エリザベスを担いだ反乱は、それを起こした側にとっては上手く行っていない。要因はいくつかある。ひとつは、反乱を起こす側であるのに後手に回ってしまったこと。エリザベスが旗印となる前、アルデバラン王国とブラックバーン本家に反旗を翻した人たちは、積極的な攻勢に出なかった。降伏を決めた本家は許せない。だが、それに従い続ける家臣たちには恨みはない。ブラックバーン騎士団同士、分家の軍同士の戦いを躊躇ってしまったのだ。
それに比べて、王国の動きは速かった。降伏したブラックバーン騎士団も含めて、部隊を展開して要地を押さえるとともに、旗幟が曖昧な分家や家臣たちの懐柔をベラトリックスに命じて、行わせた。反抗の拡大を押さえてみせたのだ。
エリザベスが反乱側に加わったのは、このタイミング。これ以上、状況が不利にならないようにする為だ。それは一定の成果をあげた。王国に逆らうのではないという言い訳は、ブラックバーン本家への怒りを露わにするのに役立った。
だがそれに対する王国の対応も迅速だった。素早く増援軍を編制し、北に向かって進発させた。それも三神将の一人、パトリック中将を総指揮官として。さらにその情報を秘匿することなく、逆に広めることで、日和見のブラックバーン家の家臣たちを味方に引き込んだ。本気の王国騎士団を相手にしては勝ち目はないと、ほとんどが思ってしまったのだ。
これでエリザベスが反乱側の旗印となった効果は、打ち消されることになった。戦前の駆け引きはここまでで終わり。あとは戦場で決着をつけることになる。戦いは王国側の優勢に進んだ。王国側に戦意が乏しいブラックバーン騎士団がいることで、なんとか五分以上の戦いを行っていた反乱側だが、王国騎士団はその穴を埋め。さらに量と質で上回ってきた。完全に劣勢に追い込まれてしまったのだ。
「……噂通りの実力だ。悪いことは言わない。降伏して王国に仕えろ。私が取りなして、必ず罪に問われないようにしてやる」
「王国騎士団の騎士は口で勝敗を決めるものなのか?」
「なんだと? 私はこのまま死なすのは惜しいと言っているのだ」
追い込まれた反乱側の指揮官ジャラッドは、総大将同士の一騎打ちを申し込んだ。苦し紛れの策だが、幸運なことに相手は乗ってきた。
ただ、圧倒的に自軍が優勢となった状況で、一騎打ちに応えるだけの実力がパトリック中将にはある。個人ではブラックバーン騎士団一の実力者であるジャラッドも苦戦するほどの実力だ。
「私はまだ負けていない。負ける時は死ぬ時だ」
「その気概も団長が好むもの。だが、ここで死んでも無駄死になるだけだ。考え直すのだな?」
パトリック中将が一騎打ちに応じたのは、勝てる自信がある上で、それで決着がつけられると思っているから。ジャラッドが降伏すれば、反乱軍全体が降伏することになる。エリザベスは所詮、飾り物。軍をまとめているのはジャラッドだと分かっているのだ。
「そうはならない。私がここで倒れても、まだ我々には戦う力が残っている」
ジャラッドは自分の死を無駄死にとは思わない。反乱軍にはまだ余力がある。全戦力がこの戦場に投入されているわけではない。結果、それが苦戦を強いられる理由となっているのだが、この戦いに負けても終わりではないのだ。
「粘っていないで、さっさと負けを認めろ」
「何?」
この声はパトリック中将のものではない。ジャラッドの後ろから聞こえてきた声なのだ。
「負けを認めて、さっさと下がれ。それで俺がそいつを倒せば、俺のほうがお前より強いことが証明される。借りを返せる」
「……レグルス、様」
後ろにいたのは、まさかのレグルス。ジャラッドにとっては、いるはずのないレグルスがそこにいた。
「えっ? そこまで驚く……もしかして、リズは教えてなかったのか?」
「それが貴方が生きていることを指しているのであれば、聞いておりません」
「あら? 驚かせようとしたのかな? まあ、これは後で聞くしかないか。さっさと下がれ。下がって次の戦いに備えろ」
エリザベスは、レグルスが考えたように、ジャラッドたちを驚かせようとしたわけではない。決着がつく前にレグルスが戦場に到着出来るかは分からなかった。間に合わない場合のことを考えて、下手に期待を持たせては良くない。伝えるにしても、ぎりぎり最後。もう駄目だと思うような状況になった時の最後の支えとして使おうと考えていたのだ。
「……勝てるのですな?」
「俺は誰だと思っている? レグルス・ブラックバーンだぞ」
「その名を……その名を名乗られますか。ブラックバーンの名を」
レグルスはとっくの昔にブラックバーン家を捨てた。レグルスという名さえ、捨てようとしていた。それをジャラッドは知っている。だが今、レグルスはブラックバーンの姓を使った。それが、彼の立場では、すごく嬉しかった。
「この名を使わないで、この戦場に立てるか。北部動乱の盟主はレグルス・ブラックバーンだと決まっている」
「……承知しました。あとはお任せ致します」
根拠のない自信、とはジャラッドは思わない。今のレグルスは、ふざけた態度を見せているようでいて今のレグルスは。今まで戦っていたパトリック中将より恐ろしさを感じさせる。こうジャラッドは思っていたのだ。
「レグルス・ブラックバーン。生きていたか」
「やっぱり、王国騎士団の将って偉そうだな? 仲良くなれそうにない」
「反逆者に見せる礼儀など持たない」
「そんなものは求めていない。口喧嘩も。さっさと始めるぞ、殺し合いを」
このままパトリック中将には一騎打ちを続けてもらう。考える間を与えたくはないのだ。
「良いだろう。噂ばかりが先行する貴様の実力を曝け出してくれる。ただの張りぼての虎であることをな」
「こっちの台詞だ」
パトリック中将は一騎打ちを受け入れた。となれば、あとは倒すだけ。数の劣勢を覆すには、相手の戦意を挫くしかない。三神将の首は、それにはうってつけなのだ。
間合いを詰めて、剣を振るうレグルス。パトリック中将はそれを軽く受け止め、力技で押し込んでくる。それをレグルスは受け流すと、またすぐに攻撃に転じた。息つく間も与えないほどの連撃。一気に勝負を決めようとしている。対戦を見ている人たちはそう思った。
「うぉおおおおおっ!!」
雄たけびをあげたパトリック中将。それにわずかに遅れて、レグルスの体が後ろに吹き飛ぶ。片手を地面について、宙で一回転。軽業師のような動きで、レグルスは地面に立った。
「……魔法を、いや、魔力を使えるのか」
自分の体を吹き飛ばした衝撃波。それは魔力だとレグルスは考えた。魔法という言葉を使わないのは、魔力をただぶつけてくる力技のようなものだったから。自分とアリシアが使うのと同じ。何の変換もない魔力をそのまま力に変えているからだ。
「その程度の攻撃で、私を倒すことは出来ん! 体にも届かん!」
「届いているけど?」
「何? まさか……?」
レグルスに言われて初めて気が付いた小さな頬の痛み。触った手の甲についていたのは、確かに血だった。
「貴様……」
「まさかと思うけど、魔力を戦闘に使えるのは王国騎士団の騎士だけだと思っている? だとしたら、無知過ぎるだろ?」
これはレグルスの嫌味だ。本当にそう思っているわけではない。貴族のほうこそ、魔法は得意、逆にこの世界ではこう考えられている。一般常識だ。
「……なるほど。侮れない相手ではあることは理解した。本気で行かせてもらおう」
「本気があるなら、さっさと出せ!」
持っている剣を一閃。剣先から伸びた黒い影が、パトリック中将を襲う。
「舐めるな!」
それに対して、パトリック中将も剣を振るう。レグルスが放った黒い影と、パトリック中将の体から発せられた白い光が交差する、と見えた瞬間、衝撃音が響いた。
「手の内が分かってしまえば、もう通用しない!」
今度はパトリック中将が攻撃に転じる番。そんな約束事があるわけではないが、パトリック中将は攻勢に出た。剣を振るう、と同時に反対側の拳から魔力が放たれる。
近接攻撃と同じく近接ではあるが魔力という飛び道具。同時に二つの攻撃を受けたレグルスは、躱し続けるので精一杯。なかなか逆襲に出られない。
息つく間も与えない攻撃を続けるパトリック中将。さきほどと攻守は完全に逆転した。
「ちっ」
舌打ちをして大きく後ろに跳ぶレグルス。逃がすまいとパトリック中将も前に出て、攻撃を継続するが、レグルスはその攻撃の勢いを利用して、さらに後ろに飛んだ。
「空いた」
間合いが出来たところで、剣を一閃。宙に伸びる黒い影がパトリック中将に襲い掛かる。
「同じ手は通用っ……! な、なんだと……?」
同じ手は通用しない。同じ手は。レグルスの攻撃はこれまで見せたものではなかったのだ。パトリック中将の体を貫いたのは足元から突き出てきた黒い影。剣から放たれた魔力は囮だった。
「騎士団長相手に取っておくはずだった俺の必殺技を……さすがは三神将なんて恥ずかしい名を名乗るだけのことはあるか」
使った攻撃はレグルスのとっておき。これまで一度も人前では、正確にはエモン以外には、見せたことのない技。何年も地道な鍛錬を続け、ようやく取得した技だった。
「総指揮官を討たせるな!」「パトリック中将様を守れ!」
「えっ、そういうの有りなの?」
王国騎士団からいくつもの小隊が飛び出してきた。レグルスがパトリック中将にとどめをさすことを防ぐ為に飛び出してきた将兵たちだ。一騎打ちなのだから手出しは出来ないはず。レグルスのこの認識は誤っている。一騎打ちはレグルスの勝ちで終わったが、だからといってパトリック中将が殺されることを許すわけではない。この戦場から去るわけでもない。そんな約束はしていない。
「……だったら、こちらも出し惜しみはなしだ!」
レグルスはまだ奥の手を隠していた。技としては同じものだ。だがその技は一騎打ちだけに使うものではない。威力を発揮するのはその逆。集団との戦いにおいてだ。
レグルスの剣から幾筋もの黒い影が伸びて行く。地面を這う、その影が作った影、のように見える黒い魔力も同時に。その影を王国騎士団の先頭を走っている将が踏んだ瞬間、黒いとげのように見えるものが地面から立ち上がった。何本も立ち上がって、将兵たちの体を粉砕した。
戦場に驚きと沈黙が広がる。五小隊が一瞬で全滅したのだ。わずか五十人ほどとはいえ、それが百人、二百人にならないとは限らない。その恐怖を、人々は知ってしまったのだ。
◆◆◆
信じられない光景。王国騎士団の将兵たちは、レグルスが放った技を知らない。見たことも聞いたこともない。三神将の一人、パトリック中将が一対一で敗れるという結果も信じられないものだが、この可能性はまったく考えていないわけではなかった。少なくとも、副指揮官を任されていた十騎将の二人は、レグルスの実力がこれまで知られているようなものではないことを感じていたのだ。
「……あれは、なんだ?」
だとしても、レグルスが放った技は驚きだ。技の限界はまだ分からない。もしかするとこうして、この場所に留まっていることも間違いなのかもしれない。
「……影(シャドウ)だ」
副指揮官の一人、カートの誰に向けたものでもない問いに答える者がいた。
「ベラトリックス殿……それはブラックバーン家の……?」
北方辺境伯の、元というべきかもしれないが、ベラトリックスだ。彼も戦いに同行させられていたのだ。王国の悪意によって、家臣と元家臣が殺し合う場に立ち合わされていた。
「あの馬鹿者が……隠し事ばかりで、まったく自分を見せようとしない」
「ベラトリックス殿!? あれはブラックバーン家の奥義で間違いないのですか!?」
「知らん。私は使えないからな。父も使えなかった。見たことがある者に私は会ったことがない。だが、あれが影(シャドウ)でなくて、他の何がそうなのだ?」
影(シャドウ)はブラックバーン家の奥義、ではあるが、使える者は滅多に現れない。王家の未来視と同じようなものだ。どういう技であるかは文書にしたためられているだけ。その内容とベラトリックスが今、目の前で見たレグルスの技は、どう考えても同じものだった。
「あれの威力は?」
「知らん。あの馬鹿以外には使えないのだ。威力もあの馬鹿息子以外は知らない。まったく……」
ベラトリックスは心底呆れた。どこまで自分は信用されていなかったのか。父親として認められていなかったのかと思って、情けなくなった。
腹立ちを言葉にして少し吐き出したところで、歩き始めるベラトリックス。
「ベラトリックス殿、どこに行かれる?」
「私が為すべきことを為す」
これだけを告げて、さらに歩みを速めるベラトリックス。カートの問いも彼を苛立たせる。何もかもが嫌になった。
「……この馬鹿息子。どこまで私は侮辱すれば気が済むのだ?」
ベラトリックスが向かった先はレグルスのところ。開口一番、文句をぶつけた。
「どういう意味だ? それに俺はお前の息子ではない」
「いや、お前は私の息子だ。だが、ほとほと嫌になった。もうお前のことは気にしない。好きにやれ」
レグルスは本当に自分の子なのか。どうしてここまで自分に似ていないのか。自分よりも、ある面では極めて優秀な子が生まれてきてしまったのか。ずっとこれらのことを考えてきた。考えてきた自分が嫌になった。
「言われなくてもやっている」
「そうではない。ブラックバーン家はお前の好きにしろと言っているのだ」
「……はい?」
レグルスの予想外の言葉。「そんなものはいらない」と咄嗟に反応することも出来ないほどの、驚きの言葉だった。
「影(シャドウ)はブラックバーン家の奥義。それもブラックバーン家の人間であれば誰でも使えるというものではない。それを使えるお前以外の誰に当主の資格があるというのだ?」
「いや、今更そんなこと言われても」
「拒絶は許さない! 良いな!? ブラックバーン家の当主はお前だ! 私はお前に当主の座を譲る!」
声を張り上げたのは、レグルスではなく、周囲に聞かせる為。ブラックバーン家の当主はレグルスであると、周囲に宣言したのだ。
その意味するところは、王国騎士団にも分かる。
「何故、ベラトリックス殿を行かせた!?」
カートに文句を言ってきたのは、もう一人の副指揮官。同じ十騎将のブレンドンだった。
「すまない。まさか、この状況であんなことを言い出すとは思わなかった」
「そうだとして――」
『セイヤッ!!』
二人の会話を中断させる、突然、戦場に響き割った声。反乱軍から聞こえてきた声だ。
『ハッ!!』『オォ!』『ハーッ!!』
さらにその声にいくつもの気合の入った声が続いていく
『ブラックバーンッ!!』
『『『おぉおおおおおおおおっ!!』』』
知る人は知っている。これはウォークライ。ブラックバーン騎士団が戦いの前に行う儀式であることを。
『『『我が心は剣っ! 我が身は盾っ!』』』
騎士たちが叫ぶ。地を踏む音。拳が空を切る音。ひとつひとつの動きが生む音が、音楽のリズムのように聞こえてくる。戦士たちの心を、これ以上ないほどに、高ぶらせていく。
これはウォークライのおかげなのか。自分たちの戦いが正義であると信じさせてくれる当主を戴いたことによるものか。
『『『たぎれ、我が血っ! 燃えよ、我が命っ!』』』
『『『いざ、戦いの時っ! 我らの時っ!』』』
ブラックバーンの戦士たちの心の高ぶりが、戦場を熱くする。これを見て、これを聞いて、戦士の誇りを奮い立たされない騎士などブラックバーン騎士団にはいない。
『『『死を恐れるなっ! 汚名を恐れよっ!!』』』
あらゆる危機を乗り越えてきた。国の存亡を賭けた戦いの場で、ウォークライは戦士たちを鼓舞してきた。敵を粉砕してきた。
『『『我らはブラックバーン!! 強き者たちなり!!』』』
『ブラックバーン騎士団! 突撃っ!!』
ジャラッドの号令で、ブラックバーン騎士団が一塊となって突撃をしかける。数の不利など関係ない。ブラックバーン騎士団は最強。この戦いは、これを証明する絶好の機会なのだ。
「来るぞ! 前衛、突撃」
「違う! 迎撃態勢を取れ!」
ブレンドンの命令を否定し、逆の命令を叫ぶカート。総指揮官であるパトリック中将が討たれたせい、ではあるが、彼が突撃を命令しても、カートは同じことをしただろう。
「何だと!? 将兵を混乱させるな!」
「混乱させない為だ! ブラックバーン騎士団は全て敵だと思え!」
「……しまった。そうだった」
ベラトリックスの自由を許した結果だ。ブレンドンはこうなることが分かっていて、カートに文句を言ったのだ。その本人がブラックバーン騎士団の突撃に焦って、そのリスクを忘れていた。
「守りを固めろ! ブラックバーン騎士団は全て敵と考えろ!」
「……ブラックバーン騎士団だけではない。後ろを見ろ」
「何……? あ、あれは……ゲ、ゲルメニア族か!?」
反乱軍の余剰戦力。それはゲルメニア族だ。ゲルメニア族は王国に反抗するブラックバーン騎士団と分家の軍に合流しなかった。モルクブラックバーンのディアーンが説得にあたっても「時期ではない」という答えしか得られなかった。その「時期」が今訪れたのだ。ゲルマニア族は大きく迂回して、王国騎士団の背後に回り込んでいたのだ。
本当の北部動乱が、この日、始まった。