物事が、当事者を除け者にして、先に進んでいく。 ジュリアン王子とアリシアの結婚手続きが、双方の合意を待つことなく、動き出したのだ。もちろん、今の段階では正式に公表はされていない。あくまでも下準備という段階だ。
だがその動きを王国は、国王は隠そうとしない。逆にわざと広まるようにしている。当事者の強い抵抗を予想して、先に既成事実としようとしているのだ。
周囲の反応は、概ね国王が求めている通りのもの。細かい事情を知らない人たちにとっては、次期国王が国民の人気を集めている女性を娶るのは良いこと。歓迎ムードが広がっていた。
だが、あくまでも「概ね」だ。反発する人たちもいる。その代表は、当然、ジークフリート王子だ。
「どういうことですか? どうしてアリシアと兄上が結婚することになるのです?」
父である国王に不満をぶつけるジークフリート王子。
「王家に対する国民の支持は、王国の安定に役立つ。お前も王家の人間であれば、これくらい人に聞かなくても分かるだろう?」
だが国王に文句を言っても無駄だ。ジュリアン王子とアリシアの結婚を強引に進めているのは国王自身なのだ。
「……王家の人間としては分かります。ですが、アリシアは私にとって大切な女性なのです」
「お前が大切にすべき女性はサマンサアンだ。他の女性に目を向けるなど、あり得ない」
これはジュリアン王子とアリシアの結婚とは関係のない国王の思い。女性は王妃だけと心に決めている国王は、息子たちにもそれを求めてしまうのだ。
「アンのことは大切にしています」
「では早く子供を作れ。孫の顔を早く見せてくれ」
「……アンは子供を作る為だけに私に嫁いだわけではありません」
「そうは言っていない。子供がいる暮らしも悪くないと言っているのだ」
今はまだ夫婦の時間を大切にしたい。この想いは国王も認めるものだ。そういう想いをジークフリート王子が妻のサマンサアンに向けているのは良いこと。夫婦仲睦まじく、その結果として、子供に恵まれればなお良いと思っているのだ。
「……アリシアはどう考えているのですか?」
「将来の王妃の座を与えられるのだ。喜んでいる」
これは嘘だ。アリシアの思いを国王は確かめていない。当事者の了承を得るのに時間を使うつもりはないのだ。
「将来の……そうですか」
国王の話を鵜呑みにしているわけではない。だが、王妃の座を得られることをアリシアが喜んでる可能性を、ジークフリート王子は否定しきれない。
「ジーク。お前の王国に対する貢献は、私も認めている。だがそれは、お前が王国の安定の為に尽力してくれていると思えるからだ」
ジークフリート王子に玉座への野心があることは分かっている。だが長幼の序を崩すことは国政の乱れに繋がる。過去の歴史でそういう例はいくらでもある。エリザベス王女の未来視は、それを示しているとも国王は考えている。
まだジュリアン王子が国王に相応しくない、どうしようもない人間であるなら、国王もジークフリート王子を跡継ぎにする可能性は考えた。だが、そうではないことは分かっているのだ。
「……決定が覆ることはないのですね?」
「そうだ。この件はもう、半ば、公表されている。今更なかったことには出来ない」
「……分かりました」
すでに二人が結婚する話は広まっている。貴族の間だけでなく、庶民にも。それが意図したものだとジークフリート王子は分かっている。私情を脇に置けば、国王の言う通り、今更なしには出来ないのは分かる。
納得した、にはほど遠い表情だが、それ以上、訴えを続けることなく引き下がるジークフリート王子。
「……陛下。やはり、もう少し慎重に事を進めるべきではないでしょうか?」
ジークフリート王子が部屋を出るとすぐに、宰相が進言してきた。宰相は初めから、ジュリアン王子とアリシアとの結婚に対して慎重な姿勢を見せているのだ。
「世は、何者かの企みで、大いに乱れている。王国に対する不信が国民の間に少しずつだが、確実に広がっている}
「はい。まずはそれを治めることが重要かと」
「こういう時だからこそ、慶事が必要なのだ。国民に将来の希望を感じさせる慶事が。私はこう考えている」
それにはアリシアが王家に嫁ぐという形が一番。彼女は、王国が意図してそうなるように仕向けた甲斐もあって、世の乱れを正してくれる存在だと思われている。そういう女性が将来の王妃となる。まさに希望の象徴だ。
では何故、相手はジュリアン王子なのか。国王はジュリアン王子を高く評価しているが、周りへの説明としては、長幼の序を乱すことを避けただけだ。平穏を感じさせようとしているのに、乱れを作るのは間違いだ、ということにしている。
「……ジークフリート殿下は、これまでと変わらず、王国の為にご尽力されるでしょうか?」
「それを怠れば、それだけの人間ということ。私はそんな息子ではないと信じている」
国王になる芽が消えた途端に、やる気を失う。ジークフリート王子がそういう人物であれば、それはそれで国王の判断は正しかったということになる。国王は私欲を捨てて国に尽くす、というのは過去の多くの場合、建前であったが、あるべき姿であることは事実なのだ。
「……承知しました」
「そろそろ、お披露目の場を設けよう。準備を進めよ」
「はっ」
◆◆◆
レグルスは王都に戻ってきていた。それを知る者は少ない。今回、彼が王都を訪れた目的は、まずはジョーディーに会うこと。まだ話す機会を作ることも出来ていないが、それが実現した場合、その事実を知られたくないのだ。仮説が正しければ、ジークフリート王子には。
無意識に目立ってしまうレグルスだが、その気になれば、その存在は完全に消し去れる。隠密能力においては半端な、「半端な」はレグルスの表現であって一般には「普通の」が使われるが、諜者を軽く凌ぐ。気配を掴むことも出来ないだろう。
「……さて、これは不運なのか、幸運なのか?」
だがそのレグルスの所在を探り当てた者がいた。レグルスは夜の闇の中で、その気配を捉えた。
「……なるほど。話に聞いていた通りだ。一流の諜者並みの能力だな」
レグルスに気付かれたことを察して、相手が姿を現した。レグルスの能力に感心しているようなことを言っているが、その言葉をそのまま受け取る気にはレグルスはなれない。堂々と姿を見せてきたのは、そうしても問題ないという自信があるからだと考えている。
「それで? お前は誰だ?」
「名乗る必要はない」
「挨拶も出来ないのか? 育ちが知れるぞ?」
くだらないやり取りを続けながら、レグルスは周囲の気配を探っている。レグルスは一人ではない。スカルとココが一緒にいる。怪しい気配を感じたところで距離を取ったが、ジュードとオーウェンも近くにいる。基本戦闘に参加することのないエモンはその更に外だ。それに対して、相手は一人。そんなはずはないとレグルスは考えている。
「育ちが悪い自覚はある」
「だろうな。お前はそんな雰囲気だ。でも王都の悪党ではない。どうやって王家と繋がった?」
男が放つ雰囲気。それはレグルスが良く知るものだ。魔力の気配ではなく、犯罪者の匂いがするのだ。
「……くだらない。そんな引っかけが通用すると思っているのか?」
「いや、引っかかった。関係なければ否定すれば良いだけだ。もしくは、どうしてそんなことを聞くのか疑問に思うのが普通」
「…………」
まんまとレグルスに嵌められた。そう思って顔をゆがめる男。
「図星、って反応だな。引っかかってくれて、ありがとう」
だが、それこそが王家と繋がりがある証。レグルスの指摘に、男は間違った反応を見せてしまった。王家と、ジークフリート王子と繋がりがあることをレグルスに示してしまった。
「……どうでも良い。お前はここで死ぬのだ。お前の仲間も!」
膨れ上がった殺気は目の前の男だけのものではない。周囲が一気に騒がしくなる。潜んでいた敵が一斉に動き出したのだ。
「大丈夫かな? 人の心配をしている場合じゃないか。ココ、後ろに。スカル、ココを守れ」
戦いの気配が少し離れた場所から感じられる。ジュードとオーウェンに敵が襲い掛かったのだ。二人は大丈夫か、と思ったレグルスだが、今は心配している場合ではない。敵の気配はレグルスの予想以上の数。自分の気配探知から逃れられる、目の前の男よりも強い敵がいるのだとレグルスは考えた。
「…………」
「スカル? 聞いているのか、スカル!?」
「あっ、ああ、分かった」
レグルスに促されて、慌ててココの側に、レグルスの背後に回るジュード。
「……お前は戦わないのか? ただの目くらましだったか?」
周囲にある、目の前の男以外の気配はふたつ。だがその気配は一向に動こうとしない。それは何故か。なんらかの策であるとレグルスは考えている。
「お望みとあれば戦ってやる。舐めた口をきいたことを後悔するなよ」
「後悔はしないと思う」
「ふざけるな!」
剣を抜き、レグルスとの間合いを一気に詰めようとする男。だが、その速さは驚くほどのものではない。やはり、囮。男の攻撃に備えながら、別方向からの攻撃を警戒するレグルス。
「……えっ?」
それは予想通りであり、予想外だった。別方向からの攻撃であったのは予想通り。だがその方向は背後。スカルとココがいるはずの方向からだった。
「……コ……ココ?」
腹から突き出ている剣先。後ろを振り返らなくても分かる。女の子のココ用に作った軽い、細身の剣。その剣が背中からレグルスの腹を貫いているのだ。
「えい」
「ぐっ……」
一度抜かれた剣先がまたレグルスを刺す。
「えい、えい、えい」
何度も、何度も。ゆっくりと地面に崩れ落ちて行くレグルス。だがココの攻撃はまだ終わらない。地面に倒れたレグルスに向かって、繰り返し、剣を突き刺している。
「えい、えい、えい、えい」
感情の見えない顔で、何度も何度もレグルスに剣を突き刺すココ。
「や、やめろ……ココ……やめてくれ」
スカルのほうは真っ青の顔で、体を震わせている。
「えい、えい、えい、えい」
「もう、やめろ! もう、十分だ!」
言葉だけでは止まらないココの腕をスカルは掴み、無理やり止めた。
「止めていいの?」
「もう良い。もう……死んでる……」
地面に出来た血だまり。レグルスの体から流れた血で出来たものだ。その中にうつ伏せで倒れ、ぴくりとも動かないレグルスの体。これで生きているはずがない。ココは何度も、何十回も剣を突き刺したのだ。
「良くやった。お前たちのご主人様もお喜びになるだろう」
全てはココにレグルスを殺させる為。この男だけでなく、周囲に配置された全員が囮だったのだ。
「……これで自由になれるのだな?」
「ああ、お前たちはもう自由だ。一生、遊んで暮らせる金も手に入る。だが、まずは任務成功の報告だ。付いて来い」
計画は予定通り、成功に終わった。ココだけでなく、自分の成功も報告しなければならない。あとは不測の事態が起こらないように、実際に起こりかけているが、速やかにこの場を去りたいのだ。
動き出す男。それにココと、スカルも続く。
「あ、ああ……念のため」
だが男はすぐに足を止めた。足を止めて戻り、地面に倒れているレグルスの死体のところまで行くと、懐に入れていた液体をかける。
「……あっ」
ココの小さな呟き。レグルスの体が燃え上がったことに驚いているのだ。
「さて、急ぐぞ。どうやら仲間は失敗したようだ」
近づいていく足音。それは男の仲間ではない。それは駆けてくる相手の声ですぐに分かった。
「レグルス様! レグルス様! ご無事……そ、そんな……まさか……そんな馬鹿な!?」
レグルスが殺されるはずがない。そんな敵がいるはずがない。目の前に燃えている死体がレグルスであるはずがない。
「き、貴様ぁああああっ!! 待てっ!! 殺してやるから、待てっ!!」
駆け去って行こうとする影。それに気づいたオーウェンは、怒りの表情で叫び、後を追いかけて行く。
「……あ~あ。死んじゃったの? つまんないな」
ジュードはその場にとどまったまま。感情の表現がオーウェンとは、普通の人とは違うのだ。レグルスがいなくなった今、人を殺す理由を失ってしまったという理由もある。
「…………これって……とりあえず、片づけておかないとかな?」
上着を脱ぎ、すでにかなり勢いの衰えた火を完全に消すと、ジュードはレグルスの体を背負って歩き始めた。オーウェンに何も伝えることなく、この日から姿をくらました。