味方と別れて、たった一人で竜王軍の陣に向かうソル。背負っているのは、遠くからでは分からないが、幾本もの剣。全ての剣が竜殺し、ドラゴンスレイヤーなど呼び方は様々だが、腐死者の森の墓地から持ち出してきた、名剣とされる剣だ。
ソルの行動に反応して、竜王軍から中隊規模の軍勢が出撃した。それを確認したところで、ソルの歩みは止まる。地面に次々と突き立てているのは、背負っていた剣。それを見た人々は、本当に一人で戦うつもりなのだと分かった。
「……命令はまだ? 命令を発する気がないのであれば、勝手に出撃するけど?」
このままソルを一人で戦わせるわけにはいかない。ルッツはこう考えている。
「出撃してどこと戦うつもりだ?」
「はあ? それ聞く意味ある? 竜王軍に決まっている」
「聞く意味があると私は思っている。普通に竜王軍と戦うつもりであれば、何故こちらにそれを知らせない? 送った使者を追い払った?」
バルナバスはソルの真意をまだ掴み切れていない。理解したつもりのルッツは間違っていると考えている。自分たちの味方に付いて竜王軍と戦うつもりであれば、使者と話をしたはず。だがソルは、連合軍がソルの考えを知る為に送った使者をことごとく追い払ってきたのだ。
「じゃあ、彼らに聞けば良い」
「ああ、そのつもりだ」
ソルと別れたハーゼたちは連合軍に近づいてきている。全力と思われる、物凄い速さで。状況を把握したければ彼らに聞くのが一番だ。
「……はあ。こっちは少しは頭を使ったみたいだな」
やって来たハーゼの第一声はこれ。なんのことかバルナバスもルッツ、そしてクレーメンスも分からない。
「どういう意味だ?」
分からなければ聞けば良い。バルナバスは言葉の意味を尋ねた。
「あちらは考えなしに動こうとしている。おかげで向かったカッチェたちは大慌てだ」
ハーゼが言う「あちら」はオスティンゲル公国軍のこと。オスティンゲル公国軍は部隊を、竜王軍と同規模の中隊を動かしている。まずは様子見というところだが、それでもソルたちにとっては迷惑な行動なのだ。
「……動くなということか?」
「ああ、そうだ。一応、ソルからの伝言をそのまま伝えておく。これから始まる戦いはバラウル家内の親子喧嘩だ。他人は手出し無用」
「なんと……? あの馬鹿はそんなことを考えていたのか?」
ソルがバラウルの姓を名乗った意味。バルナバスは今それを知った。ソルはバラウル家の人間としてアルノルトと戦おうとしている。それは分かった。
「俺も何を考えているんだと思ったが、奴なりの気持ちの整理だ。敵ではなくルナ王女様の夫としてやるべきことをやる。そのやるべきことがルナ王女の為に父親と戦うということだ」
あくまでも敵に回ることはしない。それはしては家族を裏切ることになる。こじつけではあるが、アルノルトと戦うのにソルは、自分を納得させる理由を必要としたのだ。
「……お前たちはそれで良いのか?」
ソルを一人で戦わせることをハーゼたちが納得しているのが、バルナバスは不思議だった。ずっとソルと行動を共にしてきた彼らは、自分以上にソルを大事に思っているはずなのだ。
「俺たちは戦う許しを得た。竜王とではなく、ソルと竜王の戦いを邪魔する奴らと戦う許しだ」
「……それはつまり、我々が参戦しようとすれば、我々とも戦うという意味か?」
「その通り。だから黙って見ていろ」
「見ていろと言われてもな……」
簡単には受け入れない。ソルに戦う理由があるように、バルナバスにも竜王軍と戦う理由がある。ソルの理由よりも、もっと明確な理由が。それは自分だけでなく、他の人たちも同じはずなのだ。
「じゃあ、私は辞めた」
「大人しく見ているというのか?」
ルッツは自分以上に納得しないとバルナバスは考えていた。ルッツはバルナバスとは違い、ソルを信奉する対象として見ている。ハーゼたちに近いのだ。
「はあ? そんなわけない。騎士を辞めたと言ったつもり」
「なんだって……?」
「剣を捧げたナーゲリング王国はすでにない。騎士を続ける義務は私にはない。だから今、騎士であることを辞めた」
ナーゲリング王国が滅んだあとだから許されること。最後の王、ユーリウスが殺された後、ルッツは誰にも剣を捧げていない。唯一、主としての権利を引き継げる存在だったルシェルは、自らそれを放棄した。ナーゲリング王国は滅び、自分は王女ではないと宣言したのは、そういうことになるのだ。
「……お前という奴は」
「騎士であることに拘るサー・バルナバスには同じことは出来ない。ここで指をくわえて見ているのだね?」
「ふざけるな。仕える主がいないのは私も同じだ。それに私が騎士であることに拘るのは名誉の為ではない。戦うためだ。目の前に求めている戦いがあるのに、見ているだけでいられるか」
バルナバスもルッツと同じ決断をした。考える必要もない決断だ。戦いを求める者が戦いに挑むのは当たり前のこと。バルナバスはその当たり前のことを行おうとしているのだ。
「どうでも良いけど、行くなら行くぞ。もう戦いが始まっている」
ソルと竜王軍との戦いは始まっている。ソルを囲む竜王軍千。その首が、腕が、体が血しぶきと共に宙を舞っているのが見える。
「……とんでもないな」
それを見たバルナバスは、やや呆然とした様子。自らも、並の将兵相手であれば、千人くらいの相手は出来ると思っているが、ソルの勢いは異常だ。瞬きする間に何人もの竜王軍が地に倒れて行く。全滅は近い。
「恐らくまだ次がある。次は二千か、三千か、どうであれば竜王と戦う前に疲れさせるわけにはいかない」
「……そうだな。行こう。あっ、いや……クレーメンス殿。申し訳ないが我らは行く」
軍を抜けるにあたって一応は、共闘相手であるクレーメンスにバルナバスは謝罪の言葉を告げた。主がいるいないは関係なく、戦場で軍を抜ける行為は本来許されないことなのだ。
「……私は一騎士ではなく、公国主だ」
「はい。我らの勝手を許して欲しい」
クレーメンスは自分たちとは立場が違う。ツェンタルヒルシュ公国の公主として、身勝手な行動は出来ない。
「だが我が妹はソルの母」
「……はい?」
とバルナバスは思ったのだが。
「ソルは私にとって甥。つまり家族だ」
クレーメンスの考えは違う。彼は自分は公主として失格だと思っている。公国を、そこで生きる人たちを守ることが出来なかった。公都に篭り、苦しんでいる人たちを見捨ててしまった。そんな自分がここでまた、傍観者でいることは許されない。クレーメンスはこう考えているのだ。
「まさか?」
「私には家族としてソルの親子喧嘩に加勢する資格がある。つまり、私をここに留める理由はない」
「…………」
「時間がないのであろう? 行くぞ」
まっさきに陣を飛び出していくクレーメンス。その後をハーゼたちも、苦笑いを浮かべながら追いかける。クレーメンスもルッツもバルナバスも、自分勝手な理屈で参戦しようとしている。ソルの許しなく。そんな彼らが面白いのだ。自分たちと同じだと思ったのだ。
◆◆◆
クレーメンスたちは物分かりが良かったが、オスティンゲル公国はそうはいかない。ヴィクトールは戦いを決めるのは自分でなければならないと思っている。家臣たちはその思いを理解している。ソルが戦うのをただ見ているだけではいられない。戦い、自分たちの力で勝利を掴まなければならないのだ。
すぐに動かした中隊。それで竜王軍とソルの出方を伺い、次の手を考える。そう思っていたのだが。
「何を考えている!?」
その中隊はソルの味方に止められた。力づくで。ソルの立場は曖昧であるが竜王軍と戦おうとしているのは、一人で戦うという考えは理解出来なくても、分かる。敵の敵は味方。そう思っていたところに味方の部隊が攻撃を受けた。ヴィクトールには何が何だか分からない。
「手出し無用に願います」
「なんだって?」
「ソル殿からの伝言です。これから始まる戦いはバラウル家内の親子喧嘩。他人は手出し無用と」
「……馬鹿な? ふざけたことを言うな。この戦いは我々の戦いだ」
打倒竜王。その為に自分たちが始めた戦い。少し無理がある言い分だが、ヴィクトールとしてはこれで通すつもりだ。横やりを入れているのはソルのほうだと。
「戦うのは勝手。ですがそれはソル殿の戦いが終わってからにしてもらいます」
「そんな勝手が通ると思っているのか?」
「通るのではなく、通すつもりです。この意味はお分かりですね?」
言うことを聞いてもらえないのであれば、力づくで押さえ込む。すでにカッチェたちはそれを実践している。オスティンゲル公国の中隊は死者こそ出していないが、被害を与えられているのだ。
「……つまり、君たちは敵か?」
「敵とするのはそちら、と言っているつもりですが?」
「……君たちに従う義務は我々にはない」
「そうですか。残念です。こちらとしては一秒でも早くソル殿の支援に向かいたいのですが……まあ、もう少し時間はありそうです」
最初に出撃してきた竜王軍の中隊はすでに半分ほどになっている。第一陣については、最初から心配していないが、問題ない。続いて第二陣が来るか、どれほどの規模になるかはまだ分からないが、連合軍の陣に向かったハーゼたちはすでにソルの下に向かっている。なんとかなるだろうとカッチェは考えた。
「……敵中隊を一人で」
「ソル殿であれば一万五千くらい、一人で倒してしまいそうですが、それでは竜王と戦う前に疲れてしまいますので。早く戻りたいので、やるならさっさと始めましょう」
「…………」
カッツェたちの数はおよそ五百。その数でオスティンゲル公国軍一万を、本気で相手にするつもりなのか。はったりだと思いながらも、ヴィクトールはそう決めきれないでいる。
「竜王を利するだけだ」
「こちらの話を理解されていますか? 親子喧嘩に利するもなにもないでしょう。本来はないほうが良い戦いなのです」
望んでいない戦いであることをカッツェたちは良く分かっている。それでもソルは、戦いに挑むことを決めた。その覚悟を尊重したいと彼らは思っているのだ。誰であろうと邪魔をさせてはならないと。
「ヴィクトール様。お分かりかと思いますが、彼らはほぼ全員が異能者です」
決断を下せないヴィクトールに、ブラオが言葉をかけてきた。異能を持つヴィクトールであれば、当たり前に分かっているだろうことを。
「……分かっている」
「では正しいご決断を」
「ブラオ、君は?」
話の流れからブラオは参戦を止めようとしている。カッツェたちと戦えば、味方にも多くの犠牲が出る。それは分かるが、ヴィクトールの立場では、ここで引くわけにはいかないのだ。それはブラオも良く分かっているはずなのだ。
「おい? 何を考えている」
グラオもヴィクトールと同じ思いだ。ヴィクトールを王にする。その目的の為に戦ってきた。ここで引いては、それは実現出来なくなるかもしれない。ソルが参戦しようと、結果、竜王を倒したのはオスティンゲル公国という形でなければならないのだ。参戦しないとう選択はあり得ないはずなのだ。
「……竜王は、自分を止めてくれる者を求めていました」
「何?」
「戦場での呟きを聞きました。彼は女性に謝っていました。おそらくは、亡くなられたジュリアーナ王妃に対して」
アルノルトの戦場での呟きは、ブラオの耳に届いていた。仲間のリラとのやり取りを、一言も聞き逃すまいと集中して耳を向けていた結果だ。
「亡くなられたジュリアーナ王妃? 何を謝っていたのだ? もしかして、王妃を殺してしまったことか?」
これが一般的なバラウル家に対する見方。嫁いだ女性、婿になった男性、外から入ってきた人間は、些細なことで容赦なく殺される。ジュリアーナ王妃もアルノルトに殺されたのだという噂は、以前からあったのだ。
「……違います。謝罪していたのは、すぐに王妃のところに行けないということに対してです」
「王妃のところって…………嘘だろ?」
亡くなったジュリアーナ王妃のところ。それは天国か地獄か、どういう場所だが分からないが、死者の世界。アルノルトは自らの死を求めているということになる。
「竜王の真意は分かりません。ですが、私たちには竜王を止める資格はないことは分かります。その資格があるのは、ソル殿だけだと私は思います」
「……それは……しかし……」
ブラオの言葉をどう受け止めるべきなのか。なんとなく気持ちではグラオも理解出来ている。竜王の考えなど分からない。ソルの気持ちも知らない。それでも、二人で決着をつけなければならないことを心で感じてしまうのだ。
「……まずは戦いの様子を見る。それで良い」
「ヴィクトール様……」
決断出来るのはヴィクトールただ一人。そのヴィクトールが戦況を見守ることを決断した。良かった、とはグラオは思えない。ヴィクトールが悔しい思いを押し殺して、それを決めたことが分かるのだ。
ヴィクトールの気持ちはどうであれ、場は整った。あとは、アルノルトが出てくるのを待つだけ。その時までカッツェたちは、ソルの為に戦い続けるだけだ。