南部にある王国直轄領プリミイバシは、王都から続く大河に面した街。さらに川を下ると海上輸送の中心、港湾都市エストゥアルに繋がることから、王国の物流拠点のひとつとなっている。あくまでも「ひとつ」であって、その規模はそれほど大きくはない。南部の小貴族家の領地に荷を運ぶための荷下ろし場所といった役割なのだ。
王都からは、陸路を行けば一か月半かかるプリミイバシだが、大河を下る高速艇を使えば三分の一の二週間で到着する。ルシェル王女率いる近衛特務兵団もその高速艇を使って、その地に向かう予定だ。
「教会に異能者? それはどういうことですか?」
プリミイバシに向かうのは任務を遂行する為。教会討伐というユーリウス王が直々に近衛特務兵団に与えた任務だ。
「今申し上げた通りです。教会には異能を持つ人間がいます。ですから、王女殿下が現地に向かうのは危険です」
「教会は異能者を迫害していたのではないのですか?」
討伐命令は教会が異能者を拉致監禁、さらには殺害していたから決定されたこと。異能者が教会にいるという事実は、その命令が正しいものなのかという疑念を抱かせてしまうものだ。
「迫害しているのは事実です。実際に監禁されている人たちはいて、殺された人も一人、二人ではありません」
「無理やり従わされているということですか?」
脅されて、嫌々従っている可能性をルシェル王女は考えた。十分にあり得ることだ。
「どうでしょう? 王都では責任者という立場で、実際に命令していました。本当に偉い奴は隠れていた可能性はありますけど」
「……ソル。お前、それ警務局に伝えてあるのか?」
ヴェルナーが口を挟んできた。討伐対象に異能者がいるというのは重要情報のはず。司令官であるルシェル王女、そして現場指揮官である自分に伝えないのはおかしいと考えたのだ。
「いえ、伝えてません」
「なんだと!? どうしてだ!?」
「教会は加害者で、異能者は被害者。こういう分かり易い図式のほうが王国も判断しやすいと思いましたので」
「お前という奴は……」
教会にも異能者がいるということになれば、異能者=庇護すべき対象とはならない。反抗的な異能者集団に対する対応は、また違ったものになる可能性があった。
それはヴェルナーも理解出来るが、だからといって重要情報を隠したという事実は許容できるものではない。
「実際にどれだけの数が教会に協力しているか分かりません。王都で確認したのは一人。その男だけかもしれない。無駄に疑いをもたせる必要はありません」
「もっと多くが協力している可能性もある」
「はい。だから危険だと言っているのです」
異能者は王都にいた一人だけとはソルは考えていない。もっと多くが協力しているだろうと考え、任務からルシェル王女を外したほうが良いと思ったのだ。
「それは王都を発つ前に伝えるべきことだ」
「王都では下手なことは言えません。教会に協力していた人間をすべて洗い出せたという保証はありませんから」
「……情報が洩れると?」
「だって、おかしいと思いませんか? 無理やり人が連れてこられていたのですよ? そんなことが何度も行われていれば、怪しく思う人もいるはず。ですが、教会に調査が入った記録は、私が知る限りはですが、ありません」
警務局なりが調査を行おうとするのを止められていた可能性をソルは考えている。それが出来るのは、それなりの高位にいる人物のはずなのだ。
「それを王国には?」
「さすがに伝えています。調査に入っているはずですけど、結果が出たとは聞いていません。私が知る立場にないだけかもしれませんが、そうであっても大丈夫だと思える何かを得ない間は、警戒は解けません」
王国組織は信用出来ない。ナーゲリング王国に限った話ではなく、不正役人はフルモアザ王国にもいた。裏切者は、その自覚がなく裏切っている人も当たり前のように存在している。ソルはそう考えている。
「……それを考えてしまっては、何も出来なくなるな?」
教会の拠点がプリミイバシにある。これも虚報かもしれない。真実だとしても、それを王国が知ったことを教会に知られている可能性もある。疑い始めればきりがない。
「何もしないわけにはいきませんので、現地には向かいます。ただ、全員で行く必要はありません」
「……そうかもしれない」
現地では思わぬ危険が待ち構えているかもしれない。そう考えるとソルが言う通り、ルシェル王女を同行させるのは止めたほうが良いかもしれないとヴェルナーも思うようになった。
「不確定要素が多いのであれば、私は行かなければなりません。不測の事態が起きた時の意思決定は、司令官である私の義務です」
だがルシェル王女にその意見を受け入れるつもりはない。足手まといと思われているのが悔しい、というだけでなく、司令官としての責任を放棄したくないのだ。何かが起きた時、自分がその場にいないのは、もう嫌なのだ。
「しかし……」
「戦闘に参加するとまでは言っていません。確保した拠点で待機しています」
「確かに、それであれば」
王国情報局が任務を行う上で必要な拠点を確保している。近衛特務兵団は教会に察せられないように分散して目的地に向かっている。プリミイバシで寝泊まりする場所も、いくつも用意されているのだ。その中のひとつで待機しているだけ、と言われてしまうとヴェルナーとしては、ルシェル王女の意思を尊重せざるを得ない。それでも同行を否定するのは、近衛特務兵団にルシェル王女は必要ないと言っているようなものだ。少なくとも、ヴェルナーはそう考えた。
「ソルも良いですか?」
「……司令官は王女殿下です」
必要と思われる情報を伝えた上で、ルシェル王女が決めたことだ。それを否定するつもりは、ソルにはない。その権限もない。ルシェル王女は予定通り、プリミイバシに向かうことになった。
◆◆◆
公国に動きが生まれた。ナーゲリング王国にとってはありがたくない動きだ。王国組織の未成熟さを実感したばかりの今は尚更、そういう思いが強い。このまま動乱の時代に突入して、本当に王国は生き残れるのか。そんな疑いがユーリウス王の心に生れてしまっている。
だが、時代はそんなユーリウス王の思いに関係なく動くのだ。進むべき方向に。時代を作る人たちが求める方向へ。
「状況は? どこまで分かっている?」
「ツヴァイセンファルケ公国が国境近くに集結させた軍勢は、およそ五千。その後の動きは報告されておりません」
ツヴァイセンファルケ公国が軍を動かした。予想していなかったわけではないが、それでもやはり衝撃は大きい。
「交渉は続けていたはずだ? それはどうなった?」
ツヴァイセンファルケ公暗殺未遂事件に王国は関わっていない。ツヴァイセンファルケ公国にそれを信じてもらうための交渉は、ずっと続けられていた。交渉は平行線であったことはユーリウス王も知っていたが、悪化する要因に思い当たることはないのだ。
「分かりません。使者との連絡は途絶えました」
「……オスティゲル公国に動きは?」
交渉は決裂、ツヴァイセンファルケ公国から打ち切られた可能性が高い。まだはっきりとはしていないが、その前提で対処を考えるしかない。そうなると気になるのは他家の動きだ。特にツヴァイセンファルケ公国のさらに東にあるオスティゲル公国の動きは気になる。
「まだ情報は届いておりません。分かっているのは、ヴィクトール公子は未だに国に戻っていないということだけです」
「まだツェンタルヒルシュ公国にいるのか?」
これほど長くツェンタルヒルシュ公国に滞在している理由は何なのか。悪だくみとしかユーリウス王には思えない。
「それが……王都に向かっているようです」
「なんだと……?」
帰って来たのは、まさかの答え。この状況でヴィクトール公子が王都に戻ってくる理由が、ユーリウス王には思いつかない。
「ツェンタルヒルシュ公国から伝えてきた情報です。実際に向かっているかは分かりません。それに、この事態を知れば、王都を訪れることはしないでしょう」
「知らない可能性があるのか……分かった」
ツヴァイセンファルケ公国が軍を動かす前の話であれば、ユーリウス王も少し納得だ。ただ、オスティゲル公国が自国の公子に何も伝えないまま、行動を起こすことなどあるのかという疑問も生まれた。楽観的だと思いながらも、ツヴァイセンファルケ公国はまだ動くつもりはないのではないかという期待も。
「今、分かっておりますのは、ここまでです」
「これだけ……」
何も分かっていないに等しい。王国の諜報組織、情報局が動いていてこの程度の情報しか得られない。王国の脆弱さを、またユーリウス王は思い知らされることになった。
「軍を動かしたというだけで十分です。宣戦布告を待つことなく、こちらも動くべきです」
リーバルト軍務卿はすぐに行動を起こすべきだと考えている。他家に動きが見られないのは、王国にとって都合が良い。ツヴァイセンファルケ公国だけと戦うのであれば必ず勝てるという判断が、リーバルト軍務卿にはあるのだ。
「動くのは良い。問題はその規模だ」
「まずは同数の五千。地方に配置されている常備軍を合わせれば、数で勝ることになります」
「それで勝てると?」
数では勝る。だが、何倍にもなるわけではない。王国の力に失望している今のユーリウス王には、不安が生まれる戦力差だ。
「圧勝する必要はございません。確実に敵の進軍を止める数を揃えておき、決戦に向けた戦力はあとから送れば良いのです」
他方面に不安がないのであればリーバルト軍務卿も、こんな提案はしない。東に軍を集結させてしまった後に、北か西から侵攻を受けるなんて事態になってはならないと考えているから、軍を小出しにしようとするのだ。
「……中途半端ではないか?」
リーバルト軍務卿の提案はユーリウス王にはただの妥協策に思える。同数を少し超える数で、ツヴァイセンファルケ公国軍の動きを止めたとして、それで問題が解決するわけではない。必要なのは勝利だと考えているのだ。
「北と西を警戒する必要がないのであれば、もっと大軍を送り込むことも可能でしょうが……」
中途半端であることはリーバルト軍務卿も分かっている。分かっていても、今はそれ以上のことは出来ないと考えているのだ。
「……ツェンタルヒルシュ公国に参陣を命じる」
傍観者でいることを許さなければ良いとユーリウス王は考えた。ツェンタルヒルシュ公国軍を動かし、ツェンタルヒルシュ公国軍と対峙させれば、一気に東と北の脅威は薄れる。ユーリウス王の望む通りに動けばだ。
「拒否された場合はいかがしますか?」
当然、リーバルト軍務卿もその問題について気付く。公国がユーリウス王の命令に素直に従うようであれば、今のように王国の将来を憂う必要などないのだ。
「ヴェストフックス公国を動かす」
ただユーリウス王もそれくらいのことは分かっている。
「なるほど……ヴェストフックス公国の要求を飲むということですか……」
ヴェストフックス公国を動かす為には、相手の要求を受け入れる必要がある。北部の領土を渡すという要求だ。必然的にツェンタルヒルシュ公国は王国の敵になる。その敵に回るという決断をツェンタルヒルシュ公国に行わせようというのがユーリウス王の考えだと、リーバルト軍務卿は理解した。
「リベルト卿。両公国に使者を送れ」
「承知しました。ただ、ひとつ確認したい点がございます」
国王の命令であれば受け入れるしかない。だが、リベルト外務卿はユーリウス王の考えを完全には受け入れていない。
「なんだ?」
「ツェンタルヒルシュ公国にツヴァイセンファルケ公国討伐を命じるにあたって、理由はいかが致しますか?」
「理由だと?」
リベルト外務卿の問いはユーリウス王にとって、予想外のものだった。
「今のところ、ツヴァイセンファルケ公国は領地内で軍を動かしたに過ぎません。討伐理由としては弱いのではないかと考えます」
自領内で軍を動かしただけでは、王国にそれを咎めることは出来ないはず。軍の移動について王国に許可を得なければならないという法はない。いちいちそんな申請を王国は受けていられない。公国、他の中小領主側も許可が出るのを待っていられない。
「……五千の軍勢だ」
リベルト外務卿の指摘は正しい。だが頭では理解出来ても、感情が納得しない。公国が攻め込んでくるまで何も出来ないというのは理不尽だと、ユーリウス王は思ってしまうのだ。
「はい。普通のことではありません。ただ、訓練だという言い訳は出来ます。それでもかまいませんか?」
リベルト外務卿もユーリウス王の考えを完全に否定しているわけではない。臣下の身でそんなことは出来ない。だが、決断には、それも戦争に発展するような決断であれば、国王には覚悟と責任は持って欲しいと思っているのだ。
「……いつまでも事態を硬直させておいても、王国の為にならない。私の考えは変わらない」
「承知しました。では速やかに両公国に使者を送ります」
国王であるユーリウスが、はっきりと戦争への道を選択した。その覚悟は強い意思によるものなのか。膠着状態であり続けることに疲れてしまったからではないか。こんな思いが、リベルト外務卿にはある。
だが、事は決まったのだ。臣下としては、国王の意に従わなければならない。王国は自ら事態を動かすことになった。