二戦連続での敗北。それも圧倒的に有利な状況からの惨敗だ。その結果がもたらしたものは大きかった。王国北部はほぼ反乱軍一色に染まる。北部貴族はブラックバーン家に、形としてはエリザベスに、仕えることを選択したのだ。北部だけではない。各地でブラックバーン家に呼応して立ち上がる勢力が現れた。それを抑える術はアルデバラン王国にはない。王国騎士団はすでに三分の一を超える戦力を喪失している。さらに三分の一は西方辺境伯家軍と向き合ったまま、動けないでいる。南下してくるブラックバーン軍に備えるだけで、それも十分と自信を持って言えない数を揃えるのにも、精一杯の状況だ。
アルデバラン王国は滅びる。存続するとしても王は交替。エリザベスが女王として立つ。大方の見方はこのように変わった。そうなってしまえば、さらに、ジークフリート王の側から見て、寝返る者が出る。アルデバラン王国側の敗勢は明らかだ。
「最後に勝てばそれで良い。要はレグルスを討てば良いだけだ」
それでもジークフリート王は勝利を諦めなかった。ゲームの継続は半ば諦めている。だが、レグルスの死は見届けないと気が済まない。こう考えて、自ら出陣した。
北部動乱によってアルデバラン王国は大きな傷を負い、他国に侵攻する力を失う。そうであっても滅びることはない。自分は王であり続ける。ジークフリート王はそうであることを知っているのだ。
「お任せください。全てを捧げても、王国を守って御覧に入れます」
王国騎士団長も出陣している。残る全ての戦力を動員して、レグルスとの戦いに勝たなければならない。まして国王自らが戦場に赴くのに、王国騎士団長が王都に残っていられるはずがない。
「騎士団長と私の二人がいれば、ブラックバーン騎士団など恐れる必要はない! 私は今ここで! 私自身が世界最強であることを示してみせる!」
重厚な鎧兜に身を固め、味方を鼓舞するジークフリート王。それによって王国軍の士気は大いにあがっている。やはり、国王が戦場にいるといないとでは士気は大きく違ってくるのだ。
「……南方辺境伯軍はどうした? 何かあったのか?」
ただジークフリート王にも懸念はある。南方辺境伯軍が、レグルスを討つはずのタイラーの姿が戦場にない。勝利の条件が揃っていないのだ。
「……南方辺境伯軍、いえ、南方辺境伯であれば、あれに」
タイラーは戦場にいないわけではない。
「あれ……軍旗を持っているのがタイラーということか?」
王国騎士団長が指し示した方向には、確かに南方辺境伯家軍、ディクソン家の軍旗が翻っている。軍旗とそれを掲げている者が一人いる。
「はい。あれが南方辺境伯です」
「一人じゃないか!? 軍勢はどうした!?」
南方辺境伯タイラーはいても、南方辺境伯家軍がいない。どうしてこのような事態になったのか。ジークフリート王にはまったく理由が分からない。
「分かりません。南方辺境伯は、いえ、旗を掲げていますがタイラー・ディクソンはタイラー・ディクソンとして参陣したと言っております」
南方辺境伯としてではなく、一人の男、タイラーとして戦いに参加する。これが考えた末に出したタイラーの答えだ。タイラーでなければ出せない答えだ。
「……馬鹿な……レグルスは兄の仇だ! タイラーには兄を殺された恨みがあるはずだ! どうしてレグルスが喜ぶような真似をする!?」
タイラーは裏切らない。ジークフリート王がこう考えていた理由にはこれもある。彼はタイラーの兄、クリスティアンを殺したのがレグルスであることを知っている。それをタイラーに教えている。対立はしていてもタイラーはずっと兄を慕い続けていた。そんなお人好しのタイラーに事実を伝えれば、レグルスに恨みを抱くはずだった。この戦いは復讐戦になるはずだったのだ。
「事情は分かりません」
「……殺せ。タイラーも殺せ! 奴は裏切者だ!」
軍勢を率いることなく、タイラー個人として戦いに参加した。その意味はジークフリート王にも分かる。タイラーは公を捨てて、私を選んだ。王国への忠誠よりも私情を優先した。その私情はレグルスへの恨みではない。その逆だ。
「承知しました。ただ、すぐにというわけにはいかないようです」
「何……?」
「お気を付けください。先の戦いでは空から魔道具が降ってきたそうです。恐らくはあれが」
「……鳥……猛獣使いか!?」
今回、ことごとくジークフリート王を裏切ってきたゲームシナリオ。だがこれに関しては変わらなかった。レグルスは猛獣使いを戦いに投入してきた。彼が考えた戦法で、王国騎士団に多大な損害を与えた原因のひとつだ。
すでにレグルスの手の内は分かっている。だが、分かっていても被害をゼロにすることは出来ない。矢を放っても鳥の群れはその遥か上を飛んでいる。そうかと思えば、急降下して近づき、魔道具を落としていく。空爆。この言葉がジークフリート王の頭に浮かんだ。さらに。
「な、なんだ!?」
大きな爆発音が後方から聞こえてきた。背後にあるのは王都を守る外壁。その外壁の内側から聞こえてきたのだ。
「……馬鹿な。外壁の内側に敵が……まさか、あれも獣の仕業なのか?」
すでに外壁の内側に敵の侵入を許していた。そんなことはあってはならない。それが事実であれば、がら空きの王都に攻め込まれてしまう。そんな情報は届いていないのだ。仮に外壁の別の入口を突破されたとしても、それが伝わらないはずがない。
「あり得ない……こんな展開はあり得ない!」
「……陛下。ここはお下がりください」
「言われなくても下がる! きちんと敵を足止めしろ!」
こんなところで死ぬわけにはいかない。そもそも自分が死ぬはずがない。だが万一、死ぬことになったらどうなるのか。この世界を創造したつもりのジークフリートだが、その答えを持っていない。
「……御意」
もとより命を捨ててジークフリート王を守るつもりだった。ただ死にゆく者に対する言葉としては、非情なものだ。それでも王国騎士団はジークフリート王を守る。それが自分の責務だと思っている。多くの部下が戦死している。自分だけおめおめと生き残るような真似は、それを望むような真似は出来ないと考えているのだ。
ゆっくりと、味方が逃げる流れに逆らって、前に進む王国騎士団。求める相手と遭遇するのに、時間はかからなかった。
「……どけ。ジークフリートをここで逃がすわけにはいかない」
「見事なものだ。たった三戦で王国騎士団は崩壊することになった」
「俺だけの力じゃない。こうなった原因はジークフリートにある。私利私欲しか考えていない愚か者が王になったのが悪いのだ」
自分がアルデバラン王国を追い込んだのではない。ジークフリートが自ら恨みを作りだしていた。この王には従えないと思わせるような行動を選んだ。こうレグルスは考えている。
「……それでも王は王だ。私には命を捨ててでも守る義務がある」
「ではお前を倒して、俺たちは前に……タイラー、お前……」
もう一人、レグルスの行く手を阻む者が現れた。タイラーが王国騎士団に攻めかかろうとするレグルスの前に立ち塞がったのだ。
「ひとつ聞きたい」
「……何だ?」
タイラーがこの機会に尋ねようと思うこと。兄のクリスティアンの死についてだとレグルスは考えた、のだが。
「どうして私を誘わなかった? クレイグを味方につけておいて、どうして私には接触してこなかった?」
「はっ? それは、お前……声をかけたらお前、困るだろ? 迷わないで敵に回られるのもそれはそれで、あれだ」
味方になるように求めれば、タイラーは王国への忠誠との狭間で苦しむことになる。悩んでもらえる相手であって欲しいという思いも、レグルスにはあった。そうではなかったことを知りたくもなかった。
「そうか……この、馬鹿野郎!」
「げっ!?」
タイラーの拳がレグルスの頬を打ち抜く。それを避けることなく、まともに受けたレグルス。
「そうだとしても、真っ先に俺に相談して欲しかった。俺は親友の苦しみを共有したかった」
「俺は……お前を……友を苦しめたくなかった」
タイラーを初めてレグルスは「友」と呼んだ。それにタイラーは驚き、心が震えた。
「……俺たちにはもう少し、お互いを理解し合うための時間が必要だ。だから、この場は俺に任せて、さっさと先に行け。勝利を掴め」
王国騎士団側が、レグルスさえ倒せば勝ちであると考えるのと同じ。ジークフリートを討たなければ、勝利は確定しない。ここで逃がすわけにはいかないのだ。
「お前……勝て……いや、勝てよ。俺も勝つ」
「ああ、任せろ」
振り返り、王国騎士団長と向き合うタイラー。その横をレグルスは、アリシアも駆け抜けていく。
「最後に見る場面としては、悪くなかった。だが、私もそう簡単に負けるわけにはいかない。一人でも多く、道連れにさせてもらう」
「いや、それは無理だ。私は貴方に勝つ。友とそう約束したのだ」
「友か……その友は王国よりも大切なのだな。だが、私にとって何よりも大切なものは王国だ。騎士の誓いを行った時、そう決まった」
「お前が言う王国とは何のことだ?」
タイラーと王国騎士団長の戦いが始まる。お互いの闘気が高まった瞬間に、割り込んできた声。
「……ジュリアン殿下……ご無事でしたか?」
割り込んできたのはジュリアンだった。
「ああ、あやうくジークの部下に暗殺されるところだったが、騎士団長と同じ、ジーク個人ではなく王国に忠誠を向ける一人の騎士に助けられた」
「暗殺……そうでしたか」
「驚かないな。それはそうか。父上が急死し、私とリズも命を狙われた。西方辺境伯家のクレイグも、東方辺境伯家のキャリナローズも同様。レグルスも暗殺されるところだった。誰が命じたかは馬鹿でも分かる」
「……それでも、あの方はアルデバラン王国の王です」
ジークフリートの仕業であることは王国騎士団長も察していた。だが国王であるジークフリートに、その罪を問うわけにはいかない。それどころか命じられれば、どれほど屈辱を感じても、自分も暗殺者となったはずだ。
「そのことだ。私は即位した」
「それは……いや、それが通用しては」
自称国王を認めては王国は成り立たない。反乱の旗印となったエリザベスが自分は王になったと言ったからといって、王国騎士団が忠誠を誓うことはあり得ない。それがジュリアンであっても同じだと、王国騎士団が考えた。
「教皇猊下がお認めになられた」
「なっ……?」
だがジュリアンには、こうして前に出て来た理由がある。アルデバラン王国に忠誠を向ける人たちを止められる可能性を持っていた。
「もう少し待てば、猊下が御自らこれが事実であることを証明してくれる。それまで待て」
教皇が認める即位式をジュリアンは終えている。ジークフリートを討ったあとのアルデバラン王国を混乱させない為の最上の方法として、レグルスが考えた。王国を滅ぼすつもりだったレグルスだが、今の王国とまったく異なる国になるのであれば、国名などどうでも良い。大切な人たちが差別されない国になるというのであれば、アルデバラン王国の名が続くことも良しと考えたのだ。
「……しかし私は、王国騎士団長としての責任が……多くの部下を死なせてしまった責任が……」
王国騎士団長は死にたかったのだ。多くの部下を死なせた責任を背負って、アルデバラン王国に殉じるつもりだったのだ。
「お前は戦いで兵が一人亡くなる度に責任を取ってきたのか? そうではあるまい」
「それは……」
「身近な部下を死なせたことを悔やんでいるのだろうが、それは公平とは言えないな。まあ、全ての人が全ての人を平等に思えるのであれば、こんな争いは起きていないだろうが」
レグルスも身近な大切な人を殺された恨みで事を起こした。多くを殺した。王国騎士団長はそれに恨みではなく、悔いを感じた。それだけの違いだ。
「生きろ。生きて引き続き王国の為に、私の為に働いてくれ。それを生き残ったお前の部下も望んでいる」
「…………」
「教えておく。十旗将のほとんどは生き残って捕虜になっている。アーロン中将も、大怪我で寝たきりだが生きている。リズがなんとか助けられる命は助けた」
エリザベルは自分がレグルスの側にいる意味を無にしなかった。自分がやるべきことを、どれだけ周囲の人たちに不満を持たれても、やり遂げようとしたのだ。
「……それを聞いて、生きると決めたら、やはり不公平ですか」
「人なんてそんなものだ。殺し合うはずの相手と親友になれる。人生を共にするはずの相手と殺し合うことになる。これはレグルスの言葉だ。敵を生かす為の奴なりの言い訳だろうな」
「人なんて、そんなものですか……私は、人に戻って良いのですか?」
人としての甘さは棄てなければならない。そうでなくては王国騎士団長など務まらない。こう己を律してきたつもりだった。それが正しいことだと信じてきた。
「騎士は人の心を持たない凶器であるべきだとでも思っていたか? そうであればお前は騎士失格だ。一からやり直せ」
「……そうします。陛下の下で一騎士として、自分を鍛え直させてください」
「許す」
この日、王国騎士団は降伏を決めた。正しくはジュリアンを正統な王として認め、忠誠を誓った。