玉座の間には緊張感が広がっている。これから来賓を迎えるにあたって両脇に並んでいる重臣たち、ところどころに配置されている騎士たち、そして誰よりも玉座に座るユーリウス王が一番、強張った顔を見せている。もう間もなくその来賓が姿を現すのだ。オスティゲル公国の者たちが。
そんな中、一人のんびりした顔をしているのはソル。斜め前にいるバルナバスに命じられてソルは警護役の一人として、この場にいる。「どうして自分が」という不満をはっきりとバルナバスに伝えたが、解放されることはなかった。
ただ本心ではソルは幸運を喜んでいる。こんな間近でオスティゲル公の顔を見られるのだ。殺す相手を認識出来るのだ。どこで盗み見するか悩む必要はなくなった。
一人場違いな表情をしているソルだが、それを咎められることはない。彼がどのような表情をしているか、周りの人には分からないのだ。今のソルは元々伸ばしていた前髪を、さらに引っ張って前に垂らしている。オスティゲル公国の人たちに、自覚のある印象的な瞳を見られないようにする為だ。前髪で完全に目を隠している様子は、それはそれで目立ってしまいそうだが。
一人の騎士が入口の扉を開けて入って来た。そのまま小走りでユーリウス王の斜め左前に立っているリーバルト軍務卿に近づくと、耳元で何かを囁いている。さらにリーバルト軍務卿がユーリウス王に近づき、何かを伝えた。
オスティゲル公国についてであることは、何も聞こえなくても分かる。ただユーリウス王が怪訝そうな顔をしている理由は、他の人たちには分からなかった。
それを深く考えている間はない。玉座の間の入口の扉が大きく開かれたのだ。オスティゲル公の到着だ、と思ったが、どうやら違っていた。十人の家臣を従えて歩く男は若い。オスティゲル公ではないのは明らかだ。
「……なんか怖い人がいますけど?」
周囲に聞こえないようにバルナバスに問いかけるソル。一応、警護としての役目も果たしているつもりだ。
「……どれだ?」
「後ろに並んでいるのは皆そうですけど、一番は真ん中にいる人でしょうか?」
「……なるほど」
玉座の間に入ってきたオスティゲル公国の誰もが力のある戦士であることは、バルナバスにも感じられる。だが、ソルはその中でも一番は、中央にいる細身の男だと言った。バルナバスにはその理由は分からないが、もっとも警戒すべき相手だと認識することにした。こういうことの為にソルを同席させたのだ。その言葉を信じなくては同席させた意味がない。
「陛下のご即位を心からお喜び申し上げます。陛下にお会いするのは恐らく二度目。私のことを覚えていらっしゃいますか?」
「……ハインミューラー家のヴィクトール。オスティゲル公の息子だったな」
玉座の間に現れたのはオスティゲル公ではなく、その息子のヴィクトール公子。ユーリウス王は直前にそうであるらしいことを伝えられていたが、それを伝えたリーバルト軍務卿以外の人たちにとっては今初めて知る事実。周囲からうなり声が漏れる。納得という思い、嫡子だとしても王都にのこのこ姿を現したことへの驚き、戸惑い。色々な感情が混じり合った声だ。
「本来であれば父がご挨拶にまかり越すところなのですが、あいにく近頃、体調が思わしくなく、私が代わりに参ることになりました」
「体調が……」
仮病に決まっている。だが仮病を使った上で、嫡子のヴィクトールを王都に送り込んできた意図がユーリウス王にも分からない。
「ご心配には及びません。医師も疲れがたまっていたことによる一時的な不調であろうと申しております」
「そうか……それでは仕方がない。オスティゲル公に確かめたかったことは公子から聞くことにしよう」
くだらない、腹の探り合いにもならないやり取りがユーリウス王は我慢ならない。一気に本題へと話を持って行くことにした。
「なんでしょう?」
「おい」
ユーリウス王に促されて、後ろに控えていた騎士が前に出てくる。騎士は持っていた兜をヴィクトール公子の前に置くと、また後ろに下がっていった。
「その兜に見覚えがあるだろう?」
「はて……あるような、ないような?」
「惚けても無駄だ。それはハインミューラー家に仕えている騎士が使っていた兜だ」
騎士が置いた兜はハインミューラー家の騎士のもの。フーバー家の反乱に関わっていた奇襲部隊の司令官の兜だ。
「……ああ、分かりました。確かにあの者の兜です……まさかと思いますが、お召し抱えになったのですか?」
「なんだと?」
ヴィクトール公子の返しはユーリウス王の想定外。誤魔化すにしても、もっと違うことを言ってくるものだと考えていた。
「お止めになったほうがよろしい。あの者は剣の実力はそれなりですが、それを鼻にかけて、傍若無人の振る舞いが多く、当家でも揉め事が絶えませんでした」
「…………」
まったく動揺した様子を見せず、兜の持ち主についての悪評を語るヴィクトール公子。その言葉が過去形であったことで、ユーリウス王にもヴィクトール公子の意図が分かった。
「父もいよいよ腹に据えかねて追放を決めたのは、確か、もう一年以上は前ですか。まさか王都に来て、しかも陛下に取り入ろうとしていたとは……その図々しさは、いかにもあの男らしい行いです」
「……つまり、ハインミューラー家には関りはないと言いたいのか?」
「陛下が何について考えておられるのか分かりませんが、今は関りはございません」
追放した騎士がどこで何をしようがハインミューラー家には関りのないこと。ヴィクトール公子はこれで逃げ切ろうとしている。それこそ、図々しい行いだとユーリウス王は思う。
「フーバー家の反乱について、ハインミューラー家は何も知らないと言うつもりか?」
「反乱? 小領主が少し騒ぎを起こしただけのことを王国は反乱として扱っているのですか?」
ヴィクトール公子の顔に薄ら笑いが浮かぶ。王国は小さな物事を過大に捉えて、勝手に騒いでいる。そんな思いがはっきりと分かる笑みだ。
「王国軍に刃向かった。それが反乱でなくて何だ?」
「たかが数百の領主軍を戦う気にさせるほうがおかしい。どうしてそのようなことになったのですか? 誰が考えた作戦だったのですか?」
ヴィクトール公子は王国の対処方法について批判してきた。もっと上手く事を収めることは出来た。そうならなかったのは王国が間違ったからだと。
「恐れながら、そういう無能な人間はすぐに遠ざけたほうが王国の為かと。そう思われませんか?」
さらにその対処方法を考えた人物、ユーリウス王を無能呼ばわりするヴィクトール公子。それを聞いたユーリウス王の表情に明らかな怒気が浮かんだ。
何も分かっていない人物の失言、とはユーリウス王は受け取らない。ヴィクトール公子は分かっていて、わざと自分を侮辱しているのだと考えている。それは周りで話を聞いている王国の臣下たちの多くも同じ思いだ。玉座の間の空気が一気に緊迫したものに変わる。
「ハイン家もまた反乱に加担していた。両家が共謀して王国を嵌めたのだ。そして両家の背後にはハインミューラー家がいる」
「ほう……証拠はあるのですか? まさか、証拠もなしに諸侯を罪に落とそうとしているわけではございませんよね? それとも王国はこうしてありもしない事実を捏造して、すべての諸侯を滅ぼすおつもりか?」
ユーリウス王の追及に真向から反論するヴィクトール公子。この場にいるのは王国関係者とハインミューラー家の人たちのみ。糾弾の声が他の諸侯に届くことはない。そうであるのに、ヴィクトール公子の語り方は、まるで誰かに訴えかけているかのようだ。
「そんなつもりはない。それこそ根も葉もない捏造だ」
「それはどうでしょう? ツヴァイセンファルケ公暗殺未遂に王国が関わっていないという証明は、未だに出来ておりませんが?」
「……王国が関わったという証拠もない」
話がユーリウス王の、王国の望まない方向に逸れてしまっている。ヴィクトール公子に反論する為に暗殺を否定する。ツヴァイセンファルケ公暗殺事件については否定することに躊躇いはない。だが、ユーリウス王は暗殺という手段そのものは否定していないのだ。
「ええ、証拠は残さなかった……と本気で思っておいでか?」
「なんだと?」
「暗殺計画に加わった人数は十二人。さて、晒されていた首の数はいくつでしたか?」
「……さあな。重罪人の数など、いちいち覚えていない」
実際にユーリウス王は正確な数を覚えていない。だが、周囲の臣下たちの表情が十二という数ではないことを教えている。つまり、生き残りがいたということだ。
「王都に参るまでは新王に心からの忠誠を誓うつもりでおりましたが、今はそれを行うに躊躇いを覚えます。一度、領国に戻り、公主の判断を仰ぐこととしました」
「……王国はツヴァイセンファルケ公暗殺未遂に関わっていない。これは真実だ」
真実だ。王国はツヴァイセンファルケ公暗殺未遂には一切、関わっていない。それを証明出来る人物もいる。ヴィクトール公子が襲撃者の人数について、嘘をついていることも知っている。名乗り出ることは絶対にないが。
「では、それを証明していただきたい! 今、我らの下には関りを証明する者がおります! その者が虚言を弄していると王国は証明出来るのですか!?」
「…………」
ユーリウス王の頭の中で二つの選択が巡っている。このままヴィクトール公子を領国に返すか、この場で殺してしまうか。虚言を弄する証人とやらを確保しようと思えば、後者の選択となる。
玉座の間にはただならぬ雰囲気が漂い始めた。ユーリウス王の判断次第で、すぐに動けるように騎士たちが気持ちを高めているのだ。暗殺という陰湿な方法を取ることに対して気持ちが後ろ向きになり、失敗してしまわないように。
「サー・バルナバス。あの人、ほんとに公子ですか? 公子ってもっと上品な人なのだと思っていました」
そんな緊張感を乱してしまいそうなズレた問い。問いを発したのはソルだ。
「俺に聞くな。俺は公子とは会ったこともない」
「あっ、そうなのですか……じゃあ、本物かどうかは分からないですね?」
目の前の人物が本当にヴィクトール公子なのか。それはバルナバスには分からない。当然、ソルにも分かるはずがない。そしてこのソルと同じことを考えた者は、この場にいる王国関係者全員だった。
「サー・バルナバス。その礼儀知らずな雑兵を黙らせろ」
そしてユーリウス王も。彼がヴィクトール公子と会うのは二度目。それもいつとはっきりと思い出せないくらい昔のことだ。
「失礼いたしました。小僧、黙れ」
「はっ」
緊迫感が薄れ、戸惑いが広がっていく。ヴィクトール公子と名乗っている男は本物か。偽物だとすれば、本物はどこにいるのか。そもそも本当に王都に来ているのか。皆が疑問に思い始めた。
殺されるかもしれない王都に嫡子を送り込んできた。一行が入場してきた時の驚きは、偽物であればという納得に変わった。
「……その者は?」
ヴィクトール公子を名乗る男がソルについて尋ねてきた。
「今、王国軍は猫の手も借りたいほど忙しいものですから。雑兵でも猫の手よりはマシかと思い、警護に参加させたのですが、礼儀は猫以下だったようですな」
「本当にそのようだ。物知らぬ雑兵風情の無礼とはいえ、私としては見逃すわけにはいかない。私への侮辱はハインミューラー家への侮辱だからな」
「では、お好きなように」
こう言ってバルナバスは一歩横にずれる。その時にはソルはその場に片膝立ちになり、頭を垂れている。手打ちにするならご自由に。二人の動きはそう言っているように見える。
「……ああ、好きにさせてもらう」
ソルに向かって足を進めるヴィクトール公子を名乗る男。
「お待ちを」
それを止めたのは、ハインミューラー家の護衛だ。
「……何か?」
「…………」
問いに答えることなく制止の声を発した男は、周囲を探るように見渡している。さきほどまでの緊迫感とは違う、静かな、よほど気配に敏感でないと感じ取れない静かな殺気に気付いたのだ。
その様子を見て、他の護衛も周囲の気配を探り始める。いざ探してみるとそれはすぐに見つかった。王国の人間の多くも何が起きているのかと戸惑っている中で、影のように静かに佇んでいる人影は四つだ。
「……殿下を狙っております」
「防げないと?」
ヴィクトール公子を名乗る男を無視して会話を始める護衛たち。
「確認出来ているので全てであれば可能かと」
「そうか…………分かった。茶番は終わりだ」
守れると断言しなかった。出来ない何かを感じ取っているのだと、相手は判断した。護衛の中央にいた細身の男だ。
「まずは陛下! ご無礼を深くお詫び申し上げます! 我こそはヴィクトール。オスティゲル公の息子、ヴィクトールであります!」
細身の男は自分こそが本物のヴィクトール公子だと名乗ってきた。
「……それが真実であるとどう証明する?」
だがこれに関しても証明は出来ない。今この場にいる王国の者たちは誰も、確かにヴィクトール公子だと見分けられるほど彼を知らないのだ。
「証明は難しいでしょう。ああ、教会の人間であれば私を知る者もいるかもしれません」
「教会……」
その教会も信用ならない。教会と呼ばれている勢力は、古くから人々の間に根付いていたわけではない。そういう勢力は百五十年の間にバラウル家によって一掃された。今教会を名乗っているのは、竜王が殺されたあと、バラウル家を悪の権化と定義し、その悪を倒す正義を信奉するという、とってつけたような教義を持って生まれた組織。布教活動は積極的に行っているが、まだ出来て五年にもなっていない新興宗教なのだ。
「望んで証明してもらおうとは思いません。本物であろと偽物であろうと私の言葉はハインミューラー家の言葉。こう受け取ってもらえれば結構です」
「つまり我々を騙したのもハインミューラー家の意思だ」
「はい。まずはその言い訳を。ツヴァイセンファルケ公暗殺未遂事件は、陛下が思われている以上に、諸侯に不信感を植え付けております。当家も警戒しないではいられず、このような手段を取らせていただきました。とはいえ陛下を謀ったのは事実。改めてお詫び申し上げます」
あくまでも暗殺を警戒しての致し方ない措置。ハインミューラー家としてはこう言う。悪意を持っての行いだとしても、それを素直に認めるはずがない。
「王国は無実だ」
「それが事実であれば、いずれ証明されることでしょう。ですが、それを待たずして当家の不信感を取り除く方法がございます」
「……それはどういう方法だ?」
どうせ、ろくなものではない。こう思いながらも、ユーリウス王としては、問わないわけにはいかない。
「ルシェル王女殿下に是非、当家にお輿入れ願いたいと考えております」
「ルシェルを?」
政略結婚。王家の人間であれば、当たり前のことだ。だが、それをハインミューラー家から願い出てくるとはユーリウス王は思っていなかった。ハインミューラー家は敵。融和を図る必要性も、意味もないと考えていたからだが。
「オスティゲル公の考えです。私がこうして王都に参ったのもこの為。自らの目で確かめ来いと言われました。ご無礼な言い方かもしれませんが……頑張って口説けとも」
「…………」
どう答えるべきなのか。想定していなかったユーリウス王は正しい答えが思いつかない。
「今この場でお返事を頂くつもりはございません。なによりもまずルシェル王女殿下に当家の思いをお伝えいただくのが先かと」
「……そうだな。ルシェルとは話さなければならない」
結論の先延ばしが出来る。ルシェル王女が拒んでいるという断る口実も出来た。
「では、今日のところはこれで」
ヴィクトール公子もあっさりと引き下がる。ルシェル王女との婚姻話を持ち出して、玉座の間の雰囲気を和らげることが出来た。こうなれば、また王国側がその気にならないうちに、この場から去るべき。初回はどちらも失敗。これで終わらせることにしたのだ。
護衛と共に玉座の間から出て行くヴィクトール公子。それを制止する者は誰もいない。襲い掛かる者も。
「何故、殺そうとした?」
自分の警護任務も終わりだと勝手に決めつけて、玉座の間から去ろうとしているソルに、バルナバスが問いかけてきた。
「……いずれ殺し合う相手です。今、生かしておく理由がありますか?」
王国の兵士としてではなく、ソル個人の目的の為に、敵戦力は削れる時に削っておく。そう考えているソルは、実行を阻害したユーリウス王に、何も口にしないが、不満を抱いている。
「……殺れたのか?」
「……どうでしょう? 今一つ測りきれませんでした」
「それはお互いに、だな」
ハインミューラー家の本当の狙いはユーリウス王の暗殺。暗殺というより、堂々とこの場で殺害することだったとバルナバスは考えている。挑発は王国側から仕掛けさせる為。暗殺されそうになったから、もしくは公子を、偽物だが、殺されたから仕方なく反撃して国王を殺した。こういう口実を作る為だったとのだと、今は思っている。
だがハインミューラー家は引いた。元々、襲われる予定であったのに、望む展開になるのを自ら避けた。それは成功する自信がなくなったからだ。
「さあ? 私には分かりません。では」
「君、ちょっと待って」
「…………」
「君。そこの黒髪の兵士。サー・バルナバスの目の前にいる君」
無視して出て行こうとしたソルをさらに制止する声がかかる。
「小僧、いや、ソル、ご指名だ」
自分の名まで出されてしまうとバルナバスも知らん顔は出来ない。
「……どなたですか?」
そしてはっきりと名を呼ばれたソルも。
「リベルト外務卿。王国の重鎮、四卿の一人だ」
ソルを呼んでいるのはリベルト外務卿。立場としては国王に次ぐ、王国の重鎮の一人なのだから。