ツェンタルヒルシュ公国領内への進軍を開始したノルデンヴォルフ公国とナーゲリング王国の連合軍一万。その戦いは、想定外の地点で始まることになった。クリスティアン率いる竜王軍がツェンタルヒルシュ公国領内に入ったばかりのところで、襲い掛かってきたのだ。それも背後のノルデンヴォルフ公国方面から。
完全に不意を突かれた形の連合軍は、勝つどころではない。動揺する兵たちを、なんとか落ち着かせて態勢を整え直し、最小の犠牲で撤退しようと試みた。
だがそれは容易ではない。襲ってきた竜王軍は二万。味方の倍の数を揃えているのだ。その倍の数の、勢いに乗った軍勢の攻勢を受け止めるだけで精一杯。よく受け止められたものだと感心するくらいだ。
「何なんだ!? こんな大軍で襲い掛かってくるなんて! まとも過ぎるよね!?」
万全の態勢で奇襲を仕掛けてきた竜王軍。勝つための戦術としては、やられた側はたまったものではないが、ごく当たり前のことだ。
だがこんな方法は、これまで出鱈目と表現しても言い過ぎではない戦い方をしてきた竜王軍とは思えない。文句を言っても意味はないことは分かっていても、ルッツは声に出さないではいられなかった。
「まともな人物が指揮を執っているからではないですか?」
ルッツの愚痴に、これもまた当たり前の答えを返すヴェルナー。
「それはそうだろうね。しかし、誰……もしかして誰か分かっている?」
「イゴルはクリスティアン元王子ではないかと申しております。戦旗に描かれている紋章に見覚えがあるそうです」
「竜王の息子か……義理の息子であるソルと実の息子は、どちらが強いのかな?」
「さあ、分かりません。ただ本気のソルよりも強い者など、竜王以外にはいると思えません」
これは希望も入っている。ソルと対峙して、ヴェルナーは勝てると思えない。そんな気持ちでは勝てる戦いも勝てなくなると分かっているが、弱気を消すことは出来ない。
クリスティアンがソルと同等以上の力を有しているとは、可能性であっても、ヴェルナーは認めたくないのだ。
「……なんとか、一時的でも良いから、押し返したいね?」
今のままでは引くに引けない。この状態で退却に移っては、ただ好きなように背後から襲ってくださいと言うのと同じ。なんとかして混乱なく退却に移る為の間を作らなければならない。
「承知しました。私が殿を務めます」
「命を捨てろと言うつもりはないよ?」
「分かっております。足掻いて足掻いて、最後まで足掻いて、生き延びてみせます」
命を軽く見て戦うことは正しいことではない。命を捨てる覚悟は持っても、最後の最後まで諦めることなく、生き残る為に足掻き続けてこそ、役目を果たせるのだとヴェルナーは考えている。そういった戦いを何度か経験して、そう考えるようになったのだ。そしてそれは、ルッツも同じだ。
「では、先に行っているよ」
「はい。あまり、お待たせしないように頑張ります。近衛特務兵団! 出撃だ!」
ヴェルナーの命令を受けて、周囲にいた近衛特務兵団の団員たちが集まってくる。かつての近衛特務兵団からは、かなり人数が増えている。軍全体の再編時にヴェルナーの指揮下を増やしたのだ。
一塊となって最前線に突撃していく近衛特務兵団。
「いつでも命令に対応できるように態勢を整えろ! 敵の攻撃を食い止めろ!」
残りの部隊に命令を発するルッツ。近衛特務兵団の頑張りを無駄にしない為には、タイミングを外すことなく、速やかに退却に移らなければならない。その準備を遠回しに指示したのだ。中隊指揮官にはそれで十分、意図は伝わる。連合軍全体が、必死に竜王軍の攻撃を防ぎながら、態勢を整えて行く。
当然その動きは、対峙する竜王軍にも見えている。
「……なかなかしぶとい軍勢だね? 一戦で崩壊させるというのは、甘い考えだったかな?」
戦況は自軍優位に進んでいる。だが、単純にそれを喜ぶだけのクリスティアンではない。
「それなりに戦いを経験している。それで生き残った奴らだ。全体の半数だけだが」
「……近衛特務兵団だったかな?」
「特設なんどかではなかったか? 名称はどうであれ、あの男が率いていた部隊だ」
ツヴァイセンファルケ公国軍を撤退に追い込んだ部隊。その情報は事前に得ている。ただ興味は、部隊そのものではなく、その戦場にいたソルに集中しているが。
「ソルが率いていたのは、近衛特務兵団第二隊だけではなかったかな?」
「組織上は。だが、あの男が戦場を支配していたのは間違いない。レアンドルを討って、ツヴァイセンファルケ公国軍を撤退させたのも奴だ」
「随分、ソルのことを意識しているのだね?」
話している相手は、あまり他人には関心を持たない性質だとクリスティアンは思っている。その彼が、ソルについては、かなり詳しそうだ。ソルを知るクリスティアンは、それを意外とは思わないが、そうであることを表に出すことは、少し驚きだった。
「今この状況で中立でいようなんて考える馬鹿だ。気にならないと言ったら、嘘になる」
「……もしかして、ソルの下にいたかったのかな?」
彼は竜王軍に多くいる血に飢えた将たちとは違う。態度はぞんざいだが、クリスティアンにとって、まともな考えを持っている。だから副官のような立場に置いているのだ。
「はあ? それは自分が嘘つきだと認めることになるが?」
「嘘つき?」
「二度と戦乱の世の中を生み出さない。人殺しの為の力など必要としない国を作ると約束したはずだ」
「ああ……そうだったね」
それを実現する為の最後の争い。そう考えて、クリスティアンは自分を納得させてきた。覇権を求める者たちを一掃して、絶対王権を確立する。その国の王となり、人々に平和をもたらすのだと。
だが、その為の犠牲はあまりに多すぎる。理不尽な死が溢れている。自分は正しいことに加担しているとは、クリスティアンは思えなくなってきていた。
「本音は、ここで戦うことなく、ツェンタルヒルシュ公国にいる馬鹿どもを全て討たせてから、戦えば良いと思っている。あの馬鹿どもも将来には不要な奴らだ」
馬鹿どもと表現しているのは、竜王軍の将たち。味方だ。だが、彼の考えでは血を好む彼らは平和な世の中には無用の存在。無用どころか害をなす存在だ。この戦いで敵と共に一掃されたほうが良いと考えているのだ。
「私の立場では、それに全面的に賛同することは出来ないね。ただ……味方の犠牲は抑えたほうが良い。引かせるよ」
「……噂をすれば影か。たしかに決死の覚悟の強敵とは戦いたくはないな。分かった」
近衛特務兵団の戦旗が最前線で揺れている。数は多くはないが、その勢いは遠くで見ていても、すざまじいのが分かる。そういう敵とまともに戦っては、最終的には勝つにしても、犠牲が多くなる。クリスティアンは竜王軍を引かせることにした。一気に殲滅出来ないとなれば、ここで無理をする必要はない。まだクリスティアンの戦いは始まったばかりなのだ。
結果、決して少なくない犠牲を出しながらも、連合軍は撤退に成功した。
◆◆◆
ソルたちが篭る、今となっては砦と称しても良い状態になった場所にも、組織が作られた。竜王軍から逃げてきたり、ソルの存在を知って合流してきた人たちが、かなり増え、各自が自身の裁量で暮らしを成り立たせるなんて方針では、やっていけなくなってきたのだ。
組織の運営は基本、合議制。軍事部門はソルを始めとした近衛特務兵団の指揮官、それに後から合流してきた集団の長たちで構成され、行政はツェンタルヒルシュ公国の役人だった人たち、村や町の代表者だった人たちが担っている。情報部門もある。ウィンディの一族がそうだ。彼らの専門性を活かさないという選択肢はなかった。
「今日はソル殿は?」
今日も人々が集まって会議、といっても何か議題があるわけではない。時間のある人たちが、雑談をする為に、勝手に集まってきただけだ。
「麓で畑を耕している」
情報部門の長、クラウドの問いにウィンディが答えた。ウィンディにとっては憎むべき相手だったのだが、共に過ごす時間が多くなり、わだかまりは少しずつ解けてきている。
「はっ?」
「楽しいらしい。農作業そのものではなく、合間に子供たちと遊ぶのが。年下の子と触れ合う機会がなかったみたいだからな」
ソルはここで暮らす子供たちにとって、自分たちを守ってくれるヒーローだ。憧れの人にかまってもらいたくて、ソルが外にいるとすぐに集まってくる。
ソルのほうもそんな子供たちが可愛くて仕方がないようで、ウィンディにとっては「辛抱強く」と思えるくらい、ずっと子供たちの相手をしている。
「……子供に好かれるというのは悪いことではない」
「何の為に? 余計なことを考えているのなら、ここから出て行け」
わだかまりは少し解れたが、信頼が生まれたわけではない。ウィンディはクラウドたち一族がここに来た理由を疑っている。何かを企んでいるのではないかと思っているのだ。
「では、お前はどうなのだ? このままソル殿が野に埋もれたままで、本当に良いと思っているのか?」
企みとは違うが、クラウドには想いがある。少なくとも、今のままでは駄目だと考えている。
「それは……」
「ソル殿に戦いを終わらせる力があるのであれば、その力を正しく使うべきだと思わないか?」
最初からクラウドはこう思っていたわけではない。最初は、訳の分からない争いに翻弄されるのは真っ平ごめんだと考え、ソルであれば進むべき道を示してくれるのではないかと思い、頼ったのだ。
だが自分と似た思いで集う人たちが増えてきたことで、考えが変化してきた。集った力に向ける先を与えるべきだと思った。
「それは結局、ナーゲリング王国の為に働けということだ」
「何故そうなる?」
クラウドにハーゼが指摘してきたような考えはない。滅びたナーゲリング王国への忠誠心などない。滅びる前から一族が生きていく為に仕えていただけのつもりだ。
「ソルが、来る者は拒まず、去る者は追わずであれば、竜王は、来る者も拒み、去る者は殺すだ。そんな竜王に俺たちが味方することはない」
アルノルトが求めない限り、味方にはなれない。無理やり押しかけても良くて拒絶、最悪は殺されることになる。そして、アルノルトから手を差し出すことはない、とハーゼは考えている。
アルノルトに味方する可能性が皆無となると、敵側の連合に付くことになる。
「……では連合に付けば良い。そのほうが影響力を持てる」
「影響力?」
「このままどちらかが勝利するのを待っていても、未来はない。仮に連合が勝ったとしても同じだ。上に立つ人間というのは、自らに従わない強者を邪魔に思うもの。それとも、ルシェル殿であれば大丈夫だと思っているのか?」
クラウドは思っていない。今のルシェルが善人であっても、立場が変われば考えは変わる。実際に彼女は戦いを選択した。アルノルトの悪行を許せないという理由はあっても、多くの犠牲を出すことが分かっていて、従うことを良しとしなかったということに変わりはない。
「……なるほど。どちらが勝っても、俺たちは討伐される運命か」
「そうならない為には身の安全の保障と引き替えにどちらかに味方するか……自ら立つかだ」
「自ら立つのであれば、しばらく静観が正解だろ?」
両軍が消耗したところで、立ち上がる。漁夫の利を狙うのあれば、今の状態が正しいとハーゼは思った。
「ここにいる味方だけで勝利出来ると? さすがにそれは思い上がりだと思うが?」
だがクラウドは異なる考えだ。さすがに現有戦力だけで最後に勝つというのは無理だと思っている。ソルに味方したいと思う人をもっと増やさなければならない。その為にはどちらでも、出来れば不利な連合側に味方して、その力を示すべきだと考えている。
「……言っていることは分かるが、難しいな。本人がその気にならない」
「その気にさせる方法はないのか?」
「まあ、あれだ。ウィンディには悪いが、ソルを動かせるのはルナ王女以外にいないと思う。その唯一の人を人質に取られているようなものだからな」
「別に悪くない。事実だ」
ハーゼの意見はウィンディも認めるところだ。ソルの心は揺れている。その原因はルナであり、その揺れを収め、向う先を定めることが出来るのもルナ。そういう存在なのだ。
「……どうしてそこまで想えるのだろうな? 二人が出会ったのは六、七歳か。それから一緒にいたのは四、五年。まだどちらも子供だった」
「恐らくですが、お互いにとってお互いが唯一無二の存在で、その想いは今も変わらないからです」
「ヒルシュ殿は詳しい事情を知っているのか?」
クラウドにとっては理解出来ない二人の想い。その疑問に答えを返してきたヒルシュに驚いている。
「いえ、想像に過ぎません。ただ聞いた話だけでも、幼い頃のソル殿は他人の愛情を知りません。きっとルナ殿も、バラウル家に生まれたというだけで他人からは恐れられていた。孤独という共通点があったのだと思います」
お互いに相手は初めて自分の存在を受け入れてくれた他人で、愛情を感じさせてくれる存在だった。恐れることなく一人の女性として愛してくれたソルをルナは愛し、ルナの独占欲は、自分を必要としてくれる人がこの世の中にいるのだとソルに教えてくれた。自分はこの女の子の為に、この先の人生を生きるのだと思っていた。今もその想いは変わらない。変わらないでいたいのだ。未来を諦めたくないから。
「ルナ殿は、どこにいるのだろう?」
「分かりません。ただソル殿から聞く通りの女性だとすれば、王都にはいないと思います」
「何故?」
「王都とその周辺が荒れているのを放置するとは思えないからです。竜王が勝手を許していない可能性はありますが」
ソルが愛するルナであれば、人々が苦しんでいるのを無視出来ないはず。救いの手を差し伸べようとするはず。ただこれは、そういう女性であって欲しいというヒルシュの想いもあっての想像に過ぎない。
「この戦いをどう思っているのだろう?」
「それは分かりません。反対であって欲しいとは思いますが、バラウル家の人でもありますから」
批判的であって欲しい。これも勝手な望みに過ぎない。
「反対しているに決まっている。そうじゃないとソルを遠ざけようとするはずがない」
「ウィンディ? お前は何を知っている?」
「一度だけ会った。あの人は、ソルを縛る鎖になりたくないと言っていた。それはつまり、竜王がやっていることは間違っていると考えているってことだ。だからソルを遠ざけようとしたんだ」
「会っていたのか……それで、ルナ殿はどこに?」
ルナとソルの再会は秘密にされていた。ソルは自分の気持ちが整理されておらず、上手く説明する自信がなかった。ウィンディはそんなソルの状態を察して、何も言わなかったのだ。
「知らない。長、さっきの質問の答えだけど、私は今のままで良いと思う。あの人は、ソルには見捨てられない人がいるはずだとも言っていた。そういう人たちの為に今の状況があるなら、ソルは決して動かないと思う」
「……そうか」
もし、そのルナの言葉が今の状況に影響を与えているのだとすれば、やはり、ソルを動かせるのはルナということになる。改めて考えなくても分かること。だがクラウドはそれを考えた。考えた上で自分は、自分たちはどうするべきかに思いを移した。