物事はジークフリート王の、もしくはジョーディーの思い描く通りに進んでいる。そんなことにはならない。そんな簡単に物事が進むのであれば、ジークフリート王かジョーディーのどちらかが、とっくに目的を果たしている。想定外のことが起きるからゲームは、これはジークフリート王だけの見方だが、面白いのだ。
東方辺境伯領でも、その想定外の出来事が起きた。ジークフリート王にとってはまったくの想定外に、ジョーディーにとっては自分の指示もないのに、戦いが始まってしまったのだ。
これは良識ある家臣が東方辺境伯家にそれなりにいたことが原因。後継争いに他国を引き込むやり方を許せず、キャリナローズに寝返る、彼女にとっては出戻りだが、家臣が次々と現れたのだ。
それに焦ったのはラスタバン王国を引き込んだ張本人、だと自分では思っている彼女の叔父。自勢力が弱体していく状況に焦り、戦闘開始を躊躇っていたラスタバン王国を強引に動かして、戦いを始めてしまったのだ。
そうなると焦るのはキャリナローズの側になる。寝返りがあっても勢力はまだ五分になった程度。ラスタバン王国軍を加えると自勢力が圧倒的に不利。その状況で戦いが始まってしまった。これで劣勢に追いやられれば、また敵側に寝返る家臣も出てくる。負けが見えたキャリナローズに殉じようなんて家臣は少ない。そういう家臣は最初から味方で在り続けている。
「それで? 王国騎士団はいつ来るの?」
「いつと聞かれても……」
「他国が侵攻してきたのよ? 援軍を送ってくるのは当たり前でしょ?」
いくら待っても王都から援軍が送られてこない。この状況にキャリナローズは苛立っている。ジークフリートは自分を見捨てようとしている。この疑いも苛立ちを生む原因だ。
「そうかもしれないが、私に言われても……」
「貴方、王子でしょ!?」
キャリナローズの苛立ちはジュリアンにぶつけられている。他にぶつける相手がいないわけではないが、王子という立場が、キャリナローズの的にさせているのだ。
「王子に向かって、その口の利き方はどうだろう?」
「はあっ!?」
「ごめんなさい!」
危機感はキャリナローズのほうが遥かに強い。ジュリアンにも危機感がないわけではない。だが彼はずっと前から、どこか人生を諦めているようなところがある。緊急事態に対する感度が鈍いのだ。
「ジークの野郎……」
「だから国王に向かって、それは」
「王国民を守る気のない人間に! 国王の資格なんてない!」
戦いで死ぬのは自分だけではない。家臣たちも、領民たちも死ぬ。この状況を放置しようとしているジークフリートをキャリナローズは王とは認めない。認めたくない。
「それは……そうかもしれないが……おっ、そうだ。南方辺境伯家に救援を求めてはどうだ?」
「無理」
ジュリアンの提案をキャリナローズは一蹴。まったく考える時間を持つことなく否定した。
「どうして? キャリナローズ殿は南方辺境伯、タイラーとも仲が悪いのか?」
「はあ?」
「冗談、冗談だ。彼であれば王国の危機を見過ごすことはしないのではないか?」
「そうだとしても、王の命令がないとタイラーは動かない。ジークに命令を出すように催促してくれているかもしれないけど、許しがなければ動かない」
タイラーは正義感の強い堅物。東方辺境伯領の状況に強い危機感を覚え、なんとかしたいと思ってくれているとはキャリナローズも信じている。だが独断で自家軍を動かすことはしない。それは王国の臣下として行ってはならないこと。タイラーは私情を殺して、耐えるはずだともキャリナローズは思っている。
「……なんとなく分かる。では北か。レグルスがいなくても北方辺境伯は動いてくれるのではないか?」
「そうね。レグルスがいればね」
キャリナローズの表情が暗くなる。すでに彼女もレグルスの死を知っている。白金騎士団の騎士が話してしまったのだ。そうでなくても、いつまでも隠しておけることではなかった。キャリナローズはレグルスの助けを何よりも期待していた。ジュリアンはその思いに気付いていた。
「いや、気持ちは分かるが、その前提で物事を考えるのは……」
「レグルスを死なせたのはブラックバーン家かもしれない。そのブラックバーン家に助けを求めろと言うつもり?」
この噂までキャリナローズに伝わってしまっていた。彼女がレグルスの死を伝えた騎士を、きつく問い詰めた結果だ。
「それは……しかし、キャリナローズ殿。ここは私情を殺して」
「絶対に嫌! それにまだ負けると決まったわけではないわ。東方辺境伯家軍を舐めないで」
「いや、敵も東方、いや、そんなことはどうでも良いか…………キャリナローズ殿は、やはりレグルスのことを愛しているのだな?」
ホワイトロック家当主としての立場より、戦いによって失う人々の命より、キャリナローズは私情を優先しようとしている。そうしてしまうほどレグルスへの想いが強いのだとジュリアンは思った。
「ええ、愛しているわ。人として彼以上に愛している相手は、両親と息子以外いない」
「……それはそうか。聞くまでもないことだった。すまん」
レグルスはキャリナローズが愛する息子の父親。家族なのだ。愛情を確かめる問いを発した自分が愚かだったとジュリアンは思った。そういう愚かな真似をしてしまった自分を恥じ、少し驚いた。
「協力してもらえるのかしら?」
「もちろんだ。私自身はたいした力にはなれないが、騎士団は全面的にキャリナローズ殿を支持し、戦いに協力する」
「そう。ありがとう。絶対に負けない。家族を傷つけた相手を私は絶対に許さない」
「それ……いや、そうだな」
家族を傷つけた相手は父親を殺した叔父のこと。それだけではないのだろうとジュリアンは受け取った。レグルスを殺した相手もキャリナローズは許さない。だからこそ、ブラックバーン家に救援を求めることは出来ない。
ではレグルス暗殺がブラックバーン家の仕業ではなく、他に真犯人がいたとしたら、キャリナローズはその相手をどうするのか。証拠はない。証拠は何もないが、レグルスを邪魔に思っている人物にジュリアンは心当たりがある。今は決して口にしないと心に決めているが。
◆◆◆
北方辺境伯家は他国と諮って、王国に反逆しようとしている。各地で起きている争乱の首謀者にされた北方辺境伯家にとっては、寝耳に水の事態。まったく身に覚えのないことだ。当然、身の潔白を主張することになる。
だが王国は受け入れてくれない。それどころか王国騎士団が動き出した。反乱鎮圧という名目で。信じられない展開に、北方辺境伯家は釈明の使者を、これでもかというくらいに王国に送った。だがその全てが何も得ることなく、領地に帰ってくることになる。終いには王都に向かうことさえ許されなくなり、王国騎士団相手に交渉を行う羽目になった。
王国騎士団は王国の序列でいえば、辺境伯家の遥か下。王国騎士団長でも貴族の末端に過ぎない。そんな相手に釈明しなければならない屈辱。王国の悪意をここでようやく北方辺境伯家は知ることになる。
さらに事態は進み、王国は具体的な要求を突き付けてきた。北方辺境伯の地位の返上、領地の王国への返還。ブラックバーン家は小貴族に落とされることになる。
このような横暴が許されるはずがない。ブラックバーン家内で、この声は日に日に大きくなっていく。だがそれに呼応してくれる他家はいない。本来、このような事態では、共同して事にあたってくれるはずの他の辺境伯家はそれどころではない状況に陥っていた。
そうであっても王国の横暴に屈するわけにはいかない。北方辺境伯家単独でも最後まで王国に抗うべき。この声は消えない。
北方辺境伯領はブラックバーン家にとって、長く仕える人々にとって、半ば一つの国。自分たちの国がアルデバラン王国という他国によって滅ぼされようとしているのに抗わないなんて選択は、大多数にとって、あり得ないのだ。
だが、ブラックバーン本家は、当主である北方辺境伯ベラトリックスは、多くの家臣の声を無視した。無抵抗で、アルデバラン王国に屈することを選んだ。北方辺境伯ブラックバーン家の名誉は失われることになった。
「……やはり残るか。先に待つのは死だと分かってのことだな?」
「はい。私は恥辱にまみれた生よりも、名誉の戦死を選びます」
ブラックバーン騎士団副団長のジャラッドは、当主であるベラトリックスの命に背き、最後まで抗うことを選んだ。騎士としての意地、だけでなく、小貴族になるブラックバーン家には居場所はない。今のような規模の騎士団を抱えることなど出来ない。そうであればまだ若い騎士たちに居場所を渡すべきだ、という理由もある。
「まだまだ若いな」
騎士団長はベラトリックスに従う。気持ちはジャラッドに近いのだが、騎士団長がベラトリックスに、王国に背くわけにはいかない。ブラックバーン騎士団全体が王国の敵とみなされることになるのを避けたのだ。
「逆です。一度見た夢が無残に砕け散った後の世の中で、生きていける自信がないのです。もう燃え上がる心を持てないのです」
「……レグルス殿か。私も会ってみたかったな」
ジャラッドが命に背く理由はもうひとつある。レグルスの死に殉じるという理由だ。まず間違いなくアルデバラン王国に反旗を翻すだろうゲルメニア族と共に戦うつもりなのだ。それを騎士団長は分かっている。
「会えば団長も……いえ、仮定の話は止めておきます」
「そうだな……集められるだけの物資と、想いを同じくする者たちはモルクインゴンに集めておく」
「団長……」
「思う存分、戦え。我らの無念を少しでも晴らしてくれ。健闘を祈っている」
反乱の手助け。これが王国に知られれば、騎士団長はただでは済まない。それは分かっているが、何もしないではいられなかった。彼は騎士団長である前に、一人の騎士であり、ブラックバーン家の一家臣なのだ。
ブラックバーン家の誇りを踏みにじるアルデバラン王国を、ベラトリックスを騎士団長は許せない。騎士全員が王国に反旗を翻す覚悟があるのであれば、迷うことなく、先頭に立って戦う。だがそれは出来ない。そうであればせめて、自分の思いを託せるジャラッドを応援したかった。
北部動乱は起きる。これまでとは異なる形で。
◆◆◆
エリザベスのエルタニン王国への輿入れは、王家のそれとは思えないほどの急ピッチで進められた。アルデバラン王国からの申し入れに対し、エルタニン王国は戸惑いを覚えながらも前向きな回答を返した。国王の姉を人質に出来るのだ。最初から拒絶なんて反応を返すはずがない。
そこから先も、さらにエルタニン王国は戸惑うことになる。婚約も成立していないのに、顔合わせという口実で、エリザベスのエルタニン王国訪問が決められたと思ったら、すぐにその日程が伝えられる、というよりエリザベスがすぐに発つという連絡が届く。何の準備も出来ないほどの短期間で、エリザベスを迎え入れることになった。
ジークフリート王にとっては、厄介払いをさっさと済ませたいだけ。エルタニン王国の都合など確かめる必要はない。使者を往復させる時間は無駄なのだ。
どうせ、エリザベスはエルタニン王国に辿り着くことはない。途中でエルタニン王国によって殺され、アルデバラン王国は侵攻の大義名分を得ることになる。どうせ滅ぼす国なのだ。
「……何かありましたか?」
何の相談もなくすべてを決められ、慌しく王都を発ったエリザベス。それに対しての文句はない。このような事態は予想出来ていた。ジークフリート王に疎まれている自覚がエリザベスにはあるのだ。
エルタニン王国に向かう馬車。揺れる馬車にもかなり慣れたのだが、今日の揺れはいつもと違う。かなり荒々しい動きだった。
「何があった!?」
問われた従者も事情が分からない。大声で御者に状況を尋ねるしかない。
「野盗です! 野盗に襲われています!」
「な、なんだって……? そんな馬鹿な!?」
事情を聞いても俄かには信じられない。王女の乗る馬車を襲う野盗。そんなものがいるとは思えない。当然だが多くの護衛がついている。野盗も見ただけで逃げ出すはずの多くの護衛が。
「野盗ですか……」
「大丈夫です。護衛がついております。殿下に危害が及ぶことは決してございません」
あるはずがない。野盗程度、軽く蹴散らす実力が護衛部隊にはあるはずだ。
「そうだと良いのですけど」
だがその護衛部隊に本気で守る気がなければ、どうなるのか。その可能性をエリザベスは考えた。護衛部隊はジークフリート王に仕えているのだ。その王の命令が絶対であるはずだ。
「……予想通り過ぎて笑ってしまうわね?」
「殿下?」
「未来視なんて使わなくても見える未来。こういうのはよくあることなのかしら?」
ジークフリート王は自分の暗殺を企んだ。予想されていた事態が現実になった。未来視など使っていない。未来視ではここまで具体的なことは分からない。分かるのはジークフリート王の闇だ。
「止まるな! 馬車を動かせ!」
野盗から逃げているはずの馬車が止まった。安全な場所まで逃げられたのだとは従者は思えない。その逆の事態を考えている。
馬車の停止は自分に死をもたらす。その恐怖が、叶えられない指示を従者に叫ばせることになった。動かせるのであれば御者は馬車を動かしている。動かせない事態が発生したから馬車は止まったのだ。
外から、ゆっくりと馬車の扉が開けられた。それとほぼ同時に突き出された剣先。従者は当たらなくて良い予感が当たってしまったことを知った。