国王の急逝を受けて、王国は速やかに次の国王を決定した。ジークフリート王子がその人だ。長幼の序を守れば、ジュリアン王子が次の国王となるべき。こういう声は当然あった。どちらに決まるにしても片方が不在の間に決定するのはいかがなものか、という意見も。
それらの声を黙らせたのは、亡くなった国王の遺言。「次期国王はジークフリート王子に」という遺言を、宰相が死の間際に聞いていたのだ。
宰相は良くも悪くも、融通の利かない公平な人物。それでも遺言を疑う声はあったが、それについては黙殺された。元々、次期国王はジークフリート王子という声のほうが王国内では多かった。近頃はジュリアン王子も評価を上げていたが、それはアリシア・セリシールがいてこそ。アリシアがあのような形で処刑されてしまっては、得ていた評価も無になってしまった。なるべき人が国王になった。多くが納得する結果なのだ。
「ジークが次期国王……なるほどな」
「申し訳ございません。ただ、前王の遺言に従ったことですので」
ジュリアン王子はその結果を東方辺境伯領で聞いた。王都からやってきた、ジークフリート王子の側近というべき、白金騎士団の騎士が伝えてきた。
「別に謝る必要はない。そういう話は前からあった。皆が期待通りの結果になったというだけだ」
ジュリアン王子には玉座を求める気持ちはない。とっくの昔にそんなものは消えている。ただ、さすがに自分がいない場で決められるのはどうか、と思っているだけだ。
「恐らく喪が明けるのを待つことなく、ジークフリート殿下は国王になられるはずです」
「空白期間はないほうが良いからな。それで?」
「それで?」
「ジークは東方辺境伯家の問題をどう考えている? それを伝えに来たのであろう?」
ジュリアン王子は東方辺境伯家の後継争いを仲裁する為にここにいる。ただ仲裁するだけで、何の決定権もないせいで、任務は上手く行っていない。王国が、前国王が方針を決めなかったからだ。
では次の国王となるジークフリート王子は、どういう判断を下しているのか。わざわざ白金騎士団の人間を送ってきたのは、それも伝える為だとジュリアン王子は思っていた。
「……それについては何も聞いておりません」
「はあ? では、どうしてお前が……いや、こういう言い方は悪いか。どうして側近のお前に使者が任された?」
白金騎士団の中でも、自分に同行させることなく王都に残った騎士たちは、ジークフリート王子にとって大切な臣下。そういう人物に使者を任せる理由が何かあるはずだと、ジュリアン王子は思っている。
「私は側近ではありません」
「そうなのか? 話をするのはこれが初めてだが、いつもジークの側にいるのは私も見ていたが?」
「……私は……切り捨てられたのです」
「それは……穏やかでない言い方だな? 何か失敗したのか?」
側近を切り捨てる。これまでジークフリート王子が見せなかった対応。それが事実であれば、余程の何かがあったのだろうとジュリアン王子は考えた。
「失敗はしました。ですが……いえ、はい、そうです」
花街での出来事を自分の失敗とされることには納得がいかない。だが、その思いを口にすることは躊躇われた。ジークフリート王子は国王になるのだ。睨まれては側近の座を追われるだけでは済まなくなる。
「……何だか分からないが、それで使者か。とにかく、ご苦労だった」
「いえ、私はこのままジュリアン殿下の下で働くようにと言われております」
この彼は使者としてこの地に来たというより、ジュリアン王子の配下になるついでに使者の仕事も任されたのだ。
「ああ、それは正に左遷だな」
「ええ……あっ、いえ、殿下にお仕えできることを光栄に思っております」
「無理するな。しかし……ジークは、ここの状況について、本当に何一つ言わなかったのか?」
即位にあたって、先王が残した問題は速やかに解決したいと思うものではないか。自分であればそう考えるとジュリアン王子は思う。部下を左遷したというのは別にして、何らかの考えは伝えてくるべきではないかと。
「ジークフリート殿下ではなく、宰相からは少しお話がありました」
「ならば、それをこちらが聞く前に伝えよ。宰相はなんと?」
左遷されたのは仕事が出来ないからではないか。こんな思いを、少し表情に出しながら、ジュリアン王子は説明を求めた。
「ジークフリート殿下はキャリナローズ殿と近しい関係にあるので、慎重に事に当たらねばならないと申されていました」
「別に良いのではないか? 国王と親しい関係にある者が得をして何が悪い? 極端な依怙贔屓は問題だが、跡継ぎの正統性を認めるのは、批判されるようなことではない」
近い関係にある、信頼出来る人物に東方辺境伯領を任せたいと思うのは当たり前のこと。辺境伯家は王国の守りの要であり、もっとも危険な臣下でもある。国王と個人的な繋がりが強い人物であるということは、王国から見れば、良いことなのだ。
「その辺りのことは私には……」
「決断を先延ばしにしてはキャリナローズ殿が不審に思うだろう。東方辺境伯の座を……まさかと思うが、そうなのか?」
東方辺境伯はキャリナローズではなく、彼女の叔父に任せたい。ジークフリート王子がこう考えている可能性を、ジュリアン王子は考えた。そんな決断があり得るのかとも思った。
「それはないと思いますが……そのような判断を行えば、他の辺境伯家が黙っていないのではありませんか?」
「そういうことは分かるのだな?」
無能なのかと思えば、政治向きなことは分かっている。騎士についての評価を、ジュリアン王子は保留することにした。
「はい?」
「いや、何でもない。どういうことだろう? ジークは何を考えている?」
正式に即位する時を待っている。この可能性はある。だが王都から現地に人を送り出す機会に、何も伝えてこないのは、やはりジュリアン王子には理解出来ない。
「……戦乱を求めているのではないでしょうか?」
「……そう思う何かがあったのか?」
ジークフリート王子の運命は血塗られている。多くの死をもたらす。エリザベス王女の言葉は、ジュリアン王子の心に残っている。騎士が漏らした「戦乱を求めている」はあり得ること。そう思った理由が気になった。
「我々、白金騎士団は戦乱を速やかに収める目的で設立されました」
「それはなんとなく聞いている」
「ですが、その戦乱の時はまだ訪れておりません。少なくとも、ジークフリート殿下はそう思われております」
まだジークフリート王子が想定している戦乱は始まっていない。これまでの王国内での争乱は、それとは違う。前触れ程度のものなのだ。こうジークフリート王子が考えていることを、騎士は知っている。
「王国はさらに荒れるか……いや、しかし、そうであれば何故、ジークはお前たちを手放した? 一時、預けているつもりなのだろうとは思うが」
白金騎士団はほぼ全員、ジュリアン王子の指揮下に入っている。先王に命じられて仕方なくだろうが、そうであれば、さらに王都に残っていた騎士まで送ってきた理由が分からない。
調停交渉は不調だが、ジュリアン王子に身の危険はない。白金騎士団がいなくなっても問題ない状況なのだ。
「私は何も聞いておりませんが、戦いが始まるからではありませんか?」
白金騎士団はまだ東方辺境伯領に、ジュリアン王子の下に残しておく必要がある。それは戦いがあるからだと騎士は考えた。騎士団は戦いの為に存在するのだ。単純に考えれば、そういう考えになる。
「……東方辺境伯になれなければ反逆者として裁かれることになる。ならば一か八かの勝負を、か。あり得るな」
ジークフリート王子が国王になることで東方辺境伯の地位はキャリナローズが受け継ぐことで、ほぼ決まり。そう考えたとすれば、一か八かの戦いを挑んでくる可能性は確かにあるとジュリアン王子は考えた。どうせ後継争いに敗れれば命はない。王国が裁かなくても、キャリナローズが許さない。
「どうする? キャリナローズ殿に伝えるべきか?」
この推測をキャリナローズに伝えるべきか、ジュリアン王子は悩む。それはキャリナローズに肩入れすることにならないか。仲裁者としての公平性が失われないか。こう考えたのだ。
「無防備な状態で先制攻撃を受けるのは、避けるべきだと思います」
戦いだけを考えれば、こういう結論になる。騎士はここでは政治的な要素を排除して意見を述べた。
「それもそうだな。分かった。警告はしよう。使者を頼めるか?」
「はっ」
どうやら仲裁は失敗に終わる。戦いで決着をつけることになる。こう考えて、ジュリアン王子は少し落ち込んでいる。任務を果たせなかった自分を情けなく思っている。
だが、この認識は甘い。これから王国で巻き起こる戦乱は、ジュリアン王子が考えているような緩いものではないのだ。
◆◆◆
城内の一室で。ジークフリート王子は来客を迎えている。ようやく堂々と城に招くことが出来るようになったのだ。来賓というわけではない。ジークフリート王子にとっては真逆な存在。本音は自ら会うことなどしたくないのだが、関係を断ち切るのは惜しい。そう考えて、この場を設定したのだ。
「約束が違う。さっさと俺たちを自由にしろ」
相手の第一声はジークフリート王子への文句。面会相手、スカルにしてみれば、約束が守られることなく、ずっと軟禁に近い形で待たされ続けてきた。文句も言いたくなる。
「自由ね……自分たちが何者かを理解せず、そのようなことを要求するとは」
「要求って……こっちは言われた通りにした。今度はそっちが約束を守る番だ」
命じられた通り、レグルスを殺した。そんな真似はしたくないと思うようになっていた。それでも命令には逆らえなかった。花街の底辺で生きるスカルにとって王子は雲の上の存在なのだ。自由に生きられる権利と引き替えに、大切な人を殺した。
「君、自分が誰と話しているのか分かっていないね?」
「誰って、王子様だ」
「違う。君たちは私に創られた。君たちだけじゃない。この世界も私が創った。私は神なのだよ?」
「……何、言ってんだ、お前?」
ジークフリート王子の話は、スカルにはまったく意味が分からない。頭がおかしいのではないかと思うくらいだ。
「モブキャラが……いや、モブとは違うか。お前たちは私の役に立つ為に、この世界に生み出された。私の為だけに生きているのだよ」
「まったく分からねえ! 良いから、俺たちを自由にしろ! 約束を守れねえなら、殺すぞ!」
「ドール風情が!? 私を殺すだと!?」
冷静を装って話をしていたジークフリート王子だが、スカルの重ねての無礼に、とうとう堪忍袋の緒も切れた。他人は自分に敬意をもって接しなければならない。敬意どころか、崇め奉られるべき存在だとジークフリート王子は考えているのだ。
「約束守らないのは悪いことなの。駄目なの」
「……確かに君は約束を守ったね。ジグルスを殺したのは君だ」
その怒りを落ち着かせたのはココ。ココの愛らしい容姿は、そういう存在なのだと誰よりも知っているジークフリート王子の荒ぶる心さえ穏やかにしてみせた。
「ドールとしての役目を果たしたのは褒めてあげよう。だが、まだまだ君たちは私の役に立ってもらいたい」
「だから、それは約束が違う!」
「君も落ち着け。良いかい? 私は王子どころか、この国の王になる。この国だけではないね。周辺国も全て自分の物にして、この世界の支配者になる」
ジークフリート王子の野望は世界制覇。国王になったくらいでは満足しない。ようやくスタートラインに立ったに過ぎないのだ。これから本格的に活動を始める。その為には二人が必要だ。暗殺者として作られた二人が。
「そんな私に仕えていれば、どれだけ良い思いが出来るか、考えてみると良いよ」
「……俺たちは生きたいように生きたい」
そういう生き方をレグルスが教えてくれた。スカルはそう思っている。
「それは女の子のドールもかな?」
「……ココはココなの」
「ああ、名前を貰ったのか。でもそれはレグルスからだよね? だとすればその名では呼べないな。私が新しい名を考えておくよ」
ドールは固有名詞ではない。二人のような存在の総称だ。ジークフリート王子にとってスカルとココは名も必要としない存在なのだ。
「その前に、君たちにひとつ頼みたいことがある」
「お願い?」
スカルが口を開く前に、ココがジークフリート王子に応えた。スカルに任せておいても、また文句を言うだけ。話が進まないのだ。
「そう、お願い。油断している相手を殺すだけの簡単な仕事だ。ただ少し、遠くまで行くだけ」
「……その仕事が終わったら、今度こそ自由になれるのか?」
スカルも文句は口にしなかった。仕事を行う条件を確認するほうを優先させた。
「君は勘違いしている。これまで自由を許さなかったのは人前に出られると困るから。でも今はもう問題は解決した。君たちは自由に行動出来る」
「でも、また仕事だ」
「そう。普段は自由にしていて構わない。ただ仕事として、私の依頼を引き受けるだけ。それでお金が稼げる。生きて行くにはお金が必要だよね? しかも私の仕事を続ければ、庶民では一生かかっても手に入れられないほど稼げる」
普段、二人がどこで何をしていようとジークフリート王子はどうでも良い。必要な時に殺したい対象を殺してくれれば。失敗することもあるだろうが、それもどうでも良い。使えるだけ使って終わり。二人はそういう存在なのだ。ジークフリート王子の認識では。
「……分かった。引き受ける。ただ、その前に」
「条件を付ける気? それは良い考えとは言えないね?」
「最初の仕事の報酬をよこせ」
「ああ。それは間違っていない。というか、まだ受け取っていなかったのか、それでは怒るのも当然だね?」
スカルにイラついていたジークフリート王子だが、誰にでも良い顔をするという習性が身についている。スカルの機嫌をとるような言葉を口にした。
本音ではない。そういう演技が染みついているだけだ。
「報酬はきちんと渡すように命じておくから、次の仕事の話をしよう。次の仕事は――」
ジークフリート王子の企みは止まらない。これから世界制覇に向けて、考えていたことを次々と実行していくつもりだ。その為に何年もかけて準備を進めてきた。
ようやく開幕なのだ。被っていた仮面を外し、本当の顔を見せる時が来たのだ。