ナーゲリング王国の都ドラッケングラブの北門を抜け、二刻ほど馬を駆けさせたところで東に逸れ、さらに二刻。支道が途切れた先に、その森はある。『腐死者の森』と呼ばれるそこはその名の通り、死者、アンデッドモンスターが跋扈している場所。王都から四刻程度の場所に、どうしてそのような物騒な場所があるのかと言われるが、存在しているのだからしようがない。
腐死者の森に近づく人など、財宝があるという噂を信じた命知らず、もしくは愚かなだけの冒険者くらい。アンデッドモンスターが森を出ることはない、とされていたので、命が惜しい人は近づかなければ良いだけだった。
だが、また一人というより一体、この森に死体が増えようとしている。この場には不似合いな豪奢な鎧だったもので身を固め、全身を何本もの剣で串刺しにされているその死者候補は、事もあろうにナーゲリング王国の国王ベルムントだ。
「……見事だ。どうだ? 私の娘の婿にならないか?」
今にも死にそうという状態とは思えない、はっきりとした口調でベルムント王は目の前の若い男に問いかけた。
木々の隙間からわずかに差し込む日の光が、相手の顔半分を照らしている。光の加減で青とも赤とも見える不思議な瞳。その瞳がベルムント王の記憶をわずかに刺激するが、呼び起されたものはない。
「命乞いですか? 意外と往生際が悪いのですね?」
「往生際は悪くない。私は死ぬ。命乞いにはならない。違うか?」
「……有名無名ごちゃまぜですが、竜殺しとされる剣をそれだけ受けたのですから。それで死ななくても、きっちりと首を落としてさしあげます」
この黒髪の若い男こそが、ベルムント王をこのような状態にした張本人。とどめをささないでいるのは、話したいことがあるからだ。
「それでどうだ? 婿になるか?」
「本気で言っているのですか?」
「本気だ。今、私が死ねばナーゲリング王国は、北の領地も他家の草刈り場になる。家を守るためには力ある存在が必要だ」
ナーゲリング王国は建国してまだ五年。建国時の経緯から絶対的な権力は確立していない。今、国王が亡くなれば、王国の存在する意味そのものが失われ、他家、王国を囲む四公国が争って領地や権益を奪おうとするはずだ。
「今更です。そうなることは決まっていました」
ここでベルムント王が死ななくても、そう遠くないうちにナーゲリング王国で力を持つ五家による覇権争いが始まる。ナーゲリング王国は建国時から短命であることが決まっていたのだ。
「……そんなことも理解しているのか。ますます婿にしたくなったな」
「やっぱり、分かっていないのですね? 私は貴方の娘、ルシェル王女とは結婚出来ません」
「私は何を分かっていない?」
ベルムント王の顔が、すでに苦し気な表情ではあるが、さらに歪められる。男の言葉の意味が、自分が見落としている何かが、分からないのだ。
「私とルシェル王女は姉弟です。書類だけで血の繋がりはまったくありませんけど。覚えていないのも当然ですか。義理の父である貴方と会ったのは確か、二度くらいです」
「……生きていたのか?」
男の言葉でベルムント王はようやく相手が何者か分かった。死んだはずの相手だった。
「生きているのでしょうか? 少なくとも考える頭と動く体はあります」
「アンデッドだと?」
「貴方の臣下を殺した者たちとは違うと思います。彼らには考える頭はありません。本能で動いているだけです」
ベルムント王に同行した騎士の多くは、この森にいるアンデッドモンスターに殺された。ただ向かい合っただけであれば、簡単に殺されてしまうような力のない人たちではない。落とし穴など、いくつも仕掛けられていた罠に嵌り、まともに戦うことも出来ずに殺されたのだ。
「……どうして私を殺す?」
「それ聞く必要ありますか? 貴方とは異なり、家族としての愛情を注いでくれた義理の父と義理の兄、そしてこの世の誰よりも大切な婚約者を殺されて……殺されて、恨まないでいられるはずがないだろっ!?」
男の顔に、言葉に、初めて感情が込められた。
「バラウル家の者たちは鬼だ!」
男はベルムント王の、当時はノルデンヴォルフ公としてのベルムントの息子としてバウラル家、フルモアザ王国の王女の婚約者となった。ベルムントと他の三公が謀反を起こして、滅亡させたフルモアザ王国の王女の婚約者だ。
「鬼……? 生前は竜王と崇めていた相手を、殺した途端に鬼呼ばわりですか? でも、鬼って蔑称になるのか?」
代々のフルモアザ王国の王は竜王と呼ばれていた。そう呼ばれるような力を持っていた。
「アルノルト王の暴虐さはお前も知っているはずだ。どれだけ多くの者たちがパラウル家の犠牲になったと思っている?」
自分を殺す理由が、自分たちがバラウル家を滅ぼしたことに対する復讐だと知ると、ベルムント王は大人しく死ぬ気になれない。自分たちは正しいことを行ったと信じているのだ。
「国を治めるには時に強権を発動する必要もあります。貴方たちはそれを理解せず、虚言を真に受けて彼らを殺した。国を乱した。私の大切な人を殺した」
「……鬼に魅入られたか。愚かな」
人を狂わせる力。それもバラウル家が持つ力だとされている。ベルムント王は、男はその力のせいで正気を失ってしまったのだと考えた。
「鬼に魅入られたのは貴方でしょう? 森の外で人が襲われたという噂だけで、国王自らこんな場所に来るなんて馬鹿げている。でも貴方は来た。手に入れた強靭な体、人並外れた怪力を試したくて仕方がなかった。戦いに飢えていた」
「…………」
男の言う通りだ。アンデッドモンスター討伐など臣下に任せておけば良かった。そもそも討伐する必要もあったのか。恐らく村民がアンデッドモンスターに襲われたという噂は、男が流した嘘。ベルムント王は詳細を調べさせることなく、まんまと罠に嵌ってしまったのだ。
「竜王を殺して手に入れた力で、貴方たちはこの国に争いをもたらそうとしている。鬼なんて蔑称を使って、竜王を貶めても貴方たちの罪は消えません。貴方たちは竜王が処罰した何千倍、何万倍もの人を殺すのです」
「……お前もその一人だ」
内乱が始まれば、男の言う通り、何千、何万という人が死ぬかもしれない。フルモアザ王国による八代、百五十年の統治を破壊した結果、戦乱が巻き起こるのだ。これはベルムント王も否定できない。王自身はフルモアザ王国を滅ぼして建てたナーゲリング王国の治世が末永く続けば良いと考えており、その為の努力もしてきたつもりだが、それは他家が許さない。建国からの五年で、はっきりとそれを思い知らされた。
「私は何千人もの死なんて求めていません。竜王弑逆に関わった四公家の人々、関わった家臣を皆殺しに出来ればそれで良いのです」
「……子供たちは関係ない」
「クリスティアン様とルナを殺した貴方に、それを口にする権利はありません」
クリスティアンは竜王の息子、フルモアザ王国の王子だ。竜王を弑逆した四公は子のクリスティアン王子、そして王女であり、彼の婚約者、ベルムントの謀としての婚約関係だが、であったルナも殺した。バラウル家の人々を皆殺しにしているのだ。
「……復讐に囚われて、人の心を失ったか?」
「そうさせたのは貴方だ。それに元々、人の心など求めていなかったでしょう? 私は竜王を弑逆する為の道具。使い捨ての道具だったのですから」
彼もまた竜王弑逆に加担している。本人はそんなことをするつもりはまったくなかったのだが、結果としてそうなった。彼の行動が大切な婚約者を死に追いやった。
彼は人であることを止めている。復讐を果たす為であれば、どんな真似でも行うつもりなのだ。
「……私はそうだった。だが、娘は違う! ルシェルはお前のことをずっと心配していた!」
「…………」
ルシェル王女が自分を心配していたと聞いて、男の表情が変わる。彼女は唯一、彼がまともに会話したことのある相手。年齢が近いこともあり、親しみを覚えた相手だった。何も知らない彼女であれば、本当に心配してくれていた可能性はあるのだ。
「我が家への復讐は私一人で終わってくれ。終わりにして子供たちを助けてくれ。頼む」
「……約束は出来ません。ただ、判断を保留することは考えても良いです。貴方が私に協力してくれるなら」
「協力というのは?」
それで子供たちに助力してくれるのであれば、協力出来ることは協力したい。だが、もう間もなく死ぬ自分に何が出来るのか。男の望みがベルムント王は分からない。
「裏切者の名を教えてください」
「裏切者?」
「私とルナが城外に出たがるように仕向けた奴は分かっています。でもいつ城外に出るつもりだったかまでは、その人に分かるはずはなかった。それを知ることが出来る立場の人の中に裏切者がいたはずです」
竜王弑逆には、自分以外にも城内に手引きした者がいる。自分とは違い、協力者であることを自覚していた裏切者が。その人物が誰かを彼は知りたいのだ。計画を主導したであろうベルムント王であれば知っているはずだと彼は考えている。
「……私は知らない」
「では交渉はなしで」
「本当だ! 私の役目はお前をルナ王女の婚約者として城内に送り込むこと。当家が候補として選ばれていたから、その役目を担ったのだ」
竜王のほうから「ベルムントのシュバイツァー家からルナ王女の夫を選びたい」という打診があった中で考えた策略だ。庶子として紹介した彼が、あっさりと認められたことはベルムントにとって驚きだったが、策略としては好都合。竜王暗殺計画は動き出したのだ。
「……では誰が知っているのですか?」
「当家の人間ではないのは確かだ」
「そうですか……では仕方ありません」
ベルムント王が嘘をついているようには思えない。計画を主導したのはベルムント王だと思っていたが、実際に計画を考えたのは別の公家なのかもしれないと彼は考えた。
「子供たちのことは……」
「ひとつ疑問があります。どうして私にそれを頼むのですか? 私一人が味方しても勝敗を左右することなど出来ません。そんな戦いではないはずです」
死の間際に、自分を殺す人物に子供のことを頼む。そこまでしても子供たちが助かる保証はまったくない。これから始まる戦いは戦争。軍と軍との戦いなのだ。彼一人でどうこう出来るものではない。
「分かっている。だが、たった一人の強者の存在が戦況を決めてしまうことも私は知っている」
「……竜王の血を浴びた人が他にもいるのですね? 敵になるだろう側に」
その強者は自分のことを言っているのではない。彼はそれが分かった。
「やはり、そうか。私の体の変化は竜王の血の影響なのだな?」
それ以外には心当たりがなかったが、返り血を浴びただけで強靭な体を手に入れられるというのは、信じ難かった。だが彼の言葉が、それが事実であると教えてくれた。
「もうすぐ死ぬ貴方だから教えてあげます。バラウル家の特別な力は病気なのです」
「なんと?」
「血縁者に伝染する病気。ですが、その血が体内に入ることでも感染する場合もあるようです」
「そうやってバラウル家は自家の力を強めてきた」
バラウル家は、この世界ではそう呼ばれないが、吸血鬼の一族だと考えられている。竜も鬼もそういった、人とは異なる存在を呼ぶ言葉として使われているのだ。人の血を吸い、その相手を眷属にする。そうやってバラウル家はファントマ大陸南部を征服する力を得たのだとされている。
「それは嘘の情報です。病気だと言いましたよね? 病気なのですから、感染し、発病した人の多くは死ぬのです」
「嘘だ」
「本当です。竜王に教えてもらいました。バラウル家の血は呪われていると言って、子供たちが発病しないことを願っていました。少し調べれば分かったはずです。この百五十年でバラウル家の人たちがどれだけ病気が原因で早逝したかは」
バラウル家の衰退は内部での権力争いによる同士討ちが原因。世間一般ではそういうことになっている。本当に病死でも暗殺だと決めつけられていたりするのだ。
「……ではお前はどうやって力を手に入れた」
彼も力を得ている。そうでなければ常人を超える力を得たベルムント王が、罠を仕掛けられていたとしても、討たれるはずがないのだ。
噂通り、眷属にされた結果だとベルムント王は考えていたが、彼の話はそれを否定している。
「私の力はルナの血です。彼女は死の間際に発病した……意思の力で発病させたのだと私は信じています」
その彼女の意思と発病した血のおかげで彼は生きている。彼女に救われた命を彼女の復讐に使おうとしているのだ。
「……百五十年もそれを隠し続けてきたというのか?」
「不治の病を持つ家に自分の子供を入れたいと思いますか? 何らかのきっかけで感染して死ぬかもしれない。子供が生まれてもその子もすぐに死んでしまうかもしれない。そんな呪われた運命を背負う家に」
「嫁いだ者、婿に入った者が過去に何人も早逝している。それはそのせいか?」
これもバラウル家の悪評に繋がっている。送り出した家は生贄にされたのだと思い込んでいる。
「擁護ばかりも少し違うと思いますので正直に言いますと、殺された人も少なくないはずです。この秘密はすぐに教えられます。反応を見て、秘密を守れそうにないと判断された人たちは口を塞がれたでしょう」
秘密を知っても、すぐにそれを城外に伝えることは難しい。城の奥で暮らすことになった後は、外に出ることは許されないのだ。彼もずっと城の中だけで暮らしていた。
「お前は大丈夫だった」
「早死にするかもと言われても……その時まで生きていられたことに対する感謝のほうが強いですから。贅沢もさせてもらいました。あっ、これも教えておきます。竜王は私がシュバイツァー家の人間でないことに気づいていました」
計画の道具、捨て石とされる身だ。そうしても良いと思われる、存在など本来いるはずないのだが、子供が選ばれている。身寄りのない孤児を城に連れて来て、徹底的に礼儀作法を叩き込んだ。彼がベルムント王の娘、ルシェル王女と接していたのはその期間だ。
「幼い子供の考えではないな」
「私のように頼れる存在がいない環境で育った子供は、貴方たちが思うよりも遥かに大人なのです」
「そう、か……」
「貴方の中にある血は生きることを諦めたようです。貴方はもう死に……もう聞こえていないか。最後の言葉を預かれなかったな……俺にその義務はないか」
ベルクムント王の死。それは予想通り、ナーゲリング王国に戦乱を引き起こすきっかけとなる。とはいえ、戦乱の始まりは何年も前から予定されていたこと。ベルムント王の死は、その始まりの形を少し変えただけだ。