月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

竜血の玉座 第76話 逃げるという選択

異世界ファンタジー 竜血の玉座

 街を襲った軍勢はおよそ五百。それを把握した時、ソルは敵が油断してくれていたことを喜んだ。個の能力はかなり高いソルたちだが、数に抗うには限界がある。自身を過小評価しがちなソルは、仲間たち以上にそう思う。
 ただ、ソルは少し他の人たちよりもネガティブかもしれないが、敵が軍として統制の取れた攻撃を仕掛けてきていたら、犠牲者が出ていた可能性が高いのは間違いない。オパールがソルとは真逆に自身を過大評価して、数の優位性を捨てて戦ってくれたのは、やはりソルたちにとって幸運だったのだ。
 だがソルたちには犠牲者が出なかったが、街の人たちとなるとそうはいかない。戦う力のない多くの人が殺された。放火されたことが、なによりも犠牲者の数を膨大なものとしてしまったのだ。本来の目的とは異なる虐殺行為は、オパールの残虐さが為したことだ。

「我々を見捨てるのか!?」

 そんな理不尽な暴力を振るわれた人々の怒りは、張本人であるオパールの死をもってしても治まらなかった。

「えっと……見捨てる?」

 その怒りの捌け口にされてしまったソルは、訳が分からずに戸惑っている。どうして自分たちがこの街から離れることが、「見捨てる」になるか分からないのだ。

「そうだ! また襲われたら、どうなると思っているのだ!?」

「……説明が悪かったですか? 我々がこの街にいることで、また狙われる可能性があるのです。だから我々はすぐにこの街から離れなければなりません」

 ソルは正直に自分が狙われたことを話し、てはいない。その事実を知れば、生き残った住民たちに恨みを向けられ、襲われる可能性だってある。そのリスクを負ってまで真相を話すほど、ソルは正直者ではない。
 ソルが話したのは、襲ってきたのが竜王軍であること。撃退してしまったことで敵として認識され、新手が送られる可能性がある。だからすぐにこの街を離れるという内容だ。

「それを見捨てると言っているのだ。お前らが去ったかといって、二度と襲われない保証はない。いや、間違いなくまた襲われる。公国のあちこちで竜王の軍勢が暴れているのだ」

 この男の言う通りなのだ。竜王軍はツヴァイセンファルケ公国のあちこちで街や村を襲っている。ソルが訪れなくても、いずれこの街は襲撃されていたのだ。

「そうでしたか……では逃げたほうが良いですね?」

「聞いていたのか? 公国全土で竜王の軍は暴れているのだ。それに……勝手に土地を離れることは許されていない」

 流民となることは、本来許されないこと。他の領地に領民が移ってしまわないように禁止されている。破った場合の罰もかなり厳しいものだ。

「そんな場合ではないと思いますけど?」

 留まっていれば死ぬ。禁止されているから逃げられないなんて言っている場合ではないとソルは思う。

「そういう規則だ!」

 男も分かっている。ソルたちを逃がさない為に、このように言っているだけだ。

「規則って……命をのほうが大事だと思います」

「規則を破れば死罪だ!」

「いやいや、それは捕まればの話ですよね? 捕まらない場所まで逃げれば良いじゃないですか」

 ソルにとって規則は軽い。他に優先すべきことは沢山あると考えている。これまで施政者による支配を受けてこなかったことも影響を与えている。ナーゲリング王国軍に入隊するまで、規則なんてものはない環境で、ソルはずっと生きてきたのだ。

「耕す土地も働く場所もない場所に行っても、結局は死ぬだけだ」

 住民たちが逃げ出さない理由は、土地を離れることを禁止されているからだけではない。他の土地に行っても、稼ぐ方法がない。土地を一から農地にするには何年も必要だ。その土地の施政者に開墾を許可してもらえる保証もない。そこでは自分たちは余所者。余所者に対する冷酷さを彼らは知っている。自分たちが望まない移住者に対して、どういう態度をとるかを考えれば分かる。

「それに生き残ったのは老人と子供ばかりだ、働き手はほとんどいない」

 男たちは家族を守る為に戦った。勝てるはずがないと分かっていても武器をとった。そうしなくても相手が男性を真っ先に殺そうとする。少しでも戦う力のある者を先に排除しようとするのは、当然のことだ。

「ああ……そうですか……」

 ソルたちの周囲を囲んでいる人たちは、たしかにお年寄りと子供、そして女性ばかり。男性はかなり少ない。その人たちは目の前の男とは異なり、憐れみを乞うような目でソルを見ている。彼らの本音だ。ソルに強気な態度を見せている男も、なんとかソルたちを引き留めようと必死なだけなのだ。

「これは、ちょっと卑怯だよな?」

「この状況で良くそれを口に出来ますね? 同感ですけど」

 ハーゼの言う通り、卑怯だと思う。力のない人たちを前面に押し出してきて同情を買おうとしているのだ。だがそれが有効であることも、ソルは分かっている。

「つまり……安全な場所であれば良いのですね?」

「それは……どこかに連れて行ってくれるということか?」

 土地を離れるのは禁止されていると言っておきながら、安全な場所だと聞くと、それを受け入れる姿勢を見せる。自分たちだけではこの先、生き残れる自信がない。生きられるなら何でも良い。当たり前の本音だ。

「土地を離れることについてはクレーメンス公に伝えましょう。そうしなくて大丈夫だと思いますけど、それで安心できるなら」

「クレーメンス公……公国主様?」

 自分たちが暮らす公国の主であっても、一領民がクレーメンスの名を口にすることはまずない。公国主様。これで誰が公国主であっても通用する。今、誰が公国主か、名を覚える必要もないのだ。

「そうです。私の名を使えば、文句は言わないはずです。クレーメンス公が文句を言っても、母上が取りなしてくれると思います。ここは母上に甘えましょう」

 クレーメンスがどう受け取るかは分からないが、悪い受け取りかたをされても、妹のビアンカが取りなしてくれる。今も母と思っていてくれるはずだとソルは信じている。

「えっと……貴方様は?」

 クレーメンスを知っていて、そのクレーメンスに取りなしてくれる母がいる。ソルは自分が思っていたような人物ではないことが、男にも分かった。

「俺? 名前はソル・ヴォルフガング・シュバルツァーですけど?」

「そうですか……えっ? シュバルツァー!?」

 シュバルツァーの姓は男も知っていた。ナーゲリング王国の王家の姓だ。シュバルツァー王朝ということくらいは知っている。フルモアザ王国が滅び、新しい国が出来たということで、王家の姓については興味を持って、覚えていたのだ。

「ああ……シュバルツァーはシュバルツァーですけど……えっと、実家とは距離を置いていまして」

「……ノルデンヴォルフ公国に連れて行っていただけるわけではない?」

 シュバルツァーの人間であれば、ノルデンヴォルフ公国に自分たちが暮らす土地を用意することも容易いはず。この男の期待は一瞬で崩れ去ってしまった。

「ノルデンヴォルフ公国もすぐに戦場になります。すぐにまた逃げる羽目になっては困りますよね?」

「それは、まあ……では、どこに?」

「ん……向こうですね?」

「……ノルデンヴォルフ公国の方向ですけど?」

 ソルが指さす方向はツヴァイセンファルケ公国の外れ。ノルデンヴォルフ公国との領境だ。その方向にツェンタルヒルシュ公国の街や村はない。そうなると行先は、やはり、ノルデンヴォルフ公国ということになる。

「その手前です。領土の境に山脈地帯があります。その南側の麓。ここに来る前に通りましたけど、あそこなら隠れて暮らせると思います」

「山で暮らすなんて、無理です」

「優先すべきは何不自由のない暮らしをすることではなく、生き残ることですよね? 山であれば雨露をしのぐくらいの寝床はすぐに作れますし、生き残った皆さんが生きていけるくらいの食を得られます。大きな声では言えませんが、税金を払う必要はないですし」

 その場所には、腐死者の森と違って、アンデッドモンスターはいないはず。雨露をしのいで、生きていける食を確保するだけであれば、余裕だとソルは思っている。
 ソル自身も長くその場所に留まっても良いのだ。どうせ行く宛のない身。ひっそりと暮らせる場所を探していたところだ。

「……本当に?」

「まず間違いなく。私は似た環境で六年くらい暮らしていましたから。私は一人暮らしでしたから、自分の分だけなんとかすれば良かっただけですけど、皆さんくらいの数でも大丈夫だと思います」

「…………」

 ソルの言うことにも一理ある。男もそう思う。ただ山で暮らしたことのない身では、本当に大丈夫か分からない。

「試してみても良いのではないか? この街に留まるよりは、マシかもしれん」

 男の決断を後押ししたのは一人の老婆。このままでは死を待つだけ。自分はそれでも良いが、すぐ隣にいる子供たちが短い人生で終わるのは不憫すぎる。こう考えての発言だ。

「……他の人たちも良いのか?」

 男も決断した。だが彼が住民全てを従えているわけではない。公国の役人という立場があって、ソルとの交渉を、交渉とは言えない無理難題を押し付けようとしていたのだ。結果として成功したが。
 男の問い掛けに多くが頷いて、同意を示した。反対の声をあげる者はいない。

「分かりました。貴方のご提案を受け入れます。我々をその地に導いてください」

「導いてって……道案内と自分の経験で少しお手伝いするだけです。それで良いなら出発の準備を。衣服と食料。これは運べるだけ運びましょう。逆にそれ以外は出来るだけ置いていくようにしてください」

「農具などもですか?」

「ああ、それはあったほうが良いですね? 畑くらいは作れます。時間をかければ森の奥を切り開いて……とにかく、色々とやれることはあります」

 色々とやらなければならないことが出来た。これが逃げであることは分かっている。やるべきことを決めず、別のことを言い訳にして、そこから逃げようとしている。それでも今は流されたいと思った。流れに身を任せることで見えてくるものもあるかもしれない。こんな風に考えたかったのだ。

 

 

◆◆◆

 ツェンタルヒルシュ公国の公都ヴィルデルフルスは戦いの準備で慌しい。すでに何か月も続いていることだが、これで絶対に大丈夫とは公国主であるクレーメンスだけでなく、家臣たちの誰もが思えないのだ。それだけ戦った竜王軍の強さは圧倒的だった。
 守りに不備があればそれを改め、それが終わってもまた検討を重ね、さらなる防御力の向上を図る。やることは公都の守りを固めるだけではない。物資の確保も重要だ。すでに公国内は荒れ果てている。長期の籠城に必要な物資の確保は困難を極めている。竜王軍と衝突するのを覚悟の上で、各地に部隊を送り出し、物資を公都に運び込む。ノルデンヴォルフ公国への要請も行っている。それはルシェルが実権を握ったことで上手く進むようにはなったが、ノルデンヴォルフ公国も余りある物資を抱えているわけではない。王国全体が戦時態勢にあり、どこも軍需物資は不足気味なのだ。

「はあ? 土地を離れる許可を求めてきただと?」

 目が回るような忙しい毎日を送っているクレーメンスに届いた報告。最初の一言でもうクレーメンスは不機嫌さを隠せなくなった。

「はっ。街を竜王軍に襲われたらしく」

「馬鹿かお前は!? 今この状況でそんなものに、いちいち私の許可は必要か!?」

 公国の惨状は誰よりもクレーメンスが一番よく知っている。土地を離れることは禁止なんて言っていられない。領民たちは生きることに必死なのだ。
 そんな状況で自分に許可を求めてきた家臣に、クレーメンスは腹が立った。

「申し訳ございません! すぐに許可を出します!」

「許可など無用だ! 生きることを優先するのは当然! そんなことも分からないのか!?」

「申し訳ございません!」

 クレーメンスに怒りを向けられて焦る家臣。クレーメンスがこのように苛立ちを下の者にぶつけるのは、一時、気持ちが荒ぶっていた時以来。その時もこの彼はそういう目に遭っていなかったのだ。

「皆に徹底しておけ! この期に及んで全ての規則を遵守するのは愚か者のすることだと! 国を守ること! そこで暮らす人々の暮らしを! 命を守ることを優先しろと!」

「はっ!!」

「分かったら、さっさと行け!」

 家臣に命じる自分は人々の暮らしを、命を守れているのか。答えは明らかだ。その思いが、さらにクレーメンスの心を苛立たせてしまう。

「…………」

 その苛立ちを向けられたこの家臣を委縮させてします。

「聞こえなかったのか?」

「いえ! 失礼します!」

 家臣は一秒でも早く、この場所から離れることを選んだ。このことで彼は後に、この時以上の叱責を受けることに、はならない。この時の、伝書鳩を使って送られてきた書簡にイグナーツ・シュバルツァーの名があったことが明らかになることはない。彼はこの後に起きる戦いで戦死してしまうのだ。

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