レグルスが暗殺された。この情報はオーウェンからエリザベス王女に、エリザベス王女から国王に伝えられた。そこから先は、ある意味いつものように、極限られた人物だけが知ることになる。具体的にはジュリアン王子、宰相、諜報部長、あとは王国騎士団長の四人だ。
ブラックバーン家には伝えられなかった。これはまだ事実関係が明らかではないという理由。暗殺されたとなっているが、実はまた生きていた。この可能性は否定できない。現実にそうあって欲しいという願望もある。
もちろん、公表しないのは、そういった感情的な理由だけではない。暗殺が事実であった場合、誰がそれを行ったのかという問題がある。それを調べた上でなければ、事実は公表出来ない。王国が疑われるような事態は絶対に避けなければならないと考えたのだ。
諜報部は、元々人手不足の中、さらに負担を強いられることになった。それでも調査を行わないわけにはいかない。少なくとも王国は関わりないことだと証明する状況証拠を揃えなければならない。
「……リズは……リズの様子はどうだ?」
「聞く必要がありますか? 今のリズを見ていると、よく自分の口で父上に伝えることが出来たものだと想います」
レグルスの後を追って死んでしまうのではないか。想像したくないことをしてしまうほど、憔悴しきった様子のエリザベス王女。そんな彼女がどういう想いで、レグルスが暗殺されたという情報を父に伝えられたのかとジュリアン王子は思っている。
「……本当に死んだのか?」
前回レグルスの死が伝わった時、エリザベス王女はまったくそれを信じようとしなかった。初めは死を認めたくないからだと国王は思っていたが、今は未来視が影響してのことだと考えている。生きていることが視えていたのだと。
だが今回はそうではない。エリザベス王女はレグルスの死を酷く悲しんでいる。
「視えないそうです。レグルスの未来が」
「そうか……」
「本当に始めるつもりですか?」
今は会議の場ではない。私室で親子二人で自由に話す時間でもない。会が始まる前の待ち時間なのだ。
「今更、止められるか。もう参加者は集まっている」
「そうだとしても中止するべきです。レグルスの死を彼女に知らせないままに、婚約披露なんてあり得ません」
これから始まる会は、正式にアリシアをジュリアン王子の婚約者候補として紹介する場。正確には婚約披露のさらに前の、王家主催ではあるが非公式とされている会だ。
あくまでも候補。非公式の会ということでアリシアも、王命には逆らえずに参加を了承したのだ。
「事実を知った彼女はどうすると思う?」
「私には分かりません。ですが、相手の気持ちが分からないような人間が夫になるのは、間違いであることは分かります」
レグルスの死を知れば、アリシアは悲しむ。その悲しみの深さはエリザベス王女と変らないとジュリアン王子は思う。だが、そこまでだ。その後の彼女はどう考えるか。レグルス以外と結婚することを受け入れるのか、拒絶するのかは分からない。ジュリアン王子とアリシアは、それが分かるほどの付き合いではないのだ。
「誰もが最初はそうだ。年月を経て、少しずつ相手を理解していく。それが結婚というものだ」
相手のことを良く理解した上での結婚。そんなものはない。家同士、王家の場合は王国の都合も考慮されて相手が決められ、初顔合わせの後は婚約披露、次はもう結婚なんて段取りは普通。それが常識とまで言える。
「そうだとしても、今回のこれはありません。父上、レグルスの死を私が悲しんでいないと思っているのですか?」
ジュリアン王子もレグルスの死を悲しんでいる。彼にとっては同年代で唯一の気の合う相手だったのだ。王子と臣下の息子という壁がなければ、本当の友となれたと思える相手。この先、そうなれる可能性のあった唯一無二の存在だった。
そんな存在をなくした今、なにが結婚だとジュリアン王子は思う。しかも相手はアリシア。喜びの感情など微塵も湧いてこない。
「……そこは……王子としての責務を果たせとしか言えない」
国王も、何も感じていないわけではない。臣下の中で、ある面では本音で語れる数少ない相手の一人だった。レグルスの世代となると唯一の存在だ。
だがここで止めるわけにはいかない。止めては、この話はなくなる可能性があることを国王は分かっているのだ。
「王子としての責務、ですか……」
これがジュリアン王子を苦しめてきた。私情を殺して生きなければならない理由。友となって欲しい相手との壁。王子なんて立場は、百歩譲って王子は受け入れても、次期国王なんて立場は捨て去りたかった。
「その時間だ。始まるぞ」
開会の時間が訪れた。ファンファーレが流れたのが入場の合図。国王とジュリアン王子は会場に入って行く。その時には、もう一人の主役であるアリシアは二人が座る席の側に立たされていた。戸惑いを隠せない表情で。
非公式の場、というには大きな会場。参加者の数もアリシアが想像していたのとはまったく違っていた。国王は分かっていないが、貴族としてこういう場を経験していないことが、アリシアがこの場に立っている原因。結果として、まんまと騙されたことになったのだ。
「アリシア・セリシール。招待を受けてくれたことを嬉しく思う」
来場者に挨拶することなく、国王はアリシアに話しかけてきた。多くをこの会に招待しているが、これは彼女の為の会。そうであることを、このような形で示そうとしているのだ。
「こちらこそ、ご招待頂けたことを光栄に思います。陛下」
戸惑ってはいるが礼儀を忘れるわけにはいかない。短い言葉ではあるが、アリシアは国王の声に応えた。
「前向きに考えてもらえているものと受け取っている。ありがとう」
「父上?」
続く言葉にはジュリアン王子が反応した。確かにこの会はアリシアを自分の婚約者候補として紹介する場ということになっている。だが、国王の言葉は候補ではなく、婚約者と決まったということをほのめかすもの。アリシアに強引に承諾を求めるものだ。
「照れるな。別にこの場で誓いをしてもらおうとは考えていない。それはまた別の場がある」
ただこういう駆け引きは、国王のほうが一枚も二枚も上手。ジュリアン王子の戸惑いを、照れに変えてしまった。変えてしまった上で、婚約披露の開催がもう決まっているような言い方をした。
「さて、私の話だけでは場は盛り上がらない。アリシア、ジュリアンの横に並んでくれ」
さらにこれ以上、ジュリアン王子とアリシアに話させることなく、会を進めようとする国王。参加者には国王の言葉だけが残ることになる。婚約は決まっていて正式発表は公式の場が開催されるのを待つだけなのだと。
「……はい」
ここで「嫌です」なんて言葉は発せられない。国王の意向に逆らえないというのもあるが、ジュリアン王子に恥をかかせることになり、この場を壊すことにもなってしまう。アリシアは、レグルスにとっては図々しい女だが、こういう公の場でそういうことを平気で出来る性格ではないのだ。
国王に命じられた通り、ジュリアン王子の隣に並ぶアリシア。恐る恐る参加者たちに視線を巡らせてみる。ざっと見ただけだが、知った顔は見当たらない。それにはホッとしたが、それでも自分を見る人々の目が辛い。自分を責めているように感じてしまう。北方辺境伯の妃から第二王子の妃に乗り換え、とうとう王妃の座にまで届いたと噂されていることをアリシアは知っているのだ。
「では、ジーク。乾杯はお前に任せる」
「……はい」
国王は会の開催をジークフリート王子に任せた。事情を知る人からすれば、酷い仕打ちだ。だが国王はけじめとして、それをさせようとしている。この婚約はジークフリート王子も認めているという形にさせたいのだ。
「……では私から。兄上、アリシア」
「殿下。お待ちください。この会を始めてはいけません」
「えっ?」
ここでまさかの会の進行を制止する声。さらにそのまさかの声を発したのは、ジークフリート王子の隣にいるサマンサアン。事情はまだ何も分かっていないが、人々が騒めき始めた。
「私は殿下の妃として、義兄上とアリシア・セリシールの婚約を認めるわけにはまいりません」
「おい? 何を言っている?」
さらにサマンサアンは婚約に対して、はっきりと反対を表明した。あり得ない展開に、国王の顔には怒気が浮かんでいる。国王の意向に逆らう行為など、いくらミッテシュテンゲル公爵家から嫁いできたサマンサアンでも許されることではない。
「お二人の婚約はあり得ないと申しております」
「それは、アリシアの友としての言葉か?」
サマンサアンは詳しい事情を知っている。アリシアがこの婚約を望んでいないことを、もしかするとレグルスが殺されたことも知っているのかもしれないと国王は考えた。
「いえ、違います。最初に申し上げました。ジークフリート殿下の妃として許すわけにはいかないと」
「……ジークの妃にしろと? 物分かりの良い正妃もいたものだな」
友としてでなければ、ジークフリート王子の為。このほうがあり得る。ただ国王に逆らう理由としては、逆らわれている国王自身が納得出来ないが。
「そうではありません。私はアリシア・セリシールには王家に嫁ぐ資格はないと申し上げているのです。そのようなことになっては王国の恥となります」
「……どういうことだ?」
「アリシア、貴女のご両親はどこのどなたかしら?」
この質問で、質問されたアリシアには、サマンサアンが何を言いたいのか分かった。自分の素性が知られてしまったことが。
「セリシール公爵家ではないわよね?」
「サマンサアン、何を言っているのだ? そういう話はこの場ですることではない。まして根拠のない讒言など、いくらジークの妃であっても許すわけにはいかない」
アリシアの代わりに反論したのはジュリアン王子。彼はすでにおおよその事情を理解した。アリシアは貴族の生まれではないことを。そこまでだが。
「殿下はまだ事の重大さを分かっておられませんわ。それを理解していただく為には、アリシアの両親が何者かをはっきりさせなければなりません」
「だからそういうことは、このような場で話すことではない。話をしたいのであれば後で、家族だけで話そう。家族の問題だ」
平民が貴族家の養子になることは特別なことではない。家を存続させる為に、跡継ぎが絶えたことを隠す為に、そういう選択を行う貴族はいる。さらにアリシアのような美しい容姿を持つ女性であれば、良家に嫁がせることで家の繁栄を図るという理由も生まれるのだ。
ただ王家に嫁ぐとなると普通のこととは言えなくなる。それは分かっているがジュリアン王子は家族の問題で収めようとしている。それしかないと考えたのだ。
「……父親は犯罪に手を染めた無法者。母親は……言葉にするのも汚らわしい、金で体を売る女性だとしてもですか?」
「な、なんだって?」
だが事実はジュリアン王子の予想を超えていた。
「そうよね? そうであるのに貴女は事実を隠し、北方辺境伯家に嫁ごうとした。さらに王家に嫁ぐチャンスが出来たと思ったらそれに乗り、終いには王妃の座を手に入れようと企んだ。私はそんな貴女を許すわけにはいきません」
アリシアを糾弾するサマンサアン。だがそのサマンサアンは普通ではない。言葉はなめらかに口から出てくるが、その顔には苦痛が見えている。多くの人はそれを怒りの表情と見て、疑問に思っていないが。
「……証拠があるのか?」
ここで国王が口を開いた。国王としても事実として認めたくない。婚約を強引に推し進めた自分が恥をかくことになってしまうのだ。
「……レグルス殿に聞くのが一番ですが、そのレグルス殿は亡くなられたと聞きました」
「えっ……?」
さらにサマンサアンは爆弾発言を放り込む。レグルスの死を、サマンサアンは知っているのだ。
「彼女の差し金ではないかと私は疑っています。レグルス殿がいなくなれば、証言する人はいなくなりますから」
「……違う……違う! 私はそんなことしない! アオは! アオは私の……嘘でしょ? 嘘ですよね!? アオが死んだなんて!?」
「白々しい! 貴女の差し金ではないの!? 彼は、彼はとても優しい人だった! そんな彼の優しさに貴女はつけこんだ! 私は貴女を絶対に許さない!」
これは本当のサマンサアンの怒り。彼女はレグルスを暗殺したのはアリシアだと思っている。そう思い込まされている。彼女にとってアリシアは、辛い時に自分を救ってくれたレグルスの仇なのだ。
「私はやっていない!」
「調べれば分かることだわ! まずは認めなさい! 貴女は貴族ではない! 薄汚い売春婦の娘だって!」
「……薄汚い?」
「そうでしょ? 金で体を売るなんて……ああ、嫌。私にこんな言葉を口にさせないで。言葉にするだけで寒気がするわ」
悪気はある。だが有力貴族家に生まれたサマンサアンにとっては、これは当たり前のこと。強く侮辱しているという意識はないのだ。
「……訂正して」
「アリシア……やめろ、アリシア」
アリシアを黙らせようとするジュリアン王子。彼女が何を口走ろうとしているのか、その結果、どうなるかは分かっている。絶対に口にしてはいけないのだ。
「訂正しろ! 私の母は美しい人だ! 気高い人だ! 誰に対しても誇れる最高の女性だ!」
母を侮辱されることは許せない。本当の、転生した世界の母であっても同じこと、母であり、憧れの女性。そして何より、レグルスもまた同じ想いを抱いている自慢の母なのだ。
「見た目だけが良くても、心が汚れていれば最低の女性だわ! ただの売春婦じゃない!」
「違う! 花街の太夫は! 貴族の女性よりも美しく! 教養があり! 世界で最高の女性なの! 心も美しい人たちなの!」
「……はなまちのだゆう?」
両親のことでアリシアを糾弾しているサマンサアンだが、花街を知らない。太夫のことなど、言葉も聞いたことがない。
「ええ、そうよ。私は平民の生まれ。王都の貧民区が私の育った場所。でも、それが何? 私はそれを恥じていない。恥じる必要なんてない!」
平常心ではない。それは間違いない。だが、アリシアは両親を否定出来ない。そんなことは絶対に出来ない。
「アオだって気にしていない! 私たちは家族だった! その家族を殺したのは誰!? お前たち貴族じゃないか!? お前たちが私とアオから大切な家族を奪った! 私から全てを奪った!」
それはアオとの暮らしを否定することになるから。アリシアは今初めて、本当の気持ちを吐き出した。両親を殺された恨み。恨みたくても恨みきれないブラックバーン家。気持ちを押し殺してきた。
だが今その気持ちはブラックバーン家ではなく、貴族全体に向かって吐き出された。貴族なんで存在があるから家族は殺された。自分とレグルスは結ばれなかった。すべてを貴族の存在が邪魔をした。そう思ったのだ。
「……アリ……アリシア……わ、私……」
不意に、糸が切れた操り人形のように。ゆっくりとその場に崩れ落ちていくサマンサアン。
「アン! 大丈夫か!?」
そのサマンサアンに駆け寄ったのはジークフリート王子、ではなく兄のジョーディー。事の成り行きを、心に痛みを感じながら見ていたジョーディーだ。
「……妹に何を吹き込んだ?」
「えっ? 私に言っているのか? 私は何も知らない。それより、アンは大丈夫かな?」
ジョーディーの問いにジークフリート王子は答えを返さない。返すはずがない。
「……アリシア……君は黙っているべきだった。君のことは……でも、さすがの私も……これは庇いきれない。すまない」
続けて、悲痛な表情を浮かべてアリシアに声をかけるジークフリート王子。この言葉が大勢を決めることになる。アリシアを愛していたジークフリート王子でさえ、庇いきれない大罪を犯した。こう参加者に認識させることになった。