今日も会議の間では、重臣たちが集まって会議が開かれている。四卿会議ではない。四卿以外に情報局長フリッツ、軍政局長のローマン、さらに騎士のバルナバスまで出席している会議だ。その出席者の面子で、軍事的な話し合いが行われているのが、分かる人には分かる。バルナバスではなく、同じ騎士でも重臣たちが好む上品な騎士が参加するのが、過去の会議では常だったが。
バルナバスが会議に参加しているのは、これまで参加していた騎士が不在だから。そして、この会議が開かれているのにも、その騎士が不在であることは少し関係している。
「状況を一から説明してもらえますか?」
「承知しました。では説明いたします」
外務卿であるリベルトの求めに応じて会議テーブルに近づいたのはフリッツ情報局長。会議の間にある会議テーブルには、かなり広いテーブルなのだが、国王と四卿以外の席はない。エルヴィン王子は招待者として席を用意されていたが、招待されてこの場にいるのではなく、命じられて参加しているフリッツ情報局長とローマン軍政局長、バルナバスの三人は立ったままだ。
「争いのきっかけは両家の領地を流れる用水路の権利、正確には用水路を流れる水の問題です。以前から揉め事はあったようですが、ハイン家の用水路が雨の影響か、一部壊れ、水の流量が一気に減ったことで今回の争いに発展しました」
「農業用水を巡る争いか。良く聞く話だな」
農業用水の管理は内務卿の下にある農務局の管轄。内務卿であるルーカスは、この手の話を何度も聞かされていた。
「はい。良くある揉め事です。ですが、ここまでの争いに発展したことは、過去の事例を探しても珍しいのではないでしょうか?」
「……争いの状況は?」
良く聞く話で終わらせられる事態ではない。ルーカス内務卿もそうであることは分かっていたのだが、フリッツ情報局長の問いが自分の考えの甘さを指摘しているように聞こえて、途端に不機嫌な表情に変わった。
「外務局が仲裁に入ったことで一旦、収まったと見えたのですが、フーバー家は納得していなかったようで軍勢を出して用水路の一部を占拠しております」
「占拠? それはどういう状況だ?」
両家が軍勢を出して、一触即発の状況。ルーカス内務卿が事前に聞かされていた状況はこうだった。速報を伝えてきただけと理解し、実際の状況は少し違うのだろうと想像していたが、占拠という言葉がイメージさせるのは、その想像の範囲を超えていた。
「言い方を変えますと、ハイン家の領地の一部を占拠している状況です」
「すでに戦闘が行われたと言うのか?」
「いえ。ハイン家が大事になることを避けようと部隊を引いた結果です」
諸侯同士の争いは、理由がどういうものであれ、双方が罰を受ける可能性が高い。争いになった原因がどちらにあろうと両家が争い、王国の平穏を乱した罪は同じという理屈だ。そういった双方に厳しい対処をとると定めておくことで、諸侯同士の軍事衝突という最悪の結果を回避させようという思惑もある。
「フーバー家は何を考えているのだ?」
「それが私への問いであれば、答えは、分かりません、です」
「独り言だ」
不機嫌さを隠すことなく顔に出して、これを言ったきり黙り込むルーカス内務卿。
「……フーバー家は外務局に対して事態の解決を求めてきました。要請に応じて、再度、人員を派遣しましたが、今度は聞く耳を持ちません。悪いのはハイン家のほうと言い張っております」
話を続けたのはリベルト外務卿。ルーカス内務卿が黙ったところで、一気に状況説明を終わらせようと考えている。議論すべきことは、その後にあるのだ。
「軍事的な解決となるのか?」
外務局の仲裁では事が収まらないとなると、次は軍事的な解決。王国軍による鎮圧ということになる。リーンバルト軍務卿はその可能性を考え、問いを発してきた。
「結論から申し上げるとそうなります。この事態については、王都に向かっているユーリウス殿下にお伝えしており、伝書鳩によって届けられた書面ですが、ご命令がすでに届いております。内容については情報局長、お願いします」
ユーリウス王子はツェンタルヒルシュ公国をようやく抜けることが出来、王都に向かっている。多くの軍勢と共に。次期国王だからという理由だけでなく、その軍勢が同行しているということで、この事態について伝えたのだ。
「はい。王都にいる新設部隊に鎮圧させよというご命令が届いております」
「新設部隊? そのようなものは……まさか、新兵たちのことか?」
部隊の新設を許した覚えはない、と思ったリーンバルト軍務卿だったが、すぐにルシェル王女の企画により募兵された者たちのことではないかと気付いた。
「その、まさか、のようです」
「あれは部隊と呼べるようなものではない。部隊配属前の新兵たちの集まりだ」
三か月の訓練を終えて兵士となった彼らは、この先、すでにある部隊に配属されることになる。新兵だけで新たに部隊を作るなんてことはないのだ。
「私は存じ上げないのですが、ユーリウス殿下とルシェル殿下は仲がよろしくないのですか? リーンバルト卿であれば、お分かりでしょうか?」
「……ルシェルが募兵したのが気に入らないから、無理な命令を発したと?」
リベルト外務卿の問いの意味をリーンバルト軍務卿は正しく理解した。ユーリウス王子はルシェル王女の企画で集まった兵士たちを使い捨てにしようとしているのではないか、という意味を。
「私はお二人のご関係について、お尋ねしただけです」
ユーリウス王子に後々知られて、怒らせるような発言を残すつもりはリベルト外務卿にはない。
「……私も分からん。しかし、ユーリウスは新兵のことまで知っているのか?」
「エルヴィン殿下でしょう。自ら話したのか、聞かれたから話したのかは分かりませんが」
エルヴィン王子はユーリウス王子と入れ替わりに北に、ノルデンヴォルフ公国に向かっている。当然、二人は会い、話をしたはずだ。兄弟としての話だけではなく、王都の状況についてなども。逆にユーリウス王子からはノルデンヴォルフ公国の状況が伝えられたはずだ。ユーリウス王子とエルヴィン王子の仲が険悪でなければ、だが。
「あまり深く詮索するべきではないのだろうが、王女という立場で募兵を行ったという事実が、無用な誤解を生んだのかもしれないな」
この件については深く追求するべきではない。そう考えているリーンバルト軍務卿だが、一つの可能性について口にした。無用な誤解ということを他の者たちに伝えたかったからだ。ルシェル王女には玉座への野心などない。そうであることを他の者にも認識させたいのだ。
「今、考えるべきは受け取った命令をどうするかですね。リーンバルト卿のお考えは? 議論から逃げるつもりはありませんが、最終的には軍務卿である貴方がお決めになることです」
ユーリウス王子はまだ王ではない。四卿に命令する権限はない。だが命令を無視するという選択は勇気がいることだ。ユーリウス王子が国王になることは決まっている。命令を無視すれば、そのことで今の地位を失うことになるかもしれない。
「……フーバー家の軍勢の数は?」
リーンバルト卿は無条件で命令を受け入れるという選択はしなかった。そういう振りをしているだけかもしれないが。
「およそ三百です」
「ほぼ全軍か?」
小領主の軍勢の数は、徴兵を行えばまた違ってくるが、常備軍となるとその程度だ。領内の治安維持が仕事。狭い領地であれば、実際に部隊が出動することなどなく、日常警備くらいしか仕事はなかったりする。警備も未然に事件を防ぐという意味で重要な仕事ではあるが。
「そう考えております」
「領地を空にして、他家の領地に……まあ、良い。新兵の数は五百。数では上回っている。問題は質か……バルナバス、どうだ?」
バルナバスがこの場に呼ばれているのは、この為。新兵の訓練を何度もその目で見ているバルナバスに意見を求める為だ。その先もあるが。
「三百の領主軍に勝てるかという質問であれば、勝てます」
「なんだと?」
バルナバスは勝てると断言した。尋ねたリーンバルト軍務卿が思っていた以上に、はっきりと。
「指揮官となる騎士を何人かつけてという条件付きですが」
「本当に大丈夫なのだな?」
「卿は彼らをかなり高く評価していたと自分は認識しておりましたが?」
そのリーンバルト軍務卿が質を疑うのはおかしい。さすがにバルナバスも、ここまではっきりとは言葉にしない。
「……ではバルナバス。お前が率いて現地に向かえ。行って鎮圧してこい」
「ご命令とあらば」
バルナバスに驚きはない。この場に呼ばれた時点で、予想出来たことだ。さらに話を聞いていて、何故、自分なのかもなんとなく分かった。任務に失敗すれば責任を問われる。成功してもユーリウス王子に睨まれる。そういう損な役回りを自分に押し付けようとしているのだと。
だからといってバルナバスに命令を拒否するつもりはまったくない。両軍合わせても千に足りない小規模とはいえ戦場が、実戦が待っているのだ。
◆◆◆
出撃の準備が慌しく整えられている。遅くともユーリウス王子が王都に到着する前に、出撃しておかなければならない。同行している王国軍が到着すれば、わざわざ新兵に任務を与える理由はなくなる。そういう事態は、ユーリウス王子が望んでいないことを、重臣たちは理解しているのだ。
ユーリウス王子の想定していなかった一面。それを知って、心を暗くしている重臣たち。エルヴィン王子を北に送り出しておいたことが、救いと言えば救いだ。王都で継承争いなど、それがユーリウス王子からだけの一方的なものであったとしても、彼らは望んでいないのだ。
「どうして、このようなことになったのですか?」
一人、新兵を出撃させることに納得していないのはルシェル王女だ。
「他に事態に当たれる部隊がいない。軍のほとんどはユーリウスを迎えに行っているのだ」
それも、長くてもあと二週間あれば、確実に王都に戻っている。この情報をルシェル王女に伝えるつもりは、リーンバルト軍務卿にはない。ユーリウス王子が気に入らない部隊をすり潰そうと考えているから、なんてことは口が滑っても言えない。
「……私も同行します」
「無用だ」
「でも」
「ルシェル。お前が同行すれば、お前を守る為に人を割かなければならない。戦いに参加出来る数が減ってしまうのだ」
ルシェル王女が同行を求めてくることは予想出来ていた。彼女には、リーンバルト軍務卿から見れば子供の遊び程度のレベルだが、戦う力がある。剣を使えるし、馬にも乗れる。陰で、じゃじゃ馬姫と呼ばれる理由だ。多くの人は愛嬌として受け取っているが。
「……護衛はいりません」
「お前がそう言っても、護衛は行われる。自分がそういう存在であることは分かっているはずだ」
万一、ルシェル王女に何かがあれば、勝敗に関係なく部隊の人間は処罰を受けることになる。本人が無用だと言っても、護衛を張り付けないわけにはいかないのだ。
「…………」
「バルナバスは勝てると断言した。あれは嘘は言わない男だ。本当に勝てると思っているのだ」
「サー・バルナバスが……そうですか」
安堵の思いが心に浮かんだ。バルナバスが見栄をはるような人物ではないことを、ルシェル王女も良く知っている。それが戦いに関わることであれば、絶対だ。
「……関係ない話だが、ルシェルはユーリウスとは仲が良かったのか?」
「兄上とですか? あまり印象はないです。エルヴィン兄様とはよく喧嘩していた記憶はありますが、ユーリウス兄様とはそういうことはなく、だからといって仲が良かったわけではなくて、距離があった感じです」
エルヴィン王子とは喧嘩ばかり。そうであってもユーリウス王子よりも、ずっと距離は近かった。ユーリウス王子に対するルシェル王女の印象は良くも悪くもなく、薄いだ。あとで振り返るような想い出はなかった。
「そうか……年も少し離れていたか」
そうであれば尚更、小さな妹を可愛がったりするものだが、これもあえてルシェル王女に言う必要はない。
「兄上とも、もう五年振りですか……会えるのが楽しみです」
「そうだな」
接する機会が増えれば、ユーリウス王子の誤解も消える。家族を大切に思う気持ちが強いルシェル王女に、兄を差し置いて国王になろうなんて野心があるはずないことが分かるはず。リーンバルト軍務卿はそう思った。そうであって欲しかった。