今回の任務に参加した近衛特務兵団の数は三百。そのうち、目的地であるプリミイバシに入った近衛特務兵団は五十名、残りは街から少し離れた場所で、分散して待機している。プリミイバシはそれほど大きな街ではない。百人単位の人数が、いくら分散させたとしても、街に入れば目立つ。聖仁教会に気付かれてしまう恐れがあるという考えから、人数は絞られたのだ。
その五十人からさらに三十人が選抜されて、教会施設に向かっている。残りの二十人はルシェル王女と一緒。別働隊という名目の護衛役だ。
「……作戦って兵団に任されるものではないのですか?」
ソルは襲撃部隊。王都における施設制圧の時と比べれば、三十人でも多いのだが、わざわざリスクを犯す必要はない。襲撃部隊は精鋭と言える面子となっている。
「それは現場での判断に限ってのことだ。基本的な戦術は参謀部が考えることになっている」
情報局が出来る限り、現場の情報を収集し、それに基づいて王国陸軍、王国海軍それぞれの参謀部が作戦を立案する。全てではないが、そえが基本で、今回の任務もそうされている。
「三百いれば、街全体を制圧出来ると思いますけど?」
ただソルはその作戦に不満そうだ。待機している人数も加えて、任務を実行するべきだと考えている。
「関係のない人々を巻き込むわけにはいかない」
三百は大軍とは言えないが、それでもその数が街に乱入してきて制圧を図ろうとすれば、住民たちは大混乱に陥るはずだ。参謀部の考えた作戦に対して、ヴェルナーは不満を感じていない。
「戦うわけではありません。大人しくしていてもらうだけです」
「そのような真似をしなくても住民たちは邪魔……もしかして、すると思っているのか?」
ソルの考えを素人の戯言とはヴェルナーは受け取らない。わざわざ作戦に対する不満を口にするからには、そうする理由があるはずなのだ。
「確信があるわけではありません。ただ……なんとなく嫌な感じがして。この街に入ってからずっと」
「お前……それ、もっと早く言え」
「言っていましたけど?」
「もっと分かり易く言え!」
確かにソルは言っていた。「雰囲気悪っ」とか「居心地悪い街」などなど。だが、それで周囲の危機感が高まるはずがない。文句を言っているだけだとヴェルナーは受け取っていた。
「何か嫌な感じがするも同じだと思いますけど?」
ソルは、自分の勘だけで部隊が行動を変えるのはおかしいと考えている。自分の勘を、ソル自身が信用していないのだ。
「そうだが……」
「それに感覚が強くなったのは、ついさっきです」
「何?」
それが示すものは何か。ヴェルナーの思考が結論を出すまで、そう時間はかからなかった。
「来た!」
敵が動き出すのも。
「襲撃だ! 円陣を組め!」
ヴェルナーたちが進んでいた道の前後から武器を持った者たちが群れを成して向かってきている。挟撃を受けた形だ。それに対応しようと円陣を指示したヴェルナーだったが、部隊がそれに反応する前に迫ってくる敵の何人かが矢を受けて倒れることになった。
「……味方?」
矢を放った人物の所在を探るヴェルナー。
「上です。目の前の建物の屋上」
「……ヒルシュ? いつの間に?」
矢を放ったのはヴェルナーも知った顔。近衛特務兵団第二隊のヒルシュだった。
「建物ひとつくらいなら三百人いなくても制圧出来ます」
「お前という奴は……籠城を選択すべきか?」
「ここで戦うよりは時間稼ぎは出来ると思います」
矢で倒した数は数人。迫ってきている敵はその何十倍という数だ。敵の実力のほどは分からないが、ここで楽観視するのは愚かな選択。目に見えるだけが敵の全てとも限らないのだ。
「分かった。建物に入れ! 急げ!」
まずは現在の不利な状況を回避すること。その先のことはそれからだとヴェルナーは判断した。ヴェルナーの命令を受けて、次々と団員たちは建物に飛び込んでいく。中に入って一安心というわけではない。入口を塞ぎ、他の侵入口を確認するなど、立て籠もるだけでやるべきことは沢山あるのだ。
「……問題はルシェル王女か……これは、狙われたかな?」
敵は、聖人教会側は、近衛特務兵団を待ち構えていた。もしかするとプリミイバシの街に拠点があるという情報そのものが、近衛特務兵団を引き込む罠かもしれない。そうであるとすれば敵の目的は何なのか。ルシェル王女か、近衛特務兵団そのものか。いずれであっても自分たち以外の近衛特務兵団にも危険が迫っている。ソルはそう考えた。
◆◆◆
ソルの予想は的中。ソルたち襲撃隊が逆に襲撃を受けているのと同時に、ルシェル王女がいる建物も聖仁教会に襲われていた。その数はソルたちを襲った者たちに比べると、かなり少ない。だからといって、聖仁教会がルシェル王女を軽視しているというわけではない。その逆だ。
「い、異能者だと……」
襲撃してきた者たちの中に異能者が含まれている。ルシェル王女の護衛を任されていたトビアスは、その事実を自らの身をもって、知らされた。
「弱い……弱い、弱い、弱いっ! 王女の護衛にはこんな弱い奴しかいないのか!?」
トビアスを一撃で吹き飛ばした大柄な男のほうは不満気だ。相手は戦いを求めている。自分が満足する戦いが出来る強者を求めているのだ。
「貴様らの目的は何だ?」
「強者との戦い」
「……それは嘘だな。強い相手と戦いたいのであれば、教会施設で待っていれば良かった。それで貴様の望みは叶ったはずだ」
襲撃隊のほうがルシェル王女の護衛を任されている自分たちよりも強い。なんといってもソルがいるのだ。それ以外のメンバーも、トビアスは自分よりも強いと考えている。
「……と弱者をいたぶること」
「それなら納得だ。だが、悪いがその望みも叶わない」
立ち上がって、剣を握る手に力を込めるトビアス。戦いはまだ終わっていない。終わるわけにはいかないのだ。
「弱い奴が何を格好つけている? 逆に惨めだぞ?」
「負けない戦いしか出来ない貴様にはそう思えるのだな? 私から見れば、そういう貴様のほうが惨めだ。生きる目的を持たないお前の命は、蟻よりも軽いのだろうな」
「……お前はただでは殺さない。床に這いつくばって命乞いをしたくなるまで、嬲ってやる」
トビアスの挑発を受けて、男の顔に浮かんでいた侮辱の笑みが消え、怒りの表情に変わった。それと同時に発せられた凄まじい殺気。
その殺気にあてられて震えそうになる体を、トビアスはなんとか堪えようとしている。
「ほんと馬鹿だな」
そこに割り込んできた声。
「馬鹿と言うな! 殺すぞ!」
「殺せるものなら殺してみろ、馬鹿。どう考えて、そいつは時間稼ぎをしているだろ?」
「時間稼ぎ?」
聖仁教会の人間であろう人物だ。最初の男に比べれば、かなり小柄なその男。だが、トビアスはその男のほうにより強い恐怖を感じた。強がることも出来ない、圧倒的な力の差がその男との間にあることが分かった。それでも。
「……なんであろうと、ここを通すわけにはいかない」
「へえ。意外と心が強い。戦えば死ぬ。それは分かっているだろ?」
「とっくの昔に失っていたはずの命だ。死を恐れることはない。恐れるのは、何事も為すことが出来ないことだ」
クリスティアン王子に助けられた命だ。トビアスは他の従士だった仲間たちと共に、その命をクリスティアン王子の志の為に使おうと決めた。この世の中に平穏をもたらす。自分自身にはそれは出来ないので、それが出来る人の為に使うと決めたのだ。
「……その考えは嫌いじゃない。ただこちらにもやらなければならないことがある。悪いな」
「……えっ……そ、そん、な……」
気が付いた時には、体から血が噴き出していた。何も為すことが出来ないまま、トビアスは相手の剣を体に受け、床に倒れることになった。無念の思いはない。それを感じる時間も与えられなかったのだ。
「さっさと行け。お前も王女を逃がそうと考えている側か?」
「あっ、いや、違う。分かった」
相手に促され、というよりほぼ命じられて、慌てて先に向かって駆けて行く大柄な男。トビアスを倒した男のほうは、すぐにその後を追おうとはしなかった。
「……何かが少しずれていれば、一緒に戦えたかもしれないな……こちら側でもすぐに死ぬか。残念ながら、お前は弱い」
床に倒れているトビアスにかけられた言葉。その意味を考えることはトビアスには出来ない。聞こえもしない。すでにトビアスは死んでしまっているのだから。
◆◆◆
護衛として残った団員は、ミストも数に入れれば、二十一人。もともとの想定では十分過ぎる数だった。当然だ。襲撃されることなど想定していなかったのだ。
その想定外の襲撃を受けたルシェル王女の決断は、交戦ではなく撤退だった。自分が滞在している場所が知られていた。襲撃してきた側は、成功すると思えるだけの戦力を投入してきているはず。こう考えた結果だ。
それに、ただ逃げ回るだけではない。襲撃隊に合流、それが難しくても街の外に出れば、二百を超える味方がいる。その味方と合流出来れば、危機を脱することが出来るはずだ。
正しい判断と言える。誤算だったのは、襲撃側の戦力が予想以上であったことだ。
「急ぎましょう」
「で、でも……」
ミストに先を急ぐことを促されたルシェル王女だが、その反応は鈍い。撤退を決断したのはルシェル王女自身なのだが、自分を逃がす為に次々と味方が死んでいくのを知り、心に逃亡への躊躇いが生まれてしまったのだ。
「急いでください! 味方の死を無駄にするつもりですか!?」
これでルシェル王女が殺されては、殺されることはなくても捕縛されては、失われた命が無駄になってしまう。すでに倒れた人たちと同じ立場にいるミストは、その思いを強く持っている。
「……分かりました。急ぎましょう」
「…………」
「ミスト? 行きますよ?」
急げと言ったミストが動こうとしない。今度は、ルシェル王女が促す番だ。
「先に行ってください。私は後から追いかけます」
「何を言っているのです?」
「早く行ってください! 敵が来ます!」
すでに敵が追いついてきている。ミストはそれを感じ取っていた。そうなると次は自分の番。敵を食い止めてくれる味方は、この場にはもういないのだ。
「出来ません! ミストも一緒に!」
「行って! 皆の死を無駄にしないで!」
「しかし!」
「良いから行け! 貴方は王国の王女なんだ! 行けぇええええっ!!」
ルシェル王女を守り切る自信はミストにはない。すでに自分よりも強い仲間たちが、敵に討たれている。そうであるのに、自分であれば全ての敵を倒せるなんて思えるはずがない。一秒でも長く抵抗して、ルシェル王女が逃げる時間を稼ぐ。出来るのはそれだけだ。
「……ごめんなさい。生きて、生きて戻ってきて!」
王女としての責任感。わずかにそれが勝った。ミストをその場において、先に進んでいくルシェル王女。その彼女も安全ではない。味方に合流するには、この何百倍の距離を逃げ切らなくてはならないのだ。
「……なんだ? 情けをかけたつもりか?」
ルシェル王女の姿が完全に消える前に、敵が姿を現した。王女が動くのを待っていたことをミストは知っている。大柄な男は自分の気配を消すどころか、強く発していたのだ。
「いや。どちらが良いか、悩んでいただけだ」
「どちら?」
「目の前で味方が殺されるのを見るのと、逃げられたと安心したところで捕まえるの、どちらが王女は絶望するだろうと悩んだ」
情けなど男の心にはない。より強くルシェル王女を苦しめるにはどうすれば良いかを考えていただけだ。
「……下衆が。どちらにもならない。ルシェル様は無事に逃げられる」
「無理だな。だってお前、弱い」
「なっ……あっ……」
肩口から走った火に焼かれたような痛み。その痛みにわずかに遅れて、火とは異なる赤が、赤い血がミストの視界を染めた。
「お前のことも考えた。王女を助けられなかった絶望の中で死んでいくのが良いか、結果が分からないまま死んでいくのが良いか。結論はどっちも同じだったけどな」
「……そ、そん、な……だ、だめ、だ……わ、わたしは、ル、シェル、様……を……守る、と……」
「良いなあ、お前。その顔、最高だ。絶望の表情のまま、死んでいくのを見ていたいけど……そうもいかないか」
ルシェル王女を追いかける敵は、この男一人ではない。床に倒れているミストの横を駆け抜けていく男たち。すでに敵の足止めをする味方はいなくなったことを、ミストは知った。
「……い、いく、な……わ、わたしは……こ、ここに……」
最後に残っただろう自分も何も出来ないでいる。まだ生きていても、敵は誰一人、足を止めてくれない。ミストの存在は無視されていた。
「……わたしが、いる……わ、たしが……ま、もる……」
誰もミストを気にしない。すでに死んだものとして扱っている。そんな意識もないかもしれない。ミストは存在そのものをなかったものにされている。それは彼女が、ずっと望んでいて、出来なかったことだ。
心に浮かんだその想い。それをミストは否定した。自分はそんなことを望んでいない。自分は自分の存在を知らしめたいのだ。
それに気づいた時、ミストの心臓がトクンと脈打った。
「……わ、わたし……私を、見ろ! 私はここだ!」
体に力が戻った。それを感じた、その先は無意識だった。
「……お前……能力者だったのか?」
気が付いた時には、先に進んでいたはずの男の目の前にミストはいた。わずか数秒で、相手に追いついていた。
「い、行かせない。ここから先は……行かせない」
「……馬鹿だな、お前。能力を使うなら斬られる前にしておけば良かったのに。その怪我で俺を倒せるはずがないだろ?」
一瞬で追いついてきたことには男も驚いたが、そこまでだ。ミストの怪我は癒えたわけではない。立っているのがやっと、という状態であるのは、一目で分かる。
「倒せるか、倒せないかなんて……関係ない。私は……ル、シェル、様を……守る」
「同じことの繰り返しだな。今度こそ、絶望の中で死んで行け」
「お前がな」
「なっ……ぐ、がっ……」
吹き飛んだのは男のほうだった。ただ吹き飛んだだけではない。壁にめり込んだ男の首には剣が突き立っている。その剣の柄を握ったソルは、そのまま首を切り裂いた。
「ん……が……ん、が……」
「しぶとい。完全に斬り落とさないと駄目か」
こう言いながら、またソルの剣が男の首を斬り払う。半分繋がっていた男の首が、その一撃で床に転げ落ちていく。
「……なるほどな。お前だったか」
それを見て、納得した様子でいるのは小柄な男。ソルは分かっていないが、トビアスを殺した男だ。
「顔見知り?」
「……いや、初対面だ。ただ話は聞いていた。王都でラッテを殺したのは、お前だろ?」
「ラッテというのが頭に浮かんだ人物なら、そうだな」
王都で教会の責任者だと名乗った男。異能者であった男のことだとソルは考えた。
「……ここまでか」
「勝手に終わらせるな」
「お前はまだ殺せない。そうなると終わらせるしかないだろ?」
「……理由を聞いても?」
何故、自分を殺すことを躊躇うのか。ソルには心当たりはまったくない。相手のほうは実際にどうだか知らないが、ソル自身は初めて会う相手なのだ。
「それもまだだ。それに終わらせたほうが、そちらの為でもある。彼女が死んでも良いというなら、話は別だが」
男が指さした先では、ミストが床に倒れていた。
「……さっさと行け」
ミストは瀕死状態。相手の言う通り、長く放置しておけば死んでしまうかもしれない。そうでなくても、人質に取られれば面倒なことになる。
ただ、それがなくてもソルが不利な状況であることに変わりはない。話している男はかなり強い。そして敵は、その男だけではないのだ。勝てるかと問われれば、正直難しいとソルは答えることになる。相手が引いてくれるというのは、正直ありがたいことだ。
「……大丈夫ですか?」
男たちが去ったのを確認して、ソルはミストに声を掛けた。実際は「大丈夫か」なんて聞かなくても、危険な状態であるのは分かる。ソルは、わざと軽い調子で話しかけたのだ。
「……ソル……良かった……あ、会えて」
「助かって良かった、が正しい返しです」
ミストの言う「会えて良かった」の意味。言葉にされなかった「最後に」をソルは読み取った。
「……ソル……わ、わたしは……わたしは……おまえ、が……すき、だ」
「……認めました? じゃあ、貞操は俺のものですね? だから早く元気になってください」
「そう、してあげたい……けど……むり……そうだ。ソ、ソル……おまえ、に……あ、えて……よ……かっ……」
かなり苦し気な様子のミストだが、その表情には笑みが浮かんでいた。最後にソルに会えた。誰よりも会いたかった人に会えた。想いを伝えることも出来た。無念の中に、わずかな光を得られた。その想いが笑みを引き出したのだ。
「…………約束は守ってもらいます。責任は……取れるか分かりませんけど、出来ることはしますから」
床に置いていた剣を握り、もう片方の腕でミストの体を抱きかかえるソル。そのまま、ゆっくりと立ち上がって歩き始めた。ルシェル王女が逃げた方向とは逆に。味方がいないはずの場所へ。