月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

竜血の玉座 第62話 崩壊の時

異世界ファンタジー 竜血の玉座

 ソルはリベルト外務卿の手引きで牢を抜け出した。見張りの牢番もソルの逃亡を防ごうとしない。何の苦労もなく、あっさりと外に出て、さらに城の奥に辿り着くことが出来た。
 これも国王に対する裏切り行為。そうソルは思い、ナーゲリング王国の脆さを感じたものだが、これには少しソルの知らない事情がある。リベルト外務卿はソルがシュバイツァー家の人間であること、そしてこれから王都で絶望的な戦いが始まることを、協力してくれた人たちに伝えていた。彼らは、王家の為に働いているつもりだったのだ。そうだとしても、ユーリウス王の命令を確かめることなく、ソルを逃がしたというのは、組織の脆弱さを示すことに変わりはない。滅びゆく国というのは、このようなものなのかと考え、フルモアザ王国はやはり滅ぼされたのではなく、竜王自らの意思で滅んだのだとソルは思った。

「……俺のことは……計画通りなのかな?」

 ソルとルナ王女は、この場所で斬られた。死を実感するほどの深手だった。それもまた竜王の計画通りであったのか。そうだとすれば、竜王はソルを殺すつもりだったということになる。

「ルナは……」

 この先は言葉にならなかった。ルナ王女は生きているのか。生きているのだとすれば。彼女は計画を知っていたのか。自分を助けてくれたのはルナ王女だと、今もソルは思っているが、彼女が計画を知っていたとすれば、それはかなり寂しいことだ。一度は自分の死を許容したということなのだ。
 ではルナ王女が計画を知らなかった可能性はないのか、と考えてみるが、その可能性は低いと判断した。竜王が娘であるルナ王女に剣を向けさせるなんてことは、あり得ないとも、ソルは思いたいのだ。

「…………」

 これまでの年月に何の意味があったのか。この先の人生に何の意味があるのか。バラウル家の人々が生きている可能性を知っても、ソルの心から虚しさは消えなかった。ただ喜ぶだけではいられない自分が、少し意外だった。

「……お待たせしました」

「……いえ。待ってはいません。ただ……二人だけですか?」

 現れたのはルシェル王女、そしてミストの二人だけだ。予定では、少なくとも、もう一人、ルシェル王女の母も同行するはずなのだ。

「母は……同行を拒否しました」

「勝利の可能性を信じているということですか?」

「口ではそう言っていましたが、違うと思います。兄を見捨てて逃げることが出来ないのだと思います」

「そうですか……貴女は良いのですか?」

 ソルは、ルシェル王女がそれを言い出すことを予想していた。彼女は責任感が強い。その責任感が逃げることを許さないだろうと。

「……気持ちの整理は出来ていません。ですが……これも私の義務だと思うことにしました」

 実際にそういった思いはルシェル王女の心にもある。だが。母親に先にそれを主張されてしまったことで、逃げることを説得する側に回る羽目になってしまったのだ。説得の過程で、ノルデンヴォルフ公国とオスティンゲル公国の戦いを止め、王国に援軍を送るという、リベルト外務卿から教えられた役割を果たさなければならないと思う気持ちが大きくなったのだ、

「分かりました。では、行きましょう」

「どうやってお城から抜け出すつもりなのですか?」

「ここを使って」

 ソルが指で示したのは、大きな岩山。上から多くの蔦が伸びている、竜王殺害計画に使われた抜け道がある岩山だ。

「……その隠し通路は塞がれています」

「隠し通路は使いません。岩山を乗り越えます」

「えっ?」

 岩山の断面はほぼ垂直。てっぺんが見えない垂直の崖を登ることなど出来ないと、ルシェル王女は思った。

「冷静になって考えれば分かることだったのです。バラウル家の人々にとって、こんなものは障害にならないことくらい」

 切り立った高い崖、といっても何百メートルも高さがあるわけではない。バラウル家の血の力があれば、昇ることは可能だ。数人が逃げるだけであれば、わざわざ岩山をくりぬいて隠し通路を作る必要などないのだ。

「合図したら、この蔦を体に巻いて、しがみついていてください。上から引き上げます」

「……分かりました」

 そんなことが出来るのか、という思いはあるが、ソルが言うことだ。信じるしかない。そんな心に湧いた不安も、ソルが軽々と崖を昇っていく様子を見て、薄れて行った。
 あとは合図を待って、言われた通りに蔦を体に絡め、しがみついているだけ。それでルシェル王女とミストは岩山の上に昇れた。

「また俺が先に降ります。今度はこのロープを使って降りることになります。きついかもしれませんが、頑張ってください。万が一があっても、俺が下で受け止めますから大丈夫です」

「……はい、分かりました」

 降りる作業はルシェル王女も体力を使うことになる。不安はそれほどない。彼女もこれまで体力づくりに励んできたつもりだ。これくらいのことが出来ないで、戦場に出られるはずがないという思いがある。

「では、先に降ります」

 岩山の上に生えている木にロープを結び付けると、すぐにソルは下に降りて行く。王都から逃げ出そうとしていることを気付かれたら、追手が送り出される可能性がある。王国からの追手だけではなく、裏切者からの追手も。ルシェル王女を無事に逃がそうと思えば、誰にも気付かれないまま、少しでも遠くに移動しておきたいのだ。

「ソルは……」

「大丈夫です。万が一があっても、絶対にあいつが守ってくれます」

 ミストの心に不安はない。ソルが一緒に居てくれれば、それで安心できる。思ってもみなかった再会に、少し浮かれているのもある。ルシェル王女がいなければ、素直に喜びを表現したいところなのだ。

「……そうですね」

 ルシェル王女の心にあるのは、下に落ちてしまうことへの恐怖ではない。まったく別のことだ。だが、それをミストに伝えることなく、了承で返した。それは今、考えてはいけないこと。考えても仕方のないこと。ルシェル王女はそれを分かっているのだ。

 ――岩山を乗り越えて、城を抜け出し、さらに、出来るだけ、人目につかないように気を付けながら王都内を移動する。向かったのは貧民窟。危険な場所であることが分かっていて、ソルは逃走経路にそこを選んだ。王都から密かに抜け出ることが出来るルートがあるとすれば、貧民窟。正々堂々と門から出入り出来ない犯罪者たちが使うルートがあるはずだと考えたのだ。
 結果、その選択は正解。ソルが考えていた以上に。

「こちらです」

 ソルたちを先導するのはダックス。特務兵団第二隊の一員としてツェンタルヒルシュ公国にいるはずのダックスが王都に戻っていたのだ。ダックスだけではない。ハーゼやカッツェも一緒だ。

「逃走経路を読まれるとは……未熟だな」

 貧民窟の入口、元聖仁教会施設でダックスたちは待ち構えていた。完全に逃走経路を読まれていた。それはソルには、少しショックだった。

「仕方ない。気付かれないように王都から出ようと思えば、他に選択肢はないからな」

 自慢気なハーゼだが、実際は王都のあちこちに網を張っていたのだ。貧民口に逃げ込むのが、ソルの生まれ育ちから考えても、有力だろうと考えていたが、絶対の自信があるわけではない。この場所に数が揃っていたのは、潜伏場所として使っていたからだ。

「そうだけど……そういえば許可は貰っているのか?」

「誰の、何の?」

 貰っていない。彼らは無断で戦場から戻ってきたのだ。

「敵前逃亡は重罪だったと思うけど?」

「敵なんていない。お前が全部倒しただろ?」

「全部なわけないだろ? しかし……今更か」

 今更、兵団に戻っても罪が消えるわけではない。拘束され、軍事裁判にかけられるだけだ。そうであれば、このまま一緒に行動してもらったほうがありがたい。少なくともツェンタルヒルシュ公国に入るまでは、追手に見つからないように、安全とは言えない道をソルは選ぶつもりなのだ。

「王都から出て、その後はどうする? 考えてあるのか?」

「一応は。腐死者の森に向かう」

「はっ……? 正気か?」

 腐死者の森は危険な場所。だがハーゼのこの反応はそれだけが理由ではない。ルシェル王女を連れて、腐死者の森に行って良いのか、疑問に思っているのだ。

「正気。森の奥の山脈地帯を進めば、まず見つかることはない。別の危険はあるけど、追手に襲われる危険はかなり低くなる」

「……分かった。そこのことはお前に任せる」

 腐死者の森は、ずっとソルが暮らしていた場所。彼以上にそこを知る人はいないはずだ。腐死者の森に行くことで、ルシェル王女がどう思うかもソルの問題。ソルが決めるべきことだ。口出しは無用だとハーゼは考えた。

 

 

◆◆◆

 日が変わっても王国の混乱は治まらない。治まるどころか、さらに酷くなった。そうなった原因は二つの情報。一つはヴェストフックス公国軍が進路を変えて、王都に急行しているというもの。その意図が王都襲撃であることを考えない者はいない。元々、全面的に信頼していた相手ではない。警戒し、王都の守りを残していた。だが、今はその備えがあっても不安は強まっている。竜王が生きている可能性とヴェストフックス公国軍の動きとの関連を、嫌でも考えないではいられない。
 もし本当に竜王が生きていて、しかもヴェストフックス公国軍を率いていたら。王都、そして王城を、間違いなく、ナーゲリング王国の誰よりも良く知っている人間が攻めてくるのだ。自分たちが知らない弱点を突かれる可能性がある。王国軍は、今更そんなことをしても手遅れだろうと分かっていながら、防壁等の総点検を始めている。
 さらにサー・ディートハルト、そしてツェンタルヒルシュ公国にいるサー・ルッツにも、王都への帰還命令を伝える使者を送ったところで、一区切り。新たな情報が届くのを待つことになった。

「さて、リベルト卿。卿に尋ねなければならないことがある」

 ヴェストフックス公国軍への対応についての話し合いが終わったところで、ユーリウス王は鋭い視線をリベルト外務卿に向けてきた。

「私でお答えできることでありましたら、何なりと」

「では聞こう。イグナーツはどこだ?」

 もうひとつの情報はこのこと。ソルが地下牢から逃げ出したという情報だった。

「残念ながら、その答えを私は持っておりません」

 顔色ひとつ変えることなく、惚けて見せるリベルト外務卿。彼にとっては想定内の尋問。動揺することはない。

「惚けるな。卿が地下牢に行ったことは分かっている」

「はい。地下牢に行き、イグナーツ様と話をしました。深夜のこととはいえ、きちんとした手続きをとってのことです」

 ソルと話をする為に地下牢に向かったことは隠せない。それが分かっていたので、リベルト外務卿は記録を残している。

「何の為にイグナーツと会ったのだ?」

「色々と話を聞くためです。陛下もご承知の通り、深夜まで議論を交わしても、結論は出ませんでした。それは情報が不足しているからだと考え、イグナーツ様に新たな情報を求めました」

「それで何を得た?」

「鬼王がヴェストフックス公国に居る可能性を教えていただきました。それに基づき、ヴェストフックス公国軍の動向を探らせた結果も、陛下がご承知の通りです」

 これは嘘だ。リベルト外務卿はソルに会う前からヴェストフックス公国軍の動きを知っていた。ソルと話したあとに情報局を動かしたのは事実だが、それは自分が持つ独自の情報網の存在を疑わせない為だ。

「イグナーツの話は可能性ではなく、事実だろうな。あの男は前から鬼王が生きていることを知っていた。知っていたどころか、鬼王の命令で王国軍に潜入したのだ」

「……その可能性は低いと考えます。イグナーツ様が、鬼王が生きている可能性を知ったのは、あの絵を見たからです」

 ユーリウス王の言い分は理解出来る。ベルムント王を殺害しているという事実も、復讐ではなく、竜王の命令を受けてだと考えることが出来る。だが、リベルト外務卿はそうは思わない。間違いなくソルは絵を見て、知った。これは、リベルト外務卿にとって、疑う余地のない事実なのだ。

「卿はそう言うだろうな」

「事実を述べているつもりです」

「いや、違う。卿もまたイグナーツと同じ。鬼王に仕える者だからだ」

 ユーリウス王はリベルト外務卿も竜王と繋がっていると考えている。竜王の意向を受けて、王国を滅ぼす為に潜り込んできたのだと。

「……そのお疑いは心外です。私の忠誠はナーゲリング王国にあります」

「残念だ、リベルト卿。卿の能力は信頼するに値するものだと思っていたのに」

 ユーリウス王にはリベルト外務卿の弁明に耳を貸すつもりはない。裏切りを確信しているのだ。

「何か証拠がおありですか? あるはずのない証拠が?」

「ああ、ブルーノ卿が集めてくれた。どれも信頼できる証拠だ」

「……なるほど。貴方でしたか、ブルーノ卿」

 信頼出来る証拠などあるはずがない。リベルト外務卿は竜王の命令など受けていないのだ。そうであるのに証拠を揃えたブルーノ財務卿こそ、裏切者。リベルト外務卿にはそれが分かった。

「リベルト卿、残念です。私も貴方の能力は高く評価しておりましたのに」

 笑みを浮かべてこれを言うブルーノ財務卿。彼はすでに自分の裏切りが、リベルト外務卿に知られたことを分かっている。知られていても問題ないと考えている。
 何故なら、これ以上、何も語ることが出来ずに、リベルト外務卿は殺されてしまうのだから。近衛騎士の剣がリベルト外務卿の体を貫いた。

「……これが……私の宿命……ですか……こういうのも……悪くないですね……」

 剣を受けたリベルト外務卿の顔にも笑みが浮かんでいる。納得出来る死ではない。だが、自分の役割は果たした。ソルが羽ばたく手助けを、わずかであっても、行うことが出来た。こう考えているのだ。それを果たしたと同時に、人生を終えるということに運命を感じているのだ。

「リベルト卿……?」

 リベルト外務卿の笑みの意味が、ブルーノ卿は分からない。笑って死ねる状況ではないはずなのだ。

「……賭けの……結果……は……まだ……まだ、分かりませんよ? ブルーノ卿」

 ゆっくりと床に倒れて行くリベルト外務卿。彼が残した最後の言葉の意味を理解した者は、この場には誰もいない。告げられたブルーノ財務卿も分かっていない。ソルの、イグナーツ・シュバイツァーの本当の価値を。

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