ルシェル王女とヴィクトール公子の会食は城内で行われることになった。王国側が、しかもルシェル王女の手配となれば、必然的にそうなる。王女の身で王都の酒場を会食に使う、なんてことはない。本人がそうしたくても周りが許さない。
会食に使われるのは、城の中でも入口に近い場所にある部屋。ハインミューラー家一行を警戒して、という理由がないわけではないが、来客を迎えるという意味では当たり前の選択だ。一般諸侯に対する当たり前の選択を、公国の嫡子に対して行うのは正しいのか、という点は別にして。
「まずは、このような場を設けて頂けたことに御礼申し上げます」
内心ではどう思っているか分からないが、ヴィクトール公子に気にした様子はない。ここで不満を露わにするようでは、この場の意味がなくなる。
「いえ。御礼には及びません。必要なことを行っただけです」
ルシェル王女の顔には、やや警戒の色が見える。ヴィクトール公子の行動は読めない。少なくとも、今見せている穏やかな顔が全てではないのは間違いないのだ。
「さて、まずは紹介といきましょうか?」
この場にいるのは二人だけではない。ルシェル王女、ヴィクトール公子、それぞれ三人の部下を同席させている。争った者たちの仲直り。こういう名目での会食なのだから、同席するのは当然のことだ。
「はい。私の左側に座っているのがヴェルナー。その隣がトビアス、そしてイゴルです」
ルシェル王女が同席させたのは、この三人。実際に争いに参加した人たちの代表としてヴェルナー。トビアスとイゴルは、こういう場での礼儀作法を買われての参加だ。近衛とはいえ従士であった彼らの礼儀作法など、それほどでもないのだが、他の人たちよりはマシ、という選択だ。
「今日は護衛の侍女は不在ですか?」
争いのきっかけを作ったのはミスト。関係改善を目的としているので、同席させるだろうとヴィクトール公子は考えていたのだ。
「同席させるつもりだったのですが、怪我をしてしまって。軽い怪我だと聞いてはいるのですが、今日一日は大人しくしていたほうが良いと医師に言われたようです」
「そうでしたか。それは心配ですね?」
仮病を疑っていないわけではないが、別にいなくてもハインミューラー家側に問題があるわけではない。ミストはヴィクトール公子が気にする対象ではないのだ。
「いえ。そちらの方にまったく歯が立たなかったことで落ち込んでいまして。鍛錬に力を入れた結果の怪我ですから」
「なるほど……こちらも紹介しましょう。殿下の侍女殿を落ち込ませてしまったのは、このグラオ。隣がヴァイス、そしてグリュンです」
同席させた三人をヴィクトール公子も紹介する。紹介といっても名を伝えただけ。ルシェル王女と同じだ。
「私から。陛下に剣を突き付けてしまったことを深くお詫び申し上げます。ご無礼いたしました」
ただハインミューラー家の騎士のほうが自ら口を開いてきた。席を立ち、ルシェル王女に謝罪を告げたのはヴァイス。騒動の時にルシェル王女に剣先を向けた騎士だ。
「いえ、いちいち謝罪する必要はありません。あの場でのことはお互いに全て許す。その為の場です」
「殿下の寛大なお心に感謝いたします」
ハインミューラー家のほうは、それなりに礼儀作法を身につけている。ヴィクトール公子に同行してきた騎士全員がそうだというわけではなく、王女相手にこれくらいのやり取りは当たり前にできる者たちが選ばれただけだが。
「さて、食事が冷めてしまう前に始めませんか?」
「そうですね。そう致しましょう」
テーブルの上にはすでに様々な料理が並んでいる。昼の会食でもあり、あまり畏まり過ぎないように、手でつまんで食べられるような食事を用意したのだ。
「殿下の兵団にはフルモアザ王国の旧臣たちがいるのですか?」
「えっ?」
「そのような話を少し耳にしたものですから」
少し耳にしたは嘘だ。近衛特務兵団について調べた結果、分かったことを確かめているのだ。
「……この三人がそうです。三人ともフルモアザ王国に仕えていました」
「三人全員ですか」
「準騎士、近衛特務兵団には騎士として正式に叙任された人がいなくて、指揮官となる人たちは全員、準騎士という立場です」
ヴィクトール公子が近衛特務兵団について詳しく調べた、なんてことを考えもしないルシェル王女は、丁寧に説明しようとしている。
「騎士は一人もいないのですか?」
「ナーゲリング王国としては。ヴェルナー殿はフルモアザ王国では騎士でした」
「……なるほど。そうでしたか」
近衛特務兵団については色々と調べたが、さすがに団員全員の情報までは入手出来ていない。入手出来た団員についても、誰が誰だか分からない。顔写真なんてものはないのだ。
「あとの二人もフルモアザ王国の騎士だったのですか?」
そしてヴェルナーの素性を知って分かったのは、入手出来た情報も正確ではないということだ。ヴェルナーが元フルモアザ王国の騎士だったという情報などなかったのだ。
「二人は従士です。クリスティアン王子の近衛として仕えていました」
「クリスティアン王子ですか……しかし、近衛? クリスティアン王子は確か……」
二人の情報は正確だった。だが、近衛として仕えていた人間が、こうして生き延びていることにヴィクトール公子は疑問を感じていた。クリスティアン王子を守る為に最後まで戦って死ぬ、というのが近衛だとヴィクトール公子は思っているのだ。
「私たちを逃がす為に、自ら敵……いえ、降伏されました。我々がこうして生きていられるのはクリスティアン殿下が身を捨てて守ってくださったおかげです」
クリスティアン王子への感謝の気持ちをトビアスは隠さない。ハインミューラー家相手に隠す必要はないと考えている。ハインミューラー家はクリスティアン王子の仇であり、王国の敵でもある。戦う相手なのだ。忠誠を信じてもらう必要などない。
「……そのクリスティアン王子ですが、たしか、小竜公と呼ばれていなかったかな?」
色々考えた結果、部下が、この場にはいないブラオが、聞いた言葉は「小竜公」であろうという結論になった。意味は竜王の子、つまりクリスティアン王子のことではないかとヴィクトール公子は考えているのだ。
「……私の記憶にはありません。知っているか?」
「いや、聞いたことがない」
だがトビアスとアルヴィーの反応は、今はまだヴィクトール公子は惚けていることを疑っているが、思っていたようなものではない。クリスティアン王子が小竜公なんて呼ばれていた事実はなく、ソルが元ティグルフローチェ党の人々からそう呼ばれていることなど二人は知らないのだ。
「そうか。私の勘違いだったかな?」
「いえ、我々が知らないだけかもしれません。近衛として仕えていたとはいえ、我々は従士。知らないことは多いと思います」
「そう。ヴェルナー殿はどうかな?」
近衛であった二人はひとまず置いておいて、ヴィクトール公子はヴェルナーに問いを向けた、騎士であった彼であれば知っている可能性があるかもしれない。身近な人間からではなく、クリスティアン王子が知らないところでそう呼ばれていた可能性も考えたのだ。
「私はクリスティアン殿下にお目にかかったこともありません。せいぜい通りすがりにお見かけしたくらいで」
「そうか……そういう王家だったね」
バラウル家の人々は滅多に人前に出ることはなかった。国王であるアルノルトでさえそうなのだ。そうなると接点があるのは近衛騎士団で従士をしていた者たちとなる。
「こちらからもお聞きして良いですか?」
ルシェル王女が割り込んできた。彼女は彼女で、この機会に聞いてみたいことはあったのだ。王国では誰も知らないことも、ハインミューラー家は知っている可能性があるのではないかと考えて。
「何でしょうか?」
「竜王が異能者を抱えていたという話を知っていますか?」
「…………」
まさかの問いに、完全に不意を突かれたヴィクトール公子。彼としては失態だ。
「えっと……?」
「どうしてそのような話を?」
「ヴェルナー殿から聞きました。ですが、王国軍にはそのような人たちがいる事実はないと軍務卿を務めている叔父に言われて。では、その人たちは、どこに行ったのだろうと不思議に思っています」
敵として突然現れた時の脅威。出来ればそういう特別な人に味方になってもらいたいという期待。ルシェル王女の心には二つの思いがある。
「……たとえば、私の隣に」
「えっ?」
「当家にもフルモアザ王国の旧臣が何人か仕えております。グラオはその一人で、特別な力を持っています。どのような力かは聞かないでください」
ハインミューラー家もフルモアザ王国の旧臣を抱えている。グラオのような異能者だけでなく、普通の騎士や兵士も。ヴィクトール公子はその事実を正直に話した。ルシェル王女が自分と同じように事実を知った上で質問してきたのであれば、嘘はつけない。信用を失い、自分たちも何も得られなくなってしまう。
「ではこれは聞けますか? 特別な能力を持つ貴方たちがいて、どうして竜王は討たれたのですか? これを私が聞くのはおかしいと思われるでしょうけど……」
問いを向けられたグラオは、ヴィクトール公子に視線を向けて、了承の意思を確認した上で口を開いた。
「……我々も常に側にいたわけではありませんが、あの日は特に、多くが任務を与えられて王都を離れておりました」
「空白の一日だったということですか?」
「一日というわけではありません。たとえば私は今仕えているオスティゲル公国におりました。何ヵ月もかかる任務です。他の部隊も似たようなものだったと思います」
異能者が所属する竜王直下の特殊部隊。そのほとんどが王都を離れていた。偶然なのか、竜王暗殺はその機会を狙って行われたのか、そういうことはグラオには分からない。彼らはただ命じられるままに動くだけの存在だったのだ。
「任務については?」
この問いにまたグラオは視線をヴィクトール公子に向けた。それに対するヴィクトール公子の反応は了。ハインミューラー家にとっては、隠す必要のないことという判断だ。
「一言にすると、異能者狩り」
「えっ?」
「フルモアザ王国にとって脅威となるような異能者集団を見つけ出し、殲滅しろという命令です」
「そういう存在が……」
フルモアザ王国旧臣である異能者だけでなく、恐らくは無所属の異能者集団もいる。個として存在しているのであれば、あり得ると思えることだが、討伐という言葉を使うような集団というのは、ルシェル王女には驚きだった。
「実際に存在するのかは分かりません。私の部隊は見つけられませんでした」
「そうですか……」
「ただ普通の人として暮らしている異能者はいる。これは確実です」
ハインミューラー家はそういう人の中からも登用している。グラオはあえて口にしなかったが、他の二人、ヴァイスとグリュンがそうなのだ。
「渡来人はバラウル家だけではないという話も聞いたことがあります。特別な能力を持つ人が全員、渡来人ではないのでしょうが」
「……中にはバラウル家に匹敵するかそれ以上の力を有する一族もいた。様々な手段でバラウル家はそういった勢力を駆逐し、覇権を握ったのです」
「……それは初めて聞きました」
ヴィクトール公子が語った内容をルシェル王女は聞いたことがない。
「王国に残る記録は、バラウル家にとって都合の悪い真実は消されています。ですが、我が家はそんな配慮をする必要はない。百五十年前、いえ、それ以前からの真実が残っております。間違いなくシュバイツァー家にも」
バラウル家に、フルモアザ王国に臣従した公家だが、心からの忠誠を誓ったわけではない。勝てないから従っただけだ。各家に残る記録には、フルモアザ王国やバラウル家にとって都合の悪い真実も残されている。逆にそれぞれの公家にとって都合の悪いことは改変されていたりするのだが。
「私が何も知らないだけですか」
「我々は多くを知りません。その無知が争いを生み出すことになる。こう思われませんか?」
「……そうですね。そういうことはあると思います」
身近な例で言うと兄との諍いがそうだ。ルシェル王女には、兄であるユーリウス王の考えが分からない。どうして何もかもを疑うのか理解出来ない。近衛特務兵団とそこに所属する人たちを良く知れば、今のような冷遇は間違っていることが分かるはず。そう思っている。
「このような機会をこれからも設けて頂きたいと思います。そうすれば、私が本心から王国の平穏を願っていることがお分かりいただけるはずです」
「ええ。私もそれを望みます」
ヴィクトール公子の言葉に嘘はない。ルシェル王女はこう考えた。簡単に騙された、というわけではない。実際にヴィクトール公子は本心を語っている。ただ王国の平穏を実現出来るのはハインミューラー家、自分自身だと信じているだけだ。