ナーゲリング王国陸軍官舎の大会議室。最大で五十人を収容出来る広い会議室だが、今そこで会議に参加しているのは四人だけだ。ナイトの称号を与えられた王国騎士の頂点に立つ五人のうち、ツヴァイセンファルケ公国の備えとして軍勢を率いて東に出陣しているヘルミュールを除いた、四人が集まっての会議だ。
王国はいよいよ公国との戦いに挑もうとしている。その時を目前に控えて、戦略のすり合わせを行っているのだ。ナイトの称号を持つ五人は、王国の将軍でもある。軍事上の決定は、もちろん国王の裁可は必要となるが、この五人、今回は四人だが、の話し合いで行われるのだ。
「ヘルミュールからの報告では、ツヴァイセンファルケ公国軍に変った動きはないようだ」
ツヴァイセンファルケ公国は自領の西に軍勢を集めただけで、それ以上動かない。偵察の報告では日々訓練を行っているだけなのだ。あと数か月で一年になろうとしているというのに。
ディートハルトにはその意図が分からない。軍事的にはまったく意味のない動きだと思っている。
「だから何だ? こちらにとって好都合ではないか」
バルナバスは、ディートハルトとは異なる受け取り方をしている。ツヴァイセンファルケ公国軍が動かなければ、それだけ長く自軍は準備に時間を費やせる。実際に費やしてきた。実戦に向けて軍を鍛えに鍛えてきたのだ。
「戦う理由がない」
何かを企んでいるにしても、現状ではツヴァイセンファルケ公国軍は自国領で訓練を行っているだけ。討伐する理由がない。
「理由は陛下が用意してくれる」
「用意といっても」
どんな理由が用意出来るのか。ツヴァイセンファルケ公国を咎める理由など、まったくないとディートハルトは考えている。
「覚悟を決めろ。我が軍は正義の軍ではない。戦う意味は、陛下がそれを命じるからだ」
今の状況では、この戦いに大義などないとバルナバスも考えている。それが正しいことだとも思っていない。ただ軍人は国王の命令に逆らってはならない。その思いのほうが強いだけだ。
「……そうだな。上に立つ我々が迷っていては勝てる戦いも勝てなくなる」
バルナバスに言われてディートハルトも自分の思いを、完全に気持ちの整理が出来たわけではないが、横に置くことにした。命令者である自分に迷いがあれば戦いに勝てない。部下を殺すことになる。それは許されないことだと考えたのだ。
それを聞いて、今のところ、黙って話を聞いているだけだったギュンターとルッツの表情も引き締まる。二人もこれから始まる戦いに納得いっていなかった。そんな思いのままでは駄目だと思ったのだ。
「とはいえ、少なくとも東は、出来ることなら攻め込みたくない。訓練だけを行っているように見せている、その裏で、何を準備しているか分からないからな」
「これまでと変わらず、ツヴァイセンファルケ公国が動くのを待つべきだというのか? 悪くはないが、それは許されないだろう?」
ユーリウス王は戦いを始めると決めたのだ。それに応えることなく、相手が動くのをただ待っているという戦略が許されるとはディートハルトは思えない。それが許されるのであれば、彼も悩む必要はないのだ。
「動くのを待つのではなく、動かす」
「どのような方法で?」
「さあな? それを考えるのは私ではない」
「我々で考えろと言うのか? それは無責任ではないか? それに、具体的な考えのない意見は意見ではない」
口で言うだけであれば、誰にでも出来る。この場で求められるのは具体的な戦略、戦術。それを放棄するバルナバスは、あまりに無責任だとディートハルトは思った。バルナバスも将であり、一軍を率いる立場なのだ。
「お前たちに丸投げするつもりはない。ツヴァイセンファルケ公国軍を動かす為の策を実行する部隊は、私が率いるつもりだ」
「どういうことだ?」
「条件がある。近衛特務兵団を俺の部隊に加えろ。第二隊だけでも良い」
「……彼に……彼を戦場に出すつもりか?」
丸投げしようとしていることに違いはない。ただ、その丸投げする相手は、ディートハルトたちではなく、ソルだった。
「何を驚く? あれは戦場でこそ輝く人間だ」
「そうかもしれないが……」
第二隊は大隊規模にも遠く及ばない。戦場で決定的な働きを行わせるには、数が少なすぎるとディートハルトは考えている。
「だから私がその部隊を率いるのだ。お前らでは出来ないことが、私なら出来る」
二百名ほどの部隊の隊長に過ぎないソルに戦術を任せる。率いる部隊全てをソルの考え通りに動かす。それが出来るのは自分だけだとバルナバスは考えている。非常識なことだからだ。
「……彼がどのような策を考えるか分からなければ、判断出来ないな」
「判断しろ。戦場から遠く離れた王都で思いつく策など役に立つとは思えん。まずは前線に連れ出すことだ」
「仮に私がそれを良いとしても、陛下がお認めにならない」
戦術は行き当たりばったり。バルナバスが言っているのはそういうことだ。そんな作戦を報告してもユーリウス王が認めるはずがない。認めるどころか、激怒するはずだ。
「ではこういうことにしろ。東と北、どちらにも対応できる遊撃隊を編成する」
「ここに来る前から考えていたな?」
確かに通用するかもしれない編成。この場で思いついたこととは思えなかった。
「ああ、そうだ。お前たちにまで嘘をつくわけにはいかないだろ? 事態が変化したら、全体が素早く連動して動かなければならないのだ」
何も知らないでいた結果、ツヴァイセンファルケ公国軍の動きに正しく反応出来なかったでは、遊撃部隊を編成する意味がない。
「……ツヴァイセンファルケ公国軍への挑発が成功するかは別にしても、遊撃部隊は悪くないな」
会議テーブルの上に広げていた地図の上に、黒く塗られた駒を置くディートハルト。軍の配置を検討する上で用意していた地図と部隊を示す駒だ。
さらにもう一つ、最初のものより大きい駒を王都から北、ツェンタルヒルシュ公国に近い場所に置くディートハルト。
「……遊撃部隊の数を増やすのも手だ」
ディートハルトは具体的な戦略を考え始めた。バルナバスが提案した遊撃部隊が、そのきっかけとなったのだ。
「ツヴァイセンファルケ公国軍とツェンタルヒルシュ公国軍の両方を引き寄せることになりませんか?」
ここでようやくギュンターが口を開いた。近衛特務兵団を作戦に加えるかどうかは自分が決めることではないと考え、口出しを控えていたが、作戦計画に話が移っては黙っているわけにはいかない。彼も将として、きちんと自分の意見を述べる責任がある。
「引き寄せてもかまわない。連合して攻めてきても良い。その侵攻を止められる場所と数……ここか」
遊撃部隊を示す駒を、もっと大きなものに代えて、また地図の上に置く。二公国の軍を迎撃するのに適していると思う場所だ。
「迎撃ですと、二万というところですか?」
「いや、一万で迎え撃つ」
「一万……ヘルミュール殿に五千の増援を送って、北部にも一万ということですか?」
もっとも激戦となりそうな戦場で、あえて部隊の数を絞る意味。それをギュンターは考えた。
「ヘルミュールに増援は送らない。北部も五千。これはルッツ、君が率いろ」
「分かりました」
何故、自分で、何故、五千なのか。ルッツはこれを聞こうとしない。ディートハルトがそう言うなら、それが正しいと思っているからだ。
「遊撃部隊は私と、バルナバス、君には副将を頼む」
「断る」
「何?」
「副将はギュンターかヘルミュールにしろ。私はヘルミュールに代わって、東の部隊を率いる」
ディートハルトの副将を拒否しただけでなく、東に出陣している軍の将を自分と代えろと要求するバルナバス。その意図がディートハルトは分からない。関係性が良いとは思っていないが、私情で軍務を拒否するようなバルナバスではないはずなのだ。
「それは……あくまでも彼に指揮を任せたいからか」
「そこまでではない。奴の参陣が認められないことになるのを恐れているだけだ」
「分からない。どういうことだ?」
バルナバスの話はディートハルトには理解出来ない。ソルに対するバルナバスの拘りも分からないが、参陣が認められない可能性はもっと分からない。そうなる理由がないのだ。
「お前……まさか、まだ知らないのか?」
「私は何を知らない?」
「奴、ソルの本名だ」
「本名?」
つまり、ディートハルトは知らないのだ。
「お前な……お前は王国軍の頂点に立つ大将軍様なのだ。軍事一辺倒は止めて、もっと視野を広げろ。俺でさえ分かったことを、未だに知らないとは……」
王国軍の頂点は国王であるユーリウスであり、次席はリーバルト軍務卿。だが二人とも現場の人間ではない。現場のトップはディートハルトなのだ。軍人の代表として、もう少し政治的な感覚も身につけるべきだと、自分のことは棚にあげて、バルナバスは忠告している。
「訳の分からないことを……結局、彼の本名とは何だ?」
「イグナーツ・シュバイツァーだ」
「……シュバイツァーだと?」
シュバイツァーは王家の姓。それは分かるが、それがどういうことかまでディートハルトはすぐに理解出来なかった。やはり、軍事の時とは頭の動きが違うようだ。
「亡くなったベルムント王の庶子だという噂だ」
本人は秘密にしているつもりでも、知らないところで噂は流れている。ソルは知らなくても、相手のほうはイグナーツを名乗っていた時の彼を知っている。そういう人がリベルト外務卿以外にも王国組織には何人かいたのだ。
そういう人たちが、確信は持てなくて、そうだからこそ秘密にするべきとは思わず、何気なく他人に話してしまったことが噂として広がり始めていた。
「それは……」
バルナバスから説明されても、ディートハルトはまだ頭が付いて行っていない。ただこれは彼が政治オンチだからというわけではない。少しはそれも影響しているが、いきなり王家の人間が実はもう一人いたなどと聞いても、それが与える影響などすぐには頭に浮かばないのだ。
「そういうお前だ。陛下についても良く理解していないのだろ? 恐らく陛下はこの噂を知らない。だが万一、知っていた場合、たとえ部下という立場であっても、万の軍勢と共に王都を離れることは許さないはずだ」
「……言葉にするのを躊躇うようなことだな」
意味するのは玉座を巡る争い。それを口に出すことは、ディートハルトには、躊躇われた。彼は軍人がそういうことに関わってはいけないと思っているのだ。
「本人にはまったくその気はないと思うのだが……噂と共にそのことも陛下に伝わればとは思う」
「期待通りの人物であれば……勝てるな」
将器を持つ王家の人間。そういう人物が戦場にいれば、士気は大いに上がる。勝敗を決める重要な要素である士気で、確実に敵を上回ることが出来る。
四公国を相手にしても勝てるかもしれない。将兵にそう思わせる存在は即ち、英雄だ。
「噂が真実で、陛下がそれをお認めになり、さらに公表されれば、だ」
だがそうはならない。バルナバスが知るもう一つの噂。ユーリウス王はそれが出来るような人物ではないのだ。
「バルナバス、さては、イグナーツ殿のこと以外では私と同じことを考えていたな?」
「イグナーツと呼ぶな。まだ噂で、我々は軽々しくそれを事実としてはならない」
王国軍を統帥するのはユーリウス王。そのユーリウス王が認めていないことを王国軍の人間が事実とすることは許されない。バルナバスもまた、軍人としての立場を頑なに守ろうとしているのだ。
「そうだな。彼以外のこと、ヴェストフックス公国のことだ」
「同盟が信用出来るかは、戦場に立ち、実際に同じ敵と戦った後だ。最低でも、それまでは警戒を解くわけにはいかない」
「その通りだ。だから王都には最低でも一万を残す。そういうことだ」
最後の言葉はギュンターとルッツに向けたもの。前線に配置する軍勢の数を少なくした理由は、ヴェストフックス公国が裏切りった場合に備えて、王都の守りを疎かにしない為。これを伝えたのだ。
「……それでも万一、陛下をお守りすることが……いえ、これも言葉にして良いことではありませんでした」
ソルを前線に出すのは、万一、ヴェストフックス公国が裏切って、ユーリウス王が討たれた時のことを考えてのこと。ユーリウス王に万一があった時、ソルを旗印として担ぐ為だとギュンターは理解した。
「……陛下もご存じのことか確かめる方法はないのか?」
ソルが王家の人間、実際は違うが、だと知ると、ディートハルトもその立場をもっと高めたいと思ってしまう。才能があることはすでに示されている。個の能力も、小部隊とはいえ、指揮官としての能力も。
この人がいてくれたら大丈夫。ディートハルト自身がそういう存在なのだが、彼もまた自分がそう思える人を求めているのだ。三方全てが敵となるかもしれない状況で、勝利を得る責任。ディートハルトほどの優れた将でも、それは重すぎる責任だった。
「私には思いつけない。下手な真似をすれば、藪蛇になる可能性がある」
「そうか……そうなると、どうするか?」
「本人に聞いてみれば良いのではありませんか?」
「ルッツ? それはどういう意味だ?」
ルッツの言う「本人」。それが誰のことかディートハルトには分からない。ソルかユーリウス王のどちらかであることは間違いないと思うが、その二人に何を聞くのかが分からない。
「軍の編成を彼に。それでまた彼の能力を知ることが出来ます」
「ルッツ、君は」
立ち合いで負けたことを根に持っている。だからソルに恥をかかせようとしている。ディートハルトはこう受け取った。
「違いますよ。私は彼が噂通りの人で、かつ期待通りの能力があることを望んでいます。さらにそれが公表されれば、負けた私のことは皆、忘れてくれて、注目は彼に向かうではないですか」
ナイトの称号を持つ騎士に勝つ王家の実力者。一兵士に負けたナイト、という見方はそれに入れ替わる。ルッツにとてはありがたいことだ。
「……なるほどな……試してみるか?」
「良いだろう。どう考えるか私も興味がある」
「ギュンター?」
「私も知りたいです」
四人が同意。これで公には中隊長にすぎないソルに、戦略を問うことを遮る者はいなくなった。すぐにソルはこの場所に呼び出されることになる。