初戦はナーゲリング王国軍の負け。それも大敗という結果だ。先軍二千の死傷者は六百から七百。三割以上の被害をだしたことになる。特に近衛特務兵団の被害は大きく、死傷者は百五十を超えた。五割の喪失という、負け戦でも滅多にあることではない壊滅的な犠牲者の数だ。
「……良くやってくれたね。近衛兵団のおかげで犠牲者を最低限、いや、最低限とは言えないけど、減らすことが出来た。奮闘に感謝するよ」
近衛特務兵団に対して悪感情を持っているはずのルッツ司令官が、自ら足を運んで、こんなことを言うくらいの被害ということだ。
「……いえ、我らは為す術もなく、ただ敵の攻撃に耐え続けていただけ。犠牲を減らすことに貢献したとは思えません」
ルッツ司令官に褒められてもヴェルナーは喜ぶ気にはなれない。大きな犠牲を払った戦い。それに生き残ったことを恥じる気持ちさえ、湧いている。
「次の戦いでは必ず勝つ。敵の手の内は知れたからね」
「なるほどな。そっちが本当の目的か」
「……君は……ああ、君か」
割り込んできた声はソルのもの。それを知ったルッツ司令官の表情が歪む。ソルに対しては悪感情を隠せないようだ。
「誰かとお間違えではありませんか? 私は司令官殿の御前に出る資格もない雑兵。顔を知られているはずがございません」
そしてソルも、悪感情を隠そうとしていない。敵戦力を測る為に味方の犠牲も是とする。司令官としては正しいのかもしれないが、犠牲にされたのが、自分が良く知る人たちとなると、認める気にはなれなかった。
「……そうか。私の勘違いか」
ソル自らが言う雑兵を、司令官である自分が気にしているという形は、ルッツ司令官としては受け入れられない。勘違いで終わらせることにした。
「せっかくの機会ですので、司令官殿にお伺いしたいのですが?」
「何かな?」
「味方の遺体は回収されないのですか?」
「……そうしたいが、敵の砦に近すぎる。勝利の後で弔ってあげるつもりだ」
多くの遺体は敵の砦に近い場所、遠距離攻撃範囲にある。そんな場所で遺体回収は行えない。初戦とは違い、敵の攻撃に対する備えを整えるにしても、回収作業中は隙が出来てしまうのは確実だ。
「そうですか……まだ生きている人もいそうですけど……司令官がそういうお考えであれば、仕方がありませんか」
ソルも回収が難しいことは分かっている。ルッツ司令官は味方を大切にしないということを、遠回しに知らしめようとしているだけだ。
「一人を救う為に大勢を犠牲にすることなんて出来ないから。非情と思われようと、正しい決断を行うのが人の上に立つ者の責任だ」
「ええ、分かっています」
そんなことはソルも分かっている。感情に左右されることなく、勝つために必要な判断を行う。こういうことは竜王から教え込まれている。
だが、ソルは司令官でも指揮官でもない。親しかった人たちが苦しんでいるかもしれない状況を無視できない。
「おい、ソル? どこに行く?」
歩き始めたソルにヴェルナーが声をかけてきた。この会話の流れで動き出したソルの気持ちを、ヴェルナーは理解しているのだ。
「私は人の上に立つ身ではありませんので。助けられる人がいないか、見に行ってきます」
「危険だ。そんな真似は許可出来ない」
「危険な真似はしません。私は命を惜しむと前に伝えたではないですか。離れたところから様子を見るだけです」
「しかし……」
それでも制止しようとしたヴェルナーだが、ソルは背を向けて歩き出してしまう。何を言われても従うつもりはないのは明らかだ。
「大勢で行くと却って危険だ」
そのソルに元ティグルフローチェ党の人たちが続こうとする。
「分かっている。俺とカッツェの二人だけだ」
「俺一人でも同じだと思うけど?」
敵が本気で襲い掛かってきたら、無理することなく逃げる。ソルはそのつもりだ。逃げるだけであれば、一人のほうが身軽で良いと考えている。
「本当に生きている奴がいたら運ばなければならないだろ?」
「確かに……じゃあ、行くか」
遠くから様子を見るだけ、なんてつもりはソルにはない。もし本当に生きている人がいれば、それが親しい人であれば、なんとかして助けるつもりだ。
それを考えると同行者は必要だ。大怪我をして動けない人を抱えては戦えない。運ぶ人と戦う人が必要なのだ。
「……次はどうやって戦うつもりだ?」
「どうだろう。とりあえず、炎と矢はなんとかしなければならない。そしてそれは難しくないはずだ」
「そうなのか?」
「籠城側から火矢で攻撃されることなんて当たり前にあるはず。曲がらない矢だとしても数は数十、数百倍。脅威としてはそう変わらない。戦い方は確立している」
司令官のルッツがどれだけの戦場を経験しているかなどソルは知らない。だが、今話した内容は過去の戦いにいくらでも例がある。司令官となるような人物であれば、経験はなくても知識として学んでいるはずだとソルは考えている。
「接近戦は?」
「数の力で押しきる。味方の犠牲をなんとも思わない司令官だからな。標的が明確になれば、倒すまで攻め続けさせるのではないかな?」
一度戦って、敵戦力に特別脅威となるような未知の能力はないことが分かった。奥の手として初戦は隠した可能性もあるが、次の戦いで備えるべきことは明らかになっている。
「……負けは見えているか」
ハーゼは味方の死に対して、ソルのように感傷的になっていない。そこまで親しい付き合いではないということが一番で、その点では反乱勢力側のほうに気持ちは近いのだ。
「仮にこの軍に勝てても、次はもっと大軍がやってくる。指揮官もあれよりは上になるだろうな」
「……俺たちの時と同じか」
「ああ、それで思い出した。気になっていたことがある。どうしてナーゲリング王国には異能者が仕えていないか、知っているか?」
ナーゲリング王国は異能者を抱えていない。存在を隠しているだけで、実際には存在している可能性はあるが、少なくともルシェル王女はいないと考えている。それがソルは不思議だった。
「シュバイツァー家は異能者の存在を認めていない。投降すれば殺される」
「そんな事情が?」
「そう聞いていた。今は、ちょっと怪しいと思っているけどな」
そのシュバイツァー家の一人、ルシェル王女は異能者を味方にしたいと考えていることをハーゼは知っている。すでに味方にしていることを知らないことを、面白がってもいる。
本当にシュバイツァー家が異能者の存在を認めないというのであれば、彼女にも拒否反応があってしかるべきと思っているのだ。
「それでよく投降したな?」
元ティグルフローチェ党の人たちがナーゲリング王国への投降を決めるには、自分が思っていた以上の強い覚悟が必要だったのだとソルは思った。
「俺たちが投降したのはシュバイツァー家ではなく、お前個人だ。問題ない」
「……なるほど。納得できる理由ではある」
自分に投降したのだというハーゼの言い分には納得いっていないが。
「そろそろだ」
「分かっている」
もうかなり砦に近づいている。最前線だった場所、近衛特務兵団が戦っていた場所に到着したのだ。多くの死体が地面に転がる場所に。
「…………」
だが一度地面に向いたソルの視線は、すぐに空を向いた。空を向いたまま、動かなくなった。
「陣地まで運ぶか?」
「……いや、マルコさんだけを運ぶのは、依怙贔屓だ……依怙贔屓になるのか分からないけど」
親しい人の遺体。それはすぐに見つかった。同じ伍だったマルコの遺体だ。他にも顔を知る人たちが地面に横たわっている。クリスティアン王子の従士だったドミトリーもその一人だ。そもそも顔見知りというだけであれば、近衛特務兵団の団員全員がそうなのだ。
「生存者はいなそうです」
周囲を見渡した限り、近衛特務兵団に生きている人はいない。カッツェはそう判断した。
「ご丁寧に……罠を張るなら数人は生かしておいたほうが良いと思うけどな」
「……そうですね」
ハーゼとカッツェの気が膨れ上がるのとほぼ同時に、燃え盛る炎が三人に襲い掛かって来た。だが炎が三人を傷つけることはなかった。三人に届く前に炎は全て宙で霧散した。
「なるほど。魔術って斬れるのか。じゃあ、なんとかなるな」
ソルが全てを剣で斬り払ったのだ。
「……もう隠れている意味ないと思うけど?」
「……貴様……何者だ?」
ソルの声に応えて、死体の中から立ち上がった者がいた、反乱勢力側の異能者だ。
「何者と聞かれても」「小竜公。竜王様の息子だ」
ソルの言葉にカッツェの声が重なる。
「今、何と?」
「だから、俺は何者でも」「竜王様の息子だと言った」
再び重なる声。
「あの……そういうのは、こういう状況で口にすることではないのでは?」
「しかし、何者と問われれば、こう答えるべきではありませんか?」
小竜公、竜王の息子と名乗るつもりはソルにはない。自分はそういう存在ではないと考えている。実際にそうだ。ソルはルナ王女の婚約者であって夫にはなれなかった。竜王アルノルトは義父にはなっていないのだ。
「竜王様の息子だと?」
「だから違う。知らない仲ではないけど、親子関係にはなっていない」
「……貴様、何者だ?」
相手はソル、イグナーツの存在を知らない。ルナ王女に婚約者がいたことを知っているかもしれないが、目の前のソルと結び付けられていない。
「それ、もう良いから。こちらから一つ提案をしておく」
「……何だ?」
ただの敵ではない。これだけは分かっている。どういう関係かは、はっきりとしないが竜王アルノルトと何らかの繋がりがあるのは間違いなさそう。そうなると、一応、話は聞いておこうという気になる。
「投降、は無理か。引いたほうが良い。このまま戦っても無駄死にするだけだ」
「戦いを求めているのはそちらのほうだ」
「そうかもしれない。でも、だからといって応える必要はないはずだ。こんな無意味な戦いで命を捨てるのは馬鹿げている」
反乱勢力、なんてものは王国には存在しない。フルモアザ王国の旧臣たちに戦う意思はない。相手の「戦いを求めているのはそちらのほうだ」という言葉が、それを示している。この任務は、戦いには、何の意味もない。ただお互いに死者を作り出すだけだとソルは思っている。
「……我々は負けない。勝って生き残る」
「勝てない……と言っても受け入れないか。忠告はした。受け入れるかかどうかはそちらが決めることだ」
この愚かな戦いで命を捨てたいのであれば、勝手にすれば良いとソルは思う。相手方に対して、特別な思い入れがあるわけではない。ティグルフローチェ党の時とは異なり、親しい人たちを殺された恨みもある。竜王に仕えていた人たちへの最低限の義理は通したと考えて、ソルはその場から離れて行こうとする。
「どうせ捨てる命なら小竜公の為に使え。俺たちはそうすることに決めた」
「……貴様らは?」
「ティグルフローチェ党。以前はそう名乗っていた。今は違うがな」
「そういうことか……」
ティグルフローチェ党の名を相手は知っていた。横の繋がりはなくても組織、集団の呼び名くらいは聞いている。ティグルフローチェ党はそれなりに大きな組織だったので尚更だ。
そしてそのティグルフローチェ党がナーゲリング王国に投降したことも耳に届いていた。その決断について理解出来なかったが、竜王の関係者が絡んでいるとなれば納得だ。
「そういう無用な会話をしていると置いていくぞ?」
「味方は多いほうが良いだろうが。まったく……」
ハーゼは、カッツェも、他の元ティグルフローチェ党の幹部たちは皆、ソルの下にもっと味方を増やしたいと考えている。事を為すのに数は少ないより多いほうが良い、と思っているのだ。
「無理やり味方になった人を俺は味方とは認めない」
「……それは納得。つまり、俺たちは味方ということだ」
元ティグルフローチェ党の人たちは自ら望んで、全員ではないが、ソルに従うと決めた。ソルの言葉を都合良く受け取れば、こういうことになる。
「…………今更、否定することじゃないか」
従う、となると受け入れ難いものがあるが、味方と認めることに拒絶する理由はない。こうして、今この場に同行しているのを許しているということは、他とは違う信頼を与えているということだ。隠すことがないという理由もあるとしても。
「よし。無意味な戦いだと思っていたが、得るものはあったな」
「それ喜ぶことか?」
「俺たちにとってはな。じゃあ、さっさと戻るか」
ソルが正式に仕えることを許した。これはハーゼたちにとっては、とても重要なことだ。従う相手が必要な彼らにとって、その対象であるソルが受け入れてくれないということは、とても大きな問題だったのだ。ハーゼは個人的にすでに臣従を決めており、カッツェ、他の元幹部たちも迷いは少ないが、それ以外の元ティグルフローチェ党の人たちはそうではない。自分たちの立ち位置を見つけられず、迷いを抱く者たちが多かった。
という事実をソルに知らせることなく、元ティグルフローチェ党全体をソルは認めたということにしようとするハーゼは、やはり他の人たちとは違うのだ。
「……どういうことだ?」
ソルたちがこの場を離れたところで、また一人、死体の中から立ち上がった者がいた。潜んでいたのは一人ではなかったのだ。
「分からん。竜王様の息子となるとクリスティアン様だが、あの男は違うと思う」
「だがティグルフローチェ党が竜王様の息子と認めている。奴の言葉が真実であればだが」
「そこだ。何か理由があるはずだ。私には分からないが、分かる者が誰かいるかもしれない」
自分たちと同じ立場であったティグルフローチェ党が、ソルを竜王の息子と認めている。本人が否定しているにも関わらずだ。それには理由があるはず。自分たちが無視できない理由が。
その問いを求めて二人は砦に戻ることにした。すでに罠は破られている。これ以上、ここに残らなければならない理由はない。