任務を終えて、近衛特務兵団は王都に戻った。全体の三割を失うという、ルシェル王女にとっては、衝撃的な結果となっての帰還だ。王国軍全体で考えても、間違っても少ないとはいえない犠牲者の数となった作戦の是非は今後、軍内部で検証が行われることになるが、それがどのような結果になっても犠牲となった人たちが生き返るわけではない。ルシェル王女にとっては、気にすることではない。
「私が同行していれば……」
ルシェル王女が悔やむのは、任務に同行出来なかったこと。自分がいれば、捨て石にされるような役割は与えられなかった。こう考えて、同行を強行しなかったことを後悔している。
「殿下が同行していれば、殿下もまた犠牲になったかもしれません。作戦の是非は置いておいて、殿下の存在が司令官の決定に影響を与えるとしたら、それは大問題だと思います」
実際にどのような結果になったかは分からないが、ソルはルシェル王女の後悔は無用のものだと考えている。このようなことを気に病んでも、死者が蘇るわけではないのだ。
「でも……」
理屈としてはソルの言っていることは分かる。だが、感情がそれを受け入れるのを拒んでいる。
「もし、殿下にやるべきことがあるとすれば、今回のような無意味な死を生み出すような戦いが二度と行われないようにすることです」
「無意味な死、ですか?」
亡くなった人の死を無意味と言うソル。ルシェル王女はその言い様に疑問を感じた。彼らの死を無意味なものにしてはならないと考えているのだ。
「勝利で何かを得ましたか? 反乱勢力とされた人たちは、本当にそうだったのですか? 両者に多くの死をもたらしたこの戦いには何か意味がありましたか?」
「それは……」
ソルは彼らの死に何も感じていないわけではない。冷静に見えるその表情の奥には怒りがある。彼の言葉からはそれがはっきりと感じられた。
「死ななくて良い人たちが大勢死んだ。その彼らの死を今後どう活かそうと、死者は生き返りません。死んでしまった人たちにとっては無意味です」
犠牲となった人々の死を悼み、二度とこのようなことが起こらないように反省する。そんなものは生きている人たちの自己満足。死者となった人たちには何の慰めにもならないとソルは考えている。
「……そう……ですね」
もしかするとソルは自分以上に悲しんでいるのかもしれない。彼らの死を無駄にしないように、などと考えていた自分よりも遥かに悲しんでいるのかもしれないと、ルシェル王女は思った。そう思い、また違う悲しみが胸に湧いてきた。涙が零れそうになった。
「別に殿下を責めているわけではありません。何も出来なかった、この先も何もしてあげられないのは俺も同じ、いえ、現場にいた俺のほうが責められるべきです」
「……俺と言うのですね?」
「えっ……あ、ああ、すみません。つい」
敬語を使っているつもりが、気付かないうちに自分を「俺」と呼んでいた。自分が少し冷静さを失っていたことに、ソルはそれで気が付いた。
「……私はどうすれば良いのですか?」
「私にそれを聞かれても……」
「貴方がどう思うかを知りたいのです」
死者にとっては無意味であっても、自分が果たすべき役割はあるはず。ルシェル王女はそう思い、ソルの考えを知りたくなった。ソルが望む自分でありたいと思った。
「……まずはフルモアザ王国に仕えていた人、その中でまだナーゲリング王国に仕えていない人たちを反乱勢力だと決めつけることを王国に止めさせること。誤解を解くという表現のほうが良いですか」
「そうですね。それは絶対に行わなければなりません」
「ナーゲリング王国は滅びました。旧臣だった人たちはそれを過去のものとして、今の人生を生きようとしています。例外もいるかもしれませんが、それは少数だと思います」
ソルはその少数派の一人。その中でも抜きんでた存在になろうとしている。その事実は、ルシェル王女に知られて良いことではない。
「そういえば、ハインミューラー家にもフルモアザ王国の旧臣たちが仕えているそうです。ヴィクトール公子が話してくれました」
それぞれが新しい道を歩んでいる。ハインミューラー家、オスティゲル公国に仕えている彼らもその一人だとルシェル王女は思った。
「……同行していた騎士たちですか?」
「はい。全員ではないようですけど」
「それ、王国に伝えましたか? 陛下に直接でも構いません」
「いえ、まだ」
緊急で伝えなければならないことではないとルシェル王女は思っていた。ナーゲリング王国にも、自分が率いる近衛特務兵団にも元ティグルフローチェ党の人たちがいる。それと同じだと考えたのだ。
「ではハインミューラー家の件とともに、このように伝えてください。シュバイツァー家は異能者の存在を認めないという噂が、フルモアザ王国の旧臣たちの間で広がっています」
「えっ? そうなのですか?」
「はい。事実です。前々回の討伐任務はそれを証明する形になってしまいました。その結果が今回の戦いです。彼らは座して滅ぼされるよりはと考えて、決起したのです」
これも事実だ。本人たちに直接聞いているのだから、間違いない。そうであることまでルシェル王女に話すつもりは、ソルにはないが。
「そんな……」
無意味な戦い。またそれへの後悔の思いがルシェル王女の心に広がっていく。
「今のままでは異能者はナーゲリング王国とシュバイツァー家以外の公家に集まることになってしまいます。それはこの先の戦いを不利にしてしまうのでは、というところまで。これで少しは真剣に考えてくれると思います」
「……確かに。良いと思います」
気難しいユーリウス王を説得する上で、ソルが考えた説明は良い内容だとルシェル王女も思った。ただ「許せ」では、それも自分がそれを言っては、聞き入れてくれない可能性が高いが、他家の利益になるという理由があれば、きっと望ましい結論を出してくれると思えるのだ。
「陛下と話してきます。捕らえられた人たちの処分が決まる前に話さなければなりません」
「分かりました。あっ、そういえば、ヴィクトール公子はどうされたのですか?」
王都郊外にハインミューラー家の軍勢がいる様子はない。任務に言っている間に帰還してしまったのだとソルは考えた。それが事実かルシェル王女に尋ねたのだ。
「ツェンタルヒルシュ公国に向かわれました」
「はい?」
返って来たのは想定外の答えだった。
「領地から出ることは滅多にないことなので、この機会に色々と見聞を広めたいということです」
「……王国はそれを許可したのですか?」
嘘に決まっているとソルは思う。何か目的があるはずで、それは王国にとって良からぬ企みかもしれない。それが分かっていて、どうして王国はそれを許したのか。ソルには理解出来なかった。
「護衛の軍勢の半分以上は帰還させたそうです。数百で移動する分には、危険視することはないと考えたのだと思います。元々、他家との交流を邪魔する権限もありませんし」
怪しんでいても止める手立てがなかった。これが実情だ。
「そうですか……」
人数を大幅に減らしての移動。襲撃するには絶好の機会だと自分なら考えるところだが、王国はどうか。こんなことをソルは考えている。
「……あの、ソル殿」
そのソルに躊躇いがちに声を掛けるルシェル王女。
「何でしょうか?」
「……これからも私の力になってくれますか?」
「以前にも……いえ、私の出来ることであれば」
以前にも約束した、と思ったソルだが、ミストとの約束だったような気もした。視線を向けたミストの表情は、そうソルに思わせるような表情だった。
「ありがとう。では、行きます」
御礼の言葉を残して、城に向かうルシェル王女。そのあとをミストも追う、とソルは思ったのだが。
「あれ? もしかして、まだ足が痛いのですか?」
「……いや、足はもう大丈夫」
足の怪我がまだ痛くて、この場に残ったわけではない。
「……何かありました?」
「ソルはルシェル様の……あっ、いや、違う。そうじゃなくて…………また明日から鍛錬に付き合ってくれ」
ソルはルシェル王女のことをどう思っているのか、なんてことを聞いても意味はない。聞くべきはルシェル王女にであり、ミストがそれを聞くことはない。ルシェル王女に向かって「貴女はソルのことが好きなのですか?」なんて聞けるはずがない。
「ああ、もちろん。俺がいない間にサボっていたら、すぐに分かりますからね?」
「サボって……いや、正直自信ない。でも……気持ちは固まった、つもりだ」
「そうですか……じゃあ、大丈夫。ミストさんは今よりもずっと強くなれます。俺も全力で助けますから」
「……ありがとう」
ソルの言葉に、頬が火照る。「全力で助けます」という言葉は鍛錬について。そんなことは分かりきっているが、それでも心が沸き立ってしまう。自分だけに向けられる言葉であって欲しいと、考えてはいけないことを考えてしまう。
ようやくミストは自分を知った。自分はソルを好きなのだと、はっきりと分かってしまった。
◆◆◆
ルシェル王女によるユーリウス王の説得は成功した。他家にはフルモアザ王国に仕えていた異能者がいて、王国にはいない。しかもそれが「シュバイツァー家は異能者が存在することも認めていない」というデマが原因であると知ると、ユーリウス王も無駄なことを考えている場合ではない。これから戦争になるかもしれない公家の戦力が、一方的に増強されることを許容できるはずがないのだ。
過去の事実は変えられないが、これからのことは変えられる。シュバイツァー家が、ナーゲリング王国が異能者の存在を認めないなどというのはデマであることを証明する為に、捕らえられた反乱勢力とされた人々に対して、寛容さを示すことになった。
無罪放免とはいかないが、首謀者はすでに全員死亡ということで、捕らえられた人たちは一定期間の労働義務を課すだけの処分。さらにその後はナーゲリング王国の国民としての権利も保証するという、通常、告知されないような内容まで告知されることになった。
「……平穏な暮らしを望んでいたのではなかったですか?」
そうなると無事に逃げ、隠れ潜んでいた人たちも表に出てくることになる。
「そうなのですが……私には戦うしか取り柄がありませんので」
魔弓術、と呼ぶことをソルは本人から聞いた、の使い手である女性、ヒルシュもその一人。無事に逃げ出せて、隠れ住む必要もなくなったというのに、近衛特務兵団に入団したいと申し出てきた。
「いやぁ……その戦う力を隠しておいたほうが、求婚してくる人が多くなりそうですけど?」
「結婚は考えていません」
「そうですか。なんか、すみません……」
外見で、ヒルシュの美しいと言える外見だけで判断したことを、ソルは反省させられることになった。
「正直、まだ全てを決めきれているわけではないのです。ただ、もう少し貴方の側で、貴方を見ていたいと思いました。その結果、自分がどういう道を選択するのか、今は分かりません」
復讐の為に人生を捧げる、という思いをヒルシュは持っていない。そこまで強い恨みは抱いていないのだ。彼女が特別、忠誠心に乏しいということではない。ヒルシュたち、特殊部隊の人たちと竜王の距離は近いとは言えなかった。絶対の忠誠を向けなければならないと強制されていたようなもので、本人たちは気付いていないが、竜王の死は特殊部隊の人たちにとって解放とも言えるものなのだ。
ソルとルナ王女の関係とは同じ土俵に並べることも出来ない。
「当面の仕事としての近衛特務兵団ですか……それを駄目という権限は俺にはありません」
「では、入団を許してもらえるのですね?」
「いや、入団を許す権限もありません。少なくとも団長であるルシェル殿下の許可が必要になるのですが……分かりました。私から話してみます」
ではルシェル王女に誰が許可を求めるのか、となるとソル自身が行うしかない。ヴェルナーに頼んでもやってくれるとは思うが、それは少し無責任だとソルは考えた。
「ありがとうございます……聞いても良いですか?」
「どのようなことか分からなければ、良いとも駄目とも言えません」
「……貴方は、どうして復讐しようと思ったのですか?」
どうしてソルは復讐するという強い想いを抱くことが出来たのか。それが出来ないヒルシュには分からない。
「それをここで聞きます?」
ここは王国軍の施設内。復讐について話すような場所ではない。一応、周囲は警戒しているので、話したからといって、誰に聞かれるわけではないが。
「まず、それを聞きたくて。自分と何が違うのかを知りたいのです」
「そうですか…………生きる理由がそれしかないからです」
「……貴方はまだ若い。生きる理由はこれから先、いくらでも見つけられるのではありませんか?」
ヒルシュもまだ二十代。だがソルはそのヒルシュよりもさらに若い。人生に絶望するような、絶望して良いような年齢ではないと彼女は思う。
「あの日、俺はルナと共に殺されました。今、俺が生きているのはルナのおかげで、この命はルナのものです」
「…………」
ルナ王女への絶対的な想い。これを他人が理解することは無理だ。どうしてそこまでの想いを抱けるのかという疑問が生まれるだけ。ヒルシュもそうだった。
「ルナはこの世にはいないので、彼女の為に何かしてあげることは出来ません。だから俺は自分の気持ちに従うだけです。ルナを殺した奴らは絶対に許さない。こう思っているだけです」
「……それはこの国を亡ぼすということです」
ソルが恨んでいるのはルナ王女を殺した人々のことなのか。彼が本当に憎んでいるのは、ルナ王女がいないこの世界なのではないか。ソルの言葉を聞いたヒルシュは、そんな風に感じたのだ。
「そこまでは考えていません。現場にいた奴ら。手引きした奴ら。対象はこれだけです。ただ、邪魔する奴らは多い。だから殺す数は何十倍、何百倍、もしかしたら何千倍にもなるかもしれません」
「その先に何があるのですか?」
「……死、ではないですか?」
「死……そうですね」
復讐相手の死だけではなく、ソル自らの死も。多くの死が生み出されることになる。自分たちの命を救おうとしたソルが、それとは真逆な道を進もうとしている。何故そうなるのか。またヒルシュの心に疑問が浮かぶことになった。
「同じ道を進むべきではないと、もう分かりましたよね? 約束は守ります。近衛特務兵団に入団出来るように頑張って、説明します。ですが、そこまでです。その先は、俺とは違う道を進んでください」
自分が進もうとしている道の愚かさは、ソルも理解している。何も残らない。自分が死んで終わりだ。だが、それで良いのだ。ソルは自分が、自分一人が生き残ってしまったことを悔やんでいるのだから。