一度は焼き払われた木々も少しづつ、かつての姿を取り戻そうとしている。まだ若い木々ばかりで、完全に陽の光を遮るほどには生い茂っていないが、森に出来た影の中には、今も危険なアンデッドモンスターが潜んでいる。腐死者の森の危険度はすでにかつてと同じに戻っているのだ。
そんな誰も足を踏み入れようとしない場所を若い、というより、まだ幼い男女が歩いている。
「お兄ちゃん、もうつかれた」
「我慢しろ。こんなところで止まっていたら、怖いモンスターに襲われるだろ?」
幼い兄妹は腐死者の危険性を理解している。理解しているのに、子供二人で森に入ってきたのだ。
「ああ!?」
「な、なにっ!?」
いきなり大声をあげた妹に驚く兄。
「きれいなお花」
「何だよ? 脅かすなよ」
危険な場所だと分かっていても、二人の危機感には差がある。妹のほうはアンデッドモンスターがどうして危険なのか、良く分かっていない。なんとなく怖い存在くらいに思っているのだ。
「お花、きれい」
「花なんでどうでも良い。早く森の王を見つけないと」
兄妹が危険を冒して腐死者の森に来たのは、間違って迷い込んだのではない。目的があって、自らの意志でやってきたのだ。
「何をしているの?」
「出たっーーーーー!!」
妹とは異なる声。それを聞いた兄は驚き、大声をあげて逃げ出そうとした。
「……きれい」
「花なんてどうでも良い! 逃げるぞ!」
「花じゃないもん!」
「じゃあ、何……えっ? あれ? アンデッドモンスターじゃない?」
妹の視線の先にいるのは、とてもアンデッドモンスターには見えない美しい女性。薄暗い森の中でも輝いて見える金色の髪。透き通るような肌にピンクの唇。自分たちを見つめる赤紫の瞳が印象的だ。
「生きているかは微妙だけど、モンスターではないわ。彼らは話したりしない」
自分の命はソルに与えられたもの。そう考えると一度死んでいる身なのは同じ。ただ本能的に人を襲うアンデッドモンスターとルナは同じ存在ではない。説明されなくても、ルナの美しい容姿を見れば、皆そう思うだろう。
「良かった……」
アンデッドモンスターではないと分かって、ホッとした様子の兄。
「ここは危険な場所よ? 子供が来る場所ではないわ」
「綺麗なお姉さんは森の王なの?」
最初からルナを恐れていない妹のほうは、すぐに自分から彼女に近づいて行った。
「アンデッドモンスターの次は森の王? 森の王ではないわ。ここには森の王なんて……貴方たちは森の王に会いに来たの?」
森の王なんで存在はここにはいない、と思ったが、そう呼ばれる存在には心当たりがある。だがそうだとしても子供たちが、ここに来た理由は分からない。
「助けてもらいたくて」
ルナの問いには兄が答えた。妹には上手く説明出来ないと思っているのだ。
「何から?」
「町が何度も盗賊に襲われている。このままだと皆、殺されてしまう。だから森の王に助けてくれるようにお願いにきた」
旧王都周辺は相変わらず荒れ果てている。治安はひどく悪化したまま。盗賊なんてものは珍しくもない。旧王都周辺は未だに無法地帯。平和を守る存在はいないのだ。
「……どうやって、森の王のことを知ったのかしら?」
平和を守る、とまではいかなくても困った人を助ける存在はいる。だがその存在は幼い子供が知るはずのないこと。ヴィクトール・ハインミュラーを王に戴いた新生ナーゲリング王国に仕える重臣たちの中でも、数人しか知らないはずの事実なのだ。
「大人たちが酒場で話してた。森の王が助けてくれないかって。でも腐死者の森は恐ろしくて行けないって」
「そう……無茶をするわね?」
勇気ある行動、と無条件に褒めるわけにはいかない。二人は運が良かっただけだ。運良くアンデッドモンスターに遭遇する前にルナに出会えただけなのだ。
「それで……森の王は?」
「……助けてくれるかは分からないけど、会わせてはあげる。私に付いてきて」
こういう依頼を全て引き受けるわけにはいかない。新生ナーゲリング王国から「報酬を渡すので依頼として受けて欲しい」と頼まれても断る時がある。ソルは、本当は世捨て人のような暮らしをしたいのだ。周囲は「無理に決まっている」と思っていても。
兄妹を連れて森の奥に進むルナ。アンデッドモンスターは彼女にとって、よほど不意を突かれない限り、恐れる存在ではない。兄弟が足手纏いになる可能性はあるが、それもまず問題ない。姿は見えないが、すでに周囲に仲間たちがいることにルナは気付いている。
「ふわあ」
しばらく歩くと、いきなり開けた場所に出た。兄妹は初めて見る高床式の建物がいくつか立ち並び、畑らしきものもある。その様子を見て、妹は感嘆の声をあげた。彼女の住む町のほうが遥かに大きいのだが、森の中にあるというだけで驚きなのだ。
「ルナ、その子供は?」
すぐに声をかけてきたのはソル。ルナが子供を連れてきているという情報はすでに伝わっている。
「ソルに会いに来たみたい」
「俺? えっ? どこかで会ったことがある?」
見覚えのない子供たち。記憶力には自信があるソルだが、二人のことは思い出せなかった。それはそうだ。初対面なのだから。
「この人が貴方たちが探していた森の王よ」
「はい?」
どうして自分が森の王なのか。ソルにはまったく分からない。そう呼ばれていることを知らないのだ。
「森の王、お願いです。僕たちの町を助けてください!」
兄にとってはソルの戸惑いなど気にすることではない。探していた森の王に会えたのであれば、お願いするだけだ。
「町を助けて?」
「盗賊に何度も襲われている。それと、困った時は森の王を頼れば良いという噂が広まっているみたいだわ。詳細は調べないと分からないけど」
「それって……ただ働きさせようという企みか?」
新生ナーゲリング王国がわざと噂を流した可能性をソルは考えた。苦しんでいる人たちの頼みであれば、ソルは断らない。王国が報酬を払う必要もなくなる。こう考えた可能性だ。
ソルは、新生ナーゲリング王国の誠実さを疑うようになっている。
「さあ? それも調べてみないと分からないわ」
「……ウィンディ」
「了解」
諜報はウィンディの仕事。彼女自身が調べるわけではない。クラウドから一族の長、とはウィンディは思っていないが、の座を引き継いだのだ。前の長クラウドは、世捨て人とはいかないが、隠居の身。のんびりと毎日を過ごしている。そう見えるだけで、頭の中は今も働いているが。
「あの……助けてもらえますか?」
「報酬は?」
「えっ?」「ソル?」
兄の驚きの声とルナの戸惑う声が重なった。なんだかんだで、ソルは兄妹の頼みをきく。ルナはそう思っていたのだ。
「この先、ずっとこういう依頼をする人に来られても困る」
「そうだけど……」
「……あの……これ」
妹が前に出てきた。前に出てきて手に持っている花をソルに差し出してきた。
「これは?」
「ほうしゅう」
ソルが求める報酬のつもりなのだ。
「ああ……この森に咲いている花だね?」
「そう。とてもきれいなの」
「……そうだね。とても綺麗だね。分かった。確かに報酬は受け取った」
結果は、こうなる。周囲から洩れ聞こえてくる声は呆れ。この時にはソルたちの周りには仲間たちが集まってきていた。まさかの来訪者が現れ、しかも自分たちの存在が広まっていると知って、気になって話を聞きに来たのだ。
「じゃあ?」
「盗賊討伐依頼は引き受けた。じゃあ、すぐに行こうか」
特別何か準備をする必要性は感じない。世捨て人を望んでいても情報を遮断しているわけではない。ソルは求めていなくても仲間たちが勝手に集めてくる。王都周辺に、ソルたちにとってはだが、脅威になる存在はいないのだ。
「結局、お人好しのままか」
ソルが行くとなると同行しなければならない人たちがいる。文句を口にしたのはハウウェル。亡くなったクリスティアンの部下だった男で、戦場から同行し、結局そのまま一緒にいるのだ。
「今に始まったことじゃねえだろ?」
ハーゼにとっては文句を言うようなことではない。ソルのお人好しはいつものこと。だからこそ、こうして一緒にいられるのだ。
「お人好しに文句を言っているわけじゃない。こんな中途半端な真似は止めて、もっと真面目にやれば良いと思っているだけだ」
クリスティアンが語っていた平和な世の中。アルノルトがいなくなっても、そんな世の中にはなっていない。争いはまだ続いているのだ。
「それには同感。どうしてここまで自覚がないかね? 自分がやるしかないと思えないかな?」
争いが収まらない原因の一つはソルにもあるとハーゼは考えている。鬼王動乱と呼ばれることになった戦乱の勝者はソルだ。勝者の振りをしたヴィクトールが王になっても反抗は収まらない。竜王軍の残党は、理由はそれぞれだが、未だに戦い続けている。
特にヴェストフックス公国での抵抗は激しい。竜王軍の残党というより、ヴェストフックス公国自体が抗っているのだ。
「彼が立たない限り、戦乱は終わらない」
「その気にさせられるとすれば、ルナ様だけどな……そのルナ様がな」
バラウル家の人間である自分が口出しして良いことではない。ルナはこう考えていて、周囲の期待に応えてくれないのだ。
「お前……彼はソルと呼び捨てなのに、どうしてルナ様はルナ様なのだ?」
「お前だってソルは彼で、ルナ様はルナ様だろ?」
「それは……なんとなく」
「俺もだ」
ルナが持つ威厳がそうさせるのだ。バラウル家の王女だったということも、彼らの気持ちに影響を与えている面もある。ただバラウル家への恐れとは違う。表現は人それぞれだが「憧れの女性」や「高値の華」という感じだ。
「お二人揃って、表舞台にお出になれば良いのに。そうなれば懸念は、きっと消えるわ」
ヒルシュは二人とは、根底は同じだが、少し違う考えを持っている。
「懸念?」
「ソル様が王になれば王妃はルナ様になります。恐らく、ルナ様に厳しい目が注がれることを予想していて、そういう立場にさせたくないのだと思います」
何かをしなければならないという思いはソルにもある。だがそれをやり過ぎた時、ルナが表舞台に立つこととなり、かつてのような孤独な暮らしに戻ってしまう状況にはしたくないのだ。
「……なるほど。それは……難しいな」
「難しくはない。それにその時はもう間もなくだ」
「えっ?」「はい?」
ウィンディが発した言葉。彼女らしく、ハーゼとヒルシュにとってはだが、ない言葉に二人は戸惑いを見せた。
「人々が望んでいるのは平穏な暮らしだ。バラウル家以外の王じゃない」
バラウル家に対する恨みはあるだろう。だが、それ以上に人々は戦乱にはウンザリなのだ。戦いを終わらせてくれる人を求めているのだ。
「……もう間もなくというのは?」
ウィンディの話には一理ある。だが、「もう間もなく」という言葉の意味はハーゼには分からない。
「もう間もなく。まずは。千人というところだ」
「……ああ……そういうことか」
すでに彼らは腐死者の森から出ている。木々が途切れ、広がる丘陵地帯。その先に見える人影が、ウィンディのいう「千人」だとハーゼは理解した。掲げられている旗、太陽と月が描かれている旗が教えてくれた。ツェンタルヒルシュ公国で一緒に暮らしていた人々が現れたことを。
「……千人? お前たち、目が悪いのか?」
「何?」「あれ?」
「ツェンタルヒルシュ公国だな。さて、何の用だろうな?」
もう一つの旗はツェンタルヒルシュ公国のもの。数は全体で三千は超える。どう見ても軍隊だ。ツェンタルヒルシュ公国軍がどうしてこの地に来たのか。その答えを、まだ彼らは持たない。それを求めて、先のほうで足を止めているソルの下に急いだ。
「……クレーメンス公か」
「ツェンタルヒルシュ公ね。何の用かしら?」
「戦いではないと思うけど? どうやら母上も一緒だ」
「そうね」
クレーメンス公だけでなく、妹のビアンカも同行している。ソルとルナにとっては義理の母親だ。ソルもルナも共に暮らしている時は良い関係であった。
「……ルナ殿下。お久しぶりです」
最初に口を開いたのはビアンカ。
「母上。私は王女ではありません。ルナとお呼びください」
「ルナ……元気そうで良かった。本当に良かった」
ルナの言葉で、もうビアンカの瞳からは涙が零れ落ちている。ルナもまた自分を、今も母と呼んでくれる。それがたまらなく嬉しいのだ。
「母上もお元気そうで良かったわ。再会はとても嬉しいのですけど……」
親子対面にしては数が多いとルナは思う。他にも目的はあるのだろうと。
「軍勢を引き連れてきたことは私からお詫び申し上げます。ただ道中はかなり物騒でして、最低でもこれくらいの護衛は必要です。戦う力のない民も一緒でありますので」
「分かりました。クレーメンス公。公もまたそのような言葉遣いは無用ですわ。私は何の肩書もない身です」
今の立場でいえば、公国、は正式にはないが、大貴族とされるクレーメンスのほうが遥かに身分は上。言葉遣いを気にする必要はない、はずなのだが。
「いえ、そうは参りません。ルナ様には肩書を背負って頂きます。その為に、我らはこうしてまかり越しました」
「……どういう意味でしょうか?」
「ソル殿に我らが王になっていただけるよう、お願いに参りました」
「えっ?」「はい?」
クレーメンスの言葉にソルも驚いている。ツェンタルヒルシュ公国内の治安回復に協力を求めにきた、くらいに考えていたのだ。
「別に国王の外戚になって権力を得たいというわけではございません。引き受けてくだされば私は、妹も、表舞台からは身を引きます」
「……新生ナーゲリング王国に刃向かうことになります」
「分かっております。ですが、一日でも早く争いを終わらせるには、この選択が一番だと考えました」
ソルが立たなければ戦乱は収まらない。クレーメンスもこう考えた。特別な考えではないのだ。アルノルトの戦いの場にいた人であれな、皆、そう思う。
「逆に戦いが長引きます」
「そうだな。一年くらいはかかるかな?」
「……はっ? ハウウェル、安請け合いするな」
たった一年で、未だに終わらない戦乱が収まるはずがない。そんな短期間で終わらせることが出来るような状態であれば、新生ナーゲリング王国はとっくにそれを成し遂げているとソルは思った。
「安請け合いをしているつもりはない。ヴェストフックス公国を説得すれば良いのだろ? 今、あそこを守っているのはクリスティアン様の麾下だった元竜王軍だ。従わせるのは難しくない。なんたってお前は、クリスティアン様の意志を継ぐ者だからな」
「それは……」
「ツヴァイセンファルケ公国内にまた通達をばらまこうか? ソル・バラウルの名で。ただし今回は、死ぬか従うかを選べだ」
さらにハーゼが続く。ツヴァイセンファルケ公国を支配下に治めるのは、それほど難しいことではない。すでに下地は出来ている。ソルが立ち上がるのを待ち続けている協力者たちもいる。
「そうなると、ツェンタルヒルシュ公国、ツヴァイセンファルケ公国、ヴェストフックス公国、それと旧王都周辺が領土ですな。それで十分でしょう」
領土の広さであれば新生ナーゲリング王国を凌ぐ。軍事力もツヴァイセンファルケ公国とヴェストフックス公国を従わせることが出来るのであれば、確実に上回る。
「……しかし」
「新生ナーゲリング王国の存続をお認めになれば良い。あくまでも今、統治が行き届いている範囲で」
それに刃向かう力は新生ナーゲリング王国にはない。軍事力で頼りになるのは元オスティンゲル公国軍のみ。旧ナーゲリング王国軍を、わざわざ国名を引き継いで懐柔を試みたにも関わらず、吸収しきれていないのだ。それが結局、全土の制圧が遅れている理由なのだ。
「……でも、ルナは」
「そうです。私は……私には……いえ、ソルが王になることには賛成です。だから私は」
自分には王妃になる刺客はない。だがこの考えは思い上がりだとルナは気付いた。ソルは王になるべきなのだ。自分は肩書など求めず、ただ側にいればそれで良いだけなのだとルナは考えた。
「身を引く必要などありません」
「えっ?」
「フルモアザ王国のようにはなりません。私たちはルナ様を知っております。貴方がとても優しい、皆に気を遣う、それでいて威厳のある、誰よりも王妃に相応しい方であることを皆知っているのです。まだ知らない人には、私たちが教えます」
「……ありがとう。でも……」
バラウル家の罪は消えない。数えきれない多くの命が失われている。その家族、友人たちの恨みは深い。
「あっ、じゃあ、私が正妃でルナ様は」
「無理」「あり得ないわね」「ないない」「己を知れ」「生まれ変わって出直せ」
「ええ……」
ウィンディのの提案は満場一致で否定された。
「ルナ。逃げてはなりません」
「母上?」
「償いの気持ちがあるのであれば、行動で示すのです。多くの人が不幸になった。そう思うのであれば、多くの人を幸せにする為に貴女の全てを捧げなさい。王妃となって万民に尽くすことが、貴女が為すべきことです」
「私の……為すべきこと……」
ビアンカの言葉がルナの心を震わせる。表舞台から身を引くことは、確かに何もしないということ。償いを行っていないということだ。
「ソル。貴方の望みはルナを最低限の人としか関わらないで済む環境に閉じ込めることですか?」
「……違う」
逆だ。城の奥に閉じこもっていなければならない暮らしから解放したかった。自由に外を歩ける環境にしてあげたかった。だが今、腐死者の森に籠っているのは、かつての暮らしと何が違うのか。周囲の人が少し増えたくらいだ。
「ソル、貴方はルナの夫として、二人は竜王アルノルトの子として為すべきことを為さなければなりません。そして既に、為すべきことは分かっているはずです」
「ここに集った我らも少しお手伝いをさせて頂きたいと思います。我らはお二人を信頼しております。その信頼が間違いではないことをお示しください。我らの自慢の王と王妃になってください。よろしく、お願い申し上げます」
その場に跪き、深々と頭を下げるクレーメンス。その彼に後ろにいる人々もならっていく。三千を超える人々が二人の即位を願っている。
そしてこの輪は、さらに広がることになる。王国全土へと。新たな、平和な物語が始まることになる。