またやり直しの人生。それでも今回は、前回と同じように前向きになれる変化があるはずだった。それをジョーディーは望んでいた。だがその変化は今のところない。少なくともジョーディーはその事実を認識出来ていない。それ以前の人生をなぞることになっている。レグルスからの接触がない状況では、そうするしかない。こう思ってきたのだ。
ジョーディーは状況を理解出来ていない。前回の人生では命を落とさなかったはずだった。ジークフリートを倒すことが出来る。それもかなり高い確率で。そう思っていた。
だが再び新しい人生が始まった。それもつい先ほどまで前の人生で生きていたはずなのに。こんな経験は初めてなのだ。前の人生が終わっていないのに新しい人生が始まるなんてことは、これまでなかったのだ。
大きな変化があったのは間違いない。前回の人生がすでにそうだった。そしてそれをもたらしたのがレグルス・ブラックバーン。彼がジークフリートを追い詰めた。
仮に、最後の最後で失敗したのだとすれば、やり直しの人生でレグルスは自分に、それもかなり早い時期に接触してくるはず。こう思って、何年が過ぎてしまったのか。
レグルスの動向は把握するようにしていた。リサ、後にアリシア・セリシールとなる女の子と接触したことも、今回は把握出来た。二人は婚約者になる前からの知り合いで、恐らくは協力者。これが前回、事を大きく、それも自分が望む方向に変えてくれた、もっとも大きな理由だとジョーディーは思っている。
だが、そこから先が分からない。レグルスの動向は掴めなくなった。張り付けていた諜者が、簡単に巻かれるようになった。レグルスがどこで何をしているか分からない。どこに向かっているのか分からない。
自ら接触を図るべき。これも考えている。だがレグルスが前回のレグルスとは違っていたら。それはこれまで時間をかけて準備してきたことを無にしてしまう。一度も成功したことのない企みではあるが、今回、さらに修正を加えたつもりだ。ジークフリートを止める力を得る為に、自分がやれることはやってきたつもりだ。
レグルスが前回とは違っている可能性はある。妹のサマンサアンとの接近。これは前回にはなかったことで、それよりも前のレグルスの行動だ。さらにリサ、アリシアはジークフリートとの距離を詰めている。サマンサアンの座を脅かす存在になっている。
元のレグルスに、元の人生の流れに戻ってしまった可能性。それがジョーディーに決断をさせないでいた。
「……だが、もう限界だ」
決断しなければならない。レグルスはブラックバーン家を追放された。ジョーディーが嵌めたつもりもないのに、農場主襲撃事件に加担し、それが明らかになってブラックバーン家の嫡子の座を奪われることになった。王都を去ることになったのだ。
そうなってしまうと、もうジョーディーはレグルスと接触する術を失ってしまう。学院を出た後のレグルスは、ジョーディーと彼の組織から見ると神出鬼没。完全に裏をかかれることばかりだったのだ。接触しようにも所在を掴めなくなってしまうはずだ。
「また失敗に終わるかもしれない。その覚悟を持たなければならない」
自分で自分に言い聞かせる。失敗は妹のサマンサアンの死に繋がる。また妹が処刑台に昇り、首吊りにあう様子を見る羽目になる。心がかきむしられる、辛く、悲しい光景を見ることになる。
その可能性を受け入れなければならない。どれほど心が苦しくなっても。
「ジョーディー様!」
暗く沈む思考を引き戻したのは部下の声。息をきらせて部屋に飛び込んできた部下の様子だった。
「どうした? 何かあったのかな?」
「それが……ジークフリート殿下が暗殺されました」
「な、なんだって?」
まさかの報告。ここで、殺そうとしても殺せないはずのジークフリートが暗殺されるはずがない。どういった方法を使ったかは覚えていないが、ジョーディーも試みたことはある。暗殺は出来ないという記憶だけが残されている。
「まだ公表はされておりませんが、間違いありません。憲兵隊が総出で犯人の捜索を行っております。その一人を捕まえて、白状させました」
「犯人は……犯人は分かっているのかい?」
ある人物がジョーディーの頭に浮かんだ。自分には出来ない、不可能を可能にする人物となると、その人物しか思い浮ばない。
「アリシア・セリシール」
「なっ……」
だが犯人はジョーディーが考えた人物ではなかった。レグルスではなく、アリシアだった。
「ただ、レグルス様も関わっている可能性があります。誤魔化しておりましたが、憲兵隊は間違いなくレグルス様の行方も追っています」
「レグルスも……アリシアとレグルスが協力して、ジークフリート王子を殺した?」
「恐らくは」
二人はずっとその機会を狙っていたのだ。大切な人たちを守りながら、世が乱されて多くの人が命を落とす前にジークフリートを殺そうと考え、そのチャンスを伺ってきた。その機会を作りあげてきた。
リサが、元のゲームストーリー通りのアリシアとして行動していたのも、その為。ジークフリートを油断させ、邪魔者がいない場を作る為の策だった。リセット装置を遠ざけて、隙を作る。その一番の方法はベッドの上だと、リサの強い反対はあったものの、考え、実行したのだ。指一本触れさせる前に殺すとも決めて。
「……ふっ……ははは、はははははっ! なんてことだ! あの二人は、なんて二人だ!」
「ジョーディー様?」
笑いをこらえきれない様子のジョーディー。一度も見たことのない様子に部下は戸惑うことになった。
「我々はずっと二人に騙されていた。長い時間をかけ、それなりに苦労して得た力が、策略が無駄になってしまったね?」
「そうですね。でも、良いことです」
使わなくて済むのであれば使うべきではない力。ジョーディーが得た力、作りあげた組織はそういうものだ。それはその組織の一員で、仕える立場の人たちも分かっている。人を騙し、嵌め、殺すことなく全てが終わるのであれば、そのほうが良いに決まっている。
「力は無駄にはなりませんわ」
「……アン。どうして、ここが?」
現れたのはサマンサアン。その事実にジョーディーは驚いている。この場所の存在をサマンサアンは知らない。影の、薄汚い仕事を企むこの場所を、ジョーディーは大切な妹には知られたくなかったのだ。
「レグルスに教えてもらいました」
「レグルスに?」
レグルスであれば知っているはず。だが、それをサマンサアンに教える理由がジョーディーには分からない。
「伝言を預かっています。それを兄上に伝える為にと教えてもらいました」
「……伝言というのは?」
どうしてこのタイミングでレングルスの伝言を伝えに来るのか。レグルスはジークフリート暗殺の犯人として、王国に追われているはず。その彼の伝言をどのようにしてサマンサアンは受け取ったのか。疑問がジョーディーの頭に浮かんだ。
「言葉使いが少し乱暴ですけど、出来るだけ元のまま伝えますわ。レグルスはこう言いました。俺たちはやるべきことをやった。後は任せる。集めた力は王国を正しい方向に導くために使え。間違ったことに使うのなら、俺たちは戻ってくる」
「アン……君は……その伝言の意味を理解しているのかい?」
「……はい、お兄様。良く分かっていますわ」
「そうか……そういうことか」
はっきりと確認することはしたくないが、恐らくサマンサアンはジークフリート暗殺に関わっている。レグルスとアリシアに協力したのだとジョーディーは思った。彼女もまた過去の人生の記憶を持つようになった。そうであることを自分にも隠してきたのだと。
「私は置いて行かれました。酷い人だわ」
「ア、アン。それは言葉にしないほうが良いよ」
ただ記憶が残っているだけでなく、レグルスへの好意も生まれている。もしかすると前の人生の時からそうだったのかもしれない。これには少し動揺するジョーディーだった。大切な妹が好きな人、誰であっても知りたくない気持ちがあるのだ。
「分かっていますわ。ここでしか言いません」
「……二人は……いや、聞くのはやめておこう。それに、いずれ分かることだ」
このまま隠れ潜んでいることなど出来るはずがない。アルデバラン王国が二人を探し出すということではない。世界がそれを許さない。新たな物語が生まれるこの世界で、二人はきっと英雄か、稀代の悪党か、どちらにしても名を挙げる。そういう二人なのだとジョーディーは思っている。
◆◆◆
ジークフリート王子の死から十年。アルデバラン王国は平穏な日々が続いていた。まったく問題が起こらなかったわけではない。少数民族の反乱や貴族家内での揉め事などは、国全体では、頻繁と表現できる数、起こっている。それでも全体としては平穏と言えるのは、事が大きくなる前に解決しているから。特に少数民族が引き起こす騒動は、ある時点を境にぱったりと止んだ。アルデバラン王国としては喜ぶことだが、一部ではそれに疑問を感じている。解決した結果、多くの少数民族がその数を減らしている。どこに消えてしまったのか。諜報部が、それほど重要視はされていない中でだが、調べても、突き止められていないのだ。
だが、ある日突然、その行方が分かることになった。アルデバラン王国にとって、いつ以来かとなる、大事件の発生と共に――
「……本当に来るのだろうか?」
初めて訪れる花街で、煌びやかな周囲の様子に惹かれながらも、不安そうにしているジュリアン王子。
「レグルスは約束を破るような人間ではありません」
エリザベス王女も一緒だ。二人は、二人だけでなく王国騎士団長自ら、さらには北部で国境の守りに就いているパトリック中将を除く三神将の二人も加わった少数ながら最精鋭といえる護衛が周囲を警戒する中で、レグルスが訪れるのを待っているのだ。
護衛だけではない。ミッテシュテンゲル侯爵家からはジョーディーとサマンサアン。東方辺境伯家のキャリナローズ、南方辺境伯家からはタイラー、さらに西方辺境伯家のクレイグもいる。次代のアルデバラン王国を背負う若手が勢ぞろいだ。
「しかし、ここは王都の中。彼にとっては敵地のど真ん中だ」
「それは、そうですけど……」
レグルスはアルデバラン王国の敵。ジークフリート王子暗殺事件の犯人だからということではない。別の理由からそう考えられる存在になった。
「恐れながら、殿下。和平を結ぶ為の会談です。敵地という表現は使うべきではありません」
同行してきた外交担当者が表現を注意してきた。彼の言う通り、これからこの場では和平会談が行われる。ジュリアン王子はアルデバラン王国の代表なのだ。
「そうだが……だが今のレグルスは一国の王。自ら会談に臨むか?」
レグルスは王になった。アルデバラン王国の隣国、ラサラス王国の王に。正式には、本人が望んでそうなったわけではないが、自称ということになっている。ラサラス王国の王は別にいる。レグルスはその王にとっては反乱に協力した悪党。自国を簒奪しようとする大悪党なのだ。
「相手にとっては必要な会談です。我が国が正統な王として認めれば、それでラサラス王国の内乱は終わります。平和が訪れるのです」
「そのような建前はレグルスを怒らせることになりますよ? 我が国が認めなくてもレグルスは王です。ラサラス王国を滅ぼして、新しい国の王になるわ。そうなった時、困るのはどこかしら?」
「殿下。大国には大国の面目というものがありますので……」
その大国、アルデバラン王国はラサラス王国の正統な国王の要請に応じて、軍を出した。最初は近くに領地を持つ北方辺境伯家軍、続いて王国騎士団が。どちらも反乱軍を鎮圧するどころか、逆に散々に打ち破られて、多くの被害を出してしまったのだ。レグルス率いる反乱軍、かつてアルデバラン王国で暮らしていたいくつもの少数民族も加わった反乱軍に。
「ラサラス王国とラスタバン王国、さらには他の隣国も同盟に加わったらどうするつもりですか? 和睦が必要なのはこちら。そうであれば驕りは捨てて、謙虚に会談に臨むべきですわ」
さらにレグルスは反乱軍、といってもすでにラサラス王国のほとんどを支配下に治めている勢力だが、とラスタバン王国との同盟を成立させた。ラサラス王国での戦いはすでに勝利が確定している。対アルデバラン王国の同盟であることは明らかだ。
「その会談が始まる……始まるのか?」
どういう態度で臨む以前に会談相手であるレグルスが現れるのか。こう言おうとしたジュリアン王子だが、前のほうで動きがあった。見物人、にしては物騒な雰囲気の人々の中から人が進み出てきたのだ。
「恐れ入ります。この度の喧嘩の仲裁を務めさせていただくマラカイと申す」
ジュリアン王子の前まで来て、腰をかがめて自己紹介をするマラカイ。斜め後ろには妻のリーリエもいる。
「……えっと……花街の者かな?」
「かつては花街で働いおりました。ただ今は違います。今日は乞われて、この役目を努めるようになりました」
「ああ……よろしく頼む」
事情はまったく分かっていないジュリアン王子だが、そういう役目であるのであればと、理由なく納得してしてしまう。
「ちょっと待ってください。貴様も何だ? 花街の人間が和平の仲介役のつもりか? いや、喧嘩の仲裁なんて言い方は王国を侮辱しているのか?」
ジュリアン王子は納得しても補佐役の外交担当者は納得できない。重責を担ってここにいるつもりなのだ。和平を喧嘩などと言い替えられるのは許せない。
「それは失礼した。ただ俺は戦争の和平会談? そんなものに関わるような身じゃねえ。喧嘩の仲裁程度が分相応ってことだ」
「だったら引っ込んでいろ!」
「……それがお望みなら」
言われた通りに下がろうとするマラカイとリーリエ。
「お待ちください。その者の無礼は私がお詫びします。どうか、お役目を続けてもらえますか?」
その二人を止めたのはサマンサアンだ。彼女が前に出てきて、マラカイに役目を続けるように頼んできた。
「和平会談を成功させたいのであれば、このお二方に対する態度を改めるべきです。お二人はアリシアの本当のご両親であり、レグルスも親として敬う相手、二人が素直に言うことを聞く、唯一無二の方たちですよ」
さらに外交担当者に向かって態度を改めるように忠告を行う。彼女は全てを知っているのだ。
「そ、それは……い、いや、それが事実であれば、もっと相応しくないのではないですか? 相手方の親が」
「待て。どうするかは私が決める。マラカイ殿、引き続き頼む」
ジュリアン王子は再び、マラカイによる仲裁を受け入れた。彼がレグルスとアリシアの親と知り、絶対に頼むべきだと考えたのだ。
「……承知しました。では、始めましょう」
「始める?」
始めるにも会談相手であるレグルスはいない。そう思ったジュリアン王子だったが、それはわずかな間。正面からまた人が進み出てきた。一目見てすぐに分かる。レグルスだと。レグルスなのだが。
「……化けたな……いや、成長したというべきか」
周囲を圧する覇気。それがレグルスから感じられる。護衛役を務める王国騎士団長が思わず身構えてしまうほどの覇気だ。レグルスはすでに王。それを示していた。
「恰好ばかりの未熟者です」
「なるほど。御父上からはそう見えるのか、あっ、いや……義理の御父上か」
この場には北方辺境伯家からも人が来ている。北方辺境伯ベラトリックス自身が。
「お久しぶりです。殿下……なんて挨拶からで良いのですか? 会談なんて初めてで」
このレグルスの言葉で周囲の緊張が一気に解けることになった。ジュリアン王子相手だからというのもあるだろう。
「良いのではないか? 元気そうだな。元気過ぎて、わが国は大変だ」
「他国の内乱に干渉するからです。それも悪人側に味方するなんて。ちゃんと調べてから軍を出したのですか?」
レグルスは簒奪者。それはラスラス王国の王にとってであって、民にとっては解放者だ。国民の多くがレグルスを支持している。だから驚くほどの速さで領土の制圧が進んだのだ。
「それは……諜報部に聞いておこう。どうであれ、これ以上の戦いを望まないことに変わりはない。終戦条約を結びたい。こちらの条件はリズとお前との婚姻だ」
「……はっ? いや、そういうのは良いです。別にこちらもアルデバラン王国と戦いたいわけでは」
「リスとの婚姻だ」
「いや、だから」
「良いから受け入れろ。リズが怒るだろ?」
婚姻により両国関係を改善させる。よくあることだが、今回のこれはエリザベス王女本人が強く望んだこと。和平交渉も大事だが、それよりも婚姻を成立させることが、ジュリアン王子にとって重要な役目なのだ。こういう事情もあって国王はこの場にいないのだ。
「ええ……別に王女殿下が嫌だというわけではなくて……」
「殿下御一人ではご不満でしたら私も妃としてラサラス王国に参りますわ」
「えっ?」「ちょっと、アン? 何を言いだす!?」
さらにサマンサアンまでレグルスの妃に名乗りをあげる。それにはレグルスだけでなく、ジョーディーも驚きだ。
「良いわよね、レグルス? 私と貴方の仲ですもの」
「ちょっと、アオ!? 仲ってどういうこと? アンさんと何かあったの? 振りだけだって言っていたよね!?」
そうなるとリサも黙っていられない。彼女はレグルスの妻だ。どこにも所属していない身なので婚姻手続きはされていないが、お互いに認める恋人であることは事実なのだ。
「い、いや、ちょっと……その……」
「アオ!? 貴様!? やったのか!? アンさんとやったのか!?」
「馬鹿! そういう下品な言い方するな! それにそういうことはない! あるわけないだろ!」
やってはいない。口づけまでだ。一応、言い訳をするとサマンサアンからで、レグルスは不意打ちされた形だ。
「まあまあ、皆さん、落ち着いて。レグルスは王なのですから正妃の他に妃を持つのは普通ですわ」
ここでエリザベス王女が余裕を見せてきた。
「……そうですね。では、十歳の時にすでに結婚を約束していた私が正妃ということで」
それに対してリサも余裕、ではなく対抗してみせる。素のリサに王女だからといって遠慮する気持ちはないのだ。
「……レグルスが私を、わが身を顧みることなく狂犬から守ってくれたのはいつだったかしら? 十歳よりもずっと前だったのは確かね」
「それは……」
「レグルス。初めて会ったのはいつだったかしら? 王女殿下よりも前であることは間違いないわね?」
「前って……私が会場に入る二十分前くらいですわよね?」
「でも最初にレグルスと出会ったのが私であることは、間違いありませんわ」
レグルスと特別なことがないサマンサアンは出会いの早さだけで勝負しようとする。初めて出会った場はエリザベス王女と同じ王国主催の会なので、それで有利に立つのは、かなり無理があるが。
「我が息子はモテるのだな? 誰に似たのやら?」
「貴方でしょ? 貴方もモテたから。今もだけど」
「なんだ、やきもちか?」
その横でマラカイとリーリエがイチャイチャしていることには誰も気付かない。
「……お前は良いのか?」
「えっ、私? 私はレグルスの妻になるつもりはないわ。今日も子供の顔を見せに来ただけ。一度くらいは会っていたほうが良いでしょ?」
「いや、それはどうなのだ? 父親がいないのは可哀そうではないか」
タイラーにはキャリナローズの理屈が分からない。男性を愛せないというのは聞いた。だが、レグルスは特別。特別な男性であれば、結婚は可能なのではないかと思う。何と言っても、二人の間には子供がいるのだ。
「だから……何? どうかしたの?」
視線を感じてタイラーとの話を止めたキャリナローズ。向けられていた視線はリサのものだ。
「子供……それはアオ、いえ、レグルスの子供ですか?」
「……ええ、そうよ」
「やっぱり……」「「えっ!?」」
納得の声はリサ。驚きの声はエリザベス王女とサマンサアンのものだ。
「隠していてごめんなさい。でも言えないじゃない?」
「いやいや、今も言っては駄目だろ?」
「何それ? 浮気を疑われるのが怖いの?」
レグルスの言葉にキャリナローズは不満気だ。妻になる気はない。だが子供の存在を隠そうとする態度は気に入らないのだ。
「そうじゃなくて、アルデバラン王国では俺は重罪人だ」
いくら東方辺境伯家でも王子殺しの犯人を父親に持つ子供は守れない。ずっと隠し続けておかなければならない事実だとレグルスは思っている。
「……ああ、ジークのこと? それなら大丈夫。もしかして聞いていないのに、この場に現れたの? 大胆ね」
「大丈夫って?」
「ジークの悪事は全て宰相が白状したわ。脅されて協力を強いられていたらしいけど、死んだことで全てを告白する気になったみたい。貴方は、まったくの無実とはいかないけど、より深刻な悪事を未然に防いだということで軽い罰で済むはず」
さらに、表には出なかったが、ミッテシュテンゲル侯爵家もレグルスを擁護した。自家に重い罰が課せられない程度に、関わっていたジークの悪事を王国に伝えた。
「……そうだったのか」
「軽い罪で済むはず、ではなく罪は問われない。王女の夫を罰せられるはずがないだろ? いや、逆か。重罪人に王女を嫁がせるはずがないだろ?」
「ああ……それは確かに」
さらにジュリアン王子が無実となることを保証する。あらかじめ国王に諮って方針は決めてある。その上でのエリザベス王女との婚姻外交なのだ。
「ということで問題なし。あとはお前が、お前は無理でもリズがアルデバラン王国の女王となれば最高だ」
「はっ?」「殿下、なんということを!?」
「どう考えても一番いい形だ。それでアルデバラン王国とラサラス王国は実質ひとつになる。ラスタバン王国も安心だろう。友好的な関係が築ける」
アルデバラン王国は侵略ではなく共存という形で領土を広げ、東の国境も安定する。悪い案ではない。王家の人間ではない、実際は王家と辺境伯家には血の繋がりはあるが、レグルスが実権を握るという非常識を許容出来ればの話だが。
「それに北方辺境伯家の問題も解決する」
「問題、ですか?」
追放された身とはいえ、元実家に問題があるという話はレグルスも気になった。
「ブラックバーン家は北方辺境伯の地位を返上する。息子が隣国の王なのに、国境を守るはない。陛下には気にするなとおっしゃって頂いたが、私が納得しない」
問題についてはベラトリックス自身が説明してきた。ブラックバーン家は辺境伯ではなくなるという重大な問題を。
「それは……俺は追放された身。ブラックバーン家とは関係ない」
「そうだとしても血の繋がった息子だ。情は捨てきれない」
「えっ……?」
親子の情なんてものがあるはずがない。情を向けられた覚えはレグルスにはないのだ。
「すまなかった。お前の母、ボーティアについて義父上と深く話した。私の過ちであることが良く分かった。私の愚かな嫉妬でポーティアを、お前を苦しめてしまったことを私は知った……すまなかった」
「…………」
母を救うことは出来なかった。繰り返される人生の最初には、すでにレグルスの母は亡くなっているのだ。どうにもならないことだった。だがまた、前回とは違う形で父親は謝罪してきた。それがレグルスには驚きだった。
「私は自分の過ちを深く反省して、辺境伯の地位を返上するだけでなく、当主の座を降りることにした。悪いがあとは任せる」
「……任せるって……何を考えている?」
「家臣を路頭に迷わすわけにはいかない。全員引き取ってくれ。お前の国で」
「ブラックバーン家の家臣を全員? ラスラス王国は……確かに人材不足だけど……いや、全員がアルデバラン王国を去ったら……」
北の国境の守りはどうなるのか。といっても北の隣国は今のところ、レグルスの支配下にある。問題はない。問題はないが、アルデバラン王国としては大いに不安になるはずだ。
「ほら見ろ。検討の余地はあるだろ? 私の考えは、北の国境での争いを無にし、人々が安心して暮らせるようにする最善のものだ」
「だから……」
「まずは正妃を決めないと。女王が第二夫人ってわけにはいかないから」
この流れではエリザベス王女が正妃の座を得る。それを察して、リサは妨害に入った。
「そうですわ。まずは誰が正妃か決めてから。王国のことはその後ですわ」
当然、サマンサアンもそれに乗っかる。まずはエリザベス王女が正妃になる流れを断ち切ること。リサとの戦いはその後だと考えた。
「王国が後回しって……まずは国の平和を考えるべきでしょ?」
「さすが王女殿下。でも私は国よりもレグルスのほうが大事ですわ。殿下のように私情よりも公の立場を優先することは出来ません」
「わ、私は……」
こういう言い合いではサマンサアンが一枚上手。伊達に悪役令嬢の役割は与えられていない、ということではなく、ジークフリート王子を騙す為に色々と演じてきた経験の差だ。
「まだまだ争いは続くようだな?」
「……ですが、王国騎士団の出番はないようです」
正妃の座を巡る争いは、今日一日では決着しそうにない。当人たちにも決着させる気がないことくらいは、武一辺倒を気取っている王国騎士団長にも分かる。争っている彼女たちよりも、ずっと人生経験豊富な大人なのだ。
「一人の女性として争う分には平和な争いだ。面白いから大いにやれば良い」
「……よろしいのですか? 王女殿下の御味方をしないで」
「関わり合いたくない。それに、私はまず自分のことをなんとかしないと。レグルスと同じようにとは言わないが、一人くらいは私が良いと行ってくれる女性がいて欲しいものだ」
「そうであれば、まず粋な遊びを覚えられたらどうですか? この街はそういう街です」
マラカイが会話に割り込んできた。和平交渉は、ろくに話をしていないが、成立したも同じ。そろそろ頃合い、本当の自分の出番だと考えたのだ。
「この街で遊び……良いのか?」
「良いも何も、もう準備は整っております。では、始めさせていただきましょう! 皆々様、どうぞ、花街をお楽しみください!」
マラカイの声に応えて、一斉にあちこちから楽器の音色が聞こえてくる。初めは小さく、徐々に大きくなっていったその音は、全体としてひとつになり、花街全体に鳴り響く。煌びやかな衣装をまとった女性たちが列を為して進み出てくると同時に見物人、今までもいた花街の人間たちだけでなく、本当の客が、選ばれた上客たちが花街になだれ込んできた。花街の宴が、最高の宴が始まる――