サマンサアンは王妃になる。その座を奪うはずだったアリシアのほうが今回、絞首台に昇った。何度も何度も繰り返された悲劇が、ようやく回避されたのだ。
そうであるのにジョーディーの気持ちは晴れない。今の状況に心を痛めている。彼の目的はサマンサアンを幸せにすること。だが、まだ彼女は幸せになっていない。幸せになれるという保証もない。ジョーディーは暗い未来を予感させられている。
ジョーディーの下には様々な情報が届けられる。レグルスによって組織はかなり傷を負ったが、王都内の情報であれば裏の組織を動かすまでもない。ミッテシュテンゲル公爵家の家臣たちが勝手に情報を集めてくる。特に近頃は、王妃となるサマンサアンについての噂の収集に積極的だ。国民からサマンサアンがどう見られているかは、実家であるミッテシュテンゲル公爵家としては、かなり気になることなのだ。
その結果、ミッテシュテンゲル公爵家はかなり焦っている。情報を集めた結果、サマンサアンの評判は最悪と評価すべき状態だと分かったからだ。
なんといっても花街での振る舞いが問題だった。当時、現場にいた人たちは花街の人間とお客。花街のしきたりを良く知っている人たちだ。サマンサアンの振る舞いは花街のしきたりを無視して、無理難題を押し付けるもの。花街側が反発するのは当たり前で、そうであるのにサマンサアンは横暴な振る舞いを続け、終いには桜太夫を追いつめて自害に追いやった。その場にいなかった人たちには、こう伝えられるのだ。評判が最悪になるのは当然だ。
(結局、またあの男の勝ちで終わるのか?)
この人生は自分の勝利で終わったわけではない。勝者はジークフリート王子。過去の人生と同じ結果になってしまうとジョーディーは不安に思っている。
花街では現場にいなかったが、彼女がアリシアを糾弾した宴にはジョーディーも出席していた。目の前でそれを見ていた。サマンサアンの振る舞いは異常だった。今回の人生では、当初は暴走もあったが、すっかり落ち着いた暮らしを送っていたサマンサアンからは、想像できない態度だった。何かに操られているようだった。
その「何か」をジョーディーは知っている。妹は、終わった過去の人生におけるサマンサアンであることを強制されたのだと思っている。そうであれば、この先の人生の結末も過去と似たものになってしまうのではないか。ジョーディーはそれを恐れているのだ。
(……まだだ。ここからが勝負だ)
だが諦めるわけにはいかない。ジョーディーにとっても本番はこれから。この時の為に何年も、数えきれないほどの人生を費やして、準備をしてきたのだ。その準備が今回ようやく活かされるはずなのだ。
(まずは、あの男の野望を挫くこと)
サマンサアンが王妃になった人生は、これが初めて。この先、彼女がどういう人生を送ることになるかは分からない。だが最低限、ジークフリート王子から野心を奪うことは行わなければならない。あくまでも最低限だ。それでもサマンサアンが不幸になるようであれば、彼女だけではなく、多くの人が不幸に落とされるようならジークフリート王子を殺さなければならない。
ジョーディーは知っているのだ。サマンサアンを不幸にするのはアリシアではなく、ジークフリート王子であることを。人生を繰り返している中で、それに気付いたのだ。
さらにジークフリート王子はこの先、多くの命を奪う。エリザベス王女が未来視で視た未来を、ジョーディーは過去の人生において、実際に見ているのだ。
(……出来るか? 私で止められるのか?)
強い決意を抱いているつもりでも、心に不安が湧いてくる。ずっと失敗の人生を繰り返してきた。楽観的にはなれなかった。さらに相手は、全ての人生で勝ち続けたであろうジークフリート王子なのだ。
(レグルスのいない人生で、あの男の野望を止められるのか?)
レグルスも敗北を繰り返している。何度も何度も。だが彼にも、本人はまったく納得しないだろうが、成し遂げていたことがある。ジークフリート王子の野望を挫くことがそれだ。
北部動乱により王国は大きく傷ついた。他国侵攻どころではなくなった。それでもジークフリート王子は強引に侵略を進めようとしたが、上手く行かなかった。王国をまとめきる力が、それに必要な実績や人望が足りなかったのだ。あくまでもジョーディーが知る限りだが、そうだった。
(レグルス……やはり、君を恨むことになった)
過去の人生でもジョーディーはレグルスを恨んだ。彼が妹のサマンサアンを唆さなければと考えた。今回はそれはない。だが恨む理由が別に出来た。ジークフリート王子に恨みを持つ勢力をレグルスは次々と消していった。恨みを残さない解決の仕方をしてしまった。ジョーディーが、ジークフリート王子の目を盗んで、仕込んだ仕掛けをことごとく台無しにした上で、死んでしまった。反抗勢力の旗印になるというこれまでの役割まで放棄してしまった。ジョーディーはそれを恨む。
(……それでも私はやらなければならない。人生は変った。この先も変えられないはずはない)
ジョーディーの人生はまだ続く。彼にとっての本当の勝利を掴むまで。もしくは、また敗北を味わうその時まで。
◆◆◆
王国の混乱は、加速度的に、広がっていった。国王逝去を超えるほどの驚きをもたらしたのは東方辺境伯領。キャリナローズと東方辺境伯の座を争っていた叔父は、まさかの選択を行った。自分が勝利する為に他国の力を借りるという選択だ。キャリナローズと親しいジークフリートの国王就任が決まったことで追いつめられた結果の判断。理由はあるが、それでも王国貴族として絶対に許されない行為。あり得ない選択だ。
ただ王国にとってあり得ないことはその選択だけで済まなかった。東の国境を接する隣国ラスタバン王国がその要請に応え、軍を動かしたのだ。ラスタバン王国はアルデバラン王国と戦争を行う決断をした。アルデバラン王国にしてみれば勝つ見込みのない戦いに挑んできた、あり得ない決断だ。
他国から侵攻を受けるという予想していなかった展開に王国は大混乱、とまでは、さすがにいかない。対応は素早かった。
まず決断されたのは、人質の意味で王都にいる辺境伯家の跡継ぎを自領に戻すこと。これはラスタバン王国に呼応して攻めてくる他国を警戒しての決断。自領に戻るのは跡継ぎだけではない。王都にいる辺境伯家軍も一緒に戻ることになる。東方辺境伯家の王都駐留軍を戻してラスタバン王国に対応させるという考えから発展して、他方面も守りを固める為に軍を移動させようと考えた結果だ。
この判断は、少なくとも、西方では正しかった。西方辺境伯家から届いた「国境近辺に隣国エルタニン王国の軍が展開している」という情報がそれを証明してくれた。
さらに、これは王国というより辺境伯家を含めた貴族家が驚くことになったが、王国騎士団が部隊を編成して王都から出陣した。東方辺境伯領ではなく、北方辺境伯領に向かって。
この状況で王国は何を考えているのか、という大小貴族家からの問い合わせ、というよりクレームに対する回答は「北方辺境伯家には、他国と諮って、王国打倒を企んでいる疑いがある」というものだった。この回答もまた驚愕をもって受け止められることになる。
ただ王国のまさかの対応に納得している人も、王国全体から見れば少数だが、いる。王国は北部動乱を未然に防ごうとしている。レグルス・ブラックバーンがいなくなった今であれば、それは容易だと判断したのだろうと考える人たち。過去の人生で北部動乱を知っている人たちだ。
王国全土に戦乱の気配が広がって行く。そんな中、ジークフリートは国王に即位した。どさくさに紛れてではない。ジークフリートの国王即位を妨げる理由はないのだ。
この国難にあたって、いつまでも玉座が空席であるわけにはいかない。というのが、この時期に即位した理由。即位式などを行わないのは、そんな式典を行っている場合ではないという理由だ。
即位の理由は実際その通り。ジークフリートにも急ぎたい理由はあるが、周囲もまた同じ考えだった。一方で即位式などの式典を行わない理由は、ジークフリートが考えた言い訳。国王になることは、今回は少し冷や冷やするところはあったが、当たり前のこと。ジークフリートに喜びの感情などない。まして何度行なったか分からない式典など、もうウンザリなのだ。
そんなことに時間を奪われている場合ではない。ジークフリート新王にはやるべきことが沢山ある。
「……ジーク、今少し良いかしら?」
ジークフリート新王は今日も自室にこもりきりで、仕事中。邪魔になることは分かっているが、サマンサアンはその部屋を訪れた。このような事態だからこそ、適度に体を休めることも必要。ここでジークフリートが倒れるようなことは、絶対にあってはならない。これを伝えたかったのだ。
「……あ、ああ……そうだね。良いよ、入って」
少し躊躇いは感じられたが、ジークフリートはサマンサアンの入室を許した。それを受けて、扉を明けて部屋に入ったサマンサアン。
「…………」
部屋に入ってすぐ、絶句することになった。
「どうした? 何かあったのかな?」
「…………」
何事もないような雰囲気で声をかけてきたジークフリートだが、話しかけられたサマンサアンにとっては異常な状況。問いに答えを返すどころではない。
椅子に腰かけているジークフリートの下半身は、パンツまで脱いで、露わになっている。それだけでも異常だが、その彼の足元に跪いている女性がいる。こちらは一糸まとわぬ姿で、ジークフリートの下半身に顔を埋めていた。彼女が口に含んでいるものが何か、嫌でもサマンサアンは分かってしまった。
「ああ、彼女が気になるか。それはそうだよね?」
「……え、ええ」
王妃として国王を独占するような真似は許されない。自分が跡継ぎを産めない可能性を考えて、他にも妃を持つことは認めなければいけない。理屈では分かっている。だが感情はやはり受け入れ難かった。しかもジークフリートはその痴態を自分に見せつけているのだ。わざととしか思えない状況で。
「大丈夫。彼女は君の座を脅かすような存在ではないよ。花街の女だ」
「花街?」
それであれば問題ない、なんて思えるはずがない。一国の王が売春婦を自室に連れ込んでいる。サマンサアンの価値観では許されることではないのだ。
「近くに来て見ると良いよ」
「み、見る?」
さらにジークフリートは信じられない言葉を吐いてきた。
「そう。彼女のテクニック、いや、性技か。性技を君も学ぶと良い。その為にこの女を連れてきた」
「……結構です!」
売春婦と同じ真似をしろとジークフリートは要求してきた。そんな要求は、サマンサアンには受け入れられるはずがない。彼女の誇りがそんな真似を許さない。怒りの表情で部屋を出ていこうとするサマンサアン。
「待て!」
「……いえ、私は」
「私は待てと言ったのだ。君は自分の立場を分かっているよね? 君は私の物。私が裸で踊れと命じたら、君は従わなければならない」
これはジークフリートの嫌味だ。花街の全ての女性を我が物にする。花街を自分一人が楽しむ遊び場とする。その為の最初のとっかかりとして花街を訪れたのに、サマンサアンが台無しにしてしまった。こうしてなんとか一人の女性を抱えることは出来たが、花街で最高の女性と評される太夫は全て逃がしてしまった。すべてサマンサアンのせいだとジークフリートは思っているのだ。
「……私は王妃です。王国最高の女性である王妃はそんな真似は致しません」
そんなジークフリートの思いをサマンサアンは知らない。知ったとしても軽蔑するだけで、従う気にはなれない。
「そんなことを言わないで。本当はアリシアと二人並べて楽しむはずだったのに、君一人になってしまった。その分、君には頑張ってもらわないと」
アリシアとサマンサアン。二人を手に入れる初めてのチャンスだと思っていた。だがそれは失敗した。今回のアリシアは自分にとって危険な存在。転生者である疑いが強かった。手に入れられないのであれば、殺すしかなかった。
「……私は……私は王妃です! 王妃として、たとえ王のご命令でも受け入れられないことはあります!」
アリシアの名が出たことでサマンサアンの感情はさらに高ぶることになった。王妃としては、あるまじき態度だが、大きな音を立てて扉を閉めて、部屋から去って行った。
「……まあ、良いか。ああいう頑なな女を堕としていくのが楽しいからね。アリシアだって、最後は自ら腰を振るくらいにはなった」
過去の人生においてジークフリートはアリシアを貶めていった。それも彼の楽しみのひとつだった。この人生におけるアリシアとは、まったくの別人だが。
「しかし、転生者なんて存在がどうやって潜り込んだ? 人の世界に土足で踏み込んでくるとは。バグみたいな存在だな」
転生者なんて存在はこの世界に現れるはずがないのだ。そんな世界ではないはずなのだ。この世界は、彼一人が楽しむ為にあるゲーム世界なのだから。