ジークフリート王はご機嫌だ。いくつかの誤算はあったが、主導権を握ってからは、自分が求める通りに物事は進んでいる。順調と評価できる状況だ。
姉のエリザベスは行方不明。所在が明らかになることはない。すでに死んでいて、死体はどこかに埋められている。たとえそれが見つかっても、エリザベスだと特定する術はこの世界にはない。素性に繋がるようなものは全ては剝ぎ取られて、つまりは裸で埋められているはずなのだ。
兄のジュリアンはまだ健在だ。だがその命も、もう長くはない。ラスタバン王国との戦いは始まっている。ラスタバン王国は侵略者だ。逆侵攻の大義名分を得られた今はすでに用済み。戦いのきっかけとなるジュリアンとキャリナローズも用済みだ。密かに、暗殺とは気付かれないように、殺されることになる。その指示を止めているのは、北が落ち着くのを待っていたから。
その北、北方辺境伯家への対応も上手く行った。ブラックバーン家の当主ベラトリックスは無条件降伏を受け入れた。命を助けたことをジークフリート王は譲歩したとは思っていない。無実の罪を着せて北方辺境伯の地位と領地を奪ったのだ。命を奪わないでおくことは情けをかけたことにもならない。あえて不満な点をあげれば、一部の家臣たちに反抗の兆しがあるという報告があったこと。だがそれも些細な問題だ。王国騎士団に被害を出したくないのであれば、ベラトリックスに鎮圧を命じれば良い。ブラックバーン家の元家臣をブラックバーン騎士団に討たせる。それはそれで、ジークフリート王は愉快だ。
残るは西と南。西のほうは予定通りだ。クレイグの暗殺は成功した。命じた者たちはまだ誰も戻ってこないが、別に気にしていない。クレイグを殺せれば、それで目的は果たせた。あとはエルタニン王国侵攻を西方辺境伯家に命じる。その結果、相討ちになれば最高の結果だが、そこまで都合よく物事が運ぶとはジークフリート王も考えていない。エルタニン王国を制圧したあと、もしくはその直前に現西方伯、クレイグの父親を暗殺する。それで西方辺境伯家は跡継ぎなく、取り潰しになる。ジークフリート王がそうする。
東西北の辺境伯家が滅びてしまえば、もう恐れる相手はいない。またなんらかの誤算が生じた場合に利用する戦力として生かしているタイラーも用済みになる。追い込んでも南方辺境伯家単独では抗えるはずがない。王国の全ては、本当の意味でジークフリート王の物になる。
それで第二段階は終了だ。そこから先は弱っているエルタニン王国を占領するか、ラスタバン王国に軍を向けるか。周辺国を吸収し、世界制覇を成し遂げる。ジークフリート王の野望はそれでようやく叶えられることになる。ゲームはコンプリートになる。実際に終わらせるかは別だ。そこまでの過程が楽しいのだ。おしとやかな女性を淫乱に堕とすことも、気位の高い女性を屈服することも楽しい。今回、何故か初めて、花街という存在を知った。花街を手に入れることは失敗した。それを成功させる為に、またゲームをやり直すことも悪くない。リセットはジークフリート王だけに許される特権なのだ。
「……どういうことかな? 即位式をやるべきだと言ってきたのは宰相、君だよね?」
上機嫌が続いていた毎日だったが、ここで小さな躓きが起きた。大勢には影響しない小さな躓きだが、ずっと順調に進んできた状況での出来事に、ジークフリート王はかなり不満気だ。
「即死式は行います。ただ。教皇猊下が出席出来ないだけです」
国王即位は、形式だけだが、教皇が認める。神々に認められた王であることを、神々に代わって、教皇が証明するという形だ。
だが今回、教会から即位式に教皇は出席できないとの連絡が届いた。宰相は教皇が出席しないだけ、とあえて軽く話しているが実際は過去に例のない異常事態。即死式がそういう形式になって以降、教皇が認めなかった国王など一人もいないのだ。
「出席しない理由は?」
「体調不良だと申しております」
「だったら、まずは新しい教皇を立てたらどうかな? 即位式はそのあと」
ジークフリート王は即位式の開催を急いでいない。元々はやる気のなかった式典。だが、周囲はいつかはやるべきだと言い続けてきており、北方辺境伯家が降伏し、反乱が鎮静化することが見えた今、具体的に話を進めようと動き出したのだ。その矢先の、まさかの出来事なのだ。
「教皇の座は終身制。亡くなられるまで教皇であり続けます」
「じゃあ、さっさと殺せば?」
「…………」
「冗談。冗談だよ。そもそもこういう事態になったのは私の責任じゃない。君たちの問題なのから、君たちが解決するべきだ」
ジークフリート王の責任だ。桜太夫を、孫娘を殺された教皇が即位式に出席するはずがない。ジークフリート王を祝福することなどあり得ない。
「承知しました。即位式については我らが調整し、事が進んだ段階で改めて陛下にご相談させていただきます」
先延ばしを宰相は選択した。そうするしかない。宰相も何故、教皇が即位式への出席を拒むのか分かっていないのだ。時間の経過が解決してくれることを期待してしまった。
「こういうのはもう止めてくれ。今は国内制覇に全力を傾けるべき時。宰相も分かっているはずだ」
「……はい」
「北方辺境伯領の接収は進んでいるのかな? 騒いでいる者たちは大人しくなったのか?」
国内制圧の段取りは、ほぼ完了、ジークフリート王としては次のステージに進みたい。国外への侵攻は彼も初めての経験。知識はないのだ。どのようなイベントが起きるか分からない状態であるので、慎重に事を進める必要がある。時間が必要なのだ。
「それについては王国騎士団長からの報告を」
軍事に関して宰相の出番はない。本来は軍事についても宰相がまず把握し、その上で国王に報告されるものなのだが、ジークフリート王がそれを認めない。自分以外に全てを把握する存在を必要としていないのだ。
「まずは重要な報告を」
「そういうのがあったのか? すまない。無駄に待たせてしまった」
即位式の話は本当に無駄だった。宰相に対するジークフリート王の苛立ちは、また強くなることになった。ただ宰相にも言い訳はある。あらかじめ騎士団長から話を聞いていれば、その話を先に行った。それを出来ないようにしているのは、ジークフリート王なのだ。
「いえ。北部動乱についてです」
「北部……動乱?」
北部は、無条件降伏を受け入れられないブラックバーン家の家臣の一部が騒いでいるだけ。ジークフリート王の認識はそうだ。動乱なんて呼ぶほどの規模ではないはずだった。
「はい。反抗は北部動乱と呼ぶべき規模まで膨れ上がりそうな勢いです」
「そんな馬鹿な!? どうしてそんなことになる!?」
そんなはずはない。北部は上手く行っていた。北部動乱の芽は完全に積んだはずだった。
「反乱勢力の旗印が」
「まさか!? レグルスか!?」
レグルスが生きていた。この可能性がジークフリート王の頭に浮かんだ。北部動乱の旗印はジグルス・ブラックバーンの役割。この世界はそれを守ろうとしているのだと。
「……いえ、担ぎ上げられたのは、どうやらエリザベス殿下のようです」
「なんだって……?」
王国騎士団長が伝えてきた名は、レグルスよりもさらにあり得ない人物。エリザベスが北部動乱の盟主になる想定など、ジークフリート王にはない。そんなことはあり得ないことだった。
「はっきりと確認したわけではございません。しかし、反乱側はエリザベス殿下の名で味方を募っております。味方になるのは王国に刃向かうことではない。王国の為に戦うことだという主張であります」
「……嘘だ。リズの名を騙っているだけだ」
「その可能性は大いにあります。ですが、今はまだ真偽は定かでなく、反乱側の勢いが増す結果になっているのは事実であります」
王家の人間が旗印になって、国王の誤りを糾弾している。それでたちまち反乱側が圧倒的に有利になるわけではないが、反乱に組するハードルは確実に下がる。王国への反逆と、王国を正す為の戦いでは受け取られ方がまったく違うのだ。
「騎士団長はどう対処するつもりかな?」
真実が明らかになるまで傍観、なんて選択はない。本物のエリザベスで、それによって反乱側がさらに勢いを増す事態になるのは、絶対に避けなければならない。ジークフリート王が知る北部動乱の規模まで拡大させてしまっては、今回も失敗ということになってしまうのだ。
「速やかに鎮圧部隊を編制し、北部に送ります。今の戦力では完全に抑えきれる保証はございません。大人しく従っているブラックバーン騎士団の中から寝返る者が出る可能性もあります」
「確かに。すぐに動いてくれ。事が大きくなる前に鎮圧するんだ。リズは……本当にエリザベスであっても構わない。反逆の罪は王家の人間でも許されないからね」
本当にエリザベスが生きて、反乱の旗印になっているのであればまた、今度こそ、殺すだけ。レグルス相手ほどの脅威を感じる必要はない。王女という肩書が人を惹きつけても、エリザベスに軍事的才能はないのだ。
こう考えるジークフリート王は分かっていない。これが始まりであることを。自分の野望を妨げようとするものはレグルス。それに変わりはないことを。ゲーム世界は全て自分に都合良く動くわけではないことを、彼は忘れているのだ。
◆◆◆
東方辺境伯領での戦いは激しさを増している。数はラスタバン王国側が圧倒的。キャリナローズたちは善戦しているほうだ。それを可能にしているのは、キャリナローズに従うホワイトロック騎士団が優秀であるから、だけでなくジュリアン率いる騎士団の力も大きい。精鋭と評して良い騎士たちが集まっているのだ。戦闘力はかなり高い。
だがその善戦も終わりの時を迎えようとしていた。
「おい!? 大丈夫か!? 生きているか!?」
倒れている騎士に、懸命に声をかけるジュリアン。相手は白金騎士団の騎士。ジークフリート王に切り捨てられたと言って、後から合流した騎士だ。
「……い、生きてはいます」
「そうか。それは良かった」
「……殿下、申し訳ございません」
騎士は涙を流しながらジュリアンに謝罪を告げてきた。
「何を謝る? お前は私の命を救ってくれた。私はお前に感謝している」
「しかし……もっと早く、私が裏切りに気が付いていれば……」
白金騎士団はジュリアンを裏切った。戦闘が行われている中、ジュリアンとキャリナローズを暗殺しようとした。そんな中で、この騎士だけがジュリアンを守ろうとして深手を負ったのだ。ジュリアンとしては感謝しかない。
「貴方は良くやってくれたわ。そんなことは考えず、今は休みなさい。傷を癒すことだけを考えていれば良いの」
キャリナローズも彼には感謝している。彼が裏切者たちの動きに気付いて、身を挺して守ってくれなければ。自分は死んでいた。キャリナローズも完全に不意を突かれていたのだ。
「おい? 彼を安全な場所に運んでやってくれ」
近くにいる騎士に、ジュリアンは彼を安全な場所まで後退させるように命じた。このまま彼を死なすわけにはいかない。たとえ自分たちが死ぬことになっても。こう考えているのだ。
「……ジークの裏切りは明らか。でも今更ね?」
「ああ、最初からこうするつもりだった。ラスタバン王国の侵攻さえ、ジークの策略ではないかと疑っているくらいだ」
「そこまでのことが出来るとは……彼を見損なっていたかしら?」
そのような真似がジークフリート王には出来る。学院時代の彼からは想像できない才だ。キャリナローズはジークフリートに対する自分の評価の甘さを反省することになった。自分で言った通り、今更だ。
「援軍は来ない。下手すれば敵が増えるか」
「その前に、次の攻撃を耐えきれるか。こちらのダメージは大きいわ」
白金騎士団は暗殺を試みただけではなく、失敗して逃げるついでに。背後からホワイトロック家軍に襲い掛かった。これもまた完全に不意を突かれた状態。味方は大混乱に陥り、戦線が大きく乱れている。
その隙を敵が見逃すはずがない。敵軍に逃げ込んだ白金騎士団が攻勢に出るように伝えるはずだ。
「お困りですか?」
「えっ?」「何者だ!?」
「突然の訪問、驚かれたことでしょう? 申し訳ございません。私、亡くなられた東方辺境伯様にお許しを頂いで『何でも屋』を営んでいる者でして」
現れたのは「何でも屋」。何でも屋を知っている人であれば、これでピンとくるところだが。二人はそうではない。
「……ふざけているの?」
キャリナローズはそうではなかった。
「とんでもない。何かお手伝いできることがあるのではないかと思い、お声を掛けさせて頂いただけです」
戦場に突然現れて、何でも屋だと名乗る男。こんな怪しい相手はいない。頼み事など出来るはずがない、とキャリナローズは考えたのだが。
「何を頼める?」
「ちょっと!?」
ジュリアンは違った。突然、このタイミングで男が現れたことに意味を感じた。
「何でも屋、ですから何でも。そうですね……今なら喧嘩の助っ人などいかがですか? 腕の立つ喧嘩屋がおりますが?」
「喧嘩屋……確か、王都の花街にそんな者がいると聞いたな?」
男の話でジュリアンは確信した。喧嘩屋という商売をジュリアンは知っている。エリザベスから教えられていた。その商売を誰がやっていたかも。
「申し訳ございません。その者は今は別の仕事に出ております。ですが、花街デビューはしておりませんが、ご推薦の者も実力は劣るものではございません」
「別の仕事……間違いなく、代わりが務まる者なのだな?」
レグルスではない。だがレグルスの代わりを務められるだけの強者。そういう人物にも、ジュリアンは心当たりがあった。
「はい。そうでなければお客様にお勧めはいたしません」
「では、頼もう」
「ジュリアン!? 本気なの!?」
何でも屋に助っ人を頼むジュリアンに驚くキャリナローズは、また分かっていないのだ。その助っ人は彼女が一番喜ぶ相手であることを。元々はそうだった、というのが正確だが。
「すぐに動けるのか?」
「はい。もう動いております。ほら、あそこに」
男が指さす先には前線に向かって駆け出している人々の姿があった、一人ではない。十人はいる。
「……背中だけでは分からないな。それに、あの目立つ服はなんだ?」
背中だけでは思い浮んでいた人物であるか分からない。しかも中の一人は何だか分からない変な服を着ている。
「あれは羽織と申します。背中に描かれている文字は『真二代 胆勇無双』。喧嘩屋の誇りです」
「……どういう意味だ?」
言葉で説明されてもジュリアンには分からない。「胆勇無双」という言葉は初めて聞く言葉なのだ。
「真二代の真は、すでに二代を名乗っている者がおりまして。実の娘としては、義理の弟に二代を継がれるのは悔しい。自分こそ本当の二代目だという自己主張です」
「そうか……あれがアリシアか」
「えっ……?」
「胆勇無双」の意味を聞く前にジュリアンは知りたいことを知った。間違いなくアリシアであることが分かった。その呟きに驚いたのはキャリナローズだ。
「喧嘩屋というのはレグルスのことだ。リズから聞いている。その義理の姉というのは、アリシア以外にいないだろう? 何故、義理の姉なのかは分からないが」
「生きていたの?」
「いえ、お話されているレグルス殿とアリシア殿は亡くなりました。アオとアリス、いえ、リサであれば元気にしておりますが」
キャリナローズの問いを何でも屋は否定した。どうでも良いことだが、こういう言い方のほうが面白いと思ったのだ。
「だがそのアオとリサに私は会ったことがある。キャリナローズ殿も良く知っている相手だな?」
「そうだと思います」
アオとリサと今は名乗っているだけで、レグルスとアリシアであることを隠すつもりはない。隠しても意味はない。彼らが戻ってきて、顔を見れば分かることだ。
「しかし……十人で勝つと?」
「攻勢を止めるだけ。この戦いそのものを終わらせるには、もう少し時間が必要ですので」
さすがに十人でラスタバン王国を追い返すつもりはない。今の不利な状況を挽回することが目的だ。ラスタバン王国の侵攻そのものを終わらせるには、別の方策が必要になる。
「それでも驚きだ」
「白金騎士団など……そいつらを鍛えたのは誰だと思っているのですか?」
白金騎士団の騎士たちを鍛え上げたのはアリシア。全てが全てアリシアではないが、魔力の使い方を教えたのは間違いなく彼女だ。
その彼女が、人を殺めることへの躊躇いを消し去って、戦いに向かったら。白金騎士団の団員たちは、王国の人々は、まだ彼女の本当の実力を知らない。ゲームの中で「白銀のアリシア」との異名を持つ彼女の本当の強さを。
「そんなそいつら以上に別の人に厳しく鍛えられた人たちも同行しています。とりあえず、白金騎士団は全滅させて戻ってくるのではないですか?」
「……黒色兵団か」
アリシアと共に戦うのは黒色兵団の団員たち。それでもレグルスはいない。他の場所で仕事、という何かを行っている。その目的はジークフリート王を倒すこと。アルデバラン王国を滅ぼすことであるかもしれない。
どちらでもジュリアンにとっては問題ない。アルデバラン王国はもう彼が守るべき国ではない。ジークフリートを王に戴く国など滅んでも構わないと思っているのだ。