月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

竜血の玉座 第85話 凍える心

異世界ファンタジー 竜血の玉座

 竜王アルノルト自らが率いる竜王軍に、領境の防衛線を突破されたオスティゲル公国は戦術転換を図ることになった。防衛線をいくつも重ねた縦深陣で敵を削るのではなく、決戦と言うべき戦力を一度に投入することにしたのだ。
 一か八かの賭け、ということではない。初戦を経て、敵戦力を分析した結果の決断だ。竜王軍の質は、一部の将兵を除いて、かなり低い。数が互角であれば、まず部隊単位での戦いで負けることはないというのが理由のひとつ。そして、それ以上に戦術に影響を与えたのは、やはり、アルノルトの存在だった。
 アルノルトは強い。桁違いに強い。百や二百の部隊は、わずかな時間で全滅させられる。堅牢なはずの備えを施していてもアルノルト一人に、防衛線に穴を空けられてしまうのだ。
 あらかじめ分かっていたことだが、アルノルトを倒さなければ勝利はない。だがそれは戦争そのものの勝利ではなく、一戦場で勝つためにもアルノルトを、倒せないまでも、止める必要があることが分かったのだ。
 では、どうやってアルノルトを止めるか。それが総力戦を挑むというやり方だ。戦力の逐次投入が各個撃破を招くのと同じように、力ある将を少数で戦場に送り込んでもアルノルトに討たれるだけ。まとまった数でアルノルトに対する。オスティゲル公国は、こう考え、実践したのだが。

「……化け物だ」

 無力な人たちから自らもこう呼ばれたことがあるブラオにとっても、アルノルトの強さは異常だった。とてつもなく強いことは分かっていたはずだった。だが仕えていたブラオは、戦場でアルノルトと相対するのは初めてなのだ。相対した人たちで生き残れた人はいないので、その強さを伝え聞くこともなかった。

「……もしかすると、歴代の竜王の中でも最強と評される実力なのかもしれないな?」

「ヴィクトール様!? 下がってください!」

 戦場にはヴィクトールも出陣していた。だがそれは味方の士気をあげる目的であって、前線に出てくる予定はなかった。竜王軍に勝利するにはアルノルトを倒す必要があるのとは逆に、ヴィクトールを討たれてしまってはオスティゲル公国は、その時点で負けなのだ。

「私の助力が必要だろうと思って来た。だが……強いな」

 ヴィクトールには父から受け継いだ力がある。その父の力の基はアルノルト。一対一で互角に戦えるとは考えていないが、仲間たちと共に戦うのであれば、なんとかなるとは考えていた。だから出陣したのだ。
 だが、実際に見たアルノルトの戦いは、その考えを覆すものだった。オスティゲル公国の最精鋭である将たちが束になってかかっても、アルノルトに押されている。まだ討たれていない者がいないことを、善戦していると評価して良いくらいの戦況だ。

「我々が総力でかかります。その間に後退してください」

 アルノルトはまだヴィクトールの存在に気が付いていない。ヴィクトールであることを分かっていないのかもしれないが、とにかく注意を向けていない。それが救いだとブラオは思っている。
 だがその幸運がずっと続くはずがない。仮にヴィクトールだと認識していなくても、今戦っている仲間が討たれれば、アルノルトは襲い掛かってくる。その前に、ヴィクトールを逃がす必要があるのだ。

「分かった。分かったが……無理を承知で言う。皆、生き残ってくれ。この先の戦いの為にも」

 仲間たちに死んで欲しくないという素直な気持ちからの言葉だが、それだけでもない。アルノルトを止めるには、ここにいる戦力では不足している。増強しなければならないと分かった今、さらに戦力を落とすわけにはいかないのだ。

「……善処します。では、お下がりください」

 生き残るという約束は、ブラオには出来なかった。誰かが犠牲にならなければ、ヴィクトールが退却する為の時間を稼ぐことも出来ない。それが分かっているのだ。
 まだ回復していない体を無理やり動かし、部下と共に再び、前に出て行くブラオ。同じように、回復の為に戦いから離れていた他の将と部下たちもアルノルトに向かって行く。

「公、下がりましょう」

「……ああ……ん? リラは?」

 後方に下がろうとしたところでヴィクトールは、最前線に来るのに付いてきたリラがいないことに気が付いた。
 彼女も異能者だが、戦う為の力ではない。ただ人の心を見る能力のあるリラであれば、アルノルトの何かを掴めるかもしれない。とにかくどんな情報でも必要としているオスティゲル公国は、情報収集でも総力を挙げているのだ。

「近くには……とにかく下がりましょう!」

 将であるリラを気にして、ヴィクトールを危険にさらすわけにはいかない。この部下の役目はヴィクトールを守ること。それ以上に優先すべきことはないのだ。

「リラ! どこにいる、リラ!? 後退だ!」

「早く! 早くお下がりください!」

 強引にヴィクトールの腕を引いて、後退させようとする部下。こういうことで遠慮するような部下は、ヴィクトールの周りにはいない。やるべきことをわきまえ、時にはヴィクトールに諫言するくらいでなければ近臣ではいられないのだ。
 ヴィクトールもその部下の勢いに押されて、やや躊躇いを見せながらも、動き出す。彼もまた自分の役割をわきまえている。ここで死ぬわけにはいかないのだ。
 では、いなくなったリラはどこに行ってしまったのか。

「リラ! 下がれ! お前には無理だ!」

 最前線、アルノルトとの戦いの場にいた。いつの間にか戦いに加わっていたリラを仲間たちが下がらせようと叫んでいる。彼女がアルノルトに抗えるはずがないことを当然、皆知っているのだ。
 だがリラは仲間たちの言葉に従おうとしない。それどころか無防備にアルノルトの前に出て行ってしまう。その彼女に振るわれるアルノルトの剣。

「……ん? 何を泣いている? 死ぬのが怖いのか?」

 そのアルノルトの剣を止めたのは彼女の涙。そしてそれを見たアルノルトの気まぐれだった。

「……違う。泣いているのは貴方」

「なんだと……?」

 リラが泣いているのは死を恐れてではない。アルノルトの心に共鳴したからだ。

「どうして、貴方の心はそんな風に凍えているの?」

「そうか……私の心は凍えているか……」

 リラの言葉はアルノルトが受け入れられるもの。そう表現されるものであってもおかしくないと思う心当たりがあった。

「貴方と似た心をしていた人を知っている」

「私に似た? そんな存在はいない。私は、特別だ」

 リラとアルノルトが話している様子を、周囲の人たちは黙って見ている。襲い掛かる隙はない。そうであれば、隙が見えるまで、二人の会話に耳を傾けていたほうが良い。もしかすると、アルノルトから何かを引き出せるかもしれない。元々、リラの役目はそういうものなのだ。

「いた。ソルがそうだった」

「……そうか……ソルか。あれは私の息子だからな。だが……ああ、そうか。我々が生きているのを知らない時のことか」

「そう。貴方も誰かを失ったの? 大切な、何よりも大切な誰かを」

 ソルのほうは、普通の一人に比べれば見えないも同然だが、アルノルトよりはまだ分かることがあった。罪の意識が心を凍らせているのだと、ミラには分かった。

「………下がれ。お前と戦っても、一秒も楽しめない。他の者もだ。今日の戦いは、まあまあ楽しめた。次はもっと楽しませろ。そうでなければ、殺す」

「…………」

「聞こえなかったのか? 私は下がれと言ったのだ。すでに五秒待った。これ以上はないぞ?」

 これでまだ言うことを聞かなければ、アルノルトは容赦なく剣を振るう。それが分かっているリラは、他の者たちも、警戒しながら後退していく。彼らにとっても、ここで戦いを、一時的でも、終えられるのはありがたい。このまま戦っても勝ち目は見えないのだ。
 アルノルトの周囲の状況が伝播したかのように、戦場全体で戦いが止んでいく。

「……野に埋もれていた才能なんてものには、そううまく巡り合えるものではないな…………すまんな。ジュリアーナ。まだしばらく、お前のところに行けそうにない。私は止まらない」

 アルノルトのこの呟きを聞く者は周囲にはいなくなっていた。周囲には。

 

 

◆◆◆

 ノルデンヴォルフ公国南部にある砦を本営としていたルシェルとノルデンヴォルフ公国軍は、クリスティアン率いる竜王軍が近づいてくるのを知ると、すぐに戦いを避けて後退。ノルデンヴォルフ公国領内の奥に下がった。二万の竜王軍と、実際に砦に接近した軍勢は五千ほどだが、戦える力はない。そう冷静に判断した結果だ。

「その後の竜王軍の動きは、どのようなものですか?」

 竜王軍と十分に距離を取ったところで状況把握。偵察隊などの情報を確認する会議が行われている。

「我々がいた砦を占拠した後、各地に偵察を放っている様子です。こちらに近づいてくるのではなく、横に広がる感じです」

「偵察ですか……」

「分断を図るつもりでしょうな。ツェンタルヒルシュ公国との領境付近で活動している我が軍がいないか、確かめているのでしょう」

 バルドルは竜王軍の意図をノルデンヴォルフ公国とツェンタルヒルシュ公国の分断にあると見ている。正しい分析だ。

「ツェンタルヒルシュ公国との行き来が出来なくなると……」

「補給がままならなくなりますな。ツェンタルヒルシュ公国領内にいる味方にとっては、厳しい状況でしょう」

「エルヴィンからの連絡は?」

 竜王軍がノルデンヴォルフ公国領内に進出してきたことは、公都ヴォルフスネストにいるエルヴィンにも伝えている。援軍派遣の要請も同時に行われていた。

「まだです。往復するには、まだ日数が足りません」

「……そうですね。砦を奪われた今、もともとの輸送路は使えなくなります。別ルートを確保するにしても……」

「当たり前のことですが、それを竜王軍が許すはずがございません。戦って守りきれるだけの戦力が必要となります」

 現有戦力ではそれが出来ない。戦っても負けると考えたから、砦を放棄したのだ。少なくとも公都から援軍が送られてくるまでは何も出来ない。

「結果として、もっとも弱いところを突かれた形になっております。これを言えばルシェル様はお怒りになるかもしれませんが、敵の作戦勝ちですな」

 連合軍の弱点はノルデンヴォルフ公国。長く続く戦いで荒廃したツェンタルヒルシュ公国よりも、軍事力という点では、弱いのだ。
 これは今に始まったことではない。ナーゲリング王国を建国した時に軍事力を分割した時点で、ノルデンヴォルフ公国はもっとも戦力が低くなった。攻める力を失った。その回復が間に合っていなかったのだ。

「……ツェンタルヒルシュ公国にいる味方に頑張ってもらうしかないということですか?」

「そうなります。もちろん侵攻を防ぐ為の戦いは行わなければなりません。ただ竜王軍が、はたして領内奥深くまで攻め込んで来ますかは……」

 それはノルデンヴォルフ公国が求める戦いの形。有利な形を作った竜王軍が自らそれを崩し、敵に有利な戦いを挑むとはバルドルには思えない。
 当面は情報収集に努める。会議で決められたのは、これだけになる。

 

 

◆◆◆

 今現在、もっとも平和な場所はどこかとなれば、ヴェストフックス公国ということになる。多くの人手を徴兵に取られた公国の人々には、そんな実感はないだろうが、領内で一度も戦いが行われていないのはヴェストフックス公国だけなのだ。他の地域の悲惨さを知らない人々には、その有難みが分からないのだ。

「クリスティアン様から補給の要請だと?」

「はい。物資をあるだけ渡せと言ってきております。労働力だけでなく物資まで全て奪われては、公国の民はどうやって生きていけば良いのですか?」

 バラウル家のやり様にヴェストフックス公リージェスの息子、トゥーリアは批判的だ。バラウル家の人々が領内にいた頃には、決して口に出せなかった文句を、父親に訴えるようになっている。

「クリスティアン様がそのような無理を……具体的には?」

 クリスティアンは父であるアルノルトとは違って、民への思いやりがある。そう思っていたリージェスは、トゥーリアの報告が信じられなかった。

「こちらに記されているようです」

 クリスティアンから送られてきた書簡をヴェストフックス公に渡すトゥーリア。封を切り、中身を読み始めるリージェス。

「……なるほどな」

「どのような無理難題が書かれているのです?」

「領境の守りとして五千の軍勢を配置した。その軍勢が長期滞陣出来るだけの物資を調達して欲しいと」

「……守り、ですか?」

 自分が思っていた要求とは、どうやら違っている。トゥーリアはそれが分かった。

「クリスティアン様はノルデンヴォルフ公国領内にいるようだ。ツェンタルヒルシュ公国への補給を止める為だが、それを行うとノルデンヴォルフ公国軍が、ツェンタルヒルシュ公国軍かもしれないが、我が領内に侵入してくる可能性がある」

「我が領内で戦いが……我らには守る力がありません」

 ヴェストフックス公国軍は、さらに無理をして徴兵を行い、数だけは揃えたが他国軍と戦う力などない。侵攻をされれば、それを防ぐことは出来ない。

「ノルデンヴォルフ公国との領境はクリスティアン様が守ってくださる。我らの軍はツェンタルヒルシュ公国との領境に集中させる。ツェンタルヒルシュ公国にいる軍に攻め込む余裕はないだろうが念のため、ということだ」

「そうでしたか……」

 クリスティアンは優しさだけからこのような対処を行ったのではない。ノルデンヴォルフ公国からの補給を止めても、ヴェストフックス公国から略奪されては意味がなくなる。それを防ぐ意味もある。

「……クリスティアン様の時代になれば。これを期待したいところだが、はたしていつになることか……」

「彼もまたバラウル家です。今は信頼できる人であっても、将来は分かりません」

「……そうだな。竜王様も……」

 アルノルトは、妹のジュリアーナにとっては良い夫だった。いなかったものとして諦めなければならない。その覚悟でアルノルトに嫁がせたが、どうやら幸せと言える結婚生活だった。
 もし妹が早逝しなければ。リージェスは何度もこれを思ってしまう。考えても意味のない可能性だと分かっていても。

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