王都を囲む防壁はすぐそこ。東門に通じる街道にソルは立っている。いつもであれば多くの人が行き来しているこの場所だが、今は人影はまばら。皆、足早にソルが立っている場所を通り過ぎていく。
その理由はソルが見ている高札のすぐ横に並べられた首から上だけの死体。不気味なそれを見たくなくて、人々はこの場所を避けているのだ。
「……まだ若い」
晒されている首は十一。どれもまだ若い男たちだ。それを言うソルよりは少し年上だとしても、死ぬには早過ぎることに変わりはない。
「……血気盛んな年齢だから出来たことだ」
ソルに同行してきたティグルフローチェ党の者たちもいる。目立つので全員ではなく、三人だけ。その中の一人、全身真っ黒の男、ハーゼがソルの呟きに応えた。
「出来てはいない。彼らは失敗した」
「……そうだな」
殺された十一人はティグルフローチェ党の男たち。竜王弑逆に対する復讐として公国主を襲おうとした、実際に襲った者たちだった。高札には、ツヴァイセンファルケ公暗殺を諮った罪人としか書いていないが。
この事態はソルの想定外。復讐対象の公国主たちが王都を訪れるのはもっと先のはずだった。彼らの襲撃も。だが公国主、ツヴァイセンファルケ公は王国が予定していなかった早い時期に王都を訪れた。この時点ではソルは知らないが、王都での暗殺を警戒してのこと。ティグルフローチェ党でもソルでもなく、王国の企みを警戒して、予定を無視して王都に来たということだ。
「……もしかして、俺のせいか?」
何故彼らは行動を起こしたのか。きっかけは自分ではないかとソルは思った。ベルムント王を殺害したことが、五年間、行動を起こさなかった彼らを刺激してしまったのではないかと考えた。
「せい、というのは違うと思う。この者たちの選択は、この者たちが行ったこと。誰かのせいにするものではない」
「……そういう考えは持っているのか?」
ハーゼはずっと誰かに従って生きてきたと言っていた。疑いを持つことなく従順であり続けることを強いられてきたと。選択できない彼が、選択はそれを行った者自身の責任と語るのは、意外な気がした。
「俺は全てを誰かのせいにして生きてきた。選択していない俺に責任はない」
「……確かに」
ハーゼの性質と語る言葉に矛盾はない。それは分かった。
「ツヴァイセンファルケ公はすでに自領に戻ったそうです」
街道を歩く人たちに聞き込みを行っていたカッツェが戻って来た。見た目が怪しいハーゼには出来ない仕事だ。
「早いな……ツヴァイセンファルケ公にとっては都合が良かったのか。王都に長居しないで済む口実を得られた」
王国を警戒しているのであれば、まして実際に襲撃を受けたとなれば、すぐに帰還するのは当然のこと。そうしても王国は文句を言えないはずだ。
「追いつくことは出来ると思いますが?」
ツヴァイセンファルケ公はまだ自領に到着したわけではない。襲撃からそこまで日数は経っていない。今から追いかけても間に合うはずだとカッツェは考えている。
「それで殺せるのなら、そうしても良い。だが、今の俺には自信がない。俺はツヴァイセンファルケ公の顔も知らない」
ソルはツヴァイセンファルケ公に会ったことがない。誰を狙えば良いか分からない。襲撃を行う前に準備することがたくさんある。その準備をする機会をソルは逃したのだ。
「……俺は見たことはある、が、一発で見分けられる自信はない」
ソルの言葉を怖気づいたからだとはハーゼは受け取らない。ソルはたった一人でベルムント王を殺害した。その後、敵地と言えるメーゲリング王国軍に潜り込んで、次の機会を狙っていた。臆病では出来ないことだと考えている。それは他の人たちも同じだ。
「引き上げる。次を狙うにしても、一旦は部隊に戻らなければならない」
まだオスティゲル公、ツェンタルヒルシュ公は王都を訪れていない。ツェンタルヒルシュ公襲撃事件があった後となれば警戒は厳しくなる、もしくは王都来訪を止める可能性はあるが、そうだとしても近衛特務兵団に戻る必要がある。襲撃準備を行うのには、その選択が一番だとソルは考えている。
「では砦に戻ることといたしましょう」
ハーゼ以外のティグルフローチェ党の人たちも同意だ。
「……敬語、本当に止めてくださいね?」
◆◆◆
ティグルフローチェ党に対する恩赦が決まるまで、二か月を必要とした。簡単な交渉ではなかった上に、ツェンタルヒルシュ公暗殺未遂事件で王国はやや混乱していて、話し合う時間も、ルシェル王女が思うようには、得られなかったのだ。それでもなんとかユーリウス王の説得に成功。そんなことに頭を悩ませている場合ではないというユーリウス王の思いと、今は一人でも多くの味方が必要という現実的な考えが、ルシェル王女の後押しをした結果だ。
「ツヴァイセンファルケ公国からは何か言ってきたか?」
襲撃を受けたツヴァイセンファルケ公がどう出てくるか。ユーリウス王が今もっとも気になるのは、このことだ。最悪は、いきなりツヴァイセンファルケ公国と開戦という結果になる可能性もある。
「いえ、今のところは何も。王国は襲撃事件に関与していないという、こちら側の説明には耳を傾けてもらえたようですが、それに対する反応はありません」
王国はすぐに外務局を窓口として、ツヴァイセンファルケ公国との話し合いを始めた。まずは王国は襲撃事件に関わっていないという事実を伝え、それに納得してもらうこと。難しい仕事だが、それを続けている。
「結局、襲撃犯は何者なのだ?」
「人相書きを各地に送り、情報を集めておりますが、まだ何の情報も届いておりません」
「そうか……」
五年間、滅多に砦の外に出ることなく暮らしていた者たちだ。人相書きをばらまいても情報など集まるものではない。彼らが何者か知っているのは元ティグルフローチェ党の人たちだけで、その人たちが証言することもない。ようやく手に入れた新しい暮らしを、これまでに比べれば遥かにまともな生き方を、失いたくはないのだ。
「それに恐らくは、王国が関与していない証拠を示しても、ツヴァイセンファルケ公は納得しないと思われます。王国を攻める口実を手放すとは思えません」
「……だろうな」
ツヴァイセンファルケ公の王国への、自分への忠誠をユーリウス王は信じていない。遅かれ早かれ戦う相手。お互いにそう思っているはずだ。今回、相手は開戦にあたって自らの正義を主張する権利を得た。あとはいつそれを行使するかだ。
「それでも話し合いは続けます。王国は襲撃事件に関わっていないという事実を他の諸侯に示す為です」
「分かった。ただいつ開戦となっても構わない準備が必要だ」
ユーリウス王の視線がリーバルトに向く。軍事に関しては軍務卿であるリーバルトの責任だ。
「諸侯の手前、大きな動きは控えておりますが、戦時体制に移行する準備は進めております。ただやはり全方位に備えるというのは無理があり、完璧な準備というのは難しいでしょう」
メーゲリング王国の南は海。そうであっても警戒しないわけにはいかない。特にヴェストフックス公国は多くの船を保有しているとされていて、兵員輸送能力が高い。易々と上陸を許せば、王都まで一気に攻め寄せられてしまうかもしれない。
「……ツヴァイセンファルケ公国とオスティゲル公国のある東の備えは厚くしなければならない。そうなると、か」
「軍事的にはヴェストフックス公国との同盟関係を持ちたいところです。実現すれば西と南への備えを減らすことが出来るでしょう」
ヴェストフックス公国は陸海両方、西と南からメーゲリング王国を攻めることが出来る。ヴェストフックス公国と同盟を結べれば、逆に西と南両方が守られることになる。軍としては、これが理想だ。
「同盟締結の可能性については、どう見る?」
ユーリウス王の視線がまたリベルト外務卿に戻る。公国との交渉は外務局の仕事。リベルト外務卿の管轄だ。
「可能性がないとは思いません。この先のことを考えれば、個人的な恨みに囚われている場合ではないことは分かるはず。ヴェストフックス公国が生き残る為には、どこかと組む必要があります」
「たとえ一時のことだとしてもか?」
「はい。ただそれは王国も同じではありませんか? いえ、王国の場合はそれが望ましい形ですか」
協力して他家を滅ぼした後は、生き残った家同士で戦うことになる。永遠の同盟関係などあり得ない。だが、リベルト外務卿はそういう戦いの在り方は王国に有利に働くと考えている。あくまでも同盟関係を結べたら、の話だ。
「……東を統べることが出来れば、しかも軍を大きく損傷させることなく勝てればか」
メーゲリング王国は中央からその勢力範囲を東に伸ばすことが出来る。一方でヴェストフックス公国は、仮にツヴァイセンファルケ公国とオスティゲル公国の領土を奪うことが出来たとしても飛び地になってしまう。ツヴァイセンファルケ公国とオスティゲル公国との戦いでメーゲリング王国が軍を大きく損耗させてしまい、ヴェストフックス公国の戦力との間に大きな差が生まれてしまわない限り、戦いは有利に進めることが出来るはずだ。
「まずは同盟締結を実現することですが、いかが致します? ヴェストフックス公が王都を訪れた時に話をされますか? それとも領土に帰還したあとにされますか?」
「王都に来た時では何故、駄目なのだ?」
同盟締結は急務であるはず。そうであるからにはヴェストフックス公が即位の儀の為に王都を訪れる機会を逃すのは馬鹿げたことだ。ユーリウス王はそう思う。そう思うが、リベルト外務卿にそんな当たり前のことが分からないはずはないという思いもある。
「王国がヴェストフックス公と同盟交渉を行っているという事実を他家がどう見るかを気にしております」
「他家……ラングハイム家か。ツェンタルヒルシュ公国とも同盟交渉は行う。だが優先すべきはヴェストフックス公国だ。南北を挟まれているツェンタルヒルシュ公国は簡単には動けない」
王国を攻めようとすれば北からノルデンヴォルフ公国が襲い掛かることになる。王国ではなくノルデンヴォルフ公国を攻める選択をされてもユーリウス王は問題ないと考えている。両公国の戦いはそう簡単には決着しない。ノルデンヴォルフ公国が勝つ可能性のほうが高い。王国は北をそれほど警戒する必要はないのだ。
「ツェンタルヒルシュ公国は陛下の申される通りだと私も考えます。すでに同盟交渉は進んでおり、間もなくまとまるようです」
「……いつ私がそのような指示を出した?」
リベルト外務卿は独断でツェンタルヒルシュ公国との同盟交渉を進めた。自分を蔑ろにする臣下のそのような行為は、ユーリウス王がもっとも嫌うことだ。
「ご存じない? なるほど、そうでしたか」
「一人で納得していないで詳しく説明しろ。私は何を知らない?」
ますますユーリウス王の表情が険しくない。自分が知らない何かを臣下であるリベルト外務卿が知っている。こういうこともユーリウス王が気に入らないことの一つなのだ。
「ツェンタルヒルシュ公国とノルデンヴォルフ公国との間で婚約話が進んでいることです」
「……なんだと?」
「ツェンタルヒルシュ公の娘がノルデンヴォルフ公、エルヴィン様に嫁ぐ話が両家の間で進んでいるようです。すでに両家の間で同意されており、あとは婚約式ですか。それが行われるだけと聞いております」
「何故それを隠していた!?」
ユーリウス王がまったく知らないところで進められていた婚約。本当は勝手に話を進めたエルヴィンを怒鳴りつけたいところなのだが、彼はここにいない。怒りをぶつける相手はリベルト外務卿になる。
「とんでもございません。情報を得たのがこの会議の直前であっただけのことで、決して陛下に隠し事をしていたわけではございません。そもそも私は、陛下はとっくにご存じのことと考えておりました」
「……エルヴィンが王都に来るのはいつだ?」
リベルト外務卿の話が真実かは分からない。だが、ここでそれを追求しても時間を無駄にするだけだ。
「……来られる予定はございません」
「なんだと? 理由は!?」
「他家の動きに備える為です。恐れながら、これはすでにご報告させていただいていたかと……」
今はノルデンヴォルフ公であるエルヴィンは、他家に動きがあった場合にすぐにノルデンヴォルフ公国を動かせるように、自領に留まることにしている。これはすでに報告済みで、ユーリウス王も納得していたことだ。
「……ツェンタルヒルシュ公は?」
それをユーリウス王も思い出した。
「順番としては一番最後にしておりますので、予定を無視されなければ、およそ一月後となります」
「そうか」
他家の思惑を、実際に目で見て、耳で聞いて、見極めた上でツェンタルヒルシュ公に会う。他家の状況によっては申し入れられていた婚約を受け入れる。そういう予定だった。まだ一月先。それを知ってユーリウス王の怒りも、向け先を失った感じで、薄れた。
「リベルト卿。まだ気にすべき他家についての話が出ておりません」
今のところは出番がないブルーノ財務卿が口を挟んできた。話が逸れてきて、重要なことが話されていないことに気が付いたのだ。
「そうでした。私が申し上げたかったのはハインミューラー家です。リーバルト卿もすでに把握されているかもしれませんが、オスティゲル公国の軍勢が王都に向かっているようです」
「なんだと!?」
「陛下。落ち着いてください。私の言葉が足りませんでした。軍勢といってもそれほど数は多くないはずです。即位の儀に参加する為に王都に向かっているのですから」
「……即位の儀に……オスティゲル公が?」
そうであってもやはり驚くべきこと。すでに敵意を露わにしているオスティゲル公が王都に来るはずはない。ユーリウス王は、この場にいる重臣たちは皆、思っていた。
「軍でも確認しております。ただ俄かには信じられることではなく、軍勢の数も含めて調べさせております。ただ今得ている情報では数は千ほど。通常の護衛としての数です」
リーバルト軍務卿も情報は得ていた。だが、ユーリウス王に説明した通り、あり得ない情報。真偽を確かめさせている途中だ。
「……どういうことだ?」
反乱を唆したオスティゲル公国もまた反逆罪で裁かれる立場。王都に現れれば、すぐさま拘束し、罪を問うことになる。その結果は極刑、死罪だ。本当にオスティゲル公が王都に向かっているのであれば、それはただの自殺行為という結果になる。
「何を考えているのか、今の段階では分かりません。直接聞かなければ分からないでしょう」
「…………」
分かっていたことだ。様々なことが起きることは。だが、どれもユーリウス王にとっては想定外の事態ばかり。何をどうすれば良いのか以前に、何がどうなっているのかも分からない。
さらにこの先はどうなってしまうのか。ユーリウス王の心に暗い影が広がっていった。