近衛特務兵団。ルシェル王女が率いる部隊の名称だ。名称の「近衛」はルシェル王女が指揮官であるから。「特務」は、他の王国軍の部隊と一線を画す意味を持つ。組織としては王国軍の一部隊ではあるが、色々な意味で別物。人によって良い意味か悪い意味かの受け取り方は異なるが、とにかく一緒ではないということだ。
ルシェル王女にとしては特に問題は感じていない。とにもかくにも部隊は存続し、全員が軍に残ることが出来た。王国軍の他の部隊とは距離を置かれることもネガティブにはとらえていない。自分に指揮能力などないと考えているルシェル王女としては、他の部隊と共に任務を行う機会はないほうが良いのだ。足を引っ張ることが分かりきっているから。
「ティグルフローチェ党、ですか?」
「はい。猛虎という意味だそうです」
「猛虎ですか……その猛虎党の討伐が次の任務?」
早速、近衛特務兵団に任務が与えられた。ティグルフローチェ党の討伐。と言われてもヴェルナーには、他の準騎士たちにも良く分からない。詳しい説明はこれからなのだ。
「ティグルフローチェ党は、王国の記録では、反王国の勢力とされています。王国打倒を目的として結成されたということです」
「王国打倒ですか……そうなると数は?」
王国に敵対する勢力。そうなるとかなり大規模な勢力ということになる、とヴェルナーは考えた。
「詳細は分かっていません。二百から四百と想定されています」
だが実態は違っている。かなり幅はあるが、王国を打ち倒せる数でないことは間違いない。
「それで王国打倒ですか?」
ヴェルナーもそう思った。
「ここからが大切な、少し説明づらい内容になります」
「そうだとしても聞かないわけにはいきません」
任務に関わる情報だ。それがどのような内容であっても、聞かないという選択はない。
「加わっている人たちの多くが元フルモアザ王国の関係者とされています。それが数は少なくても、実態は野盗と変わらないことを行っていても、反王国勢力とされている理由です」
「……なるほど。そういうことですか」
フルモアザ王国が滅びてから六年が経とうとしている。だが、まだ抵抗を続けている人たちがいる。実際には、すでにナーゲリング王国と戦う力などないとしても、フルモアザ王国滅亡を受け入れない人たちがいる。それはヴェルナーに複雑な思いを抱かせる。抵抗を諦め、従うことを選んだヴェルナーに。他の人たちも同じだ。
「皆さんが知っている人たちがいる可能性があります」
「その党をまとめている人物は分かっているのですか?」
フルモアザ王国において、それなりの地位にいた人物と考えるべき。少なくとも二百人という数を束ねて、王国に反旗を翻し続けることが出来る人物なのだ。
「いえ、分かっていません。情報を与えられていないだけの可能性もありますけど」
「正しい選択とは思えません。戦闘が始まってから事実を知ることになれば、動揺は抑えきれません。任務の失敗に繋がるだけです」
もし親しい関係にあった相手であった場合、戦うことに躊躇いが生まれるかもしれない。かなりの確立でそうなる。任務を成功させたいのであれば、あらかじめ知らせ、戦う覚悟を持てた者だけを現地に向かわせるべき。ヴェルナーはそう思う。成功させるつもりがあるのであれば、だが。
「……やはり、断ってきます」
「断ることなど出来るのですか?」
「でも……この任務には悪意を感じます」
元フルモアザ王国の関係者同士を戦わせようとしている。もしかすると近しい間柄であったかもしれない人たちを。それを命じてきた王国には、ユーリウス王子には悪意がある。ルシェル王女は、そうあって欲しくないとは思いながらも、そう考えてしまう。
「王国に忠誠を誓っているのであれば、迷うことなく戦うはず。こう考えている可能性もあります」
「それでも皆の忠誠を信用していないということです」
「それは仕方がないのではありませんか? 王国にとって信用ならない相手は我々だけではないでしょう。敵味方を明らかにしたいという考えが生まれるのは当然だと思います」
疑われることは募兵に応じた時から覚悟していた。それでも兵士としてナーゲリング王国に仕えることを選んだのだ。悔しく思う気持ちはあっても、受け入れられないというほどではない。少なくとも、これを言うヴェルナーは。
「……その者たちは、恐らく、何年も前から活動を続けていたはすです。今この時点で、討伐任務を行う理由はあるのですか?」
アルヴィーはヴェルナーほど割り切れていない。年齢の差、というだけでなく、思いの中身の違いだ。ヴェルナーはとにかく戦いを仕事として生きたいと考えて、ここにいる。一方でアルヴィーには、亡くなったクリスティアン王子の想いを叶えるという目的がある。王国を、嫌がらせのような任務を与える王国を守ることは、クリスティアン王子の遺志を継ぐことになるのか。ナーゲリング王国は守るに値する国なのか。こう思ってしまうのだ。
「この時点で討伐任務を行うのは、他の勢力と呼応されるのを防ぐ為と聞いています。王国に反抗的な勢力はいくつもあり、その多くは小規模の集団なのですが、連動されると鎮圧は難しくなってしまうと考えているようです」
「それを唆す勢力もいますか……」
理由としてはアルヴィーも納得できる。王国の支配圏の内にいる反抗戦力を一斉放棄させ、隙を作らせた上で外部から攻め込む。どこの公国であっても考えるだろうことだ。
「十分とは言えないようですが、各地のそういった勢力は王国の監視下にあり、接触する者がいないかを探っているようです。ですが、接触が分かってから討伐に動くのでは遅いということです」
「他の部隊も動くということですか?」
「そう聞いています。今確定しているのは五か所。その五か所に一斉に討伐部隊が向かいます」
どこか一つが討伐されれば、他の勢力は警戒を強める。旧フルモアザ王国に関わる勢力にとっては、竜王弑逆に加わらなかったブルッケル家のヴェストフックス公国以外は、全て敵であるはず。誘いを受けても決断を迷う勢力のほうが多いはずだが、討伐はその迷いを払う結果になってしまう可能性が高い。こう考えての同時討伐だ。
「……分かりました」
任務を与えられたのは自分たちだけではない。それはアルヴィーの気持ちを少し落ち着かせる情報だ。
「敵の数は二百から四百。他に戦力についての情報はないのですか?」
その様子を見て、ヴェルナーは話を進めた。まだ討伐対象について、特に戦力について分かっていることは数くらいだ。
「拠点となっているのは今は使わなくなっている砦です。その者たちに占拠されているので使えないというのが実際だと思います」
「砦に篭った敵ですか……数もほぼ互角か、下手すれば敵のほうが多い。難しい任務になります」
砦に篭った敵を攻めるとなると、三百の味方では厳しい。攻める側は守る側の三倍の戦力が必要と言われるが、数は互角か下手すれば少ないくらい。任務が成功する可能性はかなり低い。
「……やはり、そうですか」
「他に情報はありますか?」
「軍政局から渡された資料はこれです。ただ、私が読んだ限りですが、これ以上の情報はなかったように思います。私が気付けていない重要な情報があるかもしれませんけど」
渡された資料は膨大なものではない。ルシェル王女はすでに全てに目を通している。元々軍人ではないルシェル王女でも、情報が乏しいと思うほどの中身だ。素人だからそう思ってしまった可能性は、彼女としては否定できないが。
「……異能者についてなどは?」
「いのうしゃ、ですか?」
「バラウル家だけが特別な能力を持っていたわけではありません。一族というより個人で、人にはない力を持っている者がおります。私は、フルモアザ王国軍にそういった者が何人かいたことを知っております」
バラウル家が特別なのは、その能力が遺伝するから。正しく伝わっていないが、他人に完全ではないが、力を移すことが出来るから。人とは異なる能力、異能というくくりであれば、そういった人間は他にもいる。ヴェルナーはそれを知っている。
「資料では見つけていません。どういう能力なのですか?」
「魔術使いですとか」
「……それは戦いに役立つ魔術ということですか?」
魔術使いであればルシェル王女も知っている。吉凶を占う人であれば、ナーゲリング王国だけでなく、シュバイツァー家にも仕えていた。有力家であれば、大抵は抱えている能力者だ。
だがヴェルナーが気にしているのがそういう魔術使いではないことは明らか。戦力として彼は気にしているのだ。
「そうです。数は多くはなかったはずですが、フルモアザ王国軍にはそういう者たちがおりました。そしてどうやらナーゲリング王国軍にはいない」
「……異能者たちは、反抗勢力の中にいるということですか?」
「いえ、そうとは限りません。どこかでひっそりと、普通の人として暮らしている可能性もあります。異能を持つからといって戦いに飢えているわけでは……いえ、楽観的な物言いは止めておきます」
ひっそりと戦いを忘れて生きる。ヴェルナー自身はそれが出来なかった。生きている実感が持てず、苦しんでいた。そんな暮らしに耐えられず、戦いの場に戻って来た。ここにいる仲間も似たようなものだ。
そうであれば異能を持つ彼らも戦いの場を求めている可能性はある。特別な能力を戦いに役立てて、他人に認められたいと思う気持ちを、ヴェルナーは否定できない。
「これはご存じですか? バラウル家だけが渡来人ではないということを」
バラウル家は昔からファントマ大陸南部にいた一族ではない。どこか別の場所から海を渡ってやってきた一族だ。南の海岸に上陸し、そこから一気に勢力を広げ、ファントマ大陸南部を征服したのだ。
「いえ、知りませんでした。ただ驚きはありません。常識外れの力を持つ人間というのは、普通にいるものです。渡来人だけがそうではないとも、私は思います」
「そうですね」
征服戦争の詳細な記録は多くない。残っていたとしてもそれは勝者の記録。事実とは違うことが書かれていたり、書かれていない真実があったりするものだ。征服戦争以後、フルモアザ王国が建国されてからの歴史も同様。時の施政者に都合の良いように書かれているものが多い。
では、この時代は後の世にどのように伝わるのか。今を生きる人たちには分からないことだ。
◆◆◆
準騎士の身分を持たないソルは会議には参加しない。参加して欲しいという気持ちがあっても、ルシェル王女の生真面目さがそれを許さない。他の兵士たちの手前、特別扱いをしているようには思われたくないのだ。作戦会議に呼ばなくても助言を求める機会はある。ソルは手に入れた権利、図書室に出入りする権利をきちんと行使している。ほぼ毎日決まった時間に、出て行く時間はその日によって違うが、図書室を訪れているのだ。
ただ、それを知るのはルシェル王女だけではない。
「……王女殿下の護衛は良いのですか?」
「知っているだろ? 今は兵団の作戦会議の時間だ。守ってくれる者たちは大勢いる」
図書室にやって来たのはルシェル王女の侍女兼護衛のミスト。侍女の仕事を本当にしているのかまでは、ソルは知らないが。
「そういう問題? いつ、どこで、どのような相手、どのような状況であろうと警戒を緩めないのが護衛というものではないのですか?」
「それは認める。ただ今日は、より重要な用件を優先させた」
「あれ? 予想外の反応」
嫌味っぽい言葉を返した自覚がソルにはある。以前会った時のミストであれば、間違いなく反発してくるだろう内容。だが彼女の反応は思っていたものではない。普通に返してきた。
「少しはお前を認めた。認めたといっても、一兵士として王女殿下に仕えることを認めただけだからな」
「それで十分ですけど。でも、どういう心境の変化ですか?」
悪感情をこれ以上ないというほど露わにしていたミストが、自分を認めた。何がどうしてそのようなことになったのか、ソルには分からない。
「対抗戦での活躍だ」
ミストがソルを評価するようになったのは、対抗戦での結果を見てのこと。当然といえば当然のことだ。
「ああ……それはちょっと複雑ですね」
「複雑? どういう意味だ?」
「控えめな性格なので」
「……お前が何かを隠しているのは分かる。それを詮索するつもりもない」
何も調べなくてもソルが普通ではないのは分かる。何とか生きてきた孤児が、兵士になった途端に軍事の才能を見せる。生まれ持った才能というものをミストも否定するつもりはないが、それだけで説明出来るものではないと思うのだ。
「ミストさんの立場だと詮索するべきだと思いますけど、まあ、それでお願いします」
「お前が何者であろうとかまわない。ルシェル様を守ってくれるのであれば」
「……それは過大評価というものです」
分かりました、とはソルは言えない。今ここにいる理由のひとつにはベルムント王の頼みもあることは確かなのだが、それはソルの一番大事な目的ではない。もっとも大切な目的を果たす為にルシェル王女を殺す可能性もある。具体的に考えているわけではないが可能性がある以上は、ミストに約束は出来なかった。
「過大評価でも何でも良い。私と一緒にルシェル様を守ってくれ」
「どうしてそんなことを頼むのですか? 王女殿下に何か具体的な危険が迫っているのですか?」
ソルはそう考えていない。命の危険を感じるような脅威は、任務以外では、ないと思っている。ミストがこのように改まって頼むような状況ではないはずなのだ。
「そういうわけではない。ただ私は、あの方の恩に報いたいだけだ」
「恩ですか……」
ミストの個人的な事情。そうであることは分かっていたが、恩というのが分からない。分からないままだろうと、ソルは思ったのだが。
「私は、私の一族は人以下と周りに見られている。そんな中でも私は、何の力もない、生かされる価値のない存在だ」
「…………」
だがミストはその個人的な事情を話し始めた。ソルに知られることに抵抗はないのだ。この話は王国のそれなりの立場にある人々にとっては常識。ミストにとって、隠すことではない。
「殺されるか、使い捨てにされるか。いずれにしても長生き出来なかったはずの私を、ルシェル様は救ってくださった。私に生きる場所を与えてくれた。だから、私の命はあの方の物なのだ」
「……その気持ちは分からなくもないですが」
頼る者など誰もいない。今日を生き延びても明日は分からない。そんな日々だった。そこから救い出してくれたのはシュバイツァー家、だと思ったが、そうではなく自分は使い捨ての道具として拾われただけだった。ソルに生きる場所を与えてくれたのは、将来に期待を持たせてくれたのは、偽りの婚約者だったはずのルナ王女。彼女の父親、兄だった。
「だったら!」
「私が恩を感じている人は別にいます。優先すべきは何よりも、自分の命よりもその人のこと。だからミストさんが望む答えは返せません」
「…………」
自分の命よりも大切な恩がソルにもある。それを聞かされると、ミストも強く言えなくなってしまう。
「……だから、そういう時が来るまでという条件で」
「えっ?」
「兵士として仕えている間、自分の上司を守るのは当然です。その為に全力を尽くすことも仕える者の義務です。これで良ければ」
同じ想いを抱くミストの願いを、ソルも無碍には出来ない。出来る範囲で約束することにした。
「……ありがとう」
「いや、ミストさんに御礼を言われるようなことではありませんから」
ソルはミストを騙している。ルシェル王女の父であるベルムント王を殺したという事実を隠し、味方であるような顔をしているのだ。何も知らない、復讐とは関係のないミストに御礼を言われると、罪の意識に胸が痛くなってしまう。
「私の御礼は安くないからな。今、お前が思っている以上に頑張ってもらうからな」
「ずるい……じゃあ、聞きますけど、ミストさんの思っている以上の活躍をしたらどうなるのですか? 口でいう御礼くらいでは終わらないですよね? スッゴい御礼をしてもらえるのですよね?」
こういう展開のほうがソルとしては気が楽だ。お互いに相手を利用する。ソルにミストを利用するつもりはないが、そういう関係だと思っているほうが、心が軽い。
「……ば、馬鹿か。わ、私は、私はそんな軽い女では……」
「……えっ?」
ただ、ミストの反応はソルの想定外だった。
「……私が欲しければ、敵の大将を討ち取るくらいの手柄をあげてみせろ。そうしたら少しは考えてやる。考えてやるだけで、約束じゃないからな」
「……ああ……ありがとうございます」
想定外過ぎる展開にソルもどう反応して良いか分からなくなる。ソルに分かるのは、恥じらいで顔を真っ赤にしながら強がって見せるミストは、とても可愛らしい魅力的な女の子であるということ。ルナという大切な存在がいるのに、そう思ってしまう自分はどうしようもなく駄目な男だということだ。