ソルの裁きは軍事裁判ではなく、四卿会議の場で行われることになった。ユーリウス王が望んだことではない。ソルの公式記録は、イグナーツ・シュバイツァー。王家の人間であるソルを、しかも先王殺しという罪で裁くことは秘匿すべきという四卿、特にリベルト外務卿とリーンバルト軍務卿の意見が受け入れられた結果だ。ユーリウス王としても、ここでイグナーツ・シュバイツァーという存在を公にはしたくないという思いがある。まして、それが王国で噂として広がっている英雄その人だなんてことは、絶対に知られたくないのだ。
「手枷を」
「そのままで良い」
ソルの手に嵌められている枷を外させようとしたリベルト外務卿の指示を、間髪入れずにユーリウス王は否定した。そもそも手枷を嵌めさせたのもユーリウス王。ソルが罪人であることを明白にしようという意図だ。
「……シュバイツァー家の方ですが?」
「それはまだ証明されていない。今のこの男は先王殺しの大罪人だ」
「……先王殺しの疑いをかけられている容疑者です。公式には」
リベルト外務卿は、ある程度、ソルを擁護するつもりだ。国王弑逆はまず死罪を免れない大罪ではあるが、今、王国が置かれている状況は、ソルを必要としている。ソルは初戦でそれを証明してみせたのだ。
「では、さっさと罪を暴け」
「承知しました。まずは身元の確認をさせていただきます。貴方はイグナーツ・シュバイツァーで間違いありませんか?」
本来、尋問を行うのは警務卿を管轄しているルーカス内務卿が相応しい。ソルが軍人であることを考慮すれば、リーンバルト軍務卿だ。それを無視して、リベルト外務卿は尋問を始めた。
「間違いありません」
「それを証明出来るものはありますか?」
「……人であれば。ルシェル殿下が証明してくれるはずです」
他にもいるが、ソルが認識している王都にいる人間は、ルシェル王女だ。そして、もっとも信頼出来る証人になる。ソルにとってではなく、この場にいる他の人たちにとってだ。
「ルシェルの証言は信じられない。この男を庇おうとするに決まっている」
ユーリウス王はソルがイグナーツ・シュバイツァーであることを認めさせたくない。王家には関係ない一騎士が、その当時はただの庶民が、国王を殺したということで終わらせたいのだ。
「御父上を殺した疑いがあると知っても、そうなされるでしょうか?」
「……それは分からない。それでも庇う可能性は否定できない」
可能性を言い出したら、何も証明出来ない。それはユーリウス王も分かっている。分かっていて、これを言うのだ。
「他に誰かいますか?」
自分も証人になれるとはリベルト外務卿は言わない。古くからの知り合いだとユーリウス王に思われない為だ。
「……私がシュバイツァー家の屋敷に入ったばかりの頃。ルシェル殿下が、陛下がとても大切にされていた短剣を無断で借りて、酷く怒られました」
「陛下?」
「……覚えている。もう、良い。イグナーツであろうと、そうでなかろうと、それはどうでも良いことだ。先王弑逆の罪の重さが変わるわけではないからな」
ソルがイグナーツであることを否定することは不可能。ユーリウス王自身がもう、ソルは確かにイグナーツだと認識しているのだ。無理に否定しても通用しないことは分かっている。
次に試みたのは、シュバイツァー家の人間であっても罰を免れることは出来ない、とすること。ユーリウス王本人は最初からこう思っているが、そうでない者たちもいる。その彼らに釘をさしたつもりだ。
「貴方には先王弑逆の疑いがかかっています」
リベルト外務卿はユーリウス王の考えを否定することなく、話を先に進めた。ここでその点を議論しても意味はないと考えたのだ。
「……身に覚えのない罪です」
「えっ?」「なんだと?」
ソルは、まさかのことに、否定した。まさかと思うのは、ソルはあっさりと罪を認めると思っていた人たち。リベルト外務卿もその一人。事前にそういう話を聞いていたのだ。
「惚けても無駄だ」
ユーリウス王はリベルト外務卿とは違う。否定は罰から逃れる為の嘘。罪人が当たり前に行うことだと思っている。
「恐れながら、惚けているつもりはございません」
「お前は罪を認めたではないか」
「……認めた覚えはないのですが、それは誰が言っているのですか?」
死にたいという気持ちが消えたわけではない。ただ、このまま死罪になると色々と面倒なことになりそう。自分が死んだあとのことなど、どうでも良い、とは思えない。現地で脅されたのはバルナバスだけではない。ソルもビアンカに脅されている。「貴方が死んだら、私も後を追います。それが母でありながら貴方たちを裏切った私の、せめてもの償いです」と。彼女自身に脅している自覚があるかまでは、怖くて確かめていないが。
「バルナバス。証言しろ」
「ツェンタルヒルシュ公がその可能性を指摘しただけで、彼本人は肯定も肯定もしておりません」
嘘ではない。ルッツが肯定させなかった。ソルは肯定の言葉を口に出せなかった。
「では、どうして拘束した?」
ユーリウス王にとっては、まさかのバルナバスの裏切り。ただバルナバスは裏切りまでは行っていない。質問に事実で答えただけだ。
「容疑があったからです。それに、イグナーツ・シュバイツァー殿であることが明らかになった状況で、従軍させたままで良いのか判断がつかなかったものですから、陛下のご裁可を仰ぐ必要があると考えました」
これは嘘。あとから作った言い訳だ。
「……容疑が晴れたわけではないということだ」
「恐れながら陛下。ご本人が否定している以上は、それを覆す証人、もしくは証拠が必要と思われます」
「そんなことは分かっている。ルーカス卿、犯人の手がかりとなるような証拠はないのか?」
証拠となる品があるとすれば、警務局。ユーリウス王はルーカス内務卿にそれを求めた。
「……事前に確認致しましたが、何も残っておりませんでした」
証拠品はない。この世界には鑑識はいない。DNA鑑定なんてものも、DNAの言葉さえない。よほど持ち主が分かる遺留品や目撃証言がなければ、犯人など分からない。分からないのに事件を解決する方法は、罪を誰かに押し付けることだ。
「証言は?」
「護衛も全滅。さらに現場は誰も近づく者のいない場所です」
「まったく何もないのか? 私は徹底的に調査するように命じたはずだ」
実際にユーリウス王は調査を命じている。警務局も命じられた通り、調査を行っている。
「証拠といえるものがないわけではありません」
「ではそれを提出しろ」
「ご遺体の傷跡ですので、すでにございません。ただ記録はしっかりと残っております。剣で刺された傷と、獣にかまれた傷。あとは……腐死者に食われたと思われる跡です」
ベルムント王と護衛たちは腐死者の群れに襲われた。警務局はそう結論づけている。公式には一度、犯人は確定しているのだ。かつての証拠を持ち出しても、ソルの無罪を証明する結果になるだけだ。
「……剣は? 剣に特徴はないのか?」
この問いはユーリウス王が調査を命じておきながら、その結果をきちんと確認していないことを意味する。調査の命令は、結果を求めてのことではなく、四卿たちを責める為のものだったのだ。
「剣は見つかっておりません」
「では探せ」
「……陛下……腐死者の森は、すでに」
「…………」
探すことに意味はない。仮に証拠の剣が落ちていれば、とっくに見つかっている。そうなるように命じたのもユーリウス王だ。
「……無罪ということで、よろしいでしょうか?」
証言も証拠もない。それではソルを罪に問えない。さらにソルが、イグナーツ・シュバイツァーであることは公式に、ユーリウス王にも認められた。リベルト外務卿、バルナバスにとって満足いく結果だ。
「……そう簡単に結論は出せない」
「陛下。それは、さすがに」
「この男は自分の素性を隠して、王国軍に潜り込んでいた。何かを企んでいたのは明らかだ」
ユーリウス王の考えは正しい。ただ、それを証明する術を知らないだけだ。
「しかし、それも証拠が」
「ルーカス卿。調査を進めろ。その間、この男は拘束したままだ。城の地下牢に入れておけ」
「陛下!?」
シュバイツァー家の人間を、王家の人間を、普通に牢に入れるのは非常識。百歩譲っても、きちんと使用人をつけて、暮らしに不自由のない場所への軟禁だ。その為に用いる塔も城にはある。
「国王である私が決めたのだ! これは王命である!」
「…………」
王命に逆らうのは重罪。死罪もあり得る。国王の最後の切り札だ。そうであるからこそ、軽々しく使うべきではない。国王として資質を問われることになる。だが、ユーリウス王はその最後の切り札を、ソルの存在を隠す為に使おうとしている。玉座を守る為、そんな心配は無用なものであるのに。
「連れて行け」
「はっ」
ソルをここまで連れてきた騎士に迷いはない。彼は自分の頭で考える必要はない。命じられたから手枷を嵌め、命じられたからそのままこの場所に連行し、命じられたので牢に連れて行くのだ。これは騎士の護身でもある。万が一、ソルが王になっても、自分は王の命令に忠実であっただけという弁明が用意出来る。
ソルも逆らうことはしない。ここまでのユーリウス王の態度を見て、かなり呆れている。少しは周囲の期待に応えて王国の為を考えなければならないと思っていたが、その気持ちはかなり薄れた。
「……この絵は?」
部屋から出て行こうとするソルの足が止まった。入る時には気付かなかった、気になる絵を見つけたのだ。
「こちらは鬼王アルノルトの絵です」
騎士の言葉遣いは丁寧だ。こういった礼儀は守らなければならない。
「これが? なんか、もっとまともな絵師はいなかったのかな?」
「私には分かりません」
「王都で最高の絵師に先王が書かせたものです。鬼王の死に様を忘れず、自らの戒めにしようとされておられました」
答えを返してきたのはリベルト外務卿だ。わざわざソルが立ち止まって、絵について尋ねている。それが気になったのだ。
「王都で最高の絵師……ちなみに隣の絵は?」
「クリスティアン王子ですが?」
竜王アルノルトの隣にはクリスティアン王子の絵も飾られている。竜王と同じ、処刑されたあとの首だけの絵だ。
「……ふっ……ふははっ……ははははっ」
「……どうされました?」
いきなり大声で笑い始めたソル。訳の分からない、その反応にリベルト外務卿は戸惑っている。
「あっははははっ、ははははっ……い、いや、ちょっと笑いが、止まらなくて…………はあ……もう平気です。行きましょう」
笑いをおさめたソルは、澄ました顔で騎士に牢に向かうように促す。あっという間の表情の変化。
「待ってください。今の笑いは何ですか?」
その変化をリベルト外務卿は異常と捉えた。
「いや、何でしょう? 緊張で気持ちが高ぶっていたせいでしょうか? 下手な絵だなと思ってしまったら、気が緩んで笑ってしまいました」
「…………」
そんなはずはない。そんな意味のない行動ではないはず。考え過ぎなのかもしれないともリベルト外務卿は思うが、ソルの態度が不信感を膨らませてしまう。
「もう良いだろ! さっさと牢に連れて行け!」
ユーリウス王の言葉。ソルと騎士はそれを受けて、歩き始め、すぐにその姿は見えなくなった。
「何だ? 今の笑いは何だ?」
「リベルト卿! くだらないことを考えていないで、政治に頭を向けろ!」
「……違う。彼はなんと言った? 騎士に何を……まさか……そんな、まさか……」
リベルト外務卿の頭に浮かんだひとつの可能性。あり得ない可能性。あってはならない可能性だ。
「リベルト卿、どうした? 顔が真っ青だぞ?」
リーンバルト軍務卿は、リベルト外務卿の変化を心配した。心配してしまうくらいに、リベルト外務卿の顔は真っ青になっているのだ。
「……鬼王アルノルトの顔を知っている者を知りませんか? クリスティアン王子でもかまいません」
「私が知るのは、近衛特務兵団だな。クリスティアン王子の近衛従士だった者たちが……生き残っていればいるはずだ」
すでに何人か死んでいることを、リーンバルト軍務卿は知っている、今回の戦いで生き残っているかは知らない。
「ツェンタルヒルシュ公の妹君、ビアンカ殿であれば二人の顔を知っているはずですが?」
バルナバスがビアンカの存在を伝えてきた。近衛特務兵団の団員の話が出たので、二人に近づいていたのだ。
「どちらもツェンタルヒルシュ公国にいるのですか……他に、城内にいないでしょうか?」
「城内ではありませんが、クリスティアン王子の元従士であれば一人、王都にいます。聖仁教会の件で大怪我を負って、今回の任務には参加しておりません」
近衛特務兵団に関しては、リーンバルト軍務卿よりもバルナバスのほうが詳しい。訓練場に顔を出す機会が、比べものにならないくらい、多い。話をする機会もそうだ。
「その人をすぐに! すぐにここに連れてきてください!」
「それは分かりましたが、彼に何を?」
一兵士を四卿会議の部屋に連れてくる。これが常識外れのことであることは、バルナバスも知っている。そうまでして何をさせたいのか気になった。
「この絵に描かれている顔が、竜王とクリスティアン王子のものでなければ、先王たちは誰を殺したのでしょう?」
「なっ……?」「そんな馬鹿な!?」「あり得ない!」
竜王アルノルトとクリスティアン王子の顔を、もっとも良く知っている人物の一人はソル。その彼が絵を見て「これは誰か」と尋ねた。つまり、この絵に書かれている人物は別人だということだ。
それを。リベルト外務卿の話を聞いた、この場にいる全員が理解した。
「だったら、あの男を! イグナーツを連れ戻せ!」
「彼の言葉を陛下が信用出来るのでしたら、それでもかまいません」
信用出来ないのはこれを言うリベルト外務卿だ。実際に、ソルは誤魔化した。何も言わずにこの部屋を出て行ったのだ。
「……サー・バルナバス」
「承知しました。すぐに」
急ぎ足で部屋を出て行くバルナバス。廊下を出たあとは、全力疾走だ。それを見て驚く者もいるかもしれないが、そんなことは気にしていられない。
「馬鹿な……そんな馬鹿なことがあるものかっ!」
竜王アルノルトが生きているなんてことになれば、すべての前提が崩れ落ちてしまうのだ。