ソルたちがその晩の宿泊地として選んだのはツェンタルヒルシュ公国北部にある街。戦場となっていたノルデンヴォルフ公国とオスティンゲル公国の領境近くから、ツェンタルヒルシュ公国に真っすぐに移動してくると最初に辿り着く街だ。ただソルは、街道から外れた場所を選んで移動してきたので、この街も主要街道沿いにはない。旅人が訪れる宿場町ではなく、ツェンタルヒルシュ公国の行政拠点としてある、それも重要とは言えない小さな街だ。
何人かが期待していた繁華街はなく、貸し切り状態の宿で静かな夜を過ごすことになったソルたち。
「……何か起きている」
「えっ?」
だが、穏やかな日常は許されない。ソルは喧噪の気配を感じ取った。
「戦いってこと?」
ベッドから降り、服を来ただけでなく、武装を始めたソルを見て、ミストは事態を少し把握した。そうなると自分一人が寝ているというわけにはいかない。ミストもすぐに身支度を始めることにした。
「ミストはここで待っていて」
「私を甘やかすな。それに私はミストじゃない」
「……本気でウィンディに改名する気?」
ミストは、ウィンディは、ルナが付けた名に改名しようとしている。そうするという話はソルも聞いていたが、まさか本気だとは思っていなかった・
「付けてもらった名を使わなかったら、怒られるだろ?」
「確かに……」
ルナは怒る。間違いなく、それもかなり激しく怒る。自分に対してはそうであることをソルは知っている。ではミストに対してはどういう態度に出るのか。今度は本当にミストを殺すかもしれないと、ソルは考えた。
「よし、準備完了。行くぞ」
「ああ」
身支度を整え終えて、部屋を出るソルとミスト、改め、ウィンディ。すでに他の仲間も何人か、廊下に出ていた。
「正確な数はまだ把握出来ていません。ただ少数とは言えない数であることは、間違いないと思います」
ヒルシュもその一人。矢筒を背負った、彼女にとっての、完全武装で待っていた。
「状況把握を急ぎたいですけど、夜だからな」
ソルの目となってくれる大鷲のフレスも、夜となると地上の状態が昼のようには見えない。状況の把握には、普段よりも、時間がかかってしまう。
「盗賊の類であれば良いのですが」
そうではない可能性もある。最悪の可能性は竜王軍。そうだった場合に、どういう対処をソルが選ぶのか。ヒルシュには判断出来ない。
「……そうだとしても、良い、ということはなさそうです」
「火? 街に火をつけたというのですか!?」
夜の闇に包まれていた街が、明るくなっている。宿の窓からでも、空に立ち昇る炎が見えた。盗賊であったとしても、かなり凶悪な者たちだ。
「何者であろうと止めるしかなさそうです」
ソルも竜王軍である可能性を考えていた。だが相手が街を燃やし尽くすつもりであれば、戦いを避けるのは難しい。それどころか、自分が標的である可能性もあるとソルは考えている。
降りかかる火の粉は払うしかないのだ。
「ハーゼ、カッツェ、部隊を集めろ! すぐに出る!」
「了解!」「承知しました!」
ソルは人数を三隊に分けることにした、だからといってバラバラに行動するわけではない。敵の出方が分かるまでは、まとまって行動する予定だ。
ソルの指示を受けて、同行してきた人たちが隊列を整えていく。
「……やっぱり、目的は俺かな?」
「陣形を組め! 急げ!」
ソルたちが戦う準備を整えている間に、敵のほうから近づいてきていた。数は二百ほど。ただそれが全てではないことは、まだ止まぬ遠くの喧噪で分かる。
「お前がイグナーツ・シュバルツァーか?」
前に出てきた敵の一人。その男の言葉が目的を教えてくれた。
「どこの誰?」
「私は竜王様に仕えている。名はオパールだ」
相手の正体も予想通り。アルノルトの臣下だった。
「用件は?」
「お前を殺しに来た」
「ひとつひとつ尋ねないと知りたいことは知れないのか? どうして俺を殺す?」
このような形で現れて、仲良くなりに来たはずがない。殺しに来たのは教えられなくても分かっている。
「お前は竜王様に逆らった。生かしておけるはずがないだろ?」
「なるほどな……こちらも大人しく死んでやるはずないだろ?」
アルノルトの命令ではないように聞こえるが、命令もないのに、こんな勝手が許されるのかという思いもある。この期に及んではどうでも良いことだ。この先どうするかは決められていないソルだが、生き続けるということは決めている。ルナを置いて、勝手に死ぬわけにはいかないのだ。
「望むところだ。貴様の実力を見せてみろ」
「……塁は友を呼ぶって言葉あったな。友ではないだろうけど」
戦うことに喜びを感じる相手。アルノルトと同じ性質の人間だとソルは思った。
「訳の分からないことを言っている暇があるのか!? 死ねっ!!」
軍勢を率いていながら、たった一人でソルに向かってくるオパール。それが出来るくらいの自信がオパールにはあるのだ。ソルに殺されたツヴァイセンファルケ公レアンドルの紛いものの力とは違う、真の実力をオパールは持っている。
「馬鹿力? いや、違うか」
間合いを詰める速さはそれほどでもない。では力が強いのか。そうではないとソルは判断した。オパールが間合いに入る前に、ソルの剣が宙を斬る。何もないはずのその場所から、衝撃音が生じた。
「なっ!?」
それを見て、咄嗟に反転してソルとの距離を取るオパール。
「魔術。それも風系かな? 良く考えているな」
夜の暗がりの中では、視認するのは難しい。それが分かっていてオパールは夜に攻撃をかけてきたのだと、ソルは考えた。さらに間合いを詰めてきたのは、魔術を使うと気付かせない為だとも。
「……どうして分かった?」
「近づき方がわざとらしい」
「そんなことで?」
「実際に分かった」
これは嘘だ。無造作に間合いを詰めてきたことを怪しんだのは本当だが、魔術を見破ったのはその動きを感じ取ったから。ソルには魔力を感じる力がある。ドラクリシュティ家の力ではない。魔術を使える人間であれば、探知力の強弱はあっても、同じことが出来る。ソルの能力を知らずに戦い方を考えたオパールの油断だ。
「……魔術が知られていても、全てを躱せるわけではない。食らえ!!」
オパールの言う通りだ。魔術を使うと分かっていても全てを躱せるわけではない。オパールの使う風系の魔法が視認しづらい状況に変わりはないのだ。
「それはお前も同じだ」
ソルも、オパールと同じように無造作に間合いを詰める。そのソルに向かって四方八方から襲い掛かるオパールの魔術。いくつかは剣で斬り払ったソルだが、やはり全てを躱すことは出来ない。
「はっはっはっ! 切り刻まれて死んでしまえ!」
自分の魔術がソルを傷つけていく。早々と勝利を確信したオパールの口から笑いが漏れた。これもまた油断だ。
「悪いけど……簡単には死ねなくてなっ!」
「なっ!?」
ソルの体が加速する。それと同時に噴き上がった炎が、オパールの視界を塞いだ。
「そ、そんな……ば、馬鹿な……」
次にオパールがソルを認識した時には、背後を取られていた。激痛は腹から突き出している剣のせい。ソルの剣がオパールの体を貫いていた。
「魔術に頼り過ぎ」
「……お、お前の……ち、力は……」
「この襲撃は竜王様の命令か? おい? 死んだふりするな」
ソルの問いにオパールは答えることなく、地に崩れ落ちて行く。
「俺の知る限り、魔術使いは生き返らない」
魔術とバラウル家の力は別物だ。首を斬り落とされなくても、普通の人と同じ程度のダメージで命を落とす。ティグルフローチェ党時代から魔術使いを仲間に持つハーゼは、それを知っていた。
「そうなのか……じゃあ、他の奴に聞くか」
「それが良い」
敵の数は味方を圧倒している。だが、すでにハーゼは勝利を確信した。オパールのように油断しているわけではない。それも少しあるかもしれないが、明らかに敵が怯んでいるのが分かるのだ。オパールは敵にとって負けるはずのない存在。それを討たれたことで動揺し、討ったソルに恐怖を感じているのが、はっきりと分かる。
それはハーゼ以外の味方も同じ。士気では完全に味方が優っている。ソルたちは一気に攻勢に出た。
◆◆◆
ほぼ動きを止めている竜王軍。当然、アルノルトの意向を受けてのことだ。ただ、ソルが考えた「退屈な戦いにウンザリして」というのとは少し違う。アルノルトにそういう思いがあるのは事実だが、それだけで軍の動きを止めるような選択はしない。逆に。命令もないのに動いている者たちがいる。竜王軍の今の状況は「動きを止めている」のではなく、「統制がとれた動きが出来ていない」だ。
「王都周辺、ツヴァイセンファルケ公国では民衆の被害が拡大しています」
「そうだろうな。どいつもこいつも欲望のままに動きおって」
「本当にこのままでよろしいのですか?」
その臣下たちが自己の欲望のままに民衆を迫害していることを、アルノルトは放置している。クリスティアンには受け入れがたい状況だ。
「いつまでも続くことではない。襲う相手がいなくなれば、大人しくなるだろ?」
「支配地域が無人の野原になってもかまわないと父上はお考えですか?」
人々は一斉に支配地域から逃げ出している。このままでは支配する相手もいない空の領土になる。クリスティアンはそう思っているのだ。
「一時そうなるだけだ。新しい国が出来れば、民は戻ってくる」
「本当に戻りますか?」
「戻る。何故なら他の場所はもっと酷い状況になるからだ。クリスティアン。お前は不満に思っているようだが、この方法は民の苦しみを短くする為のものだ。何故それが分からない?」
アルノルトは正しいことを行っていると思っている。彼にとっては妥協なのだ。戦乱の時代を長くしない為の方策だと、本気で考えている。
「流民となった人々の苦しみは、一時のことと我慢出来るようなものとは思えません」
アルノルトはわざと流民を生み出そうとしている。その為に臣下の無法を放置している。何故そうするのかは、当然、クリスティアンも説明を受けているが、それでも納得出来ないのだ。
「苦しみが大きければ大きいほど、そこから救えなかった偽善者どもへの恨みが募る。そのあとに訪れた私の治世のありがたみを強く感じるようになる」
流民となった人たちはアルノルトの支配地域から逃げ出し、安全な場所に逃げ込む。そこがどこかとなるとノルデンヴォルフ公国とオスティンゲル公国だ。だがその二公国に流民となった人たちを救うことは出来ない。初めは積極的に保護しても、数が増えればそれは続かない。人々は二公国に抱いていた希望を捨てる。
これがアルノルトの考えだ。人々を地獄に落とし、全ての希望を失わせた上で、自らが再び統治者になる。普通のことをしていても絶望を知った民衆にとっては、天国と感じられる。こんなやり方だ。
もしかするとアルノルトの思う通りになるかもしれない、とはクリスティアンも思っている。だが、そうなったとして、それが何なのだとも思う。人々は感じる幸せのレベルをどん底まで落とされただけ。それは良い治世ではない。
「それでも不満に思い続けるのであれば、勝手にすれば良い。自分の代になった時に、やりたいことをすれば良い。だが、クリスティアン。今は私の時代だ」
「……分かっております」
自分の目の黒いうちは好き勝手は許さない。自分の意向に逆らうことも許さない。アルノルトの思いを、クリスティアンは分かっている。ずっと前から分かっていた。
死の恐怖に怯え、何も出来ない自分が情けない。もしかすると自分もいずれ父親と同じになってしまうのかもしれない。こう考えると恐ろしくなる。
バラウル家の血は狂気を宿す。クリスティアンの体にもその血が流れているのだ。