王国軍と反乱勢力の再戦は三日後に開始された。敵戦力を把握し、それに対応して戦うための準備にその期間が必要だったのだ。準備は特別難しいものではない。運んできた攻城兵器を組み上げ、少し耐火対策などの補強を加えるだけ。それで戦えるとルッツ司令官は判断したのだ。
戦いが始まって、その判断が正しいことは証明されている。敵が放つ炎は表面を焦がす程度。攻城兵器全体を燃え上がらすようの状況にはなっていない。曲がる矢も三方を完全に囲んでいる攻城兵器相手では、効果的な攻撃にはならない。では接近戦を挑んで、と考えても砦から飛び出してきた異能者に向けて、三方から大量の矢が放たれる。それを避けて、攻城兵器に近づくことが出来ても、その中に籠っていた王国軍の騎士や兵士をまとめて相手にしなくてはならない。自ら死地に飛び込むようなものだ。
それでも反乱勢力側はそれを行っている。命を捨ててでも攻城兵器を止めないと火矢や投石で、砦が崩されてしまう。砦の中にいる味方が殺されてしまうのだ。
「……かつて絶大な力を誇った異能も、百五十年の時を経て、その脅威は薄れたってことか」
その様子を見て、ソルが呟きを漏らす。戦い方はソルも理解していた。ルッツ司令官はほぼその通りの戦いを行っている。そうだとしても、反乱勢力側が一方的にやられている様子は、なんとなく気分が悪かった。
「時代遅れの力だと?」
ハーゼとしては、ソルの言葉は受け入れ難い。自分たちの存在価値を否定されているように感じてしまうのだ。
「時代遅れなのは力ではなく、戦法。異能だけに頼った戦いでは駄目ってこと」
「では、この状況で、お前ならどう戦う?」
ソルであれば異能を活かす戦い方が出来るのではないか。ハーゼは、そうであって欲しいという期待もあって、戦い方を尋ねた。
「俺? この状況にしないようにするかな?」
「だから、どうやって?」
「落とし穴を掘っておくとか? 炎と矢の攻撃から身を守る為に必要以上に前方を塞いでいる。前方に落とし穴があっても、きっと気付かない」
すでに不利になった状況をひっくり返すのは難しい。ソルは事前の備えを考えた。王国軍が攻城兵器を運んできたのと同じことだ。
「……なるほど」
「仮に気付かれたとしても、攻城兵器が近づくのを止められる。落とし穴を埋めようと近づいてくれば、それを攻撃すれば良い。盾に隠れたままでは穴埋め作業なんて出来ないからな」
「それでもいつかは埋められるかもしれない」
「それはそうだろう。そもそも、ずっと砦に篭ったまま戦っていても勝てるはずがない。籠城は外からの救援がなければ勝てないと教わった」
その外部からの救援、別動隊はどうやら用意されていない。犠牲が増え続けている中で動きがないのは、別動隊を用意していないからだとソルは考えている。
「……勝敗は決定か」
「奥の手を隠しているのでなければ。隠しているかどうかは、俺には分からない」
奥の手も恐らくはない。別動隊と同じだ。備えがあるのであれば、すでに使っているはずだとソルは思う。よほど、一撃で勝敗をひっくり返すような、とんでもない奥の手ではない限り。
「それでも、この状況で何か出来ることはないのですか?」
カッツェが問いかけてきた。
「それは……反乱勢力と呼ばれている人たちではなく、俺たちに、という意味?」
カッツェはハーゼ以上に反乱勢力側への同情心が強い。そうであることを彼の問いから、ソルは感じた。
「そうです」
「やれること……戦いを終わらせる?」
考えた結果ではない。カッツェが望んでいるのは、こういうことだろうと思い、それをそのまま言葉にしただけだ。
「それは、どのように?」
「……砦に入って、首謀者を説得、もしくは殺して降伏させる」
「お供します」
「やるとは言っていないけど……まあ、良いか。成功は約束出来ない」
ソルの行動を求めているのはカッツェだけではない。後ろに並んでいる皆が、元ティグルフローチェ党の兵士たち全員が求めている。向けられた視線で、ソルにはそれが分かった。
その期待に応える義務はない、と思いながらも、ソルは動くことにした。無意味な、ただ死者を生み出すだけの無駄な戦いには、ソル自身も苛立っていたのだ。
「……壁を駆けあがる」
「えっ?」
「それに付いてこられる人だけで」
ソルの言葉で動き出そうとしていた人たちの足が止まる。砦の防壁を駆けあがることなど誰も出来ない。そんな低い防壁であるはずがないのだ。
そんな人たちに構うことなくソルは、首に巻いていた黒い布を引き上げて顔を隠し、前に駆け出していく。戦っている両軍の間に割り込んでいくのだ。ソル自身も無事でいられる自信はない。同行者は初めから求めていないのだ。
「…………」
それでもハーゼ等、何人かが付いてきた。その彼らに、ソルは何も言わない。彼らの選択なのだ。ソルと同じように黒布で顔を隠した集団。その動きがさらに加速する。
矢が飛び交う最前線を駆け抜け、攻城兵器の前に出たところで、ソルは駆ける足を緩めることなく、その勢いを乗せて、持っていた槍を投げた。
一筋の影となって宙を飛ぶ槍は、轟音を響かせて防壁に突き刺さる。その槍に向かって跳び上がるソル。常人では届くはずのない高さの槍に、ソルは軽々と跳び上がると、さらにその槍を踏み出しにして上に跳ぶ。それでも防壁の上には届かないと思われたが、そこからソルは剣を防壁に突き立て、またそれを足場にして壁を超えて行った。
「なるほどな」
それを呆然と壁の下から眺めていたハーゼたち。だが壁を駆けあがる方法は分かった。分かれば、彼らにもそれを実行する力があるのだ。ソルの作った槍と剣の足場を利用して、次々と壁の上に登っていく彼ら。
その時には、すでにソルは戦闘を始めていた。空を切り裂く矢。咄嗟にそれを躱したソルだが、完全には避けきれず、矢は頬を掠めた。
「……ああ、それも魔術なのか。色々あるんだな」
身近で見て、掠っただけとはいえ、自分の身で受けて、ソルは曲がる矢は魔術だと分かった。
「その瞳……本当にバラウル家の人間なのか?」
続けて矢を放つことなく相手は、ソルと同じ黒髪の女性は、驚いた表情で問いかけてきた。今、ソルの瞳は限りなく赤に近づいている。そういう瞳を持つ一族を、矢を放った女性は知っていた。彼女が仕えていた竜王が、戦闘モードになった時の竜王が、そうだったのだ。
「そうだと言ったら俺の命令に従うか?」
「……命令とは?」
本当にバラウル家の人間であれば、その命令に逆らうことには躊躇いを覚える。確信のない今は、従うことにも躊躇いを覚えているが。
「引け。愚かな戦いは止めて、一人でも多く逃がせ」
「もう一度、聞く。本当にバラウル家の人なのか?」
「……いや、違う。俺は……俺はルナの、ルナ王女の婚約者だった男だ。バラウル家の人間とは言えない」
少し答えを迷ったソルだったが、本当のことを話すことを選択した。自分の立場を、ルナ王女の婚約者であったという事実を、彼女と夫婦になれなかったという悲しみを、嘘で隠すことが出来なかった。
「婚約者……? どうして、王女殿下の婚約者がメーゲリング王国に味方する!?」
これだけを聞くと、彼女にとって、ソルは裏切者だ。
「味方しているつもりはない。目的を果たすのに都合の良い立場だと考え、こうなっただけだ」
「……目的?」
「それを知る権利は貴女にない。追いつめられるまで、ただ、ひっそりと生きるだけだった貴女には」
目的の話になると、ソルにはフルモアザ王国旧臣たちへの悪感情が浮かんできてしまう。復讐への協力を求めて差し出した手を払いのけられた時の口惜しさが、今も心から消えないのだ。彼女はそうした相手ではないと分かっていても。
「……平穏な暮らしを望んで何が悪い?」
「悪いとは言っていない。俺とは進む道が違うだけ。さて、こうして話している間にも人が死んでいる。戦いを止めるのか? 貴女に決める権限がないのであれば、権限がある人を教えて欲しい」
「……あの建物に中にいる」
女性は砦の中になる建物を指さした。彼女には戦いを止める権限はない。ソルに従う、殺すの判断も出来ない。それが出来る相手に結論を委ねたのだ。
「味方が必死で戦っているのに建物……これは殺し合いかな? 決めるのは会ってからか」
こう言うと、ソルは迷うことなく防壁の上から飛び降りていく。
「……彼の目的は何だ?」
この問いは、ソルを追ってきたハーゼたちに向けてのもの。
「復讐」
答えを躊躇う理由はハーゼにはない。
「竜王様……いえ、ルナ様の……」
「そちらのほうが強いと俺は思う。ただ、どちらであっても、やることは同じだ」
「出来るのですか?」
自分たちは行おうともしなかった。それを恥じる気持ちは、平穏な暮らしを望んだ彼女にもあるのだ。
「全員を殺すのは簡単ではないだろうな。だが、彼はやると決め、実際に行動を起こした。たった一人で」
「……まさか……メーゲリング王国の王は!?」
「のんびり話している暇は俺たちにもお前にもない。詳しいことを知りたければ、この戦いに生き残れ。その為に戦え」
ベルムント王殺害をソルが行ったということをハーゼは肯定しない。知られても良い秘密とそうではない秘密の区別は、ハーゼ独自の基準だが、あるのだ。
実際にのんびり会話している余裕はハーゼにはない。すでに他の仲間はソルを追って、防壁を降りている。彼も急いで後を追わなければならないのだ。
「……生き残る……そう、まずは生き残ることだ」
砦に篭っている人たちは、メーゲリング王国が異能者を根絶やしにしようとしていると考えて、生き残りを賭けて、一か八かの戦いに挑んだのだ。目的は生き残ることであって、勝利ではない。それを忘れていたことに彼女は気が付いた。
「……私は生き残る為の戦いに戻る。貴方たちはどうする?」
「……同じだ」「俺も」「俺もだ」
「では、行きましょう」
砦を死守することを彼らは放棄した。目的が生き残ることであれば、自分の命を犠牲にして砦を守るのは間違っている。それは冷静になれば分かることだ。
まとまった数が、それに釣られて、さらに多くが防壁を離れて行く。戦いは終わりに向かおうとしている。
◆◆◆
「これが敵の総大将の首です。これってもしかしたら、いえ、もしかしなくても大手柄ですよね?」
敵の総大将、かどうかは実際のところ分からないが、説得に応じなかった好戦的な敵の首をルッツ司令官の前に差し出したソル。
「…………」
ルッツ司令官は渋い顔だ。戦功をあげさせないつもりだったソルが、大将首を取り、その配下の者たちを降伏させて戦いを終わらせた。素直に褒められることではない。
「大手柄。褒賞沢山」
「……砦に突入しろなんて命令は出していないけど?」
「別動隊というのは機会を見て、戦いに参戦するのが役目なのではないですか? 我々は絶好の機会と判断して、動いたつもりです」
ルッツ司令官が良い顔をしないことは、ソルにも分かっていた。褒賞などはどうでも良く、必要なのは大将首、反乱の首謀者は討ち取られたという事実を認めさせることだけだ。
「それは誰の判断なのかな?」
「誰? 誰でしょう? 今だ、と誰かが言ったような気もしますけど……なんとなく皆が感じた?」
「……別動隊は命令違反を犯した」
「ええっ!? 手柄は!? 敵の大将を討ち取ったのですよ!?」
わざとらしく、は見えないように驚いてみせるソル。このルッツ司令官の対応は想定内のこと。難癖つけて手柄をないことにしようとすることくらいは予想出来た。そもそも命令違反である自覚は、ソルにもあるのだ。
「相殺になるか、罪のほうが重くなるかは私の判断だけでは決められない。王都に戻って、裁定を待つのだね?」
「そ、そんな……」
膝から崩れ落ち、地面に両手をついて、頭を垂れるソル。近衛特務兵団の多くの人たちは、良くもここまで演技出来るものだと、呆れているが、それ以外の人たちには本気で落ち込んでいるように見える。中々の名演技だ。
「もう良い。部隊に戻れ」
ルッツ司令官も、ソルの落胆している様子を見て、少し気が晴れた様子。詳細を追及することをしなかった。別に追及されても構わない。命が助かりたければ、首謀者は全員死んだことにするように。首謀者に半ば無理やり、戦いに引きずり込まれたと証言するようにと、降伏して捕虜になる人たちには伝えている。裏切る人はまずいないはずだ。
「……知らない顔が増えているような?」
ルッツ司令官に言われた通り、部隊に戻ったソル。
「しっかりと包囲されていたみたいで、逃げるのは難しかったそうだ」
部隊の中の見知らぬ顔は砦で戦っていた人たち。ハーゼは逃げきれなかった人たちを数人、部隊に匿っていたのだ。
「……降伏という選択は?」
「その選択だと近衛特務兵団に入団出来るか分からない」
ハーゼは仲間を増やしたいのだ。メーゲリング王国ではなく、近衛特務兵団の団長であるルシェル王女でもなく、ソルに従う仲間を。
「……顔を隠させろ。捕虜になった人たちに見つかったら、まず間違いなく、正体をバラされるから」
捕虜になった人たちは、この先どうなるか分からない。戦い続けていたら死は確実だとソルに言われたから、その通りだと思ったから、死が先延ばしになるだけかもしれなくても降伏したのだ。
一緒に戦っていた仲間が、その人たちだけ安全な立場を手に入れたと知れば、必ず不満に思い、王国軍に事実を告発する可能性は高い。ソルはこう考えた。
「分かった。ということだ」
いつ手に入れたのか、ソルたちと同じ黒い布で顔を隠す人たち。彼ら以外の、元々近衛特務兵団だった人たちも同じように顔を隠し始めた。全員がそうしていれば、顔を隠している人たちが目立つことにはならない。そう考えての行動だ。
そしてソルも、ため息をつきながら、首に巻いていた黒い布を引き上げる。布と前髪の隙間から見える瞳の色は、青紫。赤ではなく、いつもの青が強い色だ。その変化を不思議に思う視線を、視線そのものには気付ているが、その意味を、ソルは分かっていない。