生い茂っていた草を綺麗に除去し、木々を間引きして、居住空間を作る。城か砦の残骸である石材と、間引きした木を加工した木材で家を建てていく。まずは雨露をしのぐことが出来るだけの簡素なもので十分。衣食住のうち、住の充実は後回しだ。
火を使う場所に関しては、丁寧に作った。森の中で火事を起こすようなことは絶対にあってはならない。地面を掘り、石を埋め、さらに周囲も石を積み重ねて壁と屋根を作って囲む。この辺りの知識は、住民たちのほうが豊富だ。火事を警戒して、大きな火は使えないが、お湯を沸かしたり、料理をするくらいのことは出来る火場を作ることが出来た。
さらに埋もれていた水源を見つけ出し、井戸と水路を復旧。それで、わざわざ川から水を運んでくる手間は省けるようになった。これで住環境の整備はまずはひと段落だ。
食については、当面は、運び込んできた食料の備蓄と川での釣と山での狩りに頼ることになる。さすがに千人分の食料を釣と狩りだけで調達することは難しいので、備蓄は確実に減っていくことになるが、これは仕方がない。急いで、他の食料調達手段を確保する以外にない。
農地の整備は今現在の最優先事項。川から水を引く水路の構築は、かなり大変な作業。毎日多くの人手をその作業に割いている。それが完成するまでは、頑張って川から運んでくるしかない。
遠くからは死角となる場所を選び、土を耕す。植える作物は街から持ってきた苗や種。多くが燃やされてしまったので、それだけでは足りず、他からも調達している。ノルデンヴォルフ公国領内にある村からだ。元近衛特務兵団第二隊の面々であれば、戦場となっていないノルデンヴォルフ公国に行って帰ってくることなど、子供のお使いと同じ。簡単なことなのだ。
こんな感じで人々が暮らす環境は、確実に整ってきている。全てが順調、のはずだった。
「どうしてこの場所がバレた?」
竜王軍が攻めてくるまでは、そう思っていた。
「ああ、どうやら後をつけられたみたいだ」
「つけられた? ノルデンヴォルフ公国にも網が張られていたのか?」
ノルデンヴォルフ公国領内で活動する分には、今のところはだが、問題ない。まして活動しているのは第二隊の面々。居場所を突き止められる心配はないとソルは考えていた。
この考えは間違ってはいない。
「違う。想像以上に順調だろ? そう思った奴らが、街に残っていた知り合いを連れてきた。つけられたのはそいつらだ」
後をつけられたのは、街の住民たちなのだ。
「外出は禁止していたはずだけど?」
「口で言うだけじゃあ、素直に従わない。人間なんて勝手な生き物だからな」
ソルは住民たちの主ではない。本人にもそのつもりはない。決め事はいくつか作ったが、それに強制力は、住民たちにとってはだが、ないのだ。ソルの控えめな態度が、罰則がないことが住民たちの甘えを生んでしまったのだ。
「……これで少しは反省してくれたら良いけどな」
「何人か犠牲者を出しておくか?」
自分たちが犯した過ちがどれほどか思い知らせるには、犠牲者が必要。ハーゼはこう考えた。身勝手な振る舞いをした者たちに、少し怒りを覚えているのだ。
「そういうわけにはいかないだろ?」
「じゃあ、一人の犠牲も出さずに、撃退するんだな?」
その気になれば、ソルにはそれが出来る。こう考えてのハーゼの言葉だ。
「簡単に言うな……とりあえず、敵の居場所はこことここ。迎撃地点は……この二か所だな。配置してくれ」
「了解」
ソルの指示を受けてハーゼはこの場を離れて行く。彼の、彼とカッツェの役目は前線指揮官。迎撃地点に向かうのは自分たちだと、ソルの指名がなくても、分かっているのだ。
「ヒルシュさん、ここからでも届きますか?」
「……精度はかなり落ちるわ」
弓が得意なヒルシュは後衛。今のところは、前線に出る様子のないソルと行動を共にすることになる。
「かまいません。敵の反応を見ることが目的ですから」
敵指揮官がどういう能力を持っているのか。離れていても確かめられる能力もある。オスティンゲル公国のブラオのように、尋常ではない聴力を持っているなんて相手は、出来ればいないで欲しいとソルは考えている。
「地図上の位置はここ。方向としては、こっち。距離は百三十メートルといったところですか。視認が必要でしたら、そこを登ってください」
「分かりました」
実際に自分の目で確かめる為に、ヒルシュは丘を登って行く。自分の身を敵の目に晒すことになるかもしれないが、ここは仕方がない。仮に見られても、届く攻撃を持つ相手でなければ問題ない。
「……行きます」
ターゲットを確認して、矢を放つヒルシュ。その時にはソルも隣に来ていた。敵がどういう反応を示すのか、ソルも自分の目で見ようと考えたのだ。
次々に敵部隊に向かって、飛んでいく矢。だがその矢が敵の体に届くことはなかった。全て何らかの力で撃ち落とされたのだ。
「一人は武器か。もう一人は魔術系。視認してからの反応だな。ただ発動は早い。大丈夫かな?」
ハーゼとカッツェも敵の反応は確認しているはず。その上でどういう戦いをするか決めるはずだ。ブラオのような、こちらの動きを察知する能力はなさそう。であれば奇襲は可能なはずだ。
「……回り込むか。この場所を知られたからには、一人も逃がすわけにはいかないからな。ついてきてください。少し急ぎますけど」
「はい」
駆け出したソル、すぐに彼に続いたウィンディのあとを、少し出足が遅れたヒルシュと他の仲間たちが追う。敵と戦うよりも、後について行くほうが大変だと思うような速さで、最短距離を駆けて行くソルとウィンディを必死で追いかけている。追いつかなければソルは一人で敵全員を倒してしまうかもしれない。それでは自分たちの存在価値を示せない。彼らは必死にならざるを得ないのだ。
◆◆◆
竜王軍と戦う準備を整えてきたノルデンヴォルフ公国。今更だが、オスティンゲル公国との戦いは無駄だった。その戦いでノルデンヴォルフ公国軍は少なくない犠牲を出している。まずはその被害を埋めるところから始めなければならなかった。旧王国軍が埋めてくれているとはルシェルは考えなかった。竜王アルノルトを倒す為には一人でも多く味方が必要。さらに、状況によっては他方面で戦わなくなるとなれば、元に戻すだけでは終わらない。増強を図らなくてはならないのだ。
だがそれも、ただ数を増やせば良いというものではない。数を揃えた上で鍛え、戦える兵にしなければならない。兵だけではない。将を増やすことも必要だ。こちらは尚、難しい。兵以上の訓練と、さらに経験が必要になる。仕方なくそれは、すでに引退した人たちを復帰させることで補うことになった。戦いが始める前から、総力戦といった様相だ。
「オスティンゲル公国の戦略は決まりましたか?」
軍事についてルシェルの出番はない、といっても、まったく関わらないわけにはいかない。彼女はノルデンヴォルフ公国と旧王国軍を率いる立場なのだ。
「基本的にはツヴァイセンファルケ公国側の守りを固め、余剰戦力をツェンタルヒルシュ公国の救援に向かわせるというものですが、はたしてどれほどの余剰戦力が生まれるか」
ルシェルの問いに答えたのはバルドル。戦場に赴くにはさすがに年を取り過ぎているが、会議では彼の知識・経験は役に立つ。そう考えられて、参加しているのだ。
「救援軍を出せない可能性もあるということですか?」
「竜王がどれほどの戦力をオスティンゲル公国侵攻に投入してくるかによりますが、そういう事態は十分にあり得ると思っております」
守る側が有利、といっても相手は竜王軍。実際にツェンタルヒルシュ公国は、短期間で公都間近まで攻め込まれた。ツェンタルヒルシュ公国軍は侵攻を防ぎきれなかったのだ。
「……ですが、その分、ツェンタルヒルシュ公国に投入される戦力は少なくなるのではないですか?」
竜王軍にも数の限りはあるはず。オスティンゲル公国攻めに多くが投入されれば、その分、他の戦場での戦力は減る。それは味方にとって悪い状況ではないとルッツは考えた。間違った考えではない。
「私たちだけでツェンタルヒルシュ公国の救援に赴くのですね?」
ルシェルの考えは、ツェンタルヒルシュ公国に救援を送ることに決まっている。ツェンタルヒルシュ公国が滅びるのを、多くの人が殺されていくのを、ただ見ているだけなんて真似は出来ないのだ。
「……恐れながら、殿下。意見を述べさせていただいてもよろしいですか?」
事態はルシェルにとって悪いことばかりではない。新たな味方も加わっている。元ナーゲリング王国情報局所属、ミスト、本人は今、ウィンディと名乗っているが、の一族が合流しているのだ。会議には長が参加している。元々はこのような会議に参加する資格はないのだが、今のところ、元王国情報局員として唯一、合流を果たしたのが彼の一族だけなので、参加させられているのだ。
「殿下という呼び方は止めてください。すでにナーゲリング王国は滅びたのです。それに、オスティンゲル公国に無用な誤解を生むような言動は慎むべきだと、私は思います」
「そうですか……分かりました」
ルシェルがナーゲリング王国の王女ではないのであれば、一族が彼女に従う理由はない。本当はこう言いたいのだが、この場では止めておいた。周りを敵に回すのは賢明ではない。抜け出す意志をここで示すことで、逆に束縛がきつくなる可能性もあるのだ。
「それで意見とは?」
「多くの流民がノルデンヴォルフ公国に流れ込んでいることは、すでにご承知のことと思います。詳細を把握できる身ではありませんが、彼らの保護の為にかなりの物資を消費していることは分かっております」
「それは仕方がありません。彼らを見捨てるような真似をしては、竜王の行いを責めることが出来なくなります」
ルシェルにとって、流民たちを保護するのは当たり前のこと。自分たちの義務だと考えている。苦しんでいる人たちを見捨てるような非情な選択が、彼女に出来るはずがない。
「……ツェンタルヒルシュ公国に救援を送り、竜王の支配地域を奪還した場合、その地で暮らす者たちも保護する必要が生まれます」
情報局に所属し、後ろ暗い仕事も数多くこなしてきた長は、非情さを持ち合わせている。ツェンタルヒルシュ公国を回復しても得るものは何もなく、ただ負担を増やすだけ。正しい選択とは思えないのだ。
「……苦しむ人たちを放っておけと言うのですか?」
長の意見はルシェルには受け入れられないもの。このような非情な意見を述べてくる長への不信感を隠せないでいる。人並以上の優しさは彼女の美点でもあり、欠点でもある。相手によって捉え方が変わるのだ。
「いえ、ひとつの可能性を申し上げただけです」
「そのような可能性を現実のものにするわけにはいきません。苦しんでいる人を助ける。これを行うからこそ、人々が私たちを支持してくれるのです。竜王の統治を否定するのです」
助けられれば、ルシェルの思い通りの結果になる。助けることに失敗すれば、アルノルトの狙い通りの結果に終わる。どちらの結果になるかは、この時点では分からないが、アルノルトの計略通りに事が動いているのは間違いない。
「愚かな意見を申し上げました。忘れてください」
ルシェルはまっすぐ過ぎる。それを全て否定するわけではない。人格者であることは良いことだ。ただ、自分のようなものは役に立たないだろうと長は考えた。汚れた仕事を行うのが長たちの役目だったのだ。
「そういえば、イグナーツ様の行方は掴めたのかな?」
急にルッツが、ソルの行方について尋ねてきた。長たちはソルの行方を探すことも命じられているのだ。命じられなくても探しただろうが。
「いえ、まったく足取りは掴めておりません」
「そうか……それは残念だ」
ルッツは綺麗ごとだけでは戦争は勝てないと思っている側。会議に参加している人のほとんどが同じだ。だがルシェルの立場を悪くするわけにはいかない。ノルデンヴォルフ公国と王国を結び付け、さらにオスティンゲル公国に信頼されているという点で、ルシェルは重要人物なのだ。
そんな彼女を、彼女の意志を尊重した上で、現実的な判断に導くことが出来るとすれば、それはソル。ルッツはこう考えている。なんとしても、この場にソルを呼び戻したいのだ。
「ソルの行方は私も気になりますが、彼の所在はそう簡単には掴めないでしょう。今は、ツェンタルヒルシュ公国内の情報収集に力を注いでください」
ソルがいてくれたら、という思いはルシェルにもある。だがそう思えるソルだからこそ、所在を突き止めるのは困難だろうとも彼女は思っている。今彼と会っても、味方にする自信がないというのも、ソルの捜索に積極的にならない理由だ。
「……ツェンタルヒルシュ公国に救援軍を送る。この方向で事を進めるということで、よろしいのですか?」
ツェンタルヒルシュ公国内の情報収集に注力するように指示するのは、救援軍の派遣を決めているから、改めて尋ねなくても分かっていることだが、バルドルは言葉にして確認した。この場は会議。決定事項は明らかにしなければならない。その上で、その実現に向けて、動き出さなければならない。何をするにしても時間は足りない。正直、正しい選択が何か分からない今の状況では、意思決定に時間をかけているわけにはいかないとバルドルは考えているのだ。
「ええ。ツェンタルヒルシュ公国に救援軍を出します。この方向で進めてください」
「承知しました」
ツェンタルヒルシュ公国への救援軍の派遣が決められた。正しいか間違っているかは、今は誰にも分からない。先が読めるような状況ではないのだ。どのような方法であろうと、最終的に勝利を掴む為に、全力を尽くすしかない。今分かっているのは、これだけだ。