王国の窮地を救うため、彗星のごとく現れた若き英雄。そんな噂が王都で広がっていることなど、その英雄本人であるソルは知らない。知っても喜ばない。本気で嫌がる、そしてなんとかして、その噂を打ち消せないか考えるはずだ。ユーリウス王は、噂を消したければ、ソルに命じるべきだったのだ。
何も知らないままのソルの活躍は、そう噂されても仕方のないもの。本人は今の戦場は放り出して、もっとツヴァイセンファルケ公国に近い、もしくは公国内で戦いたいのだが、代わりになるバルナバスの軍勢が中々、到着してくれない。仕方なくそれまで一万近い軍勢を相手に戦い続けていたのだ。
戦いそのものはソルにとっても大歓迎。血に飢えているというのではなく、本番に、ツヴァイセンファルケ公レアンドルとの戦いの時に向けての訓練を行っているつもりだ。訓練のつもりといっても、思いついた戦い方を試しているだけで、ソルに緩みはない。かなり全力で戦っている。
その様々な試みが英雄のごとき活躍と評価されているのだ。訓練相手にされているツヴァイセンファルケ公国軍にとっては不幸なことだ。予想外の攻撃を何度も受けて、被害を増やしている。逃げられるものであれば、すぐに逃げたいくらいだ。
だがそんなツェンタルヒルシュ公国軍にさらなる不幸が訪れる。彼らにとっては敵の増援、バルナバスの軍勢が戦場に到着したのだ。
「やっと来た……いや、良く来られたな、というべきですか」
「ああ、さっき先触れが来てね。どうやらツェンタルヒルシュ公は戦いを諦めたみたいだね」
到着前にルッツのところには連絡が入っている。敵と誤認されないことが目的なので、割と直前だった。
「早い、は不謹慎ですね。そうですか……まあ、良いことか」
戦場でツェンタルヒルシュ公と会うことは出来なくなった。誤算ではあるが、大きな問題にはならない。ツェンタルヒルシュ公国での目的はクレーメンスを殺すことだけではない。竜王殺害計画の協力者を知っているはずのビアンカから情報を聞き出すことも必要だ。それは最初から戦場では出来ないことだった。
「このまま、バルナバスと一緒か……正直に言うと、私は彼が嫌いだ」
「知ってます」
「えっ、そうなのか?」
「かなり態度があからさまなので、サー・ディートハルトを敬愛していることも」
ルッツの態度は分かり易い。ソルに対する態度もそうだ。最初から嫌われいることが分かった。今はそうでもないことも。
「バルナバスの態度だってかなりのものだ。そういう騎士がディートハルト様と比較されるのが私は受け入れられない」
こんな風に自分の気持ちを正直に話すくらいに打ち解けている。それをソルは、戦場で生死の境を共に歩んだ結果だと考えている。間違いではない。ルッツがソルの活躍を目の当たりにすることで、嫌悪感を完全に消し去ったのは事実なのだ。ディートハルトほどではないが、尊敬していると言っても良い。態度に出さないのはソルのほうが、ずっと年下だからだ。
「私はああいういい加減さが楽ですけど……あれ? 一緒?」
バルナバスと一緒。ルッツの言葉の意味に、今、ソルは気が付いた。
「あの援軍の数だ。さすがにツェンタルヒルシュ公国軍は降伏するだろうね?」
「ですね。そうなるとサー・バルナバスの軍勢と合流して、ツヴァイセンファルケ公国内への侵攻ですか……」
ディートハルトであればすでに動いているはず。二方向からそれぞれ一万と八千の軍勢で侵攻する。それに対して、ツヴァイセンファルケ公国はどう出てくるか。野戦、籠城、選択肢は様々だろうが、決戦の時が近づいたことは間違いない。ソルの望む結果だ。
「ツヴァイセンファルケ公国との戦いに勝利出来れば、勝負は決まりかな?」
「どうでしょう? オスティゲル公国はかなりの難敵だと思います」
「ヴィクトール公子か……それでも、勝たなければならないな」
「そうですね……」
オスティゲル公国との戦いにはソルはいない。もうオスティゲル公国には復讐対象はいない。死因は伝わっていないが、予想していた通りの結果になったのだとソルは考えている。
ツヴァイセンファルケ公、レアンドルを戦場で殺したあとは、ツェンタルヒルシュ公クレーメンスと妹のビアンカ。戦場でなければどこで殺すか。クレーメンスについては何とかなるとソルは考えている。クレーメンスが王都を訪れる機会は必ずある。その時を狙う。
問題はビアンカだ。ツェンタルヒルシュ公国の公都、さらに城内にいる彼女にどう近づくか。それが城の奥であれば、かなり難しい。王城と同じで臣下でも入れる場所ではないはずなのだ。
「ソル。バルナバスだ」
考え事に入ったソルに、ルッツがバルナバスの到着を伝えてきた。すでにすぐ近くに来ている。真っすぐにルッツのところに、ソルかもしれないが、向かってきたのだ。
「ご苦労だったな。私からこんな言葉をかけられても不快なだけだろうが、これはお約束だ。文句は言うな」
「分かっている。そっちこそ、ここまでの移動、ご苦労だったね?」
「ただ移動してきただけだ。それに同じ場所に、ずっと留まっているよりは、遥かにマシだ」
ただ何をするわけでもなく、毎日を陣地で過ごすだけ。自己の鍛錬や軍の訓練は行っていたが、戦争が始まっているのに、それに参加出来ないというのは退屈を感じさせるものだった。
「残念ながら、ここでは戦闘にならないと思うけど?」
「分かっている。すでにツヴァイセンファルケ公国軍からは降伏の使者が来た」
「そっちに? それは私が舐められたのかな?」
ずっと戦ってきたのはルッツの部隊だ。降伏の使者は自分の側に来るべき。このルッツの考えは間違っていない。
「いや。恐れられたのだろう。皆殺しにするまで許されないと思っているようだ」
「……それ、私のせいじゃないね」
そう思われるほどの壮絶な戦い方をしたのはソルと彼の部隊。味方で良かったと心から思える戦いを、ルッツはずっと見てきたのだ。
「それも分かっている。ソルだろ? ようやく本気を出したというところか?」
「常に本気のつもりですけど?」
「ああ……ではお前の力は戦場にあっているということだ」
「……何か企んでいます?」
バルナバスにこのような褒められ方をされると、喜ぶよりも気持ち悪い。褒めておいて、何かまた無茶振りをするつもりなのではないかと、ソルは疑った。
「上司らしく振舞っているだけだ。将らしくとも言う」
「らしくないですね?」
「お前な、そうしなければならない事情があることに、何故、気付かない? 他のことでは異常に鋭いくせに」
バルナバスも、褒めようという気持ちに変わりはないが、もっと砕けた調子で話したい。挨拶など抜きにして、具体的にどう戦ったのかと聞きたいのだ。だが、それが出来ない、しない理由がある。
「事情……それは後ろにいる方たちのことですか?」
バルナバスは一人ではない。部下と一緒だが、それだけでもない。明らかに王国軍とは異なる装いの人たちが一緒だ。それが何者かもソルは分かっている。戦場で見かけたツェンタルヒルシュ公国軍の軍装と同じなのだ。
「ああ、そうだ。こちらはツェンタルヒルシュ公。公、この者が指揮官のサー・ルッツ。そして今、私と話していたのがソル。近衛特務兵団第二隊の隊長です」
「ああ、彼がそうか」
クレーメンスの視線はルッツではなく、ソルに向いている。彼が会いたかったのはソルなのだ。
「ソル。公はお前に確かめたいことがあるそうだ。それでわざわざ、ここまで同行された」
「……何でしょうか?」
ソルにとっては予想外の出会い。この場でどう動けば良いのか、まだ決めかねている。
「君の本当の名はイグナーツ。イグナーツ・シュバイツァーだな?」
「いえ、違います」
答えに迷うことはない。この問いには否定を返すことに決めている。
「違いますって……サー・バルナバスは君がイグナーツであることを認めた」
「……サー・バルナバスは何を勘違いしているのでしょう?」
さらなる誤算。バルナバスが正体に気付いていることを、ソルは考えていなかった。さらにそれをクレーメンスに話してしまうなど、微塵も考えなかったことだ。
「勘違いではありません。貴方は間違いなくイグナーツ殿です」
そして更なる誤算がソルの目の前に現れる。ビアンカだ。彼女は、実際に会えばイグナーツであることが分かるからと、同行してきたのだ。彼女の為にクレーメンスが同行したと言っても良い。
この誤算に対するソルの反応は素早かった。周囲に響く金属音。
「……何のつもりだ?」
ビアンカに向かってソルが振るった剣は、クレーメンスに防がれた。
「その女性に伺いたいことがありまして」
「尋ねたいことがあるのであれば尋ねれば良い。剣を抜く必要はない」
「聞けばどうせ剣を抜くことなります、貴方が。だから先に抜くことにしました」
もっとも会える可能性が低かったビアンカに会えた。ソルはこのチャンスを優先することにした。この場で必要な情報を聞き出すと決めたのだ。
「ソル、控えろ」
バルナバスも剣を抜いている。だが、その剣をどこに向ければ良いのかは決められないでいた。
「……邪魔者が多いか。これは判断ミスかな?」
どうやらバルナバスも敵に回る可能性がある。これもソルの誤算だ。イグナーツ・シュバイツァーであることが分かっているのであれば、ある程度、行動は予測していると考えていた。これは買いかぶりというものだ。武以外では、バルナバスは凡人以下なのだ。
「目的を話せ! 何故、ビアンカを殺そうとする!?」
「……だから聞きたいことがある」
クレーメンスから間合いを空けて、周囲を警戒しながら、ソルは問いに答える。
「何を聞きたいのかを教えろと言っている」
「竜王殺害計画の協力者。城内には彼女以外にも協力者がいたはずだ。ああ、知っているのなら、貴方からでも良い。協力者は誰だ?」
「……それを聞いてどうする?」
ソルの雰囲気の変化にクレーメンスは気が付いた。惚けた雰囲気は消え去り、強烈な殺気を放っている。聞くまでもなく、答えがどのようなものであるかは、その殺気が教えている。
「殺すに決まっている。貴方は知っているはずだ。貴方も当事者だからな。俺とルナを殺した当事者」
「……殺すつもりはなかった。本当だ」
「それは誰のことを? なんだ、分かっていなかったのか。動揺しているのかな? 計算違いばかりだ」
自分の正体を知っているのなら、恨まれれていることは分かるはず。恨んでいる相手が何をするのかも分かっているはずだとソルは考えていた。間違いだ。こういう間違いは、ソルが人というものを知らないせい。狭い世界でしか生きてこなかったせいだ。
「まさか……竜王を殺したことを恨んでいるのか?」
「駄目だ。外れではないけど、微妙にずれてる。貴女なら分かるでしょう? 俺が誰の為に行動しているのか」
「……ルナ王女。貴方の大切な婚約者ですね?」
ビアンカは答えを知っていた。ソルが恨みを抱いているだろうことも。だが、彼女はその恨みを受ける覚悟を決めている。それだけのことをしたと思っている。ずっとそれを悔やんで生きてきたのだ。
「教えてもらえますか? 協力者は誰です? 誰が俺たちがあの日、あの時間に城を出ることを漏らした?」
「……知らない」
「ここで惚けますか? それとも相手をかばっている?」
「違うわ。私は本当に知らないの。味方なんていないと思っていた。本当なの」
相手をかばっているわけではない。ビアンカは本当に知らないのだ。彼女は彼女の役目を果たしていただけ。それで目的は果たせる。そう言われていたのだ。
「彼女はこう言っていますが、貴方は?」
「知らない。本当だ。協力者はいたのだろうと思う。だが私は計画の全てを知っていたわけではない。それぞれ分担があって、他の者が行っていたことはお互いに知らないのだ」
「……それが本当であれば、ツヴァイセンファルケ公に聞くしかないってことか……オスティゲル公は死んだし……」
ビアンカとクレーメンスの言葉を完全に信じているわけではない。だが本当に知らない可能性があるとは思っている。
「お前は……計画に関わった者、全員を殺すつもりか?」
「……そうだと言ったら?」
「つまり……ベルムントを殺したのは、お前か?」
この問いを受けて、周囲にざわめきが広がっていく。この場にいる、第二隊以外の、何も知らなかったナーゲリング王国軍の人たちのうめき声だ。