勝敗が決したあとは講評。といっても今回の対抗戦ではリーバルト軍務卿と、わざわざ対抗戦の様子を観戦しにきたユーリウス王子に結果を報告するだけで終わりとなる予定だ。王国騎士の頂点に立つディートハルトの戦いぶりを批評出来る者は王国軍にはいない。まして敗因を指摘するなど畏れ多くて出来るはずがないのだ。
仏頂面で座っているユーリウス王子と、こちらは感情の見えない表情のリーバルト軍務卿の前に、直立姿勢で立ち続けているディートハルト。叱責を受けているわけではない。まだ報告は始まってもいないのだ。
「ごめんなさい! 遅くなりました!」
大声で謝罪しながら現れたのはルシェル王女。報告が始まらなかったのは彼女を待っていたからだった。
「……勝利に浮かれて、周りに迷惑をかけるな」
「ごめんなさい。勝てたことが嬉しくて、つい」
ルシェル王女が遅れたのは部隊の皆と勝利の喜びを分かち合っていたから。あまりに嬉しくて、終わってから講評があることを忘れていたのだ。
「さて、正直まさかの結果だったな」
ここで兄妹喧嘩を始められてはたまらない。そう思ったリーバルト軍務卿は強引に講評を始めることにした。
「不甲斐ないところをお見せして申し訳ございません。どのような罰もお受けする覚悟は出来ております」
絶対に負けるはずのない戦い。誰もがそう思っていた対抗戦で負けたのだ。口だけの覚悟ではなく、本当にディートハルトは処罰を覚悟している。
「演習で負けた側をいちいち罰してなどいられない。失敗から学ぶことのほうが大きいとも言う。本番で反省を活かし、期待に応えてくれれば、それで良い」
不機嫌そうなユーリウス王子に口を挟む間を与えることなく、リーバルト軍務卿は罰を与えないことを告げる。確かにあり得ないはずの敗北は問題視すべきことだが、他家との争いが始まるだろうこの時に、王国最高の騎士であり司令官であるディートハルトを処罰するのは避けたい。このようなことで軍の士気を落とすわけにはいかないのだ。
「ご期待に沿えるように、これまで以上に全てを尽くしてまいります」
ディートハルトも処罰を受けないで済むのであれば、そのほうが良い。責任は感じているが、軍務から離れなくてはならなくなるような処罰は受けたくない。責任放棄となってしまうと考えているのだ。
「最高の騎士が最高の部隊を率いて、素人の王女に負ける。こんなことはあり得るのか?」
「頼む」ではユーリウス王子は終わらせてくれなかった。それはそうだ。王国最高の騎士であり、司令官であるはずの者が、素人に負けたのだ。何もないままに終わらせられるはずがない。
「それは……自分の不甲斐なさを恥じるばかりです」
「最高の騎士でもなく最高の部隊でもないから負けた。そういうことだ。いっそのこと、ルシェルと地位を入れ替わるか? 勝ったほうが上に立つのは当たり前のことだ」
「…………」
反論の言葉をディートハルトは持たない。反論出来るものではない。敗者の反論はただの言い訳。それこそ最高の騎士と呼ばれるに相応しくない行いだ。
「絶対の勝利なんてあり得ません」
「なんだと?」
ユーリウス王子に反論したのはルシェル王女。結局この形に戻ってしまった。
「負けるはずのない側が負けた例なんて、過去にいくらでもあります」
「勝者の憐みか? ディートハルトにとっては侮辱だな」
よせばいいのにルシェル王女を挑発してしまうユーリウス王子。ルシェル王女がその挑発に乗ってしまうからではない。そのような態度は、ユーリウス王子の感情の幼さが強調されるだけだからだ。
「私は戦いに絶対はないという常識を言っているだけです。それと敗因、いえ、私たちの勝因であれば、はっきりしています」
「……何だ? 言ってみろ」
まさかの結末。ルシェル王女はそれには原因があると言っている。ユーリウス王子も気になる話だ。
「現場指揮官の差です。サー・ディートハルトは中隊長クラスに若い騎士を選びました。一方で私たちの現場指揮官は中隊規模であれば経験豊富な人たちです。それが部隊の動きに差を生み出し、私たちの勝利に繋がったのだと考えています」
もっと言えば、ルシェル王女の部隊の準騎士の何人かは実戦経験もある。生死を賭けた戦いの場で部隊を指揮していた経験がある。その差は大きかった。
「ひとつ教えて頂いてよろしいか?」
ユーリウス王子が何か言う前に、ディートハルトが質問を投げてきた。
「何でしょうか?」
「もしかして、こちらの動きを、いや、その場その場での判断の早さの差か。後手をとられているようで、殿下のほうが先に動いていたのですな?」
中央が押されたから慌てて左翼を動かした。そう見えていたが、実際にはそれが最善と判断して部隊を動かし、それによって手薄になった左翼のカバーにも素早く本陣を動かしていた。ルシェル王女の言う現場指揮官の差は、そういうことだとディートハルトは考えた。
「それについては私からは、なんとも申し上げられません、現場の人たちの判断ですから」
「そうですか……では、我が方の左翼を突破したのは、どのような作戦で?」
左翼は同数で戦って、正面から突破された。それは現場指揮官の能力だけでどうにかなることではないはずだとディートハルトは考えている。
「それは……サー・ディートハルトの部隊に対抗できる精鋭を集めた結果です」
「彼らですか……彼らはずっと右翼に?」
もしそうだとすると、精鋭とされる者たちが抜けた部隊にディートハルトの部隊は苦戦していたことになる。それはそれで驚きだ。さらにルシェル王女が言う現場指揮官は彼らではないということにもなる。
「いえ途中からです。最初は中央にいて、左翼をその中央に寄せて戦いが優勢になったところで、右翼に移動したはずです」
「……その作戦を殿下が」
現場指揮官の判断だけではない。その流れを最初から予想していた、もしくは意識して作ったということ。司令官としてのルシェル王女が優れていたということだとディートハルトは考えた。
「いえ、皆で考えてくれたのです」
「しかし、最後は。恐らくは精鋭が抜けた部隊で殿下はこちらの攻撃を耐え続けていた。そうではないですか?」
ルシェル王女がいた右翼の戦いには、精鋭とされた者たちはいなくなっていた。数もほぼ互角。それでルシェル王女は、ディートハルトが討たれるまで耐え続けて見せた。部下を鼓舞し、戦い続けてみせた。それも司令官、指揮官としての才能だ。
「私なんて。ただ頑張れ、頑張れと言っていただけです。それに応えてくれた皆のおかげです」
「兵たちを頑張らせるのも指揮官としての才能です」
「いえ、本当に私の力ではありません。そうですね。もし、皆を支えてくれた何かがあるのだとすれば、それは……」
ルシェル王女は振り返って、部隊の皆がいる場所に視線を向けた。まだ勝利の興奮冷めやらぬといった様子の仲間たち。気持ちが高ぶり過ぎた何人かが、荒々しく可愛がっているのは黒髪の男。ソルであることは、顔が見えなくても分かる。
「……それは?」
「それはきっと、耐え続けていれば必ず勝利をもたらしてくれる。そう信じられる存在がいたからだと思います」
我慢し続けていれば、どれだけ苦しくても耐え続けていれば、ソルが必ず何とかしてくれる。ルシェル王女自身がそう思って、前線で声を上げ続けていた。ソルはその期待に応えてくれた。
「その存在というのは?」
「……サー・ディートハルトが今回、私たちに勝利を譲ることになったのは部下の指導を、王国軍がさらに強くなることを優先した結果。どうしてそれを責められるでしょうか? 兄上。兄上は良い臣下を持ちましたね?」
ディートハルトの問いに答えることなく、ルシェル王女はユーリウス王子に向かって、話しかけた。
「……そうだと良いが」
いきなり話を振られたユーリウス王子は良い嫌味、という表現は微妙だが、を思いつくことも出来なかった。
「間違いなくそうです。さて、私はそろそろ皆のところに戻って良いですか? こうしていると除け者にされているみたいで悲しくなりますから。では」
ユーリウス王子の返事を待つことなく、ルシェル王女は振り返って歩き出す。引き留めても止まることはないだろうことは明らか。皆、無言でその背中を見送ることになった。
「ユーリウス、いや、もう改めるべきだな。陛下、ルシェル殿下が貴方に悪意を持つことはあり得ません。陛下が信頼を向ければ、その何倍もの誠意で返してくれる。そういう人物だと私は思います」
ユーリウス王子に対する態度をいきなり改めたリーバルト軍務卿。彼の悪感情は、自分の立場を脅かされることへの恐れ。自分を認めない者たちへの敵意。そういうものだと考え、臣下であることを示そうと考えたのだ。
「…………」
「敵は内ではなく、外におります。その外の敵との戦いに勝つこと。今はそれを考えましょう」
「……分かっている」
◆◆◆
王都から遠く離れた北の大地。さらに北にもファントマ大陸は続いているが、東西に連なる高く険しい山々が、南北を完全に隔てている。勇気ある冒険者が新天地を求めて山脈を超えた、なんていう話は、ほぼおとぎ話。実際にそういう人物がいたとしても、大陸北部から帰還したという実例は伝わっていないのだ。
シュバイツァー家は,まだ多くの小豪族が割拠していた昔から、この地に根付いていた。周囲の豪族との争いに勝ち残り、徐々に勢力範囲を広げ、やがて北部では最大の領地を統べる一族となったのだ。
バラウル家による征服戦争では、南部で他家が次々と敗北を喫する様子を知り、抗うことなく従うことを選んだ。それを屈辱と思う者もいたが、土地を守ることを優先した選択。結果として領地を削られることなく、ノルデンヴォルフ公という地位を得て、フルモアザ王国の重臣となれ、王国が滅びた後も公国として存続しているのであるから、正しい選択だったのだ。
そのノルデンヴォルフ公国の都ヴォルフスネストに新しい主が到着した。王都からやってきたエルヴィン王子だ。
「よく戻った。道中、問題はなかったか?」
エルヴィン王子を迎えたのは彼にとって祖父、先先々代のノルデンヴォルフ公であるアードルフだ。
「はい。何事もなく。お久しぶりです、お祖父さま。お元気そうで何よりです」
祖父のアードルフはエルヴィン王子にとって緊張を強いられる相手。物心ついた時から威厳のある、子供の感想で言うと怖いと思う老人で、その印象は今も変わっていない。
「お主に全てを任せるまでは元気でおらないとならないからな」
「ありがとうございます。ご指導よろしくお願いします」
ありがた迷惑、という思いもエルヴィン王子の心にないわけではないが、それ以上に何も分からない自分がこの土地で上手くやっていくには、祖父であるアードルフの支援を得なければならないという考えのほうが強い。
「お主はすでにノルデンヴォルフ公。この国の主だ。この地とここに暮らす者たちの為に力を尽くすのだぞ?」
「はい。兄上と力を合わせ、シュバイツァー家を守ってまいります」
「兄のことは忘れろ」
「……えっ?」
まったく想定していなかった言葉。エルヴィン王子は自分の耳を疑うことになった。
「大切なのはこの土地を守ること。南のことなど考える必要はない」
「しかし……王国はこれから大変な状況に……」
ナーゲリング王国はこれから厳しい状況に追い込まれる。他家との戦いが始まるのだ。その戦いに勝ち抜く為には王国とノルデンヴォルフ公国が協力して、事にあたる必要がある。エルヴィン王子は王都でこう言われてきたのだ。
「良いか? お主の父は縁もゆかりもない土地と人の為に国王なんて地位に就き、北の大地を蔑ろにした結果、死んだのだ。愚か者の真似をするのもまた愚か者。お主は同じ道を進んではならん」
「それは……しかし、兄上は?」
エルヴィン王子には、アードルフは兄であるユーリウス王子を見捨てろと言っているように聞こえる。さすがにそれはないはずだと考えた。
「あれも愚かな父親と同じだ。ナーゲリング王国などほおっておいて、この地に残れという忠告に耳を貸すことなく、出て行った。そもそもあれは、父親が死ぬ前から王国のことばかり考えておった。自分の立場を忘れて」
「……そうでしたか」
祖父のアードルフは、自分の息子ベルムントと孫のユーリウスを嫌っている。これは間違いないことだとエルヴィン王子にも分かった。分かってしまうと、下手なことを言えなくなってしまう。自分まで嫌われるわけにはいかないのだ。
「お主は何よりもこの北の大地とこの土地の人々、家臣たちを大切に考えて、政を行うのだ。そうすれば皆がお主を支えてくれる」
「……もしかして、兄上はそうしなかったのですか?」
あえてアードルフが、くどいくらいに「北の大地とそこで暮らす人を大切に」と言うのは。先代のノルデンヴォルフ公である兄ユーリウスがそうしていなかったから。エルヴィンはそう思った。
「さっき、そう言った。あれはノルデンヴォルフ公という地位を、ナーゲリング王になるまでの腰掛くらいに考えていた。そんな主に誰が従う?」
ノルデンヴォルフ公としてのユーリウスは公国の統治に失敗していた。特に何かが起きたわけではないが、多くの家臣が彼を主として認めていなかった。それがまたユーリウスに周囲の者たちへの不審を強め、さらに溝が深まる。そんな悪循環だった。
「そうでしたか……」
エルヴィンの顔に笑みが浮かぶ。アードルフほどではないが、エルヴィンもユーリウスが嫌いだ。元々、兄弟であっても距離を感じていた。常に見下されている感じがしていたが、ここに来る前にユーリウスと会って、その思いは強くなった。弟である自分を臣下として見下しているのが、はっきりと分かった。
そのユーリウスがノルデンヴォルフ公として上手くやれていなかったという話は、エルヴィンにとって楽しい話なのだ。
「お主は父と兄のようにはなるな。分かったな」
「はい。胆に銘じておきます。ところでお祖父様。さっそく相談させて頂きたいことがあるのですが?」
アードルフの話を聞いて、ずっと悩んでいた事柄が、そうでもなくなった。アードルフであれば、あっさりと結論を出してくれる。それも自分が望む結論を。エルヴィンはそう思って、早速相談することにした。この行為は、すでにナーゲリング王国のことを忘れている、とまでは言わなくても、気にしていないということだ。