出撃する軍はすでに全て王都を発ち、あとは経過報告を待つだけ。結果が出るのはまだまだ先のことだ。ユーリウス王に焦りはない。不安もかなり薄れている。ヴェストフックス公国が援軍を送って来た。その数およそ一万。常備軍であれば、ほぼ全軍。そうでなくても王国軍主力のディートハルト率いる一万と合流すれば、二万。想定しているツヴァイセンファルケ公国軍と数の上では互角。さらに作戦が上手く行けば、ツヴァイセンファルケ公国軍は前線への増援が難しくなり、味方は圧倒的に優勢になるのだ。厳しい戦いに、ようやく見えた勝機。ユーリウス王はそれを素直に喜んでいる。軍事だけでなく内政にももっと力を入れなければならない。そう考えて、政務に励んでいた。
だが、そんな心穏やかでいられる時は長くは続かなかった。まったく想定していなかった出来事が、その時を終わらせた。
「ツヴァイセンファルケ公国から使者が戻ってきただと?」
すでに生きていない。生きていても厳しい環境に置かれているだろうと思っていた使者が無事に戻ってきたのだ。ツヴァイセンファルケ公暗殺未遂事件に王国が関与していないことを説明する為に送り出した使者だ。
「はい。さらにツヴァイセンファルケ公から書状も受け取ってきております」
「今更……どういう内容だ」
「書状はこちらです。陛下宛の書状ですので、中身は確認しておりません。ただ、使者が言うには王国の一大事を伝える内容だと」
「……意味が分からない……読めば良いのか」
王国の一大事を作り出そうとしているのは、書状を送ってきたツヴァイセンファルケ公だ。ユーリウス王はそう思っている。リベルト外務卿から渡された書状を開き、中を読み始めるユーリウス王。
「……そんな馬鹿な?」
読んだ結果がこの言葉だ。
「内容はお聞かせいただけるものですか?」
「そんな馬鹿な」だけではリベルト外務卿たちには、なんのことかまったく分からない。ユーリウス王に説明を求めた。
「ツェンタルヒルシュ公国から使者が来たことを伝えてきた」
「……それは……想定していたのとは違う使者ということでしょうか?」
ツェンタルヒルシュ公国がツヴァイセンファルケ公国に共闘を求める使者を送ることは、少し時期は早いが、想定していた。だが想定通りであれば、その事実をツヴァイセンファルケ公国が伝えてくるはずがないとリベルト外務卿は考えた。
「いや、想定していた使者だ。ツェンタルヒルシュ公国はツヴァイセンファルケ公国に共闘を求めた」
「どうして、それをツヴァイセンファルケ公国は伝えてきたのでしょうか?」
「ツェンタルヒルシュ公国は謀反を企んでいる。王国の忠実な臣として、ツヴァイセンファルケ公は裏切者を討つと言ってきている」
ツヴァイセンファルケ公が言う「王国の一大事」は、ツェンタルヒルシュ公の謀反。その叛意を王国に伝え、臣下としてツェンタルヒルシュ公を討つ、つまり、ツェンタルヒルシュ公国に攻め込むと言っているのだ。
「……軍を動かす口実にされましたか」
「認めるつもりはない」
他公国への侵略に、王国のお墨付きを与えるつもりは、ユーリウス王にはない。
「忠誠を誓う臣下をお討ちになると?」
「偽の忠誠だ!」
「その通りです。ですが、他の公国はどう思うでしょうか?」
「今更だ。私はツヴァイセンファルケ公国を討つと決めた」
大義名分は必要ない。それを得ることは、とっくに諦めている。勝利を得る為に悪名を被ることをユーリウス王は覚悟したのだ。
「承知しております。しかし……これを知ったヴェストフックス公国はどう出るでしょうか?」
「……王の命令だ」
「恐れながら、それに素直に従うようであれば、このような事態にはなっておりません」
ナーゲリング王国に従う公国はいない。だから戦いを決意し、実行に移したのだ。協力関係にあるヴェストフックス公国も自国に利があるから、それを受け入れただけ。リベルト外務卿はこう思っている。
「……どう出ると思う?」
「ツェンタルヒルシュ公国討伐への参加を求めると思われます」
求めていた領土をそれでヴェストフックス公国は手に入れられる。何もしないでいれば、ツヴァイセンファルケ公国に奪われてしまう可能性もある。リベルト外務卿は、かなりの確率で、ヴェストフックス公国はこれを求めてくると考えている。
「……そうだな。ツヴァイセンファルケ公国は二国の草刈り場か」
「傍観者でいる必要はないのではないですか?」
二国が力を得るのを、ただ見ているだけではいられない。王国も領土拡張の為に、ツヴァイセンファルケ公国に攻め込むべきだとリーンバルト外務卿は考えた。
「バルナバスを動かすか」
リーンバルト軍務卿の考えを、ユーリウス王も認めた。二公国もいずれは戦う相手。敵が戦力を増すのを無条件で許すわけにはいかない。
「……少しお待ちを。まずはヴェストフックス公国にこの事実を伝え、反応を見るべきではないでしょうか?」
「その間にツヴァイセンファルケ公国が攻め落としたら、どうする?」
「公国の軍事力はほぼ互角のはずです。簡単に決着がつくとは思えません」
二国で消耗戦を演じてくれるのであれば、それは王国にとってありがたいことだ。リベルト外務卿は慌てて、参戦する必要はないと考えている。
「……逆にツェンタルヒルシュ公国が勝利する可能性もある」
「その時は、堂々と反逆者をお討ちになれば良いのです」
「それこそ簡単に討てるのか? ツヴァイセンファルケ公国を吸収したツェンタルヒルシュ公国、それとノルデンヴォルフ公国の連合軍が相手だ」
ユーリウス王はツェンタルヒルシュ公国とノルデンヴォルフ公国は一体だと考えている。エルヴィンの結婚は約定の証。狙いは当然、玉座。自分の地位だと思っている。
「……ノルデンヴォルフ公は陛下の弟君です」
「兄弟だというだけで無条件で信用は出来ない。そうしてはならないことは歴史が教えてくれている。違うか?」
玉座に限らず、当主の座を巡る兄弟間の争いは、過去にいくらでもある。兄弟だからこそ信用ならない、という考えは完全に間違っているわけではない。だが兄弟が力を合わせて、難局を乗り越えたという例もある。
「……間違いとは言えません」
一方が、手を伸ばすどころか、払おうとしていれば、力を合わせることなど出来ない。ユーリウス王はそうしようとしている。その意思を変える努力を、リベルト外務卿は諦めた。
「ノルデンヴォルフ公国にも使者を送ってみてはどうですか?」
シュバイツァー家の一員であるリーンバルト軍務卿は、簡単には諦められない。ノルデンヴォルフ公国には親族、知人がいる。その人たちと戦うような事態にはなって欲しくないのだ。
「ツェンタルヒルシュ公国を通過してか?」
敵地であるツェンタルヒルシュ公国を使者が移動することは困難、というのは言い訳だ。ユーリウス王は使者を送ることに対して、否定的なのだ。彼の心にはノルデンヴォルフ公国の人たちへの不信感がある。自分に従って王都に同行してこなかった人たちの忠誠を信じていないのだ。
「ヴェストフックス公国領へ迂回してでも」
「往復している間に戦いが終わりそうだな」
「旅商人などに偽装するという方法もあります。全ての人の往来が出来なくなっているわけではないはずです」
使者を送りだすことは出来る。本当にツェンタルヒルシュ公国領内を移動することが出来ないような状況にされているとすれば、大問題だ。それが可能な防諜対策をツェンタルヒルシュ公国は構築出来ているということなのだから。
「……良いだろう。使者を送るのを許す。だが、使者になんと言わせるつもりだ?」
「ツェンタルヒルシュ公国討伐に参加するように、と」
ただ完璧ではないものの、防諜対策は出来上がっている。王国の情報局の人間は、ノルデンヴォルフ公国の防諜網を突破し、ツェンタルヒルシュ公国のそれを潜り抜け、さらに王都周辺の王国直轄地域に張られた網も抜けて、王都に情報を届けなければならない。それが困難であることは、ノルデンヴォルフ公国軍の動きが伝わっていないことが証明している。
「命令を受け入れるとは思えないな」
「元々、期待していない援軍です。命令を無視されたからといって、悪影響にはなりません」
リーンバルト軍務卿自身はノルデンヴォルフ公国は軍を出すと考えている。シュバイツァー家は絶対君主ではない。他の豪族たちに支持されて北の大地の盟主となったという成り立ちを、千年単位の時を経ても大事にしており、周囲の意見を無視出来ない。さらにエルヴィンはまだ若く、公主になったばかり。リーンバルト軍務卿と同じ考えの人たちを止められないだろうと思っているのだ。
「……分かった。ただ使者だけでなく、援軍も送りだせ。バルナバスの所に、王都にいる軍勢一万を合流させる」
「王都が空になります」
「空にはならない。兵の数はかなり増えているはずだ」
王国も徴兵を始めている。王都に残る軍勢は元の一万から一万三千くらいにはなっているのだ。
「……五千であれば、なんとか」
「では八千だ」
「臨設第九〇一部隊もおります。五千でも総勢一万四千。十分な数だと考えます」
わずかだが数字を盛って、ユーリウス王の妥協を引き出そうとするリーンバルト軍務卿。王都を手薄にする危険性を理解しているのだ。
「……分かった」
不満そうな表情を見せながらも、了承を口にしたユーリウス王。戦地はツェンタルヒルシュ公国だけでなく、ツヴァイセンファルケ公国もある。戦況次第で判断すれば良いと考えたのだ。
「王都に向かっているヴェストフックス公国軍には、直接前線に向かうよう使者を出します」
「……その前線というのは、どこのことだ?」
「今、考えていたのはツェンタルヒルシュ公国ですが……陛下のお考えは、ツヴァイセンファルケ公国でしたか?」
リーンバルト軍務卿としては、どちらでも良いのだ。ヴェストフックス公国軍を王都から遠ざけることが出来れば。ツヴァイセンファルケ公国がツェンタルヒルシュ公国に攻め込むと決めたことで、王国の状況は改善している。主戦場を選ぶことが出来、どちらを選んでも勝ち目が出てきた。こう考えているのだ。
「……ツヴァイセンファルケ公国だ」
「承知しました。そう伝えます」
ユーリウス王の妥協を得ることは出来た。あとは今の、そしてこれからの状況を最前線にいるディートハルトに伝え、作戦の練り直しを任せるだけ。リーンバルト軍務卿が出来ることは、それくらいだ。
◆◆◆
状況が大きく変わろうとしている頃、臨設第九〇一部隊は、当初の予定通りに行動している。命令変更は届いていない。届くまでは決められた通りに行動するだけだ。原則は。
現場にも状況の変化に合わせた、臨機応変な対応が許されている。その状況の変化が起きることになった。
「……思ったよりも早い動きだ。どこで計算間違えたかな? 移動時間は大きく間違えていないはず……となると情報伝達か。漏れたとすると、どこだろう?」
遠くまで見渡せる山の中腹に一人立ち、ソルは独り言をつぶやいている。本人は独り言とは思っていない。肩の上に乗っている大鷲と話しているつもりだ。相手が話すことはないが。
「王国が一番怪しいけど、他のところにもいそうだ。そういう仕事だろうからな……王国の人たちは、ちゃんと働いているのかな?」
王国の情報局が正常ではないことはソルも知っている。それでも一公国のそれよりはマシだと思っていたのだが、どうやらそれは間違い。情報収集、情報漏洩を防ぐという点でも、今の王国は他勢力に劣っている可能性が今の状況で分かった。
「……まあ良い。今のところ、問題はない。問題は……」
後ろを振り返るソル。それと同時に肩に止まっていた大鷲が、空に舞い上がった。
「誰と話している?」
近づいてきたのはルッツだ。
「考え事をしていました」
「では、何を考えていた?」
ソルの行動がルッツは気になる。気に入らないということではない。ソルが何をどう考えるのかを知りたいと思っているのだ。バルナバスの評価は認めたくないが、無視も出来ない。彼が高く評価するソルから学べることがあるのなら、学びたいと考えているのだ。
「ツヴァイセンファルケ公国がツェンタルヒルシュ公国に攻め込もうとしています。それに対して、我々はどうするのかな、と」
「……そんな情報は届いていないね。どうやって知ったのかな?」
「色々と探ってもらっています。正確には、かなりの規模の軍勢が西に移動しているですが、ツヴァイセンファルケ公国軍で間違いないと考えました」
臨設第九〇一部隊の任務には情報収集もある。正規の任務だ。それを実行する役割を近衛特務兵団第二隊は与えられている。ソルの答えはまったくの嘘ではない。
「……それが事実だとして、どうするべきだと思っているのかな?」
「王国の許可なく、他公国に攻め込もうとする軍は、治安を乱す存在ではないですか?」
ツヴァイセンファルケ公国軍を討つ。ツヴァイセンファルケ公、レアンドル・アズナブール自らが戦場に出てくるまで何度も。もしくは公都フォークネレが手薄になるまで。これがソルの狙いのひとつだ。
「なるほどね。治安維持を任務とする我々はそれを無視するわけにはいかない、か。問題は勝てるのか」
「戦い方次第だと思います。何も単独で戦う必要はありません。ツェンタルヒルシュ公国にも働いてもらわないと」
「……それ、本当に今考えた?」
ソルは最初からそのつもりだったのではないか。根拠はないが、ルッツはそう思った。
「情報を得たのは、つい先ほどですので」
「……でも、ツヴァイセンファルケ公国がこう動くことは予想していた?」
「勝ち残ろうと思えば、単独で王国に挑むとは思えません。圧倒的な戦力を得るまで待つか、もしくは王国以外の警戒すべき相手を先に消す」
「今回、ツヴァイセンファルケ公国は後者を選んだ。なるほどね」
ツヴァイセンファルケ公国とツェンタルヒルシュ公国が共闘した場合は、元の作戦通り。その場合でも、王国軍主力が前線を突破すれば、フォークネレの守りは薄くなる。王国軍主力との決戦をレアンドルが挑むというのであれば、その場に行けば良い。ソルの目的は達せられる。
臨設第九〇一部隊は、ツェンタルヒルシュ公国に侵攻したツヴァイセンファルケ公国軍の後を追うことになった。