ソルとミストは砦の人間を一人連れて、部隊が待機している場所に戻った。それを見たルシェル王女は、まずは二人が無事に戻って来たことを喜び、交渉がどのような結果になったのかが気になった。降伏勧告を行うことを受け入れ、ソルとミストを送り出したルシェル王女だったが、正直そう上手く物事が運ぶはずがないと思っていた。だが二人は、思っていたよりもずっと早く、無事に戻って来た。しかも一人増えて。それがティグルフローチェ党の人間であることは、聞くまでもなく分かる。相手側の交渉役であるだろうことも。
「近衛特務兵団に入団、ですか?」
交渉が行えることは良いことだ。だが、ソルに説明された条件はルシェル王女には寝耳に水。まったく想定していない条件だった。
「はい。降伏を受け入れてもらうからには、彼らの身の安全を保証しなければなりません。それを実現する方法は、王女殿下の旗下に入ること。つまり、この部隊に加わることです」
「それは、そうかもしれませんけど……」
公式には反乱勢力となっているティグルフローチェ党を近衛特務兵団に入団させる。簡単に受け入れられる条件ではない。
「この部隊にはフルモアザ王国に仕えていた人が何人もいます。今更、少しくらい増えても変わりありません」
「少しくらい……砦にいる人たちの数を聞いても良いですか?」
このルシェル王女の問いは同行してきたティグルフローチェ党の男に向けられたもの。正確な数を把握するには、彼に聞く以外にない。
「軍に入るということですと、二百というところです」
「全員が入団するわけではないのですか?」
「戦えない女子供、老人は、さすがに無理ではありませんか?」
砦の中には戦える男たちだけではない。家族もいる。ひとつの村のようなものなのだ。
「そうですね。そういう人たちもいますね」
その子供や老人、戦う力のない人たちが暮らしている砦を自分たちは攻めようとしていた。その事実をルシェル王女は、今初めて知った。
「団員の家族なのですから、問題ありません」
「はい。その通りです。ただ……問題があります」
家族の話を聞いてルシェル王女は団への受け入れに前向きになっている。実際にそれを行うとなると、気になることも出てくる。
「何でしょうか?」
「彼らは罪を犯しています。その罪を償うことなく、軍に入れることは難しいと思います」
「なるほど……その罪ですが、まず、フルモアザ王国が滅びる時にナーゲリング王国側と戦ったのは不問ということで良いですね? それまで罪に問うとなると、後ろにいる人たちの中にも困る人が出てくるはずです」
「あっ……」
準騎士たちはフルモアザ王国に仕えていた。クリスティアン王子に近衛として仕えていた四人は別として、残りの人たちは戦いに参加していた可能性が高い。これもまた、ルシェル王女は今気が付いた。
ただこれは問題ではない。亡くなったベルムント王もフルモアザ王国の旧臣たちの投降を受け入れていた。司令官などの高い地位にあった者以外は、罪は問われないのだ。
「問題はその後の罪……罰として、しばらく給与なしで働くというのはどうですか?」
結局、ソルがティグルフローチェ党側の交渉役のようになっている。彼としては何とかして、この形で決着させたいのだ。
「無給……確かに強制労働は罰のひとつですけど……」
はたしてティグルフローチェ党が犯した罪は、その程度で償えるものなのか。ルシェル王女はそれに疑問を持っている。
「今回の件は特殊な例。一つ一つの罪を問うことは意味をなしません。あれなら恩赦でどうですか? 新国王の即位にあたって、特別に恩赦を行うということで」
「……それは良い案かもしれません。ただ恩赦は私の一存……いえ、なんとしても兄上に許していただきましょう。まずは近衛特務兵団への入団は私の権限で許可します。その上で罰の軽減を私からお願いしてみます」
さすがにルシェル王女も、兄のユーリウス次期国王が難しい性格であることに気が付いている。自分のことをあまり良く思っていないことも。
交渉は難しいものになる。それでもなんとかして受け入れさせなければならない。ルシェル王女は強くそれを思った。
「条件については分かりました。その条件が現時点では確定していないことも」
「私が必ず兄を説得します」
「はい。そのお気持ちは信じます。ですが、実際に恩赦が与えられなければ我々は罰を受けることになります」
ルシェル王女を信用して、のこのこ王都に付いて行ったら、そこで一網打尽、なんて事態もあり得る。ティグルフローチェ党の安全を、完全に保証出来るのは次期国王であり、実際に恩赦を発するユーリウスだけなのだ。
「先に説得が必要ということですね?」
「はい。そうです」
「恩赦が与えられることが確定したら、降伏、いえ、私たちの仲間になっていただけますか?」
「約束致します。これは砦で暮らす者の総意だと受け取ってください」
この男の言葉は真実なのか。ルシェル王女は疑うことをしない。疑う必要もない。ティグルフローチェ党が裏切れば、せっかく手に入れた恩赦の機会を自ら手放すことになるだけ。仮に近衛特務兵団との戦いに勝てても、次はもっと強力な王国軍部隊が送られてくるだけだ。
「ありがとうございます。私はすぐに王都に戻って、兄の許しを得てきます。それまで待っていてください」
「待つのは構いません。ですが彼は預からせて頂きます」
「ソル殿ですか……」
当然の要求。交渉中の安全を確保するのに人質を求めるのは、当たり前にあることだ。
「じゃあ、私も残る」
ソルだけを残すわけにはいかない。ミストはそう思った、のだが。
「彼一人だけで十分。独断で交渉条件を決め、それを王女殿下に受け入れてもらえる彼は、一人で十分に人質としての価値があります」
「でも……」
「ミストさんには王女殿下の護衛任務があります。王都までの往復に側にいないというわけにはいかないでしょ?」
まだ不満そうなミストをソルが説得する。ルシェル王女を守るという彼女にとって、もっとも優先すべきことを利用してだ。
「……分かった」
ミストも折れないわけにはいかない。
「では殿下。お戻りをお待ちしています」
「……はい。必ず迎えに戻ります」
確かにソルには人質としての価値がある。ルシェル王女の兄を説得するという思いを、さらに強める価値が。
名残惜しそうな素振りを見せながらも、ルシェル王女はすぐに動き出した。一刻も早く王都に行き、兄のユーリウス次期国王を説得しなければならないのだ。ティグルフローチェ党がルシェル王女を信じてくれている間に。
◆◆◆
ルシェル王女たちが王都に向かって出発するのを見送って、ソルはティグルフローチェ党の交渉役と共に、砦に向かった。ルシェル王女がユーリウス次期国王の説得を成功させて戻ってくるまで、ソルは砦で暮らすことになるのだ。
砦の前に到着するとすぐに、入口の分厚くて重い扉が開く。躊躇うことなく、ティグルフローチェ党の男と共に、砦の中に入るソル。
中に入ると老若男女、大勢の人が待ち構えていた。その人たちが見つめる中、砦の奥に進んでいるソルとティグルフローチェ党の男。人々から時折、「小竜公」という言葉が聞こえてくるが、ソルには何のことか分からない。
二人が歩みを止めたのは砦の中央付近にある周囲に比べて、かなり大きい建物の入口。その建物の扉も中から開き、ティグルフローチェ党の男が先に中に足を踏み入れた。それにソルも続く。
「ナーゲリング王国軍? どうやって潜り込んだ?」
いきなりソルにかけられた声は、建物の中にある大きなテーブルの奥に座る男のものだ。
「普通に募兵に応じて」
「それは聞こえていた。私が聞いているのは、王国軍に潜り込んだ理由だ」
相手はソルを知っている。ソルもまた相手を知っている。交渉役の男もそれを知っているので、ミストが同行することを拒否したのだ。
「それが目的を果たすのに一番の方法だと思ったからです。王国にいれば相手のほうから近づいてきてくれる。それが戦場であれば最高だと思って。ちょっと考えが浅かったと今は反省していますけど」
「そうだとしてもナーゲリング王国を守る為の戦いになる」
相手はソルが何をしようとしているかも知っているのだ。
「ナーゲリング王国への復讐は七割がた終わっています」
「……本当にお前がやったのだな?」
ソルの言葉の意味も相手は分かる。ベルムント王が死んだことは相手も知っている。それを行ったのがソルであることも、今、はっきりと分かった。
「ええ。誰も協力してくれなかったので、一人で……生きているのは俺一人で、やるしかなかった」
「……ナーゲリング王国はベルムント王一人を殺せば終わりか?」
その協力しなかったのがティグルフローチェ党。ルナとその家族の復讐を最初からソルは自分一人で行おうと考えていたわけではない。そこまで思い上がっていない。王国に反抗しているフルモアザ王国の旧臣たちの噂を耳にすると、そこに赴き協力を求めた。だが誰もソルの願いを聞いてくれなかったのだ。
「七割がたと言った。だがあとの三割は何もしなくても自滅してくれる。次期国王に王国を統べる器はない」
今のようなやり方をしていては、ユーリウス次期国王は臣下にも見放される。まして彼よりも遥かに老獪な公国主たちに勝てるはずがない。ナーゲリング王国が滅びることは、すでに決まっているとソルは考えているのだ。
「そんな王国に我々も仕えろと?」
「今更、打倒王国もないだろ? そんな気持ちはとっくの昔に捨てたはずだ」
「…………」
ティグルフローチェ党は自分とは違う。縋る思いで伸ばした手を払ったティグルフローチェ党を、ソルは仲間だと思っていない。特に目の前の男は。
「小竜公。貴方はまた我々に協力を求めに来たのではないのか?」
押し黙ってしまった男に代わって、同じテーブルに座る別の男が話しかけてきた。
「……その小なんとかって、俺のこと? 外でも聞こえた」
「そうです。ベルムントへの復讐を果たした貴方は、紛れもなく竜王の息子。我々は小竜公と貴方を呼んでいます」
「……もし、ルシェル王女の近衛特務兵団に入団することになっても、その呼び名は絶対に使わないように」
竜王の息子。そんな呼ばれ方をされては一発で自分が誰か分かってしまう。素性は一部では既に公然の秘密となっているので、百歩譲って構わないが、竜王の子としての生き方を選んでいると知られるのは問題だ。
「分かりました」
「出来たら、その敬語も」
「……気を付けます。話を戻しますが、我々にも残りの者たちを殺す手助けをしろということではないのですか?」
「敬語止めてって言っているのに……違います。俺はもう一人でやると決めました」
今話している男は、ソルが嫌う正面の相手とは少し違う。それは分かるが、だからといってティグルフローチェ党を信用出来るわけではない。ティグルフローチェ党の意向は、正面の男の考え次第。そうであることをソルは知っているのだ。
「協力を望む者もいます。それどころかすでに」
「黙れ! 部外者に余計なことを話すな!」
男の話を遮ったのは正面の男。彼にとって都合の悪いことを話そうとしていたということだ。
「大事な交渉中に隠し事? どうやらティグルフローチェ党は滅ぼされたいらしい」
「我々を騙したのか?」
「こちらは騙してはいない。王女殿下は次の国王の許可を得る為に王都に向かっている。ただ交渉が成立するかどうかが決まっていないだけだ」
「…………」
交渉条件を成立させる為にルシェル王女は動いている。成功の保証がないことは騙しているとは言わない。
「それで? 何を隠している?」
正面の男に鋭い視線を向けるソル。復讐の協力を求めに来た時の、何かしようにもどうすれば良いか分からなくて途方に暮れていた時のソルとは異なる、覇気さえ感じさせる視線だ。ベルムント王をたった一人で殺したという事実が、相手にそう感じさせているだけかもしれないが。
「……王都に向かった者たちがいる」
「何をしに?」
「……即位の儀にやってくる公国主を襲撃する為にだ」
ソルと同じことを考えた人たちが、ティグルフローチェ党にもいた。特別なことではない。復讐を果たそうと思うなら、この機を逃すはずがない。
「何人だ?」
「……十一人だ」
「なるほど……それで……?」
「それで?」
ソルは「それで」の後を続けない。男には何を尋ねているのか分からない。
「お前はどうして、ここにいる?」
さらに覇気、というより殺気を放って男にこれを問うソル。十人の仲間が襲撃を行うとしている。王国打倒、竜王の復讐を大義名分としてティグルフローチェ党を率いている党首のこの男には彼らを助ける責任がある。ソルはそう思う。
「……たった十一人で成功するはずがない」
「そう思うなら何故止めない? それともあれか? その彼らは、お前が王国打倒という大義名分をとっくに捨てていることを誤魔化す為の捨て石か?」
「なんだと!?」
大声で怒鳴りながら椅子から立ち上がる男。威圧するつもりなのだが、ソルはなんとも感じない。かつては大きく見えたその男が、今は矮小に、そして醜悪に見える。実際にそういう男なのだと思う。
「……やっぱり、お前ら滅びろ。戦えない人がいるのは分かっていたから、善意なんてものを見せてしまったけど、無用だった」
ティグルフローチェ党に生き延びる道を示そうと考えたのは、この砦には子供や老人も暮らしていることを知っていたから。それがなければ迷うことなくソルは、この戦いでティグルフローチェ党を滅ぼそうとした。その選択のほうが正しかったと、今は思っている。
「貴様……図に乗るな! 殺されるのはお前のほうだ! 貴様ら! こいつ……を……」
最後まで言葉を発することが出来ずに、男は床に崩れ落ちて行った。
「……えっと」
男を殺したのはソルではない。想定外の事態にソルも戸惑っている。
「小竜公。お前が我らの頭になれ」
これを言う男は、ずっと黙ってテーブルに座っているだけだった男。全身黒づくめ。顔まで黒い布で覆った男だ。
「いやいや、それはない。俺にはやることがある。こんなところに篭ってはいられない。それに、その気があっても誰も認めない」
「そうか……ではティグルフローチェ党は解散だ。解散した上で、お前と行動を共にする」
「近衛特務兵団に入団するという意味なら、どうぞ。最初からそういう話だ」
男の意図がソルには読めない。ティグルフローチェ党の党首だった男を殺したのも、恐らくはこの男。どうやって殺したのか、ソルには見えなかったが。
「その兵団は仮初の居場所ではないのか?」
「俺にとってはそうだ」
「別に俺もティグルフローチェ党全員を従えてくれと言っているわけじゃない。大多数は普通の暮らしに戻りたい奴らだ。王国の軍人になることが普通の暮らしというかは微妙だがな」
それでも雇い主がいて、給料がもらえて、それで家族を養う暮らしは、今よりも遥かに健全であるはず。その道を選択する人は多いはずだ。
「お前は普通の暮らしを望まないのか?」
「普通の暮らしが出来る性質じゃない。だからここに居た。だが、この男は口ばかりで何もしようとしなかった。だからといって一人で出て行くことも、俺には出来なかった」
「どうして? お前には戦う力がある。何を恐れる必要があった?」
フルモアザ王国に仕えていたとしても、それほど執拗に王国に追われるわけではない。滅びたばかりの頃は残党狩りのようなものがあったことは、ソルも知っているが、男にはそれから逃げる力があったはず。今、近衛特務兵団にいる元フルモアザ王国の臣下たちは、皆、無事だったのだから。
「……俺はずっと命じられるままに生きてきた。自分で考えることを許されなかった。一人では何も出来ない」
幼い頃から従順であることを叩き込まれていた。それに疑いを持つことも出来ないほどに。男はそういう育てられ方をされたのだ。
「でもお前は、今、自分で考え、行動を起こした。命じる側の男を殺せた」
「お前こそが本当の命令者だと分かったからだ。だから、俺にはお前が必要だ」
従うべきはソル。男は本能的にそれを理解した。理解した結果、ソルを殺そうとする党首を逆に殺した。
「……別に今、結論を出すことじゃないか。それよりも……」
男との話はあとでいくらでも出来る。その前に、ソルにはやるべきことがある。テーブルの周りを歩き、当主を殺した男の後ろを通り過ぎて、ソルは反対側に移動する。
床に倒れる当主の体の横に跪き、取り出したナイフを、その首に突き刺した。
「……人々を脅して、無理やり従わせていた首謀者は討ち取った。残った人たちには慈悲を。このほうが次期国王との交渉はしやすいか」
ナイフで掻き切った男の首をテーブルの上に乗せる。死んだように見えても、何刻後かには蘇るかもしれない。党首がそういう存在であることを、ソルは知っている。それを防ぐには首を切り離せば良いことも。
バラウル家と同じ、性質が同じというだけで劣るものだが、力を持つ者がいる。世間では眷属と呼ばれている存在だ。
「誰か今の話をルシェル王女に伝えてもらえませんか。出来ればこの首を持って。急いで王都に向かっているでしょうけど、追いつけないことはないはずです」
「貴方はここに残るのですか?」
それであればソルが後を追えば良い。そのほうがルシェル王女は信じてくれるはずだと、交渉役を務めた男は思った。
「俺はここに残っていたことにしたほうが良い。砦を出ることを許してもらえるとしても、他に用があるので」
「用ですか?」
「仲間が王都に向かったのはいつですか?」
ソルの用は、公国主を襲撃する為に王都に向かったティグルフローチェ党の人たちに会うこと。襲撃を止めるのか、協力するのかは今はまだ決めていない。
「……二週間前です。とても追いつけません」
「公国主が王都に来なければ襲撃は出来ない。いや……王都に向かったのは間違いないのですか? 途中を襲う計画とかは?」
「王都だと思います。移動中を襲おうにもその情報を入手する術がないはずです」
「では、まだ間に合うはずです。公国主が王都に来るのはまだ先ですから」
即位の儀そのものはもう間もなく始まる。だが儀式そのものはいくつもあり、何日もかけて行われる。諸侯たちが王都を訪れるのはさらに後。一人一人とじっくりと話をする予定になっていて、諸侯の来訪日はずらされ、過去の即位の儀の何倍もの日数、月単位の期間を予定しているのだ。この任務を終えてから王都に戻っても、襲撃が可能なくらいの期間であることを、ソルは知っているのだ。
「俺も行く」
党首を殺した男が同行を申し出てきた。
「かなり急ぎますけど?」
「足には自信がある。それでも遅れるようなら先に行けば良い。俺は後から追いかけていく」
「……分かった。王都で落ち合う場所は」
「それは後だ。同行したい奴は、俺以外にもいるはずだからな」
男と同じ想いを抱く者は、ソルへの忠誠という点では異なるところはあっても、他にもいる。それを男は、この場にいる者たちは皆知っている。彼ら自身がまずそうなのだから。
結果、党首を殺した後始末を終えて、ソルが三十人ほどのティグルフローチェ党の者たちと一緒に王都に向かったのは、この二日後。ルシェル王女たちに、その後を追った交渉役の男に遅れること二日だ。