こんなはずではなかった。これまでも自分が求める通りの結果を得られたわけではない。そうだから、何度もやり直してきている。だが、今回の結果は過去のどれと比べても最悪。ジークフリート王が得られたものは、彼の基準では、無に等しい。どうしてこのような結果になってしまったのか。似たような思いが堂々巡りする。
「あれは……東方辺境伯。キャリナローズか。彼女も生きていたのだな」
外壁の内側に逃げ込んでも、安全とは言えない。東方辺境伯家軍の、ラスタバン王国の軍旗があちこちで翻っているのが見える。
「……ここまでか」
この状況からの逆転はない。そのような方法をジークフリート王は知らない。元々、彼には確たる戦略、戦術などないのだ。ただ「ゲームはこう進むはずだから、こうすれば良い」と思っていただけ。謀略の類も、そのほとんどを彼自身は考えていない。誰かに任せきりだったのだ。
「諦めが早いのは助かる」
独り言のつもりで漏らした言葉に反応する声があった。
「……レグルス」
レグルスだ。彼が、リサも、追いついてきていた。
「このまま自害してもらえるか? そうしてくれると殺す手間が省ける」
「……仕方がない。お前たちは私の手で殺してやる」
レグルスに下に見られている。簡単に殺せる相手だと思われている。ジークフリート王には、それが許せなかった。自分はこの世界の創造主。絶対的な存在なのだ。
「ようやく自らの手を汚す気になったか。汚れないけどな」
真っ先に動いたのはレグルス、ではなくリサ。レグルスが話し終えると同時にジークフリート王との間合いを詰め、剣を振るう。甲高い金属音が響く。
「えっ……? なっ!?」
ジークフリート王の首が飛ぶはずだった。そこまでいかなくても、確実にダメージを与えられる間合いだった。だがリサの剣はジークフリート王が纏う鎧に完璧に阻まれた。それだけではない。衝撃がリサの体を襲い、大きく吹き飛ばされることになった。
「馬鹿だね? この鎧を斬れるはずがないだろ? まあ、お前たちは知らないか」
「……知らないな。どういうものか教えてくれるか?」
「これは隠しアイテム。神器と呼ばれるものだ。鎧だけじゃない。この盾も、兜も、小手も、私の体を覆う全ての防具が神器。誰にも傷つけることなんて出来ない」
全てがアルデバラン王国に暮らす少数民族から奪ったもの。これらの隠しアイテムを集める為にジークフリート王は白金騎士団を作り、少数民族を陥れて討伐対象とした。彼にとって白金騎士団の任務はアイテム集めのイベントだったのだ。
「……ジーク。貴方、何者?」
「私? ああ、そうか。君は分かるか」
「貴方も転生者なのね?」
この世界の人は「隠しアイテム」なんて言葉は使わない。この世界をゲームだなんて思わない。ジークフリート王も自分と同じ異世界の人間、転生者だとリサは考えた。
「お前のような害虫と一緒にするな。私はこの世界の創造主。私がこの世界を作った」
「……創造主が登場人物に? そんなはずないでしょ?」
ジークフリート王の言葉の意味をリサは考えている。自分とは違う。それは分かった。だが何を以て自分を「創造主」などと言っているのかまでは分からない。
「この世界は私の為にある。私が人生を楽しむ為にあるのだよ。富も権力も美女も、あらゆるものが私の物だ」
「……そんなことは許さない。お前にはこの世界の何一つとして渡してやらない」
欲望の権化であることは分かった。私欲のために多くの人を不幸にし、殺してきたことが。ジークフリート王の思い通りにはさせない。リサは強くこう思った。
「ああ、今回はそういう結果に終わりそうだ。何を失敗したのか分からないが、そんなことはどうでも良い。お前たちを殺して、またやり直すだけだ」
「やり直すって?」
気になる言葉。聞き流すことは絶対に出来ない言葉だ。問い返した時点で、リサはジークフリート王が何を言っているのか分かっているのだ。
「言葉通りだ。この回はリセットして、また最初からやり直す。今度こそ、多くを手に入れて見せる。この世界の全てを」
「……そんなこと、出来るの?」
「ああ、出来る。これまで何度も、覚えてはいないが、やり直してきた。ああ、ある意味、今回は久しぶりに楽しめた。自分が知る以上のバッドエンドがあることを知れたからね」
「……リセットなんて、どうすれば出来るの? 簡単に出来ることではないはずよ」
本当にリセットが出来るのだとすれば、ここでジークフリート王を殺して全てが終わるのか。そもそも殺せるのか。リサの心に不安が広がっている。
「簡単に出来る。このリセット装置のボタンを押すだけだ」
ジークフリート王が鎧の内側から取り出したのは小さな筒のようなもの。文明的な物とは思えない、ただの木の筒に見える。
「おい。お前ら、何の話をしている? リセットって何だ?」
この世界の人間であるレグルスには二人が何を話しているのか分からない。分かったのはリサが内心、かなり焦っていることだけだ。
「また一からやり直すこと。いつからかは分からないけど、生まれた頃か、そうでなくても幼い頃に戻るのだと思う」
「……それは……人生をやり直すということか?」
「そう言えるわね」
レグルスの心にどす黒い感情が湧き上がる。湧き上がるだけでなく、暴れ出す。
「お前か……? お前が俺に! いや、俺たちに何度も苦しみを与えていたのか!?」
人生を、これ以上ないと思うほどの苦しい最後を何度も与えていたのはジークフリート王。レグルスはそれを知った。
「へえ。人生を繰り返していた自覚があるのか。それは驚きだ。どうしてそんなことになるのかな?」
「知るか」
「アオ……それって本当なの?」
リサも初めて知った事実。そういう話を二人はしていない。ずっと敵対してきた二人。何度も相手を殺そうとしていたなんて話は、レグルスとしては、しづらかったのだ。
「本当だ」
「……私のことも初めて会った時から知っていた?」
「ああ……そうだろうなとは思っていた。ただ、前の人生の記憶はすぐに消える。確信を持ったのは、お前の死が偽装だと気付いた時。もっと言えば、アリシア・セリシールとして現れた時だ」
この説明には嘘が混じっている。最初から分かっていた。分かっていたが、いつからか事実だと認めたくなくなった。勘違いであって欲しいと願うようになった。叶わない願いだと分かっていても。
「なるほどね。私が以外のキャラクターのリセットに時間がかかっているのか。これは本物のバグだね。誰が担当していた部分だか……質の悪いエンジニアが混ざっていたようだ」
「この世界に生きる人たちをそんな風に呼ぶな」
ジークフリートはこの世界の人たちを人として見ていない。最初の頃のリサもそうだった。だがこの世界で生きる人の苦しみを知り、愛を知り、考え方が変わったのだ。
「思い入れが生まれたか。バグの分際で」
「私に対しては、なんとでも呼べば良い。人間の屑に侮辱されても、悔しくもなんともない」
「……くだらない挑発だな」
「挑発じゃない。お前は、殺す!」
眩い閃光が宙を走る。それと重なる黒い影はレグルスが放ったものだ。光と影、二つの魔力がジークフリートに襲い掛かる。だがその攻撃も彼が纏う鎧に阻まれる。さらに間髪入れずに斬りかかった二人は、衝撃波のようなものを受けて、吹き飛ばされることになった。
「……卑怯な鎧だな」
攻撃を完璧に阻むだけではなく、ジークフリート自身は何もしていなくても反撃が放たれる。攻撃した側はダメージを受けることになる。神具などという大層な呼び方をするだけのことはある、という思いをレグルスは「卑怯」と表現した。
「なんとでも言え。神具を纏っている私は誰にも倒せない。ゲームはバッドエンドでも私は倒されない。そういうことになっている」
レグルスの言う通り、「卑怯」なのだ。自分を絶対安全な状況に置く。神具と呼ばれている武具はアイテム集めイベントのツールというだけでなく、その為のものでもある。この世界では「神具」という言葉は使われていない。ジークフリートだけが知る情報、知るアイテムなのだ。
「矛盾という言葉知っている?」
「はあ? 馬鹿にするな」
「どんな盾も突き通す矛で、どんな矛も防ぐ盾を突いたらどうなるか? この答えは?」
「だから馬鹿にするな。その答えは成立しない。それを矛盾と言うのだ」
答えはない。答えは出せない。二つは両立しない。辻褄が合わないそれを矛盾と言うのだ。
「それが事実か、試してみせる!」
「無駄だ!」
無駄とは思わない。無駄ではない。それを証明する為にリサはジークフリートに立ち向かうのだ。そしてレグルスも「諦める」なんて言葉は、とっくの昔に心から消えている。
攻撃しては弾き返される二人。殴られ、蹴られ続けているのと同じ。即死するものではないが、そのダメージは確実に蓄積してくる。それでも二人は攻撃を止めない。地面に倒れてもすぐに立ち上がり、また攻めかかって行く。
「無駄だと言っている!」
焦れてきたのは攻撃を受けている側のジークフリート。彼はただ立って、攻撃を受けているだけなのだ。
「……ああ、痛っ……さて、それはどうだろうな? 手応えはあるけどな」
レグルスは、きしむ体を無理やり引き起こして胸を張り、ダメージを感じさせないように軽い口調でジークフリートに話しかける。
「手応えだって?」
「お前の防具が神具なら、俺の剣は闇の神パンドーラの物らしい。リサのも似たようなものだ。これだって神の武器だろ?」
「……貴様ら……私の神具を……」
ジークフリートは全ての神具を手に入れられていない。彼にとっては、失敗だった任務もある。レグルスとリサによって失敗させられた任務が。
「矛盾って言葉、知っているか?」
神具と神具がぶつかり合えば、どうなるのか。リサはこれを言っていたのだ。そうであることをレグルスも分かっていた。
「……勝ち誇った顔をするな。お前たちが勝利することは決してない。残念だが、これで終わりだ。また新しい人生で会おう」
だがジークフリートには切り札がある。今回のゲームを終わらせるという切り札だ。
「させるか!?」
「無駄だ! 鎧に傷をつけたくらいでボタンを押すのは止められない! これで終わりだ!」
手に握っているリセット装置のボタンを押すだけ。それを防ぐ手立てはレグルスたちにはない、と思っているのはジークフリートだけだ。
「はじけろ、私! あのくそ野郎をぶっ飛ばせ!」
閃光が、これまでとはけた違いの眩い輝きが宙を切り裂く。レグルスでさえ視認できない、光の速さそのものと思うくらいの速さで、リサはジークフリートとの間合いを一瞬で詰めた。
「……えっ……そ、そんな……うわぁあああああっ!」
瞬きする間に光が通り過ぎた。そう思った瞬間、激痛がジークフリートを襲う。噴き出す血は腕からのもの。リセット装置を握っていた手が、手首から先が、地に落ちていた。
「良くやった」
痛みを堪えながら地に落ちた自分の手を、その手に握られているリセット装置を拾おうと体をかがめるジークフリート。その彼に黒い影が伸びて行く。
「ぎやぁああああああああっ!」
また絶叫。ジークフリートの腕がはじけ飛んだ。腕だけではない。手首に出来た神具のすきまから潜り込んだレグルスの魔力は、鎧の中でジークフリートの体を八つ裂きしている。
地面に倒れるジークフリート。
「……死んだか? さすがにこれは、死んだか。これ……ジークフリートだろうな?」
乱暴にジークフリートの兜を剥ぎ取ったレグルス。現れた顔は誰のものか分からないほど破損していた。
「あんな替え玉いないか……ああ、さすがに疲れたな」
レグルスにも余裕があったわけではない。衝撃波によって受けた体のダメージはかなりのもの。そのダメージの回復を助ける魔力も、後先考えない猛攻を仕掛け続けていたことで枯れそうになっていた。
精魂尽き果てた。まさにそんな状態で、ふらつく足取りでリサに近づくと、崩れ落ちるように、その場に倒れた。
「……とりあえず勝ちだ」
レグルスの声に応えはない。リサは仰向けに地面に転がったままだ。
「……いつまで寝ているつもりだ? 起きろ。最後は俺が決めてやったぞ。ありがとうくらい言え」
既視感。いつかどこかで同じような経験をしている。そんな思いをレグルスは心の奥底に押し込もうとしている。
「……起きろ……起きろ! 馬鹿野郎! いつまで寝ている!」
その時は別人だった。焼死体はリサのものではなかった。それと気付かず、一晩中、「起きろ」「起きろ、馬鹿」とレグルスは声をかけ続けていた。
「馬鹿野郎……お前が……お前が死んで、どうする? 何のために俺は……俺は……馬鹿……野郎…………」
サマンサアンの為の人生が、いつの間にか、リサの為の人生に変わっていた。彼女の幸せを守ること。それがレグルスの生きる目的だった。だがその結果は――レグルスにとって、この人生も、バッドエンドで終わることになった。