東方辺境伯領ほどではないが、西方辺境伯家の状況も慌しい。辺境伯家は王国の守りの要、とはなっているが、近年は自国の領土を攻められることなど、ほとんど想定していない。一方的に攻め込む側だったのだ。
そうはいっても備えは万全。エルタニン王国軍が全力で攻め込んできても跳ね返す自信が、西方辺境伯家にはある。その為の準備を着々と進めている。
本当はこちらから攻め込みたいところなのだ。国境に軍を展開したというだけで、攻め込む理由は十分。先に仕掛けたのはエルタニン王国なのだから後ろめたく思う必要はまったくない。そんな思いがあっても、他国に文句は言わせない状況は出来上がっている。
だが西方辺境伯家軍は守りの備えに専念している。そうするように王都から命じられたからだ。エリザベス王女のエルタニン王国への輿入れは確定。それが無事に終わるまで、戦いを引き起こすなとまで言われている。
「そうは言っても、僕も暇なわけではなくてね? 何の用かな?」
「…………」
自領に戻ったクレイグも、久しぶりの帰省をゆっくりと楽しんでいる暇はない。丁度良い機会だとされて、一軍の将として戦いの準備をやらされている。まだ不慣れなこともあり、かなり忙しいのだ。
「だから、何の用? 君たち、レグルスのところにいた子供だよね?」
不意の来訪者はスカルとココ。普段は事前の約束はない来客は、よほど強い関係性がない限り、追い返すところだが、この二人だと聞いて、クレイグは会うことにしたのだ。だが、二人はいつまで待っても用件を話さない。それにクレイグは焦れている。
「実は……」
「ああ、もう良いや。時間が勿体ない。僕を殺しに来たのだよね?」
「えっ……?」
図星。誤魔化すことはスカルには出来なかった。元々、乗り気ではない仕事だ。クレイグ暗殺に熱意があるわけではない。暗殺者としての覚悟が、定まっていないのだ。
「忠告してくれる人がいてね。まさかと思っていたのに、本当に来たから、びっくりした」
「ココ、逃げろ!」
「ん!」
暗殺目的であることが知られていた。そうはいってもクレイグは目の前にいる。このまま実行する選択もあったが、スカルは逃げることを選択した。これも乗り気でないことが理由だ。
クレイグの剣がスカルに向かって振るわれる。その剣をスカルは身軽な動きで躱すと、先に逃げ出しているココの後を追う。そのスカルを追う者は、いなかった。
「本当に逃がしてしまわれるのですか?」
潜んでいたブロードハースト家の騎士はいた。腕に自信のあるクレイグでも暗殺者にひとりで対峙するなんて真似はしない。しかも相手はレグルスの仲間だった二人だ。子供、かどうかは実際のところ微妙なのだが、油断は出来ない。
「そういう約束だからね。しかし、ジークが僕を暗殺? 未だに信じられない」
ジークフリート王の恨みを買っている覚えは、クレイグにはまったくない。暗殺などという後ろ暗い手段を向けてくる理由が分からない。たんに西方辺境伯家を一時、混乱に陥らせる為。こんな目的で暗殺者を向けられるなんて思わないのだ。
「やはり騙されているのではありませんか?」
「その騙しているかもしれない相手には、もっと動機がない。一方で、あの二人を助ける為に暗殺計画を伝えてくるのは納得できる」
「……意外です」
クレイグの言葉に騎士は驚きを見せている。クレイグが暗殺計画を伝えてきた相手を、ジークフリート王よりも、信頼していることが言葉からは伝わってくる。騎士は王都駐留軍の一員として長くクレイグの側にいたのだが、相手とそんな関係とは、まったく思っていなかったのだ。
「何が?」
「レグルス・ブラックバーンを信用していることがです」
「敵に回さなければ信用出来る相手だよ? そして僕は彼を敵に回した覚えがない。一方でジークは、彼を完全に敵に回した。どうしてあんな真似をしたかな? 意味分からないよね?」
暗殺計画を伝えてきたのはレグルス。クレイグは仲が良かったとは思っていない。それでもレグルスが、意味もなく敵を作る人物だとは思っていない。それにレグルス本人は信用しきれなくても、そのレグルスを信頼しているタイラーは、クレイグにとって信頼出来る相手なのだ。
「この後はどうされますか?」
「しばらくは様子見。なんといっても僕は死んでしまったからね? 死んだ人間は何も出来ない」
「何も出来ませんか……承知しました」
死んだはずの人間が陰で何やら動いている。それをもうこの家臣は知ってしまった。クレイグもまた同じことをするつもりなのだと理解した。
誰が本当の敵であるかを、西方辺境伯家は知った。その敵の裏をかく為に、生存を隠すというクレイグの選択は正しい。こうも思っている。
◆◆◆
クレイグから逃げ出したスカルとココ。ジークフリート王の臣下が待っている場所には戻れない。失敗しました、で終わらせることも考えたが、さすがにそれで事が済むとは思えなかった。二人が試みたのは暗殺。公になってはいけない仕事だ。失敗した自分たちが闇に葬られる可能性が高い。
ではどうするか、となると逃げるしかない。逃げるあてなどないが、王国の目が届かない、どこか遠くに行くしかない、とスカルは思ったのだが。
「あっ、アオ」
「えっ!?」
「アオ~~~!」
アオの名を呼んで駆け出していくココ。それに酷く驚いたスカルだが、続く声でさらに驚くことになった。
「おお、ココ! 元気だったか!? 相変わらず、可愛いな!」
「本当に……アオ?」
死んだはずのレグルスの声。聞き間違いなどではない。何度も聞いた声、ココに向けての言葉。レグルス以外にそんな台詞を口にする人間は、ココが懐く相手はこの世に存在しないはずなのだ。
「アオ、寂しかった!」
ココのほうはまったく驚いた様子もなく、以前と変わらず、レグルスに甘えようとしている。
「俺も寂しか、あっ、待った! ちょっと待て、ココ!」
「んん?」
抱きつこうとしたココを制するレグルス。その態度にココは不満そうだ。不満に思うココが、スカルは信じられない。兄妹であるのにココとスカルでは考え方がまったく違っているのだ。
「剣、持っていないか? もう俺を刺したりしないか?」
「もうしないよ。だから、抱っこ」
どうしてこの台詞を口に出来るのか。またスカルは唖然とした。ココにはレグルスを殺そうとしたことへの罪悪感がない。これにさきほどから、ずっと驚いている。
「よし、じゃあ抱っこだ」
「抱っこ~!」
飛び込んできたココをそのまま抱き上げるレグルス。それを見ていたスカルは、今度は呆れ顔だ。呆れている状況ではないのだが、以前と変わらず無邪気に甘えるココに、それを受け入れるレグルスにも呆れてしまう。ココはレグルスを殺そうとした。絶対に死んだと思うくらい、めった刺しにしているのだ。そういう相手を抱きかかえられるレグルスの神経がスカルには理解出来ない。
「スカルも元気だったか?」
「どうして生きている?」
「はあ? 生きているのが悪いような言い方だな?」
「そんなことない! 生きていて、その、良かった……本当に」
心の底から良かったと思っている。雲の上の存在からの命令だ。やるしかないと思っていた。だが実際には、スカルはレグルスに剣を向けられなかった。ココの行いが信じられなかった。
「ココが急所を外してくれたからな」
一応は、レグルスにはココの甘えを受け入れる理由がある。
「えっ? そうなのか?」
「ぐさぐさ刺された時は驚いたけど、致命傷になるような場所を刺されなかった。どこを刺せば人は死ぬか、ココは知っているはずなのに」
人の急所をココは知っている。レグルスと出会う前から知っていたが、剣術の道場でも教わっている。その教わっていることをレグルスは知っている。その場にいたのだから当然で、さらにココが教えを実践した場面も見ているのだ。
ココに殺意はない。どうして刺されるのかは、その時は分からなかったが、その点だけは確信出来た。
「……でも、燃やされた」
ジークフリート王の部下は「念のため」と言って、レグルスの体に油を撒いて、火をつけた。それを見てスカルは、本当にレグルスは死んでしまったのだと思ったのだ。
「ああ、あれは焦った。魔力を体の表面に展開して、なんとか耐えていたけど息が出来なくて。もう限界というところで、オーウェンが来て追い払ってくれた」
「そうだったのか……」
「それでもかなりの怪我で、動けるようになるまで、かなりかかった。さらに戦えるようになったのは、つい最近だ。そのせいで……大切な人が死んだ」
スカルとココの裏切りはレグルスにとっては衝撃だった。誰が敵で誰が味方か分からない。レグルスが生きていることを知っていたのは最初、現場から安全な場所までレグルスを運んでくれたジュードだけだった。ジュードも周りを信用せず、誰にもレグルスの生存を伝えなかった。
アリシアが処刑される様子も、ようやく立ち上がれるようになった体で、ただ見ていただけ。花街に関してもレグルス本人は何も出来なかった。
「ごめんなさい」
謝罪を口するココ。レグルスをそのような状態にしたのは自分。その結果、生まれた悲劇に対して、ココは謝罪を告げた。
「過ぎたことはどうしようもない。大切なのはこの先、どうするかだ」
「どうするの?」
「それ、聞く必要あるか? 聞きたいのは俺のほう。ココは、スカルはどうする?」
やることは決まっている。大切な人を殺されたのだ。レグルスのやることは殺した相手を殺すこと。それは相手が誰であろうと変わらない。
「アオとずっと一緒にいるの」
「本当に一緒にいられる?」
ココの気持ちは疑っていない。だがこの気持ちは今、生まれたものではないはず。一緒にいたいと想いながら、ココはレグルスを刺した。この先、同じ選択を行わない保証はない。
「う~ん。アオが守ってくれれば大丈夫」
「なるほど」
ココはまだジークフリート王に逆らうことへの恐怖を完全に克服できていない。レグルスには分からないことだが、生まれ出た時から植え付けられている恐怖だ。そう簡単には消えない。
「王女様と結婚しても大丈夫だ。王女様も偉いのだろ? でも王女様はアオを殺せなんて絶対に言わない。逆に守れと言ってくれるはずだ」
「……スカル、お前、それがリズと俺を結婚させたがっていた理由か?」
「だって……」
雲の上の存在からの命令。だが同じ雲の上の存在が逆のことを命じてくれれば、言うことを聞く必要はない。スカルはこれで恐怖を克服しようと、無意識に、考えていたのだ。
「大丈夫だ。ジークフリートは殺せる。殺せる普通の人間だ。それを俺が証明してやる」
実際はジークフリート王は普通ではない。その事実をレグルスは知らない。だが知っていても同じことを口にした。レグルスはジークフリートを殺すと決めたのだ。決めたからには殺す。相手が何者であろうと。この気持ちは変わらない。
「……アオが言うなら大丈夫だ。俺は信じる」
「ココも信じる」
ジークフリート王への恐怖を完全に消し去る方法は、レグルスを信じること。すでに二人はそれが出来ている。出来ていたからココはレグルスを死なさない方法を、ジークフリート王を騙す方法を選んだ。スカルは手も出さなかった。二人ともレグルスを生かそうとしたのだ。とっくにジークフリート王に逆らっている。逃れられるはずのない束縛から逃れている。
「じゃあ、一緒に始めるか。もう始まっているけど」
レグルスの活動はもう始まっている。最終的にレグルスは敵味方を選別することをしなかった。信じてきた人たちをこれまで同様、信じきることに決めた。レグルス自身は動けなくても、その人たちはもう活動を始めている。新たな目的の為の活動を。
その動きはこれからさらに広がることになる。レグルス・ブラックバーンは抗う者。そういう存在であることを、人々は改めて思い知ることになるのだ。