺のせいだ」
団員の一人が、周囲を覆う緊迫した雰囲気には場違いな、ややお道化た様子で声をあげた。
「お前のせい? どういう意味だ?」
「この俺様を殺すには、あれくらいの人数が必要だってこと。まあ、俺に言わせれば、あれでも全然足りないけどな」
「ああ、そういうことか。じゃあ、さっさと行って、外にいる奴ら、全員殺してきてもらえるか?」
相手の強がりに、問いを返した団員も合わせてきた。今はこの雰囲気を守るべき。楽観的な態度を見せなければならないのだ。守らなければならない人たちに向けて。
「さて、ガキ共。お前たちはさっさと荷物をまとめて逃げろ。逃げ道は知っているだろ?」
この場には子供たちもいる。彼らに絶望的な状況だと思わせたくないのだ。
「俺たちも戦える」
子供といっても皆、従士見習いとして団で働いていて、戦いの訓練も行っている。誤魔化しても、状況がどのようなものかは分かっているのだ。
「ハティ、ここはもう家ではなく戦場だ。戦場に子供の出番はない。お前らは戦場ではないところで働け。逃げる家族を守れ」
どれほど苦しい状況でも一緒に戦わせるわけにはいかない。苦しい状況だからこそ、彼らは逃がさなければならない。ここで彼らの人生を終わらせるわけにはいかないのだ。
「…………」
「家族を守れ」と言われてしまうと「それでも戦う」とは言いづらい。もし負けて敵に追われることになった場合、戦う力のない老人や女性、まだ幼い子供たちだけで無事に逃げられるとは思えないのだ。
「……フェン、お前もだ」
「大丈夫、勝てる。勝つ方法があるはずだ」
フェンと呼ばれた男の子は、ずっとテーブルの上に広げられた地図を見ていた。本拠地とその周辺の地図だ。
「いや、勝てる方法はもうある。この本拠地は難攻不落だ。頑張って守りきれば、敵も諦める」
「でも、もっと」
「フェン! お前も皆と行くんだ! 団長もそれを望んでいる。お前は団長の息子として逃げる人たちを率いて行かなければならない。それがお前の義務だ」
「…………」
ごねるフェンに。さきほどお道化た様子を見せていた団員が真剣な表情で訴えてきた。フェンにとって反論しづらい逃げなければならない理由。団員は彼のことを良く分かっている。もっと幼い、まだ言葉も話せない頃からずっと彼の成長を見続けているのだ。
「お前も鉄の森の一員なら、ルールは守れ。死ぬのは年齢順。今回は俺の番だ。俺一人で駄目でも次がいる。その次も。お前の出番なんていつまで経っても来ない」
団のルール。厳しい任務では誰かが犠牲になって皆を守る。弱小騎士団だったイアールンヴィズ騎士団はそうやって実績をあげてきた。皆の犠牲の上に今があるのだ。
そのイアールンヴィズ騎士団をこんなところで終わらせたくない。自分たち全員がここで命を落としても、子供たちが復活させてくれる。それを彼は望んでいるのだ。
「……分かった」
「じゃあ、さっさと荷物をまとめろ。ハティ、スコール、お前らもだ。他のガキ共にも伝えろ」
「ああ」「了解」
返事をして、すぐにこの場を離れて行く三人。逃げると決めたら、行動は迅速に。敵が攻めてくる前に、本拠地が落とされてしまう前に、少しでも遠くに逃げなくてはならない。彼らはそれが分かっているのだ。
「……お前、酷い奴だな?」
「えっ。俺? 俺が何をした?」
「あんな言い方をしたら、フェンは団長の息子として生きようとする。それがどれだけ大変なことか。それに……真実を知らないままだ」
「……ああ、そうだな。俺のエゴだ。でも、奴しかいない。フェンじゃなければ、イアールンヴィズ騎士団は成立しない。俺は、どうしてもここで終わらせたくない。俺の、俺たちのおかげで団は続く。そう思って死にたい」
イアールンヴィズ騎士団の存続を願うというだけでなく、死ぬ理由が欲しかった。自分は何の為に犠牲になるのか。何の為に死ぬのか。家族の為では納得出来なかった。これまで団の為に犠牲になってきた仲間たちと同じでありたかった。
「それでも……背負わせるには重すぎる」
騎士団の再興は簡単ではない。ごろつきの集まりだった頃から、イアールンヴィズ騎士団と名乗る前から、この集団の一員だった彼にはそれが良く分かっている。
「それが何だ? フェンは団長の、いや、俺たちの息子だ。俺たち全員で奴を育ててきた。恩を返せと言うつもりはない。でもな……あいつは俺たちの、俺の子供なんだよ」
彼も同じだ。いつ消滅してもおかしくない状況の時から、この集団にいた。だが彼にとってフェンは家族。同じように普段、彼が家族と呼ぶ団の仲間たちとは、また違った想いを向ける家族。自分の想いを託したい相手なのだ。
「……団長と副団長が想像通りであれば、残るは俺とお前の二人だけだな?」
「皆、先に行っちまったからな」
彼らと同じ騎士団立ち上げメンバーの多くがすでに命を落としている。団長のガットンと副団長のケーレン、そして同行した騎士たちが罠に嵌って殺されたのであれば。残っているのは、この二人だけだ。この二人も、ここで亡くなることになれば、真実は闇の中に消える。
相手が言いたいことは分かっている。分かっているからこそ、彼は惚けてみせた。
「……あっという間だったな」
相手も追及しない。想いであれば彼も同じなのだ。ただ「申し訳ない」という思いが、少しだけ強いだけだ。
「馬鹿、まだ終わってねえよ。言っただろ、俺が全員を倒すって」
「ああ、頼りにしている」
勝ち目はない。こう考えていても、あっさりと負けるつもりはない。最後の最後まで足掻いてみせる。それがイアールンヴィズ騎士団のやり方だ。足掻いて、足掻いて、多くの味方を犠牲にしながらも、ここまで続いてきた。帝国に名をはせる新興騎士団となった。
これが最後の戦いになるとしても、恥じない戦い方をしなければならない。イアールンヴィズ騎士団に戦いを挑んだことを後悔させなければならない。それが将来の役に立つことを彼らは知っている。
覚悟を胸に抱いて、二人は戦いに向かった。
◆◆◆
攻められた時の備えは怠っていない。敵の攻撃を防ぐ為の様々な防衛手段だけでなく、逃走する場合の備えも出来ている。砦の背面にある、容易には敵が踏み込めない場所から伸びる道は崖を下り、その先にある裏山に続いている。細くはあるが、荷物を乗せた荷車が通っても崩れないように、それなりにきちんと整備された道。そこを使って、団員の家族たちは戦場から逃げ出している。
「……始まった」
彼らが暮らしていた場所から、幾筋もの煙があがっている。それが敵によるものではなく、イアールンヴィズ騎士団側が反撃を開始した証であることを、彼らは知っていた。
「簡単には落ちない。すぐに戻れるさ」
「そうだな」
自分たちの想いとは異なる言葉を口にする。見習い従士として団で働いていた自分たちが悲観的なことを言っては、家族が不安になる。残った家族が心配で逃げることを止め、戻ろうとする人も出てくるかもしれない。こう考えての対応だ。
団員たちからは子供扱いされていても彼らは普通とは違う。団員としてのあり方は学んでいるのだ。
「この先に敵がいる様子はありません」
「おい、ユミル。斥候にでもなったつもりか?」
進行方向に敵がいないことを伝えてきた大柄な男の子は、見習い従士ではない。団員の家族とも違う。鉄の森の麓の村で暮らす農家の息子で、見習い従士になりたくてもならせてもらえなかったのだ。
それを同年代の見習い従士たちは知っている。彼がまだ諦めていないことも。
「ハティ。そんな言い方はないだろ? ユミル、ありがとう。走ってきて疲れただろ? 少し荷車の上で休むと良い」
ハティの言い方を窘めると共に、ユミルに礼を伝えるフェン。いつもの役回りだ。目下の人間には、悪気があってもなくても、きつい言い方をしてしまうハティ。注意してあげる人間が必要で、それがフェンなのだ。
「いえ、僕は大丈夫です」
「楽をしろと言っているんじゃない。また先を見に行ってもらうことになる。その時に備えて、休めってこと」
「……分かりました」
少し間を空けて、ユミルはフェンの提案を受け入れた。不満なのではない。フェンのそういう心遣いが嬉しくて、にやけてしまうのを耐えるのに必要だった間だ。
そんな彼の様子を見て、軽く肩をすくめるハティと苦笑いのスコール。またユミルのフェンに対する忠誠心が強まった。こんな風に思っているのだ。忠誠心は言い過ぎだが、憧れが強まったのは事実だろう。
「……少し早いな」
後ろの荷車に向かうユミルから、視線をさらに先に移したフェン。
「急ぐか?」
フェンの呟きの意味をハティは、スコールも分かっている。また新しい煙があがっている。最初に見たのとは別の場所で。それは敵の侵攻が想像していたよりも早いことを意味する。イアールンヴィズ騎士団が防衛ラインを下げているということなのだ。
「……いや、今のペースで行こう」
ここで焦った様子を見せては人々に動揺が広がる。すでに距離はかなり空いた。この逃走路の存在を敵が気付くまでにも時間がかかるはず。慌てる必要はないはずだ。
「ただ……必要かも」
「分かった。俺が行こう。おい! 何人か手伝ってくれ!」
「ああ」「了解」「分かった」
何が必要なのか。それを説明させることなく、スコールと三人の同じ見習い従士たちが動き出す。彼らの役目は、すでに通り過ぎた場所にある仕掛けを動かすこと。仕掛けを動かし、逃走路を塞ぐことだ。
それを行えば容易には鉄の森に戻れなくなる、後から来る人がいても通れなくなる。それが必要な状態だと彼らは判断した。イアールンヴィズ騎士団は負けると。
――この日、新興騎士団としては帝国でもっとも有名なイアールンヴィズ騎士団は滅亡した。