ジュリアン王子の騎士団、栄光騎士団の初任務は王国中央南部にある少数民族バスケス族の居住地での調査になった。そこが選ばれた理由は単にカリバ族が暮らしているハートランドから、比較的近いというだけ。協力するカリバ族の人たちが合流しやすいからというだけの理由だ。
だがそれが大事なのだ。少しでも早く真実を明らかにして、仮の決着により抱えてしまうことになった人々の不満を解消する。これが目的である以上、すぐに取り掛かれる場所から着手するのは間違いではない。
さらに書類の上では成立した栄光騎士団ではあるが、団員となる近衛騎士の選定はまだこれからという状況で動いている。アリシアとカリバ族だけで現地に来ているのだ。
「それで? この女性は何者だ?」
事前にカリバ族が接触し、話し合いに合意してもらえた上で、この場は設定されている。相手にとってアリシアは初対面、ではないのだが、そう認識する相手だ。
「アリシア・セリシール殿だ」
「何だと!? 王国の犬ではないか!?」
アリシアの顔は覚えていなくても名は知っていた。悪徳領主の味方をして、自分たちを迫害した白金騎士団の一員として。それで顔を覚えられていないのは、白金騎士団が時間をかけて任務を行わなかった証だ。
「前回の任務で、貴方たちの事情をきちんと確かめなかったことについては謝ります。申し訳ありません」
いきなり「王国の犬」呼ばわり。これだけで前回の任務が雑なものであったことを、アリシアは反省することになった。
「何を今更。多くが殺された。我が一族に残されていた最後の財宝も奪われた」
「……本当にごめんなさい。謝っても許されないことは分かっています。でも、お願いですから話を聞かせてもらえませんか? 私たちが何を間違ったのかを」
「それを知ってどうなる? 死んだ者たちは生き返らない」
アリシアもまた仲間を殺した敵。そう思っているバスケス族に、アリシアの頼みを聞くつもりはない。
「そう言わずに話をしてくれ。彼女は間違ったかもしれない。だが、その間違いを反省し、こうしてここに来ている。他の者たちとは違う」
このままでは話が進まない。そう考えたカリバ族のソロンが話に割り込んできた。元々、仲介役としてここにいる立場でもある。
「……どうしてこんな女を連れてきた?」
同じ王国から迫害を受けた身としてカリバ族を信用し、話し合いに応じた。だが、その話し合いの相手がアリシアだと分かっていれば、この場はなかった。
「我が一族は彼女に助けられたからだ。彼女がいなければ、領主に加担した裏切者以外、全員殺されていた」
「カリバ族にとっては恩人かもしれないが、我らにとっては憎い仇だ」
「その思いは否定しない。先ほども言ったが彼女が間違いを犯したのは事実だ。だが、今のままではバスケス族に未来はない。未来に繋げるには彼女に頼るしかない」
バスケス族の気持ちは分かる。同族を家族を殺した相手を恨まないでいられるはずがない。だが、その恨みに拘ってアリシアとの話し合いに応じなければ、バスケス族は滅びてしまうかもしれない。一度その覚悟を持たざるを得ない状況に追い込まれた経験があるソロンは、そうならない為にバスケス族が話し合いに応じてくれることを心から願っている。
「……彼女に何が出来る?」
「私自身には大きな力はありません。ですが、私は新たに栄光騎士団の騎士となり、団長はジュリアン王子です。貴方たちの声を直接王家に届けることが出来ます」
「それでどうなる?」
「本当の悪を暴き、倒し、貴方たちを守ります。貴方たちに正義があるのであれば」
バスケス族の言い分を全て信じるつもりはアリシアにはない。それでは任務の内容を鵜呑みにした白金騎士団の時と同じことになってしまう。
「我々は正しい。悪いのは領主だ」
「ではそれを教えてください。領主はどのような悪事を働いているのですか? 何故、貴方たちは領主に狙われるようなことになったのですか?」
「……お前が正しいという保証はない」
話をして本当に事態は良くなるのか。バスケス族はそう思えない。アリシアに対する不信は、少し話をしたくらいで消えるものではないのだ。
「彼女を信じられないのなら、レグルス・ブラックバーンならどうだ?」
「えっ?」「何?」
ソロンがレグルスの名を出してきたことでアリシアは驚き、バスケス族は戸惑った。
「彼女はレグルス・ブラックバーンの元婚約者で、今ももっとも彼に信頼されている人物の一人だ。これを聞いても彼女を信用出来ないか?」
「レグルス・ブラックバーンが……」
考える素振りを見せるバスケス族の男。レグルスの名は彼にそうさせるものがあるのだ。
「どうして、アオ?」
「アオ……ああ、レグルス殿の別名か。こう言ってはあれだが、彼は貴女と違って間違わない。なにより我らのような王国から異民族扱いされている者たちにとって希望の存在だ」
レグルスはフルド族、ゲルメニア族、カリバ族を救った少数民族にとっての英雄。さらに与えられた領地では、外から連れてくることなく、ゲルメニア族だけを家臣。領民としている。別の領地を与えられた後もゲルメニア族が家臣として働き続けていることは、少数民族間の特別なネットワークによって広く知られているのだ。
「……確かに。でも、ちょっと悔しい」
「悔しい?」
「アオに頼りっきりでは、自分が情けなくて」
これでバスケス族が話を聞く気になったとしても、それはレグルスの評判のおかげ。アリシアとしては、有難くはあるが、何から何まで頼りっきりというのは情けなく思ってしまう。
「……それでも目的を果たせるのであれば良いのではないか?」
「もちろん。大切なのは私の気持ちではなく、真実だから。私はアオ、レグルスのように正しい人を助けたいと思っています。協力して頂けませんか?」
悔しくても、情けなくても、虐げられている人々が救われることが大事。その為にレグルスの助けが必要であれば、アリシアは迷うことなく助けを求める。
「……良いだろう。真実はこうだ」
アリシアの新しい任務が動き出した。彼女にとっては、これまでよりも、ずっとやりがいを感じられる任務だ。だからといって、全ての人々がその成果をありがたく思うわけではない。それにアリシアは気付いていない。気付くはずがない。仮に気付いたとしても、彼女のやることは変わらない。
◆◆◆
南方辺境伯家領、ディクソン家の本屋敷がある中心都市から離れた街にタイラーの兄、クリスチャンの屋敷はある。亡くなった父親から遠ざけられたのだ。その父親のほうは、ディクソン家を追放したクリスチャンに屋敷とそこで仕える使用人たちを与え、さらに暮らしていくに困らない税収を得られる街まで与えたのだから感謝されるべきだと思っていた。亡くなった今となっては、どうでも良いことだ。
そのクリスチャンの屋敷は珍しく客を迎えて賑やかだ。来客は珍しいと表現するほどではないのだが、密やかに訪問する者ばかりで、歓迎の宴を催すようなことはなかったのだ。
その珍しい歓迎の宴で迎える客は、クリスチャンにとっては実の弟のタイラー。すでに南方辺境伯を継いだので、当主でもある。
今日の宴は、タイラーが南方辺境伯となったのを機に、長年の確執を払い、かつてのような良好な関係を築く第一歩という位置づけ。クリスチャンがタイラーを誘い込む為に使った口実だ。
「……愛すべき弟よ、我を許せ。お前の善意を私は利用した」
芝居がかった言葉をつぶやくクリスチャン。もう間もなく宴が始まる。歓迎の宴を装ったタイラーの暗殺計画が実行に移される。その時を前に、クリスチャンも平常心ではいられないのだ。
「お前を殺して私は南方辺境伯になる。求めていたものを手に入れる」
たとえ暗殺という手段を使ったとしてもディクソン家が南方辺境伯であり続ける為には、クリスチャンを後継者にするしかない。タイラーが死ねば、直系は彼一人になるのだ。
「それは無理だな」
「何者だ!?」
自分以外は誰もいないはずの部屋。クリスチャンは暗殺計画が始まるにあたって、人払いを行っているはずなのだ。
「何者……暗殺者だな」
「……誰の差し金だ?」
自分に対する暗殺計画も同時に進んでいた。これはクリスチャンには想定外だった。お人好しのタイラーはそんなことは考えない。そう確信していたのだ。
「答える義務はない。それに聞くだけ無駄だ。お前は死ぬのだから」
「私を殺せば、ディクソン家は絶える」
「まさかと思うけど、タイラーが暗殺される危険をまったく考えていないと本気で思っているのか? あいつはそこまでお人好しじゃ、いや、底抜けのお人好しか。最後まで兄のお前を信じようとしているのだからな」
タイラーはお人好しかもしれないが、馬鹿ではない。クリスチャンが自分の暗殺を企んでいる可能性は、当たり前に考えている。それでもタイラーはわずかな可能性を無にしたくなかったのだ。兄と昔のような関係に戻れるかもしれない可能性を無に出来なかったのだ。
「……その結果、タイラーは死ぬ」
「長く離れ離れで居すぎて、あいつの実力を知らないのか。お前の手下が十人、二十人、束になって襲い掛かっても、あいつは殺せない」
実際にはタイラー一人で戦うわけではない。ディクソン家騎士団の若手騎士の中でも指折りの実力者が選ばれ、タイラーに同行している。あえて若手を選んだのは、クリスチャンを刺激しない為。これもタイラーのお人好しが理由だ。
「貴様、何者だ?」
「分からない? やっぱりそうだよな。会ったことがあるらしいけど、俺もお前の顔はまったく思い出せない」
「会ったことが……ま、まさか? お前、レグルスか!?」
会ったことがあると教えられ、クリスチャンは相手の正体に気付いた。思い出したというより、目の前にいる黒髪に青い瞳という男の特徴に合う人物は誰かを考え、レグルスだと分かったのだ。
「正解。一応、久しぶりと言っておくか?」
「馬鹿な。どうしてお前が私を殺そうとする?」
「それが仕事だから」
個人的な理由でレグルスはクリスチャンを殺そうとしているのではない。といってもタイラーがこうして見え見えの罠に飛び込むことが分かっていれば、依頼がなくても殺しに来たかもしれないが。
「そうではない! 北部動乱の英雄であるお前が、どうして私の邪魔をする!?」
「またそれか……良く分からないけど、それとディクソン家の継承争いに何の関係がある?」
北部動乱の英雄。以前にも言われたことだ。だがレグルスは北部動乱そのものを知らない。そんな人生の記憶はない。
「……分からないか。そうだろうな。だからお前は自ら破滅の道を切り開こうとしている」
「お前を殺すことが破滅の道というのは理解出来ない。それに……仮にそうだとしても俺はお前を殺す」
それがタイラーの為だ。お人好しのタイラーは兄であるクリスチャンを殺すことは出来ない。ずっと内部に危険分子を抱えることになる。それが分かっているディクソン家の家臣は、タイラーが出来ないことをレグルスに頼んだ。レグルスもそれに納得している。
「……ようやく……ようやくここまで来たのに……今度こそ、今度こそ未来は変えられたのに……お前には分からないだろう!? 私の想いは!」
「……やっぱりそうか。残酷な人生を繰り返される絶望感なら、俺も分からなくはない」
クリスチャンも予想通り、人生を繰り返している。何度も望まない結末を迎えている。それが分かった。
「そんな……」
クリスチャンのほうもレグルスが自分と同じだと分かった。分かれば尚更、この状況が受け入れ難くなる。
「この先の自分の人生がどうなろうと俺はお前を殺す。未来がどうであろうと、今この時を後悔しない生き方をすると俺は決めたんだ」
「……タイラーの為に私を殺すことが後悔しない生き方なのか?」
「あいつはお人好しの良い奴だ。今回の人生で初めて俺はこう思った。つまり、人生はすでに変わっている。俺は今死ぬことになったとしても、過去の人生のような後悔はない」
レグルスのとって今回の人生は過去とは違っている。生きる目的が違う。だから死ぬ目的も違うものになる。
「そう思える人生を生きているのか……」
「これは何の慰めにもならないと思うけど、貴方の死もきっと世界を変える。今この場で俺に殺される人生なんて経験したことはないはずだ」
「……そうか。私の死は世界を変えるのか」
レグルスの言葉は本人の思いとは異なり、クリスチャンの慰めになった。これまでと同じ、何の価値もない人生ではないのかもしれないと思わせた。
「皆が必死に足掻いて、わずかに人生を変えた。その積み重ねが最後には世界を変える。俺はこう思うようにしている。貴方もその一人になるはずだ」
「……タイラーを生かして、私が死ぬことは世界の為になると思うか?」
「その答えは分かっているのでは? タイラーが、何があっても信じ続けたいと思う兄である貴方であれば」
タイラーがそこまで思えるクリスチャンは、無情の人ではないとレグルスは思う。兄弟としての愛情を注がれたからこそ、タイラーは信じ続けられるのだと考えている。
「……ひとつ頼みがある」
「何ですか?」
「私の死を意味のあるものにして欲しい。絶対に、とは言わない。君の過去の人生を私は知っている」
レグルスの人生もまた悲劇。そうであったことをクリスチャンは知っている。今回の人生はレグルスにとって幸せなものになる、なんて甘い考えは出来ない。それでも、求めたかった。
「……約束します。出来るだけのことはしますと」
「ありがとう。では……ベッドの上が良いか」
レグルスから約束を、仮に口だけの約束であったとしても、取り付けたら、あとはもう死ぬだけ。死に場所はベッドの上を選んだ。特別な意味はない。床に転がって死ぬのが嫌だっただけだ。
部屋の奥にあるベッドに向かい、そのまま寝転がるクリスチャン。その様子からは、死の時を迎える緊張は感じられない。
「……そうだ。教えてください。北部動乱とはどういうものですか? 何故か俺にはその記憶がなくて、いや、ないはずで。メモに残っていないので」
「……そうか」
レグルスの話を聞いたクリスチャンは少し戸惑った様子を見せている。レグルスに北部動乱の記憶がないとは思っていなかったのだ。
「北部動乱は言葉の通り、北部で起きた動乱、反乱だな。最初は小領主が起こしたものだったが、君が先頭に立つことで北部貴族の多くが従うことになった。あわや王国を倒してしまうのではないかという勢いだった」
「……でも負けた?」
道半ばで倒れたはず。記憶がなくてもそれは分かる。
「そうだ。君は……君は、タイラーに殺された」
「えっ……?」
「南方辺境伯家が反乱鎮圧に動員されたことで戦況は一変した。最後の決戦で君はタイラーと一騎打ちとなり、負けた。それで北部動乱は終わった」
国境防衛を受け持つ辺境伯家が動員されるほど、レグルス率いる反乱軍には勢いがあったということだ。王国騎士団だけでは抑えきれないと王国が判断するくらいの勢いが。
「……そう、ですか」
想定外の事実。レグルスは動揺を隠しきれないでいる。
「私を殺すのは止めるか?」
「……いえ、申しわけないけど、それはないです。タイラーは南方辺境伯になるべき男。そのタイラーに殺された俺は殺されるべき悪だというだけです」
「そうか。君がそう思っているのであれば良い。さあ、殺してくれ」
レグルスが未来の可能性を受け入れているのであれば、自分も今の状況を受け入れるだけ。クリスチャンはこう思えた。死の恐怖など感じていなかった。
「では」
クリスチャンの体にゆっくりと剣を突き立てるレグルス。クリスチャンに苦しむ様子はない。レグルスは、ゆっくりとではあるが確実に急所を捉え、苦しまないようにしたつもりだ。
「……しまった。動揺していて聞くべきこと聞かなかった」
北部動乱は北部で自分が起こした反乱。最後はタイラーに殺されたというのは驚きだったが、それ以外は聞かなくても分かることだ。もっと聞くべきことはあった。そもそもどうして反乱を起こすことになったのか。仮にサマンサアンの復讐が動機だとしても、私怨からの反乱に多くの北部貴族が協力した理由が分からない。
「……ちょっと失礼して」
クリスチャンの部屋を漁ってみる。クリスチャンも自分と同じで過去の人生の記憶を残している可能性がある。それを探そうと考えたのだ。
実際にそれはあった。すぐに机の中から見つかった。ひとつひとつ紙を手に取って、そこに書かれている内容を確かめようとするレグルス、だったが。
「兄上!」
壁をぶち破って飛び込んできたタイラーがそれを許さなかった。
「……レグルス、どうしてお前?」
どうしてレグルスがクリスチャンの部屋にいるのか。それに驚いたタイラーだが、すぐに事情が分かった。ベッドに寝ているクリスチャン、シーツを染める赤い血がそれを教えてくれた。
「レグルス……待て!」
レグルスを問い詰めようとしたタイラーだが、状況を把握するまでに使ったわずかな間でレグルスは窓の外に飛び出していた。
開けっ放しの窓から下をのぞき込むタイラー。だが夜の闇はレグルスの姿を隠していた。