近衛特務兵団の次の任務は、前回と同じ。フルモアザ王国の残党、反ナーゲリング王国勢力の討伐だ。ただし、単独任務ではない。ナーゲリング王国正規軍との合同任務となる。王国第二軍、大隊名で言うと第二〇二大隊、第二〇六大隊から第二〇九大隊までの五大隊五千と近衛特務兵団五百、計五千五百という、かなりの数を編成しての任務で、前回の討伐任務とは規模がまったく違っている。
「つまり、こういうことですか? 前回の任務で討伐しきれなかった勢力がひとつに集まってしまい、今度は戦う気満々で待ち構えている」
「大きな声では言いづらいが、そういうことだ」
ソルの問いに、渋い顔で答えるヴェルナー。ソルの言い方は王国正規軍の任務失敗を批判しているようにも聞こえる。ソルの真意は関係なく、ヴェルナー自身もそう思っている部分があるので、答えづらく感じてしまうのだ。
「だからといって、この数ですか? 我々と同時に討伐任務を行ったのは四部隊。敵はせいぜい千か、多くても千五百というとこではないのですか?」
前回の討伐対象は五カ所。近衛特務兵団の討伐対象であったティグルフローチェ党の数が三百。戦える数となると二百ということから考えると、残り四カ所で八百から千二百、ティグルフローチェ党よりも数が多かったとしても千五百が最大だとソルは考えた。
その千五百も前回任務でまったく数を減らせなかったという前提での計算なのだ。敵が籠城しているとしても、前回任務と比べてしまうと、五千五百もの動員は多すぎると思う。
「前回討伐対象ではなかった勢力も合流しているとのことだ」
「ああ……そういうの藪蛇と言うのですよね?」
打倒ナーゲリング王国など実現する力もない、実際にそれを試みる気もない集団を、わざわざ追い込んで決起させてしまった。馬鹿げたことだとソルは思う。
「そう言うな。王国が置かれている状況を考えれば、小さな障害も放置できないと思う気持ちは分かる」
今の情勢は王国にとって最悪だ。完全に孤立していて、周囲は全て敵。この状況が改善しない中、大きな争いが起きては対処しきれない。そのきっかけを作ってしまうような勢力は放置しておけない。
以前よりも多くの情報が耳に入るようになって、ヴェルナーも少し王国の作戦を理解出来るようになった。実際にその作戦を実行することが正しいとまでは思っていないとしても、気持ちは分かるようになったのだ。
「さすが司令官」
「揶揄うな。それに司令官ではない。部隊指揮を任されただけだ」
今回の任務にルシェル王女は参加していない。それなりの規模の戦いになる可能性が高いということで、出陣を許可されなかったのだ。対抗戦で力を認められたといっても、やはり王女を危険に晒すわけにはいかないという意見のほうが強かったのだ。
結果、団長代行ということでヴェルナーが兵団の指揮を任された。元々、副団長の立場で働いているのだから当然の任命だ。
「そうであっても頑張ってください。嫌がらせをされないように」
「お前がそれを言うな。司令官に嫌われているとすれば、それはお前のせいだ」
「またまた。司令官と会った、というか見かけたのは今日が初めてです。話してもいないのに嫌われるはずがありません」
今回の任務の司令官、総指揮官はソルが初めて会う人物。実際には見かけたことはあるのだが、ソルの記憶には残っていないのだ。
「司令官のサー・ルッツはサー・ディートハルトの信奉者だ。お前が対抗戦で倒したサー・ディートハルトの」
「……それは逆恨みというやつです」
「逆恨みであろうとお前のせいだ。挨拶した時に言われた。まぐれでサー・ディートハルトに勝利したからといって思い上がるなと」
最初の挨拶でこれだ。人の好き嫌いにはあまり関心のないヴェルナーでも嫌われているのは、はっきりと分かった。
「気の小さな司令官ですね? 大丈夫かな?」
「お前、それ絶対にサー・ルッツに聞こえるところで言うなよ? 本当に嫌がらせされるぞ」
「言いませんよ。私だって命は惜しいですから。楽して任務を終えられることを心から願っています」
「白々しく聞こえるのは俺だけか?」
ソルが「楽して任務を終えたい」と言っても、白々しく聞こえるだけ。前回の任務は、確かに戦うことなく終えられた。ヴェルナーたちは楽を出来たと言える。だがティグルフローチェ党との交渉という難しい任務をこなしたソルはそうではないはず。しかも自らそれを引き受けた。前々回のフーバー家討伐でも同じ。もっとも危険な目に遭っているのはソルなのだ。
「どこがですか? 楽して稼ぎたいと思うのは普通のことです」
稼ぐという目的であれば、これはソルの本音だ。ただその前に生き残るという、当たり前のことだが、優先すべきことがある。ソルはその為に必要と思われることを行っているだけのつもりだ。
「俺だって楽したい。この気持ちが分かるなら指揮官を代われ」
「またまた、笑えない冗談ですよ」
「そう思っているのは、お前だけだ」
少なくとも元ティグルフローチェ党の人たちは、ソルが上に立つべきだと考えている。今回の任務の指揮官だけでなく、ルシェル王女も除いて、自分たちの上に立つのはソルだと。そして、兵団長の地位はさすがにルシェル王女だと考えていても、現場指揮はソルに任せるべきではないかと考える者たちは、元ティグルフローチェ党以外にもいる。ヴェルナーはそういう気持ちを知っている。それで自分が指揮官を務めるのは、それなりにプレッシャーがかかることなのだ。そんな自分の気持ちを理解しないソルには、少し苛立つものだ。
◆◆◆
集まった反乱勢力は千五百。計算根拠が違うので正解だったとは言えないが、ソルが想定していた数になった。その千五百の反乱勢力に対する王国軍は五千五百。四倍近い戦力差となっている。任務達成は間違いなし、と多くの人たちが思っている。あくまでも「多くの人たち」であって、「全ての人たち」ではない。当たり前のことではあるが。
「……予備隊って、結局、何をすれば良いのかな?」
近衛特務兵団は二部隊に分けられることになった。ソルがいる部隊は予備隊。そう伝えられたが、予備隊として何をすれば良いのかが分からない。司令部から何も指示がないのだ。
「俺に聞かれても分かるはずがない。そういうのは指揮官に言ってくることだろ?」
聞かれたハーゼも答えを持たない。一兵士である彼に司令部が説明してくるはずがない。
「この部隊の指揮官って誰だ?」
「それはお前だろ?」
「ヴェルナーさんが勝手に言っていることだ」
準騎士の身分にある人たちは全員、もうひとつの部隊。戦闘に参加する部隊に編成された。残った予備隊には指揮官となる人がいない。ヴェルナーはソルに任せたつもりだが、そのソルにその気はないのだ。
「別に構わないだろ? 戦うなということだろうから、指揮官など無用だ」
予備隊に編成されたのは元ティグルフローチェ党の人たち。王国正規軍は、少なくとも司令官であるルッツは彼らを信用していないということだとハーゼたちは理解している。
「どうして俺はこっちなのだろう?」
ソルは元ティグルフローチェ党ではない。そうであるのに予備隊に編成された。ヴェルナーがそうしたのではなく、そういう指示が来たのだ。
「それは司令官に嫌われているからだろうな」
「やっぱり……器の小さい司令官だ」
「そういうことを口にするから嫌われるのだろ?」
「面と向かって口にした覚えはない。それ以前に嫌われている」
嫌われている理由は以前行われた対抗戦の結果。ルッツ司令官が尊敬するディートハルトを、模擬戦とはいえ、討ち取ったのがソルだからと聞いている。
今の状況は、ヴェルナーと話していた通りの結果ということだ。近衛特務兵団全体ではなく、ソル個人への嫌がらせになったという点は違うが。
「別に悪いことじゃないだろ?」
「まあ」
相手は嫌がらせのつもりであっても、ソルにとっては悪くない状況だ。今回の任務は元々、乗り気ではなかった。本当は、ティグルフローチェ党討伐の時と同じように降伏交渉を行いたいのだ。ルッツ司令官に、まったくそのつもりはないので無理だが。
「しかし、そういう人物が司令官。王国は人材不足なのか?」
「自分だって、そういうことを言うじゃないか。ただ確かに……そういえば、戦ったことあるのか?」
司令官のルッツが若くしてナイトの称号を与えられたのはフルモアザ王国との戦いで大いに戦功を挙げたからだとソルは聞いている。その戦いでハーゼたちは、フルモアザ王国側で戦っていたはずだと、ソルは考えた。
「ないな。俺たちは四公連合との戦いに参加していない。竜王様の命令がないと動けない部隊だったからな」
命令どころか情報も正しく伝わってこない。竜王アルノルトという主を失ってしまうと何も出来ない組織だったのだ。
「それは他の部隊も?」
「他の部隊のことは分からない。横の繋がりなんてなかったからな。ただ、同じだっただろうことは想像出来る」
竜王アルノルトに従順であること。幼い頃からそれを叩き込まれてきた。ハーゼだけでなく、他の異能者たちも同じだ。それが身につかない者は殺されているのだ。
「……ちなみに敵側の人たちは知り合い? 仲が良いとかそういうことではなく、どういう人たちか知っているかという意味」
「いや、分からない。さっきも言った通り、他の部隊との接触はまったくなかった」
「そうか……実際に目で見て確かめるしかないか」
「何を気にしている?」
つい先ほどまで気の抜けた様子だったソルの表情が引き締まっている。その理由をハーゼは尋ねた。
「フルモアザ王国に仕えていた頃、千五百で五千の敵と戦えと命じられたら、どう思った?」
「どう思う? 考えることなんてない。命じられたら戦うだけだ」
「そうか……勝てる勝てないも考えない?」
「ああ……目の前の敵がどれくらい強いかを気にしているのか」
ソルが気にしていることがハーゼにも分かった。ソルも異能者が所属している部隊と戦った経験はない。学んできた軍学に関わる書物にも書かれていなかった。さすがに四倍の兵力差があれば勝てるだろう、となんとなく思っていたが、その考えに疑問が生まれたのだ。
「どう思う?」
「全員が全員、異能者というわけじゃない。力を持っていても弱い力で、常人と変わらない戦闘力しかない者がほとんどだ。敵の中に、ずば抜けた力を持つ奴が何人いるか次第だな」
騎士と従士、兵士という関係とは少し違うが、特殊部隊も優れた力を持つ者の下に何人か従って、一つの小隊が編成される。大部分は通常の騎士や兵士と、それほど変わらない戦闘力なのだ。
「そうか……」
「……そんなに多くないはずだ。たとえば、自分と同じ戦闘力の奴が、敵の中に二十人いる。これで考えてみたらどうだ?」
「二十か……二十人くらいなら、なんとかなるか」
「なんとか、な。じゃあ、大丈夫だろ?」
たった二十人を相手に五千の軍勢で「なんとかなる」。ソルのその表現を聞いて、ハーゼの口角があがっている。ソルにはそれくらいの力がある。具体的なことは分からなくても、想定以上の力であることは間違いないのだ。
「……実際に見るのが早いか」
戦いが始まろうとしている。反乱勢力の籠る砦に向かって近づいていく先軍の二千。その二千に少し遅れて中軍二千も前進を始めている。距離が詰まり、徐々に戦気が高まっていく。
「なっ!?」
それがはじけたのは反乱勢力の側からだった。砦の門に大木を抱えて進んでいた部隊。だが彼らが砦の入口の扉に、その大木を打ちつけることは出来なかった。その前に砦の防壁の上から降り注いできた炎が大木を、それを抱える兵士たちを燃やしてしまった。
「……魔術……初めて見た」
「一人、二人じゃない……いや、一人なのか? 一人であの威力だとすると……魔術なんて専門じゃないから分からない」
ティグルフローチェ党には魔術を使う異能者はいなかった。基本、部隊は血筋、一族で編成される。部隊ごとに持つ異能は、完全ではないが、ほぼ統一されていたのだ。
「他にもヤバいのがいるようです」
黙って二人の会話を聞いているだけだったカッツェが口を開いてきた。
「ヤバいの?」
ソルはカッツェの言う「ヤバいの」を見つけていない。炎以外、何かが起きているようには見えないのだ。
「壁の上から矢を放っている奴です」
「……聞いて良い? 矢ってどうやったら曲がるのかな?」
「さあ? 私には分かりません」
放たれた矢はナーゲリング王国軍の騎士が掲げている盾を躱すようにして飛び、確実に指揮官であろう騎士を撃ちぬいている。完全に狙い撃ちだ。
「……指揮官を狙い撃ち、となると次は接近戦か。そういう奴もいるってことだ」
「……来た」
砦の門が開き、いくつもの影が外に飛び出してきた。それに気づいて開いた門に殺到する王国軍の先軍。
「もう統制が乱れている」
「……命令しなくて良いのか? あれ、狙われるぞ」
指揮官を討たれ、動きが乱れている先軍の中で、未だ統率を保った動きをしているのは近衛特務兵団。だが、それは敵の意識を向けさせることにも繋がる。ハーゼはそう考えた。
「……もう行った。気づくかは分からないけど」
「行った?」
空を飛ぶ鷲。その姿はハーゼの視界には入っていない。
「駄目だ。間に合わない。中軍は!?」
敵の攻撃が近衛特務兵団に集中し始めた。先軍の中で統制を保ったままでいる中では、もっとも規模の大きな部隊。指揮官を失って右往左往していた味方は、近衛特務兵団に合流を図ろうとし、敵はそうはさせまいと動いている。
かなり激しい混戦。それを収めるには後詰、中軍の参戦が必要だとソルは考えたのだが。
「退こうとしている……? まさか、見殺しにするつもりか!?」
中軍に近衛特務兵団の支援に向かおうという動きは見えない。逆に陣形を固めて、一歩も動かないといった様子だ。その中軍に最前線から退却してきた兵士たちが逃げ込んでいく様子も見える。
初戦は王国軍の負け。それを認めて、被害を最小限に食い止めることを考えているのだとソルはそれを見て、判断した。近衛特務兵団の犠牲と引き替えに、それを実現しようとしているのだと。