先行していたルシェル王女と近衛特務兵団第一隊に合流したソルと第二隊のメンバー。一行は予定通り、北に向かっている。ルシェル王女に合流したのはソルたち第二隊だけではない。ルッツ率いる、激戦で元の八千から五千まで数を減らした王国軍も一緒だ。
王国軍はツェンタルヒルシュ公国にとどまって竜王軍を迎え撃つという選択もあったが、それはツェンタルヒルシュ公クレーメンスの強い意向で取りやめになった。彼は自公国領内での戦いは、竜王軍を足止めすることで精一杯。勝利はないと考えているのだ。決戦の地はノルデンヴォルフ公国になると考え。そこでの迎撃態勢が整うまでの時間稼ぎをするつもりだ。
ルッツもその考えを受け入れた。ツェンタルヒルシュ公国にとっては非情な決断ではあるが、彼はナーゲリング王国の騎士であり、王国の為に戦うことが仕事。王都を落とされた今、王国といえば、ルシェル王女その人。彼女を守り、戦うことが彼の責任だ。個人的にはソル、イグナーツがナーゲリング王国を継ぐことを願っているが、建前としてはそうなのだ。
「ずいぶんと早いお出迎えで。あれ、本物ですか?」
ノルデンヴォルフ公国領に入ってすぐに前方に軍勢が現れた。旗は「月を食らう狼」。シュバルツァー家の紋章だが、想定外に早い出迎えにソルは本物か疑っている。
「領境に軍を配置しておくのは、当然の備えではないかな?」
ソルの疑いをルッツは否定した。今のこの情勢で領境に、それも王都に近い南に軍勢を配置しておくことは、当然の対応。その先のツェンタルヒルシュ公国では、すでに竜王軍との激しい戦いが行われているのだ。
「それもそうですね? ただ、この状況でオスティゲル公国に戦争を仕掛けたと聞いたので、てっきり南には何の感心もないのかと思っていました」
ソルも本気で疑っていたわけではない。それに、仮に偽物だとしても数は味方のほうが圧倒している。敵によほどの強者が、それこそアルノルト本人がいるのでなければ、なんとかなるはずだ。
「辛口だね? まあ、私も少しそう思っているけど」
兄のユーリウス王が危機的状況にあるというのに、自らの野心を優先してオスティゲル公国への侵攻を始めたノルデンヴォルフ公国に、ルッツも良い感情を持っていない。
これも、影響は小さいが、ルシェル王女との同行を選択した理由のひとつだ。間違ってもその決断をしたエルヴィンにナーゲリング王国の王を継がせたくない。その為に、王国軍がルシェル王女を支持しているという形にしたいのだ。
「殿下。迎えの人が来たみたいです。知った顔ですか?」
「……そのようですね」
迎えが来てしまえば、それでソルはお役御免。ルシェル王女の気持ちは複雑だ。恋愛感情については、この移動の間に、考える時間は腐るほどあったので、気持ちの整理をつけたつもりだ。だが、このままソルを行かせて良いのかという思いは、まだある。これは恋愛感情とは関係ない、ナーゲリング王国の王女として、そして平和を願う一人の人間としての思いだ。
「サー・ルッツは知っている顔ですか?」
ルシェル王女は生返事を返しただけ。知った顔かどうかを答えてくれない。ソルはルッツにも聞くことにした。
「私はノルデンヴォルフ公国の人たちを知らない。出身が違うからね」
「えっ? そうだったのですか?」
ソルが知らなかった事実。元々、周囲の人たちの出自には感心のないソルだ。知らなくて当然なのだが、ナイトの称号を得ているという事実がルッツは、ベルムントがノルデンヴォルフ公であった時からの臣下なのだと思わせていた。
「王国中央部にあった、名前を言っても分からないだろう小貴族家の出身だ。そこでくすぶっているのが嫌で。わずかな家臣と共にフルモアザ王国との戦いに参戦した結果、今がある」
元々、剣士としての才能があった。野心もあった。その二つによってルッツは大いに戦功をあげ、ナイトの称号を与えられたのだ。ノルデンヴォルフ公国とは関係ない人物を重用することで王国の平等さを示すという意図もあってのことだ。
「今が、と言ってしまうとあれですけど、願いは叶ったわけですか」
今はもうルッツが立身出世を遂げたナーゲリング王国は崩壊状態。褒めるのは微妙だとソルは考えた。
「まだだね。この戦いでもう一花咲かせて、そうだな……貴族に逆戻り? もちろん、比べものにならない大きな領地の」
もしこの戦いに生き残ることが出来たら、戦いの場からは身を引く。もともと立身出世を求めて軍人になったルッツは、バルナバスのように戦いそのものに生きがいを感じているわけではない。
「公国主と言わないところは控えめですね?」
「それは、ちょっとね」
なんて感じで二人が、今は関係のない話をしている間に、ノルデンヴォルフ公国の人たちは目の前に到着した。
「お待ち申し上げておりました。ルシェル様」
「……アルバートですね? 久しぶりです。元気そうですね?」
迎えの一人はルシェル王女の知った顔。当然、そういう人物が選ばれたのだ。
「私個人としては元気ですが……ユーリウス王については……お悔みを申し上げます」
「多くの人が亡くなりました。兄一人の死を悔やんではいられません。それにまだ戦いは終わっていません。このままでは、さらに多くの人の命が失われてしまいます」
兄の死についても、悲しみは当然残っているが、取り乱すようなことはない。彼女の責任感がそれを許さなくもある。
「分かっております。しかし……今、ノルデンヴォルフ公国は……」
「南に兵を送る余裕はありませんか?」
「それどころか、領土を守るのも難しい状況です」
オスティゲル公国は確実にノルデンヴォルフ公国を追いつめている。侵攻した側のノルデンヴォルフ公国が、逆に守る側になっているのだ。戦力を客観的に比較すれば、こうなることは明らか。ノルデンヴォルフ公国は敵を知らないままに、戦いを挑んだのだ。
「何故、戦いを止めないのですか? 今は争っている場合ではないことは分かるはず」
「なんとか五分で、つまり、戦いを始める前に戻そうと交渉を行っていると聞いております」
「そのような……鬼王を止めなければ、全てを失ってしまいのですよ!?」
領土を守る。それは大切なことだ。だが今はそれどころではない。すぐに戦いを止め、共同してアルノルトに立ち向かわなければ全てを失ってしまう。両公国の存在をアルノルトが認めるとは思えないのだ。
それが分からないノルデンヴォルフ公国の人たちに、ルシェル王女は苛立って、口調がきつくなった。
「……鬼王、ですか?」
「まさか、知らないのですか? 鬼王が生きていたことを? ヴェストフックス公国もツヴァイセンファルケ公国も鬼王の命で動いているのですよ?」
「そんな……」
アルバートの反応を見て、ソルとルッツは顔を見合わせている。嫌味で言っていたことが事実だったとは話をしていた二人も思っていなかった。それに驚き、且つ、呆れているのだ。
ただこれは、公国同士が牽制しあい、ただでさえ情報伝達が難しくなっていた中、さらにアルノルトの配下が情報統制として各家の諜者、そう疑われる者たちを片っ端から殺しまくった結果。ノルデンヴォルフ公国だけの問題ではない。
「領土の境をどうこう言っている場合ではありません。鬼王に負ければ、公国が滅びてしまうのです。すぐにエルヴィンに使者を送って、停戦するように伝えなさい」
「それは……それは致しますが、はたして公主に受け入れて頂けるか」
「エルヴィンはそこまで愚かではないはずです」
弟のエルヴィンに対する評価は、高くはないが低くもない。常識的な考えは持っているとルシェル王女は思っている。
「公主はそうなのですが……」
「エルヴィンの決定に誰が逆らうというのですか?」
「それは……」
口ごもるアルバート。自分の口からは言いたくないのだ。話したことを後で知られると、どのような処罰を受けるか分からないと考えているのだ。
「奥方様が反対されます。そもそもオスティゲル公国に攻め入ることも奥方様がエルヴィン公に強く勧めて決まったこと」
「貴方は……バルドル殿。お元気そうで、なによりです」
バルドルは祖父アードルフの代からの家臣、老臣だ。祖父アードルフが亡くなった今は完全に隠居、下手をすれば、亡くなっているとルシェル王女は思っていた。それがこのタイミングで「お元気そうで」なんて言葉になったのだ。
「夫婦仲がよろしいのは喜ぶべきことですが、なんでも言いなりというのは問題です。それが今のノルデンヴォルフ公国なのです」
バルドルに遠慮はない。処罰を恐れることもない。もういつ死んでもおかしくない身。こんな風に考えているのだ。
「……では奥方にも伝えなさい。このままではツェンタルヒルシュ公国は滅びます。クレーメンス殿は討ち死に覚悟で戦うつもりでいますと」
「ということだ。奥方様にお伝えしろ」
「はっ」
実家が滅びるかもしれない。要は脅しだが、有効であることは間違いない。説得材料を得て、不謹慎かもしれないが、アルバートは嬉しそうだ。
「エルヴィンにも、それとオスティゲル公ヴィクトール殿にも使者を送る必要があります。もしヴィクトール公が事態を知らないのであれば知らせ、共闘の申し出を行う使者です」
「はっ。ただちに」
「いえ、その使者は……ソル、貴方にお願いしたいのです」
ルシェル王女はオスティゲル公ヴィクトールへの使者としてソルを指名した。ここに来る前から考えていたことだ。ソルとの繋がりを絶ちたくないというのが一番だが、使者として、もっとも適任であるとも思っている。
「それは約束の範囲を超えていると思います」
「分かっています。ですが、貴方はヴィクトール公と親しい。そして中立でもある。使者として最適だと私は思います」
「親しくはないと思いますけど……」
親しいというのは認めたくないが、第三者的な立場で交渉を行うというのは理解出来る。ただ、そうである必要があるのかともソルは考えている。ヴィクトールにとってもアルノルトとの戦いは最優先事項であるはず。ノルデンヴォルフ公国側が引けば停戦は成立し、共闘も成り立つはずなのだ。
「イグナーツ様、私はバルドルと申します。まずは北の大地へのご帰還を心からお慶び申し上げます」
地に跪いて頭を垂れ、ソルに挨拶をするバルドル。その様子には、それをされたソルだけでなく、周囲も戸惑っている。バルドルはルシェル王女に対して。ここまでの礼儀は尽くしていない。現ノルデンヴォルフ公であるエルヴィンに対してもそうであることをアルバートたち、公国の人たちは知っているのだ。
「えっと……ありがとうございます」
とりあえず丁寧な挨拶に対して御礼で返すソル。内心ではバルドルの勘違いを迷惑に思っているのだが。
「私からもお願い申し上げます。ノルデンヴォルフ公国の為と思って、ここはルシェル様の願いを聞き届けて頂けませんか?」
バルドルもソルに使者を引き受けることをお願いしてきた。
「殿下にも申し上げた通り、そこまでの約束はしていません」
まったく検討の余地がないわけではない。ただノルデンヴォルフ公国の為、と言われると、それは否定したくなる。ノルデンヴォルフ公国は自分を捨て石として利用しようとした相手。結果、ルナに出会えたことはソルにとって幸運ではあったが、だからといって感謝するほどではないのだ。
「いえ、このようなことは申し上げたくないのですが、貴方様にはノルデンヴォルフ公国の為に動く責任がございます」
「……あの、俺をシュバルツァー家の人間だと勘違いしていますよね? 公式にはそうなっていますけど、あれはバラウル家に婚約者として送り込む為の嘘で、血の繋がりはありません」
「いえ、貴方様は紛れもなくシュバルツァー家の血筋を引く御方。アードルフ様の御子です」
「「「…………!!」」」
バルドルの言葉に周囲は絶句。あまりに衝撃過ぎる告白に、驚きで声を出せないでいる。
「……ちなみに、そのアードルフ様というのは?」
ソルはまだ事態を理解しきれていない。勘違いであることを願っている。もしくはアードルフが、自分が考える人とは別人であることを。
「ルシェル様の祖父です」
だが、そのソルの願いが叶うことはない。
「……えっと……だからシュバルツァー家の為に働けと?」
そうなるとルシェル王女とは、どのような関係になるのか。どうでも良いことを考えながら、ソルはこれを尋ねた。本当に考えなければならないベルムント王との関係を避けたのだ。
「いえ、それは違います。私がそのように申し上げたのは、貴方がアードルフ様の御子だからではありません。貴方のお母上との繋がりからの言葉です」
さらにソルの記憶にない母親まで話に出てきた。ソルはもう何が何だか分からなくなってきた。
「……まったく話が分からないのですが、結局、俺は何者なのですか?」
「それについては、きちんとお話し致します。少し先に砦があります。そこで、知ってもかまわない人だけで話すということで如何ですか?」
「……では、それで」
わざわざ「知ってもかまわない人だけ」とバルドルが話を聞かせる相手を限定する意味。それは話を聞かなければ分からないことだが、母親も普通ではないことだけは分かる。本当に自分は何者なのか。ノルデンヴォルフ公国に到着して最初に頭を悩ますことが、まさか自分の出自になるとは、ソルは夢にも思っていなかった。