クリスティアン率いる竜王軍との戦いで、多くの被害を出しながらも、なんとか撤退に成功した連合軍。当初は領境を超えたところで滞陣し、ツェンタルヒルシュ公国の公都ヴィルデルフルスにいるディートハルトの指示を仰ぐ予定だったのだが、進軍を止めることなく公都に向かうことになった。竜王軍の追撃を警戒しての決断だ。
結果、連合軍は公都郊外に布陣。意図しない公都決戦に備えているような形になってしまった。
「まずは、ご苦労だった」
合流したルッツに労いの言葉をかけるディートハルト。戦いの様子は、おおよそだが、すでに報告を受けているのだ。
「敵が引いてくれたおかげ……いえ、そうするべきと思わせた近衛特務兵団の奮戦のおかげです」
「そうか……敵軍を率いているのはクリスティアン・バラウルだと聞いたが?」
「はっきりと確認したわけではありません。ただ戦旗の紋章がクリスティアンが使っていたものに良く似ていると近衛特務兵団のイゴルが申しております」
「つまり、前線には出てきていないということか……」
イゴルはかつてクリスティアンの近衛従士だった。クリスティアンの容姿を知っているはずだ。はっきりと確認出来ていないということは、クリスティアンは戦場に姿を見せていないということ。これまでの竜王軍とは少し戦い方が違うとディートハルトは思った。
「いるはずの異能者部隊は、ほとんど確認来ませんでした。悔しいですが、おそらく決戦戦力を温存して戦ったのだと思われます」
「数は倍の二万だったな?」
「はい。ただ、数の差だけとは思っておりません。兵の質もかなり高いと見ました。あくまでも我が軍との比較において、ですが」
クリスティアンの軍勢は数の力だけで押してきたわけではない。部隊の統制がとれていて、組織的な動きを見せていた。普通に手強い敵という印象だったのだ。
ただルッツにとって不利な点もあった。ノルデンヴォルフ公国軍の質だ。オスティゲル公国との戦いで多くの犠牲を出したノルデンヴォルフ公国軍には新兵はもちろん、新たに将に任命された者も多い。明らかに質が劣っているのだ。その弱点を突いたクリスティアンの戦術が優れているとも言えるが。
「……公都周辺に分散している竜王軍がおよそ一万。援軍が二万。総数三万は我が軍とほど同数か」
数の上では互角。互角になってしまったという思いだ。数では互角の、質では上を行く敵軍とどう戦うべきか。ディートハルトは考えている。公都籠城と素直に決めきれないのだ。
「我々を襲った竜王軍は数を減らしております。どこに向かったかは確認出来ておりませんが、恐らくは」
「ノルデンヴォルフ公国か……ルシェル様はご無事だろうか?」
「敵の動きには気づくはずです。あとは無理して戦おうとしなければ」
戦っても負ける。ルシェルの周辺にいる軍勢は、バルトなど歴戦の将もいるが、兵の質は、また一段劣っている。ツェンタルヒルシュ公国での戦いに投入しないと判断された将兵たちなのだ。
「報告を待つしかないか……そうなると敵の増援はどの程度の数になったのだ?」
「はっきりと確認出来る場所までは近づけなかったそうですが、およそ一万ほどと報告を受けております」
「二万……やはり、籠城を選ぶべきか……」
ただでさえ守る側が有利な籠城戦で、数で上回った。さらに固めに固めた公都の守りは、そう簡単に突破出来るものではない。問題は増援が到着したことを知った公都の人々が、それでも籠城を選択する判断をどう受け取るか。すでに不満は限界まで膨れ上がっているのだ。
「攻めてきてくれるのであればな」
「バルナバス!?」{生きていたのか!?」
突然割り込んできた声はバルナバス。ルッツは、珍しくディートハルトもあまりの驚きに声が大きくなった。
「生きていて悪かったな」
「悪いとは言っていない。生きていてくれて良かった。いつから、ここに?」
少しでも戦力を高めたいところ。バルナバスの合流は、ディートハルトとしては大歓迎だ。将としても一人の武人としても、ナーゲリング王国軍の中で一番、ディートハルト個人のだが、評価されていたのだ。
「今さっきだ。少し寄り道してから公都に来てみたら、王国軍の旗を掲げた軍勢がいたので、まっすぐにここに来た」
「そうか。詳しい話は後にしよう。籠城は間違った選択か?」
「俺の考えではない。彼女の意見だ」
バルナバスは一人でここを訪れたのではない。連れも三、四人いる。その中の一人を指で示した。
「彼女は?」
「死にかけていた俺を助けてくれた人たちだ。他にもいて、その者たちを送り届けてから、ここに来た。彼女たちは、当初の予定を変えて、俺と一緒に戦ってくれると言って、付いてきてくれた奇特な者たちだ」
「戦う力があるということか。では、君の意見を聞かせてもらえるか?」
たった三人、とはディートハルトは思わない。竜王軍との戦いでは個の力も必要だ。異能者と一般の兵士とでは力の差がありすぎて、一騎当千という言葉通りの戦いになってしまうこともあると、ディートハルトは考えているのだ。
一騎当千とは言わないまでも、敵将を止められる戦力は大歓迎だ。
「あの、私の意見ではありません。ソル殿の意見です」
「えっ!?」「何だって……?」
瞬間的に大声で驚きを表したのはルッツ。ディートハルトは相手が何を言ったのかを考えながらのように、問いを返した。
「ソル殿のところに残った人たちが、バルナバス殿へのせめてもの恩返しとして、意見を引き出しました。私はそれを伝え聞いただけです」
「……つまり、ソルの居場所を知っている? バルナバス、君はソルに会ったのか?」
ディートハルトのソルに対する評価は、以前とは比べものにならないくらいに高まっている。ツェンタルヒルシュ公クレーメンスからツヴァイセンファルケ公国軍との戦いについての話を聞き、ノルデンヴォルフ公国からソルの素性についての情報を得た結果だ。
「いや、会えていない。本人の意志かは分からないが、拒否された」
「……彼は竜王に付いたのか?」
バルナバスを、連合を拒絶するということは竜王側に付いたということ。ディートハルトの考えは当然のものだ。ソルほどの力があって、傍観者でいるという選択は、思いつかないのだ。
「そうではないらしい。一言にすると中立。奴が守っている地域には我らも、竜王軍も入れるつもりはないそうだ」
「何を考えて……いや、これも後にしよう。彼の意見を教えてもらえるか?」
ソルの考えはディートハルトには理解出来ない。理解出来ないことを納得するまで説明してもらうには時間が必要だ。今、行うべきことではない。
「はい。ソル殿はクリスティアン様、いえ、竜王軍の狙いは補給線を断つことだろうと言っていたそうです。すでにツェンタルヒルシュ公国内の物資は枯渇状態。オスティゲル公国も戦場となった今は、ノルデンヴォルフ公国からの補給に頼るしかないはずだと」
「本当の目的は増援軍を叩くことではなかったということか……いや、違うな。増援軍を叩くこともまた、補給線を維持出来なくする為か」
進軍中の増援軍は背後を突かれた。増援軍を叩く為の奇襲と思い込んだのが間違い。竜王軍は当初の目的を果たす為に、ノルデンヴォルフ公国とツェンタルヒルシュ公国との間に割り込んだに過ぎない。さらに、連合軍の戦力を削ることが出来れば、その後の作戦も楽になるという考えだと、ディートハルトは理解した。
「引いたのは、別の目的があったからですか……」
何故、竜王軍は追撃を止めたのか。ルッツが抱いていた疑問は晴れた。それが分かっても気持ちは重くなるだけだが。
「籠城を続けていても立ち枯れるだけ。補給線を維持する為にも、野戦を挑むしかない。敵の思う壺のように思えるな」
完全に敵の戦略に嵌っている。バルナバスはそう思った。
「想定していなかったわけではない。ただ、竜王軍は短期決戦を求めているのだと思っていた。そう思い込まされていたのかもしれないな」
これまでの竜王軍の戦い方は、完全な力攻め。圧倒的な攻撃力と犠牲を厭わない強引な戦法で、味方を打ち破ってきた。公都の防衛を強化している中、敵の兵糧攻めも想定していなかったわけではないが、竜王軍がその戦術を選ぶ可能性は低いと考えられていたのだ。
「ノルデンヴォルフ公国も南部であれば、冬の訪れを恐れる必要はない。ノルデンヴォルフ公国が独力で補給線を回復する可能性は?」
「……低いだろうな。ルッツが押し込まれた敵軍に、領国に残ったノルデンヴォルフ公国が勝てるとは思えない」
勝てる力のある軍勢であれば、この地に来ている。ノルデンヴォルフ公国に残ったのは、北の大地の厳しい気候を頼りに持久戦を行う為の軍勢。勝つための軍勢ではないのだ。
「では、こちらから部隊を出すしかない。選択肢はなしだ」
「…………敵の増援軍がすぐに攻めてこないのであれば、別の選択肢もある。先にツェンタルヒルシュ公国内にいる敵戦力を減らしておくという選択肢だ」
「その敵戦力というのは?」
現地の情報をあまり知らないバルナバスには、ディートハルトがどの敵軍について話しているのか分からなかった。
「以前からツェンタルヒルシュ公国にいた竜王軍だ。今は複数の拠点に、大隊くらいの規模に分散して、滞陣している」
「大隊規模? 攻めてくださいと敵のほうからお願いしているような状態だな?」
ディートハルトの話を聞いたバルナバスは、敵の罠である可能性を考えた。ディートハルト等、連合軍の将は皆、同じ考えだった。公都から出撃させ、野戦に持ち込む為の罠だと考えていたのだ。
実際は連合軍の意識を引き付け、クリスティアンの軍勢が移動しているのを気付かせない為だが、この時点では、彼らには分からない。
「だが、竜王軍の増援が公都を攻めてこないのであれば、今の数で守りは十分過ぎるくらい。それらの敵にこちらの増援軍をあてられる」
「なるほど。いつ攻めてくるか分からない敵増援軍を、ただ待っているよりはマシだな」
元々、全軍を公都に入れるつもりはなかった。増援軍は公都外に布陣させ、内と外、両方で竜王軍と戦う想定だったのだ。公都での戦いがまだ先となるのであれば、ルッツが率いてきた増援軍を公都近くに張り付けておく必要はない。公都の守りはそのままで、別の戦いに回すことが出来る。
「ちなみに、サー・バルナバスはどうするつもりなのかな?」
「分かりきったことを聞くな。戦いがある場所に行く」
「だろうね。じゃあ、近衛特務兵団は任せた」
「ヴェルナーは……そういうことか……」
この場にはヴェルナーがいない。ルッツの話と合わせて、バルナバスは事情を理解した。ヴェルナーは戦死したのだと。
「本当に任せたい人は別にいるけどね。ただ、サー・バルナバスとも会おうとしないとなると……」
ナーゲリング王国軍でもっともソルと近い関係にあったのはバルナバスだ。その彼とも会おうとしないとなると、味方になるように説得することは、かなり難しいだろうとルッツは考えた。
「……そういえば、君たちの仲間はどうやって彼に受け入れてもらったのだ?」
ソルはバルナバスが連れてきた人たちの仲間を受け入れている。戦う意志がない人たちだからというのが理由のひとつであろうことは分かるが、そもそも、どうやって居場所を知ったのか。連合もそれなりにソルの居場所を掴もうと、捜索の手を伸ばしていたつもりなのだ。
「まったく知らない仲ではありませんから。お分かりかと思いますが、私たちは元フルモアザ王国軍です。ソル殿には討伐から助けてもらった恩があります」
「それは……王国軍による討伐だな?」
「そうです。それ以前からソル殿を知っていた人たちもいます。ティグルフローチェ党が彼に従った後、彼は私たちのような者たちから注目されるようになり、情報収集などの為に、それまでなかった横の繋がりが生まれました」
ナーゲリング王国が本腰を入れて、フルモアザ王国旧臣の討伐に乗り出してきた。身の危険を感じていた中で、ソルの存在を知ったのだ。討伐ではなく味方にするという手段をとったソルについて、どうして、ティグルフローチェ党はそれを決断出来たのかを知りたくて、情報集めに動いた結果だ。
「君たちを救う為に動いたのはルシェル様だ」
ディートハルトの立場では、こう思う。フルモアザ王国の旧臣たちの命を、味方にするという手段で助ける為に動いたのはルシェル。彼女が兄であるユーリウス王を説得したのだ。
「……これを言うとご不快に思うかもしれませんが、ルシェル様ご自身が考えたことではないことを、私たちは知っています」
近衛と組兵団の団長であるルシェルからの、形式だけのこととはいえ、命令は討伐だった。その命令を、ある意味、無視して、討伐することなく説得に動いたのはソル。そうであることを彼女たちは知っている。他のグループもそうだ。
「それは……そうかもしれないが。逆にこれは君が不快に思うかもしれないが、彼の行動は同じフルモアザ王国に仕えていた者としてのものではなかったのか?」
ソルの行動を否定したいのではない。ナーゲリング王国の将として、王女であったルシェルの働きが認められていないことに納得いかないのだ。
「……そういえば、彼がどこにいて、何をしているかを話していませんでしたね?」
「あ、ああ、そうだな」
「彼はツェンタルヒルシュ公国の北東部にいます。そこで戦乱から逃れてきたツェンタルヒルシュ公国の人々や私たちのように王都周辺地域から逃げてきた人たちを守っています」
「そんなことを……そうか……」
どこに仕えていた、なんてことはソルには関係ない。助けを必要している人たちを守っているだけ。ディートハルトは彼女が何を伝えたいかを、正しく理解した。
「誤解を恐れず言いますが、彼はバラウル家の人たちを本気で家族だと思っています。私たちにとって恐怖の対象でしかない竜王も、彼は家族だと思っています」
「…………」
「きっと、私たちが知らない竜王を知っているのです。以前はこんなことは考えませんでした。敵か味方かを区別しようとしていました。でも、大多数の人はそのどちらでもない。今はそう思うようになっています」
どちらが勝利するかなど、どうでも良い。とにかく戦争が終わり、安心して暮らせる世の中になって欲しい。こう考える人が大多数。どちらが正義でどちらかが悪なのではなく、戦争が悪なのだと彼女は思っている。
「……戦争に正義はないと? 確かにそうかもしれないが……私は軍人だ。自分の正義に従うのが使命だ」
「それは私も同じです。どちらに正義があるかなど関係なく、バルナバス殿の為に戦おうと思っているだけです」
「そうか」
ふと、この女性とバルナバスはどういう関係なのだ、という疑問がディートハルトの頭に浮かんだ。世話になったのはバルナバスのほうであるはず。そうであるのに彼女は、バルナバスの為に戦うと言っているのだ。
「……なんであれ、ソルには正式に使者を送るべきだな」
そんなディートハルトの思いに気付いた様子もなく、バルナバスはソルに使者を送るように提案してきた。
「ダメ元でも、か?」
「話を聞いていたか? ソルがいるのはツェンタルヒルシュ公国北東部。ノルデンヴォルフ公国との領境だ。そこを押さえている奴は、ノルデンヴォルフ公国とツェンタルヒルシュ公国を自由に行き来出来る。オスティゲル公国にも近いはずだな」
「……分かった。クレーメンス殿に相談して、すぐに使者を送ってもらおう」
竜王軍によって補給線は分断されようとしている。ソルがいる場所は、ノルデンヴォルフ公国とツェンタルヒルシュ公国を繋ぐ位置にある。そこを通って補給を行うことが出来るかもしれない。
「断られたら、代わりにと言って、勝ち方を聞いて来い」
「はっ?」
ここまでの話で、どうしてこういう話になるのか。ディートハルトはすぐにバルナバスの意図を理解出来なかった。
「竜王軍が補給線を断とうとしているという話を、いつ聞いたと思っている? 竜王軍がノルデンヴォルフ公国に入ったすぐの頃だ。どうやら奴は戦略も考えられる」
「……なるほど。だが……やはり、ダメ元だろ?」
「頼むのはタダだ」