ジークフリート王は今日も重臣たちを招集して、会議を行っている。王国全土で事が動いている。その勢いを止めることなく、次の一手を繰り出していかなければならない。世界制覇までは、まだ道は遠いはず。のんびりしている余裕はないのだ。今は何もかも自分の思い通りに出来る。国王になるまで我慢を強いられてきた反動もあって、とにかく様々なことを進めていきたいという気持ちもあるのだ。
「……お疲れの様ですが?」
宰相が体を気遣う言葉をかけてきた。重要な会議が始まるという時でも、そうしてしまうほど疲れが顔に出ているのだ。
「ああ……いや、これは問題ない。少し寝不足なだけだ」
「なるほど……お世継ぎの誕生もそう遠くない時期ですか」
ジークフリート王が疲れているのは、夜の営みが忙しくて寝不足だから。そういうことだと宰相は理解した。余計な心配だったと、少し反省した。
「そうだといいけど……始めようか」
世継ぎの誕生などジークフリート王は、今は、望んでいない。夜の相手はもっらぱ花街から連れてきた女性。子供が出来ても跡継ぎには出来ない。それだけが理由ではなく、楽しみはこれからだという思いもある。
「では、まずは東。東方辺境伯領の状況からです」
「ラスタバン王国の討伐だね? どれくらいの規模を騎士団は編成出来るのかな? これは北の状況も影響するか。騎士団長……あれ? いない?」
議題はその多くが軍事。王国騎士団長が出席していないなんてことはあり得ない。
「申し訳ございません。ついさきほど、騎士団長から少し遅れるという連絡が届いております。会議の前に急ぎ確認すべきことが出来たと」
宰相が冒頭に雑談を始めようとしたのは、これもあってのこと。王国騎士団長の為に少し時間稼ぎをしようと考えたのだ。ジークフリート王が話に乗ってこないだけでなく、会議の開催を宣言してしまったので、無駄に終わったが。
「急ぎ確認すべきことというのは?」
「把握出来ておりません。騎士団長も今、確認しているものと思われます」
会議に遅れてでも、確認しなければならないこと。重要な用件であることだけは分かる。
「遅くなりました」
タイミング良く、というべきかはすでに遅刻であるので微妙だが、王国騎士団長が会議室に入ってきた。とくに変わった様子はない、が、これはいつものこと。どのような場面でも、部下が不安を感じるような態度は見せない。王国騎士団長はこう考えて、常に自分を律しているのだ。
「緊急の用件があったと聞いていた」
「はい。北部鎮圧軍から伝令が届きました」
北部鎮圧軍はエリザベスが起こした、とされている、反乱を鎮圧する為に派遣された軍の呼称だ。
「どのような内容かな?」
ジークフリート王の心に不安が広がる。北の情勢は自分の思い通りにいかない唯一の、とジークフリート王が思っている、ことなのだ。
「北部鎮圧軍が敗北しました。総指揮官のパトリック中将は戦死。他にも多くが、いえ、正確なところは把握出来ておりません。ほぼ壊滅状態だという報告です」
「……それは……どうして、そんなことになった?」
負けるはずのない戦いだったはず。今回は、王国騎士団に大きな損害を出すことなく、北部は手に入れられるはずだった。そうであるのに北部鎮圧軍は壊滅したという。ジークフリート王には信じられない。信じたくない。
「……これもまだ確かめられたわけではありませんが」
「どうでも良い! さっさと報告しろ!」
「はっ。レグルス・ブラックバーンが現れたという情報が届いております」
「…………」
まさかという思い。やはりという思い。二つの思いがジークフリート王の頭の中を巡っている。結局、今回もまた自分の野望を邪魔するのはレグルス・ブラックバーン。この設定は変えられなかった、とジークフリート王は考えた。
「さらにゲルマニア族も参戦。降伏したブラックバーン騎士団も反乱側に寝返った模様です」
「すぐに新たな鎮圧軍を送れ。すぐにだ!」
「お伝えすべき情報はもうひとつございます」
「もうひとつ……?」
北部動乱は本来の、ジークフリート王はそんなことを望んでいないが、形になった。それだけでもあってはならないことであるのに、まだ別の報告がある。まず間違いなく良くない報告だ。
「スタンプ伯爵家から救援要請が届いております」
「はっ? また内乱? 今はそんなことに対応している場合ではないと突き返せ」
「いえ、エルタニン王国軍が侵攻してきたという報告です」
「な、なんだって……?」
「そんな?」「馬鹿な」「あり得ない」
驚きの声が出席者全員から漏れ出した。まったく想定されていない事態だ。報告は何かの間違いではないかと思っている出席者もいるくらいの。
「西方辺境伯家からも、ほぼ同時に使者が到着しました。防衛線の一部を任せていたクレイグ殿が急死したらしく、指揮下にあった軍が混乱。防衛線に隙が生まれ、エルタニン王国軍の侵入を許した可能性があるという内容です」
「…………」
そんなことがあり得るのか、ということを考える前に、クレイグの死が原因であるという内容でジークフリート王は動揺してしまう。自分の暗殺命令がこの事態を引き起こしてしまった可能性を、さきに考えてしまった。
「事実関係、事実であった場合、エルタニン王国軍の規模がどれくらいかは急ぎ確認させております」
「……どう対処する?」
対処法を自ら考えることがジークフリート王は出来なかった。過去に一度も経験していない事態。あらかじめ考えておくことなど出来なかったのだ。
「スタンプ伯爵家領に王国騎士団を派遣すべきと考えます。報告が事実であった場合、とてもスタンプ伯爵家軍で対処できるはずがなく、さらにエルタニン王国軍に領土深く侵入されることは、最終的には勝利するとしても防ぐべきです」
エルタニン王国と戦えば、最終的には勝利出来る。そうだとしても領土内で好き勝手やらせるわけにはいかない。アルデバラン王国の威信が地に落ちる、というだけでなく、農作地を荒らされ、労働力である国民を殺されることは国力の低下に繋がる。戦争を難しくしてしまうのだ。
勝ち目のない侵攻作戦をエルタニン王国が実行したのは、これが目的。王国騎士団長はこう考えている。考えさせられている。
「北はどうする?」
「もちろん、新たな鎮圧軍を編制します。西は西方辺境伯家軍の協力を得られれば、早期に解決出来るはず。北は、それまでは鎮圧ではなく、反乱の拡大を抑えることを目的とします」
侵入してきたエルタニン王国軍を追い払うのに、それほど時間は必要としないはず。西方辺境伯家軍の協力を得られれば、という条件付きだが、得られないはずがないと王国騎士団は考えている。これは西方辺境伯家の失敗が招いた事態なのだ。
「……東」
「陛下には一時、耐えて頂く必要がございます」
「……放置か」
「申し訳ございません」
三方面に同時に王国騎士団を派遣することは、出来なくはないが、無理がある。これはすでに結論が出ていることだ。
「分かった。それで行こう」
「はっ」
無理は出来ない。本当は一番脅威を感じている北、レグルス討伐に全力を傾けたいくらいなのだが、それはジークフリート王も言い出せない。領土深く侵入してきたエルタニン王国軍を放置、やりたい放題を許せ、なんてことは。
「宰相。王都周辺の貴族家に徴兵命令を出すように。それと南方辺境伯に使者を。タイラーに反乱鎮圧の協力を求めてくれ」
「……承知しました。ですが、南方辺境伯家は信用出来るのでしょうか?」
「タイラーの王国への忠誠心は疑う余地がない。それにいきなり北に送り込むこともしない。きちんと話をして、彼の気持ちを確かめてからだ」
「承知しました」
レグルスを討つのはタイラーと決まっている。なんてことを理由には出来ない。さらにジークフリート王もそれを信じきれていない。タイラーは、今回に関しては、レグルスとの関係は良かった。自分の役割をきちんと果たしてくれるか、不安に思うところもあるのだ。
だが、そうであっても南方辺境伯軍の動員は必要だ。王国は三方に敵を抱える状況になってしまった。ラスタバン王国に対しては、実際は楽観視しているジークフリート王だが、その分、レグルスとの初戦で王国騎士団は大敗してしまっている。これもこれまでなかった展開なのだ。
(……そう簡単にはいかないか。でもまあ、こうでなくてはな。まだまだこのゲームは楽しめそうだ)
決まりきったルートを、ただなぞるだけのゲームなど面白くない。順調だと思っていても、すぐに新たなイベントが起きて、攻略に苦労することになる。我ながらよく出来たゲームだと、ジークフリート王は思う。自分だけのゲームではないというのに。それを彼は分かっていない。
◆◆◆
ジョーディーはいつものように店の個室を貸し切りにして仕事を行っている。裏の仕事を行う場合が、大抵がそうだ。テーブルの上に置かれている書類の束は、各地から届いた様々な情報。その量はこれまでの比ではない。自分の組織からだけでなく、レグルスの部下からも情報が送られてきている。これまでは、まったく触れることが出来なかった情報も。
それらを分析して次の動きを考え、指示を出す、かつ王都で得られた情報を逆に各地に届けることが、今のジョーディーの主な役割。忙しさはこれまで同様か、日によってはそれ以上であるのだが、疲労感はない。やりがいがある、というのも、あることはあるのだが、少し違う。
「よろしいですか?」
思考を邪魔する声は部下のもの。それを不満に思うことはない。伝えるべきことを伝えようとしていることは分かっている。
「何かあったのかな?」
「御父上が城に呼ばれました。おそらくは、資金提供と物資調達の支援を命じられるものと思われます」
ミッテシュテンゲル侯爵家は、ジークフリート王にとって最大の金づるだ。その見返りに、というには不十分だが、様々な特権を得てきた。表には出ない特権だ。それを利用して金儲けをし、その金をジークフリート王に融通する。そういう関係をずっと続けてきたのだ。
ジョーディーにとっても都合が良かった。裏組織を作り、運営する資金もそこから出ているのだ。
「資金提供は分かるけど、物資調達の支援というのは?」
「いくつかの物資は、価格が高騰しているだけでなく、市場に出回る量が極端に少なくなっているようです。それにより、更に価格が高騰するという悪循環です」
「各地で内乱が起きているからね……ということではないのかな?」
王国の東西北で戦いが起きている。そうなれば物資の不足、高騰は当たり前。だが当たり前のことで、わざわざジョーディーの父が呼び出されるはずがない。何か特別な事情があるはずだ。
「何者かが買い占めているようです。それもどうやら、かなり以前から」
「……その何者か、というのは誰か分からないのかな?」
今の事態を予感していた者。ジークフリート王ではない。彼の指示で行われたことであれば、慌ててミッテシュテンゲル公爵家に支援を求めるはずがない。惚けて、金をむしり取ろうとしている可能性はあるが、それも違うのだろうとジョーディーは考えている。
「ナラズモ伯爵です。王国は再三、買い占めを止めるようにと伝えていたようですが、これが自分なりの王国への貢献だと言い張っていると聞きました」
「一伯爵家が王国の言うことを聞かない? 貴族とは思えない商売上手であるという話は聞いているが……」
「その財で、花街で遊びまくっていたようです」
「ああ、その繋がりか……そうだとしても驚きだ」
ナラズモ伯爵はレグルスと繋がっている。それは分かったが、そうだとしても王国に逆らうという決断は驚きだ。ジョーディーはナラズモ伯爵、ナラさんにとって花街がどういう存在であったかまでは知らないのだ。
「ただナラズモ伯爵家だけでここまでの状況になるとは思えません。他にも動いている者がいるはずだと、御父上は申されておりました」
「それが誰であろうとレグルスの繋がりであることは間違いない。それを調べることに人手を割くのは無駄だね?」
「はい」
探ろうと思っても簡単にはたどり着けない。ジョーディーの組織は影の組織ではあるが、本当に影で、闇の中で動いている裏社会との繋がりは乏しいのだ。しかも動いているほとんどはレグルスの関りなど知らない。上の者に儲かるからと言われて、動いているだけなのだ。その上の者もまた、さらに上位者に言われて。
「しかし……稀代の謀略家は今回も健在のようだ。いや、私が知る限り、過去最悪かな? 王国にとっては」
「いえ、まだこれからです。農民たちが動き出しました」
「……本当にやるのか? すべてが計画されたものだとすれば……いや、違うのだろうね? 今度のレグルス・ブラックバーンはこれまでとは違う」
農民までがレグルスに協力しようとしている。王国に逆らおうとしている。そんなことはあり得ない。あるはずがない。
レグルスは謀略で人を動かしているのではない。かつての彼とは違う。ジョーディーはそう思った。そうであることを期待した。かつてとは異なる結果を見られるとすれば、レグルスは違っていなければならないのだ。
◆◆◆
王都郊外に広がる広大な農地。そこで多くの農民たちが動き回っている。普段の農作業とは違う。彼らは農作物を育てることと、真逆なことを行おうとしているのだ。
「……本当にやるのか?」
いざ、その時が来ても躊躇いを覚える。これからの行動は、彼らにとって自らの命を削るも同じなのだ。
「やる。この土地はアオと共に汗水流して開拓した土地だ。アオが守ってくれた土地だ。ここで作った物がアオとの戦いに使われることなど、俺は絶対に許せない」
農民たちをここまで引っ張ってきたのは、リキのこの想い。自分たちの、郊外の農民たちの暮らしを良くしてくれたのはアオ。恩を仇で返すわけにはいかないと、人々を説得した。
それでも躊躇う人はいる。そういう人には、この件への関りを最低限にして罪が及ばないようにすることと、生活の保障を約束した。
「そうだな。アオがいなければ、今はない。やろう」
覚悟を決めて、合図の旗を振る。農民たちはすぐにそれに従った。農地のあちこちから火の手があがった。やがて炎は収穫後、収穫前の農作物も全て焼き尽くすことになる。王都の食を支えてきた郊外の農作物は全て灰になるのだ。
「あとは俺が見ていてやる。お前らはさっさと逃げろ」
「サム?」
そういう段取りではない。誰かが責任を取らなければならない。それは首謀者である自分だとリキは考えていた。
「前回の事件以来、ずっと虐められ、恨みを抱いていた俺が火をつけた。そういうシナリオだ」
「何を言っている?」
「そういうことにしてくれ。俺に生き続けてきた意味を与えてくれ」
アオに救われた。裏切った自分をアオは助けてくれた。何もかも失った自分に、アオとリキは居場所を与えてくれた。感謝してもしきれない恩。少しでも返せるとしたら、今しかないとサムは考えていた。
「捕まったら今度こそ殺される」
「とっくに失くしていたはずの命だ」
「……出来ない」
仲間を犠牲にして助かろうとする、なんて真似がリキには出来ない。
「リキ、頼む。俺にも少しくらい恰好つけさせてくれ。このままじゃあ、俺、自分が情けなくて情けなくて」
「そんな風に思う必要はない」
「思うんだよ! 俺は駄目な人間だ! どうしようもない裏切者だ! この想いが消えない! 優しくされれば優しくされるほど大きくなるんだ!」
「……サム」
そんな風に思っているとは知らなかった。少しずつ、確実に関係は修復していると思っていた。サムの内面の想いに気付けなかった。
「頼む。あとは俺に任せてくれ。俺に、俺もアオの仲間だったと誇らせてくれ。頼む!」
両目から大粒の涙を流しながら頭を下げるサム。その想いは理解出来る。理解出来るが、心が受け入れられない。味方の犠牲を良しとすることがリキには出来ない。
「……じゃあ、後は任せた」
「おい?」
リキは受け入れられない。そうであれば代わりにサムの想いを認めてあげる必要がある。そういう仲間がリキには、サムにもいるのだ。
「粘れよ? すぐに処刑されないように粘っていれば、またアオが助けてくれるさ」
「……それ、恰好悪くないか?」
またアオに助けてもらえることを期待する。それでは恰好つけたことにならないとサムは思った。そう思って、泣き顔に笑みが浮かんだ。
「お前が恰好つけられるはずがないだろ? サムはサムだ」
「……そうだな。俺は俺だ」
「また会おう。会って、一緒に働こう」
「ああ、また」
別れ際は笑顔で。それくらいの恰好はつけられそうだ。アオが、レグルスが助けてくれる保証なんてない。そんなことはサムにも分かっている。自分の想いをリキに受け入れさせる為の方便だと。
「……サム……また会おう」
結果、リキも受け入れた。アオを信じる想いがそれを可能にした。
「ああ。また……本当の仲間として」
「お前はずっと本当の仲間だ」
「……ありがとう」
結局、サムは恰好をつけることは出来なかった。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、仲間たちと別れることになってしまった。相手も似たようなものだから恥じることなどないが。
こうしている間にも火は広範囲に燃え広がっていった。王都には一時、食糧不足の不安が広がることになる。王国軍の物資調達はさらに困難になった。