四卿会議の場。今日はいつもとは異なり、出席者の数が多い。ユーリウス王と四卿以外にフリッツ情報局長、そして王国軍の将たちが参加しているのだ。正式にはこれは四卿会議とは呼ばないのだが、ユーリウス王の意向で、会議の場が他の目的では使われることのないこの部屋が選ばれたので、そう呼んでいるだけ。規則に合わせる為の建前ということだ。
「わずか三千でここまで深入りさせるというのか?」
話し合われているのは、この先の戦いにおける基本戦略について。軍部が考えた作戦案を報告する為の場だ。
「はい。もちろん、条件がございます。ツヴァイセンファルケ公国とツェンタルヒルシュ公国が協力関係にないこと。両公国軍が共同で攻めてくる場合は、手前で迎え撃つことを考えております」
「……つまり、共同で攻めてくる可能性は低いと考えているということか?」
そうでなければ、この作戦計画は意味がない。次善の策としている迎撃作戦のほうがメインとして報告されるはずだとユーリウス王は考えた。
「軍はそう考えております」
「その根拠は?」
「ツェンタルヒルシュ公国は安易に王国への敵意を明らかにすることは出来ないと考えました。それは、ノルデンヴォルフ公国が許さないだろうと」
「エルヴィン頼りか……」
ユーリウス王は苦々しい思いを表情に出している。弟であるエルヴィンを良く思っていないのは明らか。それを見てディートハルトは、バルナバスが言った通りの人物なのだと判断した。
「ノルデンヴォルフ公ではなく、仕えている家臣頼みであります」
「その家臣もどこまで当てになるものか」
家臣に対してもユーリウス王は悪感情を抱いている。自分がノルデンヴォルフ公であった時に受けた仕打ちを忘れていないのだ。
「……実際にどうかではなく、ツェンタルヒルシュ公がどう思うかだと考えております」
家臣に対しても不信感を抱いている。それはノルデンヴォルフ公国に仕える者たちに限ってのことなのか。自分たちに対しては、どうなのか。こんな思いが心に浮かんでしまうが、そんな思いを抱いたことを微塵も感じさせないことくらい、ディートハルトも普通に出来る。
「……なるほど。だが、そうであれば尚更、ツヴァイセンファルケ公国と結ぼうとするのではないか?」
「はい。その通りです。ですが、その実現にはそれなりの期間が必要となります。使者のやり取りだけでも数か月。公主同士の会談が必要となれば、さらに数か月です」
ディートハルトたちも想定していたこと。説明は用意してある。初動時点で共闘関係が成立していなければ、数か月の猶予が与えられる。それで十分だと考えているのだ。
「……あえて少数で、わざわざ敵地深くまで侵攻する理由は何だ?」
「敵の動きが見えやすくなるというのが理由の一つ。ですが、一番の目的は、両公国軍を引き付けることで最前線の戦力を削ることにあります」
「敵戦力の分散か……だが、三千の戦力ではすぐに殲滅されてしまうのではないか?」
三千という数では、各個撃破の恰好の的となってしまうとユーリウス王は考えた。
「正面から戦う部隊ではございません。戦いは出来るだけ避けるように命じます」
「どうやって避ける?」
「ツヴァイセンファルケ公国軍が近づいて来たら、ツェンタルヒルシュ公国領に入って。その逆もまた同じであります」
その為に両公国の支配地域の境を移動するのだ。敵を引き寄せたまま、いかに時間を稼ぐことが出来るか、侵攻部隊に求められるのはこれだ。より多くの敵をより長く引き付けておければ、それだけ最前線の突破は楽になる。
「そんな真似を……だが公国領に入れば……いや……まさか、堂々と移動するつもりか?」
「王国軍が王国の領土を移動しても、何の問題もございません。もちろん、最初から知らせる必要はありませんが」
敵を引き付けることが目的なのだから、その存在を隠すわけにはいかない。ある程度進めた段階で、存在を両公国に示す予定だ。それを咎められる理由はない。王国の軍が、公国領とはいえ、王国の領土を移動しているだけなのだから。
もちろん、公国側が攻撃してくる可能性がそれを理由に無になるわけではない、王国から戦争を仕掛けたという形にならないだけだ。だがそれは、ツェンタルヒルシュ公国の行動を制する役には立つと考えている。
「……侵攻部隊の指揮官は誰だ?」
「サー・バルナバスにお任せいただければと思います」
「なるほど……部隊編成は……」
全滅の可能性もある、かなり厳しい任務。その指揮官をバルナバスが務めるということについては、ユーリウス王も納得だ。実力を評価してのことではない。ナイトには相応しくないという評判からの判断だ。
そうなるとユーリウス王が気になるのは、犠牲となるかもしれない部隊。あらかじめ配布してあった部隊編成案の資料に視線を向けた。
「……近衛特務兵団?」
編成案に記されていた「近衛特務兵団」の文字。ユーリウス王はそれを何も言わずに受け入れてはくれなかった。
「はい。侵入作戦においては近衛特務兵団は役に立ちます。索敵能力などで優れた点がございます」
予想されていたことだ。
「……ルシェルも承知のことか?」
「いえ。陛下のご裁可を得るのが先と考えました」
これは嘘だ。ルシェル王女はすでに近衛特務兵団の出陣を知っている。全滅するかもしれない危険な任務に兵団を送り出すことには、かなり抵抗を感じているが、勝つために必要なことだと無理やり、自分を納得させたのだ。
ディートハルトがユーリウス王に嘘をついたのは、先にルシェル王女に相談していたことは知らせるべきではないと、ソルに教えられたからだ。
「そうか。良い、ルシェルには私からも伝えておこう」
「ありがとうございます」
近衛特務兵団の参加を許されて一安心、だったディートハルトだったのだが。
「ただ……指揮官は代えたほうが良いな」
「指揮官、ですか?」
ユーリウス王は想定外のことを言ってきた。指揮官について反対される想定は、ソルにも、なかったのだ。
「……サー・ルッツ。君が侵攻部隊の指揮官を務めるように」
「……はっ。陛下からのご指名、光栄に思います」
指名されたルッツは、こう答えるしかない。ユーリウス王が何を考えて、自分を指揮官に指名したのかは分からない。悪意である可能性も高い。だが拒否する権利などないのだ。
「汚名返上の絶好の機会だ。励むように」
「はっ!」
悪意であるかは分からないが、ソルに立ち合いで負けたことが影響しているのは、これで分かった。
「サー・バルナバスは、ルッツの代わりにツェンタルヒルシュ公国方面軍を率いるように」
「……承知しました」
恐らくは戦いにはならないツェンタルヒルシュ公国への備え。その指揮官を任されてもバルナバスは嬉しくはない。承諾は口にしたものの、不満を隠そうともしていない。
「ツヴァイセンファルケ公国との決戦部隊は、なるほど、精鋭だな。だが、数が少なくないか?」
ツヴァイセンファルケ公国軍の前線突破を図る軍の指揮官はディートハルト。すでに軍を率いて布陣しているヘルミュールが副官となる。ナーゲリング王国の最高の将とその次席。ユーリウス王の言う「精鋭」は間違いではない。
「いきなり大軍を展開しては、こちらの意図が知られます。まずは前線を突破、橋頭保を築いた上で、王都から増援を送ります。出来れば、ヴェストフックス公国軍と同時に」
「なるほど。分かった。リーバルト卿からは何かあるか?」
「いえ、私からは何も。他の方は何かあるかな?」
他の卿に意見を求めるリーバルト軍務卿。それに応える者がいると分かっての問いだ。ユーリウス王がこのまま会議を終わらせてしまう可能性を考え、他の卿に発言させる機会を作ったのだ。
「軍事には素人ですので、間違った質問かもしれませんが、サー・ルッツが率いる部隊の任務の成否は全体の作戦に大きな影響を与えるのではありませんか?」
発言したのはリベルト外務卿だ。
「そうだろな」
「その重要な任務を戦争経験のない近衛特務兵団に任せて良いものでしょうか?」
リベルト外務卿は近衛特務兵団を、ソルを危険な任務に参加させることには反対だ。ソル個人のこととしては話せないので、近衛特務兵団の経験不足を指摘してきた。
「恐れながら、戦争経験は問題ないかと。近衛特務兵団には経験者は大勢おりますので」
ディートハルトはリベルト外務卿の意見を否定した。これは事実だ。近衛特務兵団の経験不足を問題にするのであれば、他の、王国軍の正規部隊も同じ。それどころか近衛特務兵団は、戦争経験はなくとも、ほぼ全員が実戦を経験している。
「それに三千の部隊の中の一部です。大勢に影響はございません」
「しかし……いえ、素人の意見でした。忘れてください」
ディートハルトが近衛特務兵団の参戦に拘っていることが、リベルト外務卿には分かった。そうなると覆すのは難しい。ディートハルトは近衛特務兵団を参戦させなければならない理由を用意している。その全てを否定することなど出来るとは思えない。さらに、すでに国王であるユーリウス王が認めているのだ。
「他にあるかな? ないようであれば、陛下」
「ああ、作戦案を許可する。皆、勝利に向かって励め」
「「「はっ!!」」」
作戦計画は許可された。ナーゲリング王国軍はいよいよ動き出すことになる。
◆◆◆
出陣が決まったソルは忙しい。本人は出陣まではこれまで通り、鍛錬と勉強、それとミストとの時間で毎日を終わらせたいのだが、それを許してくれない人がいた。ルシェル王女だ。
ルシェル王女はソルが望んでもいないのに出陣準備を始めてしまった。ソル個人の準備だ。騎士になっても兵と変わらない装いのソルに、騎士服や鎧、武具一式を揃えようというのだ。採寸やその後、何度か行われた試着。騎士服、鎧、その他、それぞれ別々にそういった準備に時間を取られることになったのだ。
「……悪くないのではないか?」
結果、出来上がった装いに身を固めたソルを見た、ハーゼの感想はこれ。
「そうやって馬鹿にする」
ソルには揶揄われているようにしか聞こえない。
「馬鹿にしてはいない。こういうの、孫にも衣装というのか?」
「そうですね。きちんとした格好をすれば、それらしく見えるものですね?」
「ヒルシュさんまで……」
さらにヒルシュにまで、彼女の言葉は実際に少し揶揄いを含んでいるが、揶揄されて、ソルは不満そうだ。
「冗談です。本当に立派に見えます。将軍だと言われても、納得ですね?」
本気で装いを改めたソルの姿に感心していることを知られるのは、ヒルシュのほうも照れくさいのだ。
「将軍は言い過ぎです。しかし……いや、感謝しなければいけないとは思っているのです。でも……」
「何に不満がある? ルシェル殿下が用意してくれたものだ。どれも一級品だろ?」
不満そうなソルに、カッツェも不満そうだ。王国の王女であるルシェルが揃えた武具だ。どれもとても高価な物であることは間違いない。目利きなど出来ないカッツェでも、見ただけで分かる。
「そうだと思いますけど、大切なのは値段ではなく、体に馴染むかです」
「ああ……それは確かに」
武具は飾り物ではない。敵を倒し、自分の身を守る為のものだ。高価かどうかは関係なく、自分が戦いやすい物が一番良い物。それについてはカッツェも同じ考えだ。
「多分、剣は使わないと思います。ルシェル殿下にも伝えたつもりだったのですけど、なんだか高そうな剣を頂いてしまって……」
ありがた迷惑、ということではなく、折角用意してもらった物を使わないことへの申し訳なさがあるのだ。人の行為を無にするのは良くない。そう思っていても、使い慣れた武具を手放す気にはなれない。
「ごちゃごちゃした飾りがついているのでなければ、剣の良さは値段に比例するのではないか?」
ルシェル王女がソルの為に用意した剣は、ごちゃごちゃした飾りのついた剣ではない。そういうのをソルが嫌がることくらいは、彼女も分かっている。
「そうなのですけど……俺のも、まあまあ良い剣だと思うので」
「そうなのか? そんな良い剣、どこで手に入れた? あ、ああ、もしかしてあれか? 別の女に貰ったのか?」
「その別の女が婚約者のことなら、怒りますけど?」
ソルの雰囲気ががらっと変わる。ルナ王女のことを「別の女」と表現されたことを怒っているのだ。これはこれで、覇気のようなものを周囲に感じさせる。
「冗談、冗談だ。それに名を口にするのは避けるべきだろ?」
「そうだけど……でも違う。今の剣は拾った」
「はっ?」
「どこで拾ったかは教えないけど。良い剣なのは間違いない。多分、竜殺しとかドラゴンスレイヤーとか呼ばれている剣の中の一本」
バラウル家の秘墓所に埋葬されていた剣の中の一本だ。バラウル家の墓所には、何故か埋葬されている人を殺したであろう剣も一緒に収められている。ソルは偶然、それを見つけた。見つけて、この仮定に辿り着いた。
「……お前さ、それって、あれだろ? あの家の人たちを、その、殺した剣ってことだろ?」
この世界で「竜」という言葉から連想されるのは、空想上の生き物ではなく竜王、バラウル家だ。
「過去の人。俺は直接知らない人たちです」
「そうだとしても……バチが当たるぞ」
「苦しめた剣を外してやったのだから感謝されると思うけど? それにバチなら、その前から当たっている。さらにバチが当たることになっても、まったく問題ない」
死者の祟りを恐れるソルではない。死を望んでいるのだ。それがどのような死であっても、今となっては、構わないと思っている。
ソルにとって復讐は生きていることへの言い訳。本当に殺したい相手は、ルナ王女を救うことが出来なかった自分自身なのだ。
「……じゃあ、いらないなら、その剣は俺にくれ」
「ちょっと、それはどうかしら?」
カッツェの要求を、ヒルシュが批判してきた。彼女のほうがカッツェよりも常識人ということだ。
「ああ、王都を出たあとなら」
「ソル」
そしてソルよりも。
「いやだって、ルシェル王女に遠慮して使える武器を使わないほうが間違っている。俺たちは戦場に向かうのだから」
「それはそうだけど……でも、そうね。大切なのは自分たちの命ね」
彼らが向かう戦場は、状況によっては全滅もあり得る危険な場所。ただ、死を覚悟して、なんて考えは彼らにはない。なんとしても生きて、目的を果たす。目的達成が難しいとなれば、迷うことなく生き延びることを優先して逃げる。そのつもりだ。
彼らには王国への忠誠心などない。王国が勝つためではなく、ソルの目的に同調して、戦場に出るのだから。